連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

金環日食と網膜症 そして恩師の目

2012-05-21 08:43:46 | 東日本大震災

6時35分に西側の一部が欠け始めたのを、通勤途中の田んぼの水面で確認した。バス乗り遅れないために速足で通り過ぎた。

宮学のキャンパスでは、観測している群団から安全なメガネを貸していただいて観察。

先人たちはいかにして観察したのか?

メディアは、繰り返し網膜症に注意を呼び掛けていた。繰り返し、2秒に達する凝視は危険と。

医療用の光を要する観察、顕微鏡、内視鏡観察では網膜障害による失明が起きている。

恩師、宇塚善郎先生も、単眼時代の顕微鏡観察で昭和50年代には右目は失明。

先生の目を凝視すると網膜が焼けたのがわかる。

そして、左目も徐々に光を失っている。

両眼で観察可能な時代でも、血液を専攻し診断手技としての顕鏡は欠かせない。

1時間観察を続けた後は、私の目は、調節力が落ち、いつまでも痛く、しみる。

恩師が大学の退官後、休日は、数時間の顕鏡でさらに急激に視力が落ちた。

かって、"self renewal" を確認する幹細胞実験を連日連夜行っていた。

学会、博士号提出のために結果を出すときには、宇塚先生も必ず顕鏡した。

弟子の私たちはすぐgive upするのだが、

恩師は数時間どころか、ときに10時間に及ぶ日もあった。

結果を出す期限が迫れば迫るほど長時間に及んだ。

そのとき”光を失ったら、目の代わりとなって”と言われたことがあった。

弱音をはかない恩師の、目の叫びだったんだと、今思う。

ほとんど視力を失いかけていることに、

くりごとも、絶望もなく日々淡々と過ごされている。

コメント
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