連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

灯台下暗し

2007-11-16 07:06:24 | 血液専門医宇塚善郎

東北大学第3内科に始まり東北大学消化器内科を経て、今は仙台血液疾患センターで血液専門医としての仕事を続けています。

恩師宇塚善郎は、1970年代当時は、学会にゆけば、今でいう”おっかけ”がいたその教えを請いたい人が群がってきました。しかし、大学に戻り、病室では、重症な白血病患者は、看護師、担当医からも忌み嫌われていました。その矛先をまともに向けられた時代を思い出す出来事がありました。

診療専門を”白血病を治す”ことを避けた医師、重症であるがゆえに多忙となる看護婦は、患者の前で露骨にいやな感情を表現できないし、鋭い舌法で医の倫理をまとってひたすら真剣に患者と向き合い、顕微鏡を見、研究のための実験に寸暇を惜しんで仕事をしている宇塚善郎の前では、なおのこと”重症患者を集めて”とか不平不満をぶちまけることはできないので、一人しかいなかった新米医師の私に、その後不治の病を治癒可能とするかもしれない心意気に燃えて弟子入りした医師たちも”重症患者を入院させている集団”として攻撃の対象となりました。

内と外の評価のギャップ!

医療現場は泥臭い。全然かっこなんかよくない。毎日毎日、同じに見えることの先に学会の報告があり、報告データをまとめながら、毎日のことを再点検し、さらに患者の”根治”を希望する気持ちに応えたい、とかQOLを上げるには、安全な治療とは考える過程で次の発展を生み出す原動力としています(臨床成績をまとめあげ発表しない施設の進歩はどうやって手に入れているのだろうか?)。

病棟は具合が悪いときに入院し、退院する。完全寛解を維持している人は外来です。

再入院は、やはり具合が悪いとき。なので、ほかの施設と比べてよい成績であろうとなかろうと忙しいことに変わりはしないじゃないか、何の役にも立ちはしない、いい成績なんて発表するから白血病患者が集まってくるんじゃにの!と極めて現実的な反応であった東北大学時代。::東北大学時代も、齋藤一人になった時代、風向きが変わって協力的な看護婦集団の時代もありましたが!

仙台血液疾患センターは、院長宇塚善郎の指揮の下システムとして整っています。

平成18年の医療法改正後、それまでは潤沢であった看護師が、夫の転勤に伴ってごっそり抜けた後の補充がきかなくなり、また妊娠出産でごっそりと産休に入ってから、ぼつぼつと入社してきた職員は、やりくり算段している、ちっぽけな病院という意識しかないのかなという慨嘆が、本日の表題です。学会報告は、院内で必ず行っているのですが。

永年勤続者は、医師は3名、看護師長、事務長。でも医師以外は、他の医療世界を知らず、比較しようがないかもしれないし、報告もちんぷんかんぷんで聞いていないか、親和性がないからか。

またまた、人間に対する勉強をさせてもらったので、この勉強を生かしたいと思います。

コメント
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