すずしろ日誌

介護をテーマにした詩集(じいとんばあ)と、天然な母を題材にしたエッセイ(うちのキヨちゃん)です。ひとりごとも・・・。

ピンクの妹も齢97歳に・・・。

2018-10-14 20:14:37 | ひとりごと
 父は兄弟姉妹の末っ子だったが、存命しているきょうだいは2番目のおばちゃんだけになった。すぐ上のおじちゃんは定年後けっこう若くして亡くなったと思うし、父は80歳だった。
 一番上のばあやん(ここだけばあやんになるのは、父と16も離れていたので、私の子供の頃から「ばあちゃん」だったからだ。実際、後から分かったが事実「祖母」だったわけで。)つまりピンクは長生きだったので、100歳近かった。
 そして今日は父の2番目のお姉さんに会いに行ってきた。元々好奇心旺盛で、コースターにも乗ったり、オペラを聴きに行ったり、健康食品ではかなり顧客を増やすほど社交的な人だったが、そのおばちゃんも97歳になっている。
 一時期心配な入院生活を送っていたが、娘さんの家で介護をするうち元気になり、施設に行ってからは更に元気になったらしい。
 そして、今日は親戚のみんなで久しぶりにおばちゃんに会いに行ってきた。
 会ってまずびっくりしたのは、顔もふっくらして顔色も良い。そして、認知症になってから子供も嫁もごちゃ混ぜだったのに、今日は行ったすべての身内の顔と名前を理解していた。
 まず私が手を握り、
 「誰で?」
と声をかけた。間髪いれずに、
 「すず。」
と言った後、ちょっとフリーズ。
 「すず?すずはもうちょっと歳とっとるはずじゃけど。」
 おおお!お世辞なのか、もしくは50を過ぎてるはずの私のことを、ちゃんと理解しているから、若い恰好をしていると感じたのか、何にしても凄いじゃないか。
 ただ、
 「清は元気にしよるか?」
と10年前に死んだ弟(父)を気遣った。
 実はつい最近亡くなった息子さん二人については、全く話題にしないと言う。死んだ事を理解して封じ込めているのか、悲しい事を思い出さないために「いない」ことになったのか。何にしても悲しい思い出は心から追い出しているらしい。
 「ここの老人ホームは娘の婿が建てたんじゃ。」
と大いなる作話。勿論嘘である。
 「作る時はうちもセメントこねた。」
と一緒に働いた記憶になっている。
 しかし、
 「今まで生きて来て、うちは今が一番幸せじゃ。皆にこうして大事にして貰って。」
と言う。
 おばちゃんとピンクは昔からあまりクゼツを言わない人だった。人の悪口も言わない。いつでも、
 「幸せじゃ。」
 「いい人じゃ。ええ子じゃ。」
と繰り返していた。それは認知症になった今も変わらない。きっと、我慢に我慢を重ねたのではなく、感謝する気持ちのベースが常にあった人なのだろうな。
 私はきっと文句ばっかり言うお年寄りになりそうだけど、出来る事ならこういう可愛いばあやんになりたいな。

*帰りにお家の人にご馳走になってしまった。

     

     



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2 コメント

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Unknown (ふくだ)
2018-10-15 10:28:04
あ~、私きっと将来、毒ばっか吐いてそう!
そうならないようにするには、今から徳を積んでおかないと…もう遅いかな(;^_^A
自然にそういう言葉が出るのは素晴らしいことですね。
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ふくだ様 (すずしろ)
2018-10-15 22:32:38
多分、どうなるかは分からなくて、認知症になってからもお人柄が良くも悪くも変わらない人もいれば、良くも悪くもま逆になる場合もあって。。。

出来れば「可愛く」なりたいです。
返信する

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