連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

認知症につきあえるか?

2015-02-16 14:54:03 | 健康・病気
父は、1年強の胃がんの手術、化学療法、再発の入退院後、家族の行く末を案じながらも、最期の数日は、”遠いなー”と微笑みを交えた嘆息しつつ、母には、”しょうがないんだ”と淡々と語りかけ、最期の最期のゼロゼロした息づかいにかけた気合いに反応し、手を握り返してくれたりしながら、80歳と11か月でこの世から旅立った。
母は、冬になると繰り返す口唇ヘルペスが治らず、食べても吐くようになり、高齢でもあり目安を付けてから医療機関を受診しようと、仙台血液疾患センターで採血検査で、思いもかけず、感染症を契機とした溶血性貧血で、当日から入院し、意識がもうろうとなり、夜明けとともに朝日を受けさせて、目が動いたので、おはようと声をかけるとかすかに”おはよう”と応えてくれたのが最後の発語で、数時間後には息を引き取った。
両親は、介護保険を使う状態ではなく、”認知症介護”とは無縁で世を去った。

縁戚が、夜間譫妄=Levi's小体型認知症と思しき状態となり、日々の波はあるものの、家族が困惑、疲労困憊しているので、介護要員として、仕事の支障がない夜から休日の夕方まで、傍らで過ごすことになり、3か月ほどが経過。
脳の変性で生じるのであり、改善しないとわかっていても、落ち着いた日は、これが普通で、次の日もと期待するが打ち破られ、さらに悪化した状態を突き付けられている。
今夜は、危なそうだという気配はつけめるのだが、回避できず、一晩中活性化した状態が続く。歩き続け、逃げ回り、少しも休ままない。常は、高齢者らしく、よたよたとぼとぼ疲れるといっては長い休息が必要なはずが、疲れたから休もうと制しても、すぐに活動を再開し、持続する。
逃げ回る対象が思い当たらず、対応できない。対応できるような現実があるのだろうか?とも思える。


医者として、高齢者診療も行っているが、24時間傍らでずっと共に過ごすことはなく、対処法を伝授するだけであったが、
家族の一員として、危険にあわさないための見守りを続けるのは心身ともに疲弊し、次第、次第に無力感にさいなまれ弱ってくる。
家族が認知症、24時間昼夜を問わない見守りが必要で、何時訪れるかわからない、睡眠を期待するのみでしか、安息、休息、睡眠が得られないのを、身をもって実感し、系統的な対策を立案し、提案するが、ここにまた隘路があった。同居以外の家族の見解だ。

同居以外の近親家族は、ぎりぎりの状況になるまでは、帰宅という逃避行為が正当化されるので、真摯に対応向かっているつもりになっているだけで、現実的でないことも多い。

高齢者は、25%を超えるという現実。75%が高齢者を介護できる年代ではない。新生児、学童も含まれる。日本国を維持する生産人口が、介護という産業に吸い込まれた行く末は、今の段階では、疲弊しか見えない。介護者を抱えている、家庭の疲弊の構図と同じ。http://vexon-intnl.com/dasc/h24text.pdf

どうしたらよいか?なにができるか?どうみきわめるべきか?

認知症になると、”個”が優先しているように思われる。家族へのいたわりはあるが、独断的で、自分の見解のみによるいたわりなので、呼びかけに応じない。
コメント
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