連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

ジェンダー

2018-06-10 08:47:42 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、東北大学第3内科開校00周年記念式典が、同窓会尚仁会総会で執り行われました。

日頃は、女子大学で教鞭、臨床医としての日は、ほとんど女性の看護師という生活環境のなかで、

会員はほとんど男性であることに、ジェンダーを思い出しました。

セクハラ、パワハラ、アカハラ満載であった東北大学附属病院時代でした。

今は、医学部入学女性比率は40%に達しようとしていますが、厚生労働省の女性医師の年次推移からは7%ほどで、http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000069214.pdf#search=%27%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E9%83%A8%E5%85%A5%E5%AD%A6%E7%94%B7%E5%A5%B3%E6%AF%94%27

数の少なさは、大勢を占める力に押しまくられる、パワハラも加わってきます。

久方ぶりの女性医師を迎え入れた医局では、”女性”という珍獣扱いで、恩師の言葉”女性が居にくい雰囲気は無視して!”を、思い出すことしばしでしたし、また、検査部への結果問い合わせでは、当初はぞんざいな言葉遣い、やり取りで看護師ではなく医師であると気づいた途端に言葉遣いが変わるという看護婦(当時は看護師ではありませんでした)蔑視を言葉遣いで表現していましたし、作業着は、聴診器をポケットに入れた診察衣名の一見して区別可能なので、患者からは ”女医さん!珍しい” シャワーを浴びせられました。

グループの長は、研究費の獲得が断トツに多く、教授が変わった直後で、研究費の配分を巡っての争いに巻き込まれ、”教授は大名だ。従わないものは、辞めるしかないな” と、教授自らの言葉に驚愕。この後の長い、血液グループへの嫌がらせの始まりでした。しかし、瀕死の患者の前では、圧力に屈しない力を得られるもので、また看護婦は、患者優先でしたので、診療多忙が、医局に留まる力を与えてくれました。

セクハラ、満載の時代で、しばし後に、同じ専門領域を志す後輩女性医師が入局し、講座内の実験区域外の居住スペースに留まる留まる時間ができ始めました。

血液グループに対する教授パワハラは、世間にも知られるようになり、恩師宇塚善郎先生の下で、白血病の研究、臨床と考えた若き医師が入局を断念し、他の大学に入局しました。

講座の改変時も大変でした。

ナンバー内科、外科時代は、同じ研究分野を複数の講座、科していましたが、

講座改変、臓器疾患別の移行時も大変でした。病床数の分配にあたり、1実績から第3内科血液に対して15床の割り当となり、

駆け引きがありました。

今では、病床利用は、空床を減らし、稼働率を上げるために、流動的で、各科の使用が当たり前となっている現在では考え難いのですが、

予算配分に絡むことだったので、大変でした。

第3内科系列で診療を継続し、私の退職と共に第3内科血液は消滅という道を選択しました。

今日は、時の日で、河北新報の【うたの泉】の 佐々木幸綱 師の一首

火も人も時間を抱くとわれはおもう  消ゆるまで抱く切なきものを 

気持ちを代弁してくれる一首です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする