みちのくの山野草

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「ヒデリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ」とまでは言えまい

2023-01-13 12:00:00 | 「賢治年譜」一から出直しを
《こんな金色の猩々袴があるなんて信じられなかった》(平成30年4月8日撮影)

 さて、先に
    賢治は羅須地人協会時代のヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ
ことを知った。さらに、
    賢治は実質的には「サムサノナツハオロオロアルキ」をしなかった
ということも知った。
 そうなると、
    ヒデリノトキハナミダヲナガシ
    サムサノナツハオロオロアルキ

については、賢治は何も為さなかったということになりつつある。逆の言い方をすれば、もしそんなことがもしあったとすれば、それは、
    羅須地人協会時代以外の「ヒデリノトキハナミダヲナガシ
たということだけはあり得たかもしれない、ということになった。

 そこでまず、賢治が生きていた時代(明治29年生まれ、昭和8年歿)前後の冷害・干害そして不作・凶作の年を確認してみよう。
 『岩手県農業史』(森嘉兵衛監修、岩手県発行・熊谷印刷)によれば、当時の冷害・干害等発生年は次表のごとくであり、
《表1 明治212年~昭和11年の間の冷害・干害等発生年》
 〈冷害〉           〈干害〉
  明治21年         明治42年
  明治22年         明治44年
  明治30年         大正5年
  明治35年(39)       大正13年
  明治38年(34)       大正15年
  明治39年         昭和3年
  大正2年(66)        昭和4年
  昭和6年           昭和7年

  昭和9年(44)         昭和8年
  昭和10年(78)       昭和11年
  注:( )内は作況指数で、80未満の場合に示した。
  太字が賢治が生きていた時代(明治29年生まれ、昭和8年歿)のものである。
 次に、上掲の資料を基にして並び替えてみれば、
《表2 大正2年~昭和9年の間の冷害干害発生年》
    大正 2(1913)年冷害(66)
    大正 5(1916)年干害
    大正13(1924)年干害
    大正15(1926)年干害
    昭和 3(1928)年干害
    昭和 4(1929)年干害

    昭和 6(1931)年冷害
    昭和 7(1932)年干害
    昭和 8(1933)年干害

    昭和 9(1934)年冷害(44)
となる。また、当時の岩手県の水稲反収の推移は次の通り。
《図1 岩手県水稲反収推移》

      <素データは『都道府県農業基礎統計』(加用信文監修、農林統計協会)より>

 よって、賢治が羅須地人協会時代(大正15年4月~昭和3年8月)以外に「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」たということがもしあったとすれば、大正6年(盛岡高等農林3年生)以降の賢治であれば昭和4年の干害の際にはあり得たかもしれないことを知ることが出来た。ところが、昭和4年の賢治はもう下根子桜からは退却し、豊沢の実家で病気療養をしていたということだから、かつてのような稲作指導などはほぼ無理であり、大正6年以降の賢治が「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」て農民のために東奔西走したりすることがあったとはもう言えないだろう。

 したがって、
 羅須地人協会時代以外の「ヒデリノトキハナミダヲナガシ
ということがあり得たかということについては、そこまでの全てについては調べられなかったが、ここまでの調査の結果、
 少なくとも大正6年以降の賢治が、「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」たということは実質的にはあり得なかった。
と断定出来るだろう。
 そしてまた、大正5年以前の賢治が「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」て農民のために東奔西走したりすることがあったとすれば、それは殊勝なことだからそれを裏付ける証言や資料等が残っているはずだと思うのだが、そのようなものは一つも見つからない。よって、
   賢治が、「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」たことがあったとは、実質的にはもう言えまい。
 するとこのことと、最初に述べた、
とを併せれば、
 賢治は実質的には、「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」たとか「サムサノナツハオロオロアルキ」したとまでは言えまい。
という結論になる。

 だから、おそらくあの「サフイウモノニワタシハナリタイ」という詩句は、賢治がこれらのことをせねばならなかった際に、実はほぼ何もしなかった(特に、大正15年の飢饉一歩手前の隣の郡の大干害に際しての救援活動を)ことの悔恨と懺悔を思わず吐露しているのだと、私はあらためて認識し直した。

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