みちのくの山野草

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「和風は河谷いっぱいに吹く」に気象上の虚構

2023-03-23 12:00:00 | 「賢治年譜」一から出直しを
《オオタカネバラ》(2021年7月17日撮影、岩手)

 そこで私は入沢康夫氏のご助言に従って、盛岡地方気象台を訪ね、当該期間の花巻の残りの日の降水量等を教えてもらい、前掲の《表1》に同論文中の水沢の湿度等を付け足した下掲のような《表2 昭和2年7、8月の気象》

を作ってみた。
 そこで、「和風は河谷いっぱいに吹く」の下書稿の第一形態である〔南からまた西南から〕の中の次の連、
   南からまた西南から
   和風は河谷いっぱいに吹く
   七日に亘る強い雨から     ……①
   徒長に過ぎた稲を波立て
   葉ごとの暗い霧を落して
   和風は河谷いっぱいに吹く
   この七月のなかばのうちに
   十二の赤い朝焼けと      ……②
   湿度九〇の六日を数へ     ……③
   異常な気温の高さと霧と    ……④
 小暑のなかに枝垂れ葉を出し
 その茎はみな弱く軟らかく
 多くの稲は秋近いまで伸び過ぎた
 明けぞらの赤い破片は雨に運ばれ
 あちこちに稲熱の斑点もつくり
 ずゐ虫は葉を黄いろに伸ばした
      <『校本宮澤賢治全集第六巻』(筑摩書房)>
における、①~④についてそれぞれ考えてみたならば、
①: 直前の7/14、7/13、7/11、7/10、7/8、7/7、7/1の7日間はたしかにかなり強い雨等が降っていたであろうことの蓋然性の高いことが判る。
②:7月14日以前は連日のように雨が降っており、このような気象であれば「やがて雨が降るであろう兆し」である「赤い朝焼け」が「この七月のなかばのうちに/十二」日も続いていると詠んでいることは理に適っている。
③:このことは佐藤泰平氏の同論文にある、「水沢の湿度(90%以上)」との整合性がある(ただし水沢のデータではあるが。なお、盛岡地方気象台には当時の花巻の湿度のデータの記録は存在していない)。
④:この「異常な気温の高さ」については、「昭和2年7月1日~14日」の気温(《前掲表の赤色数値)が前年及び翌年のそれぞれと比べてみれば前々頁の《表1》から、たしかに高い傾向が判るから、整合している。

 したがってこれらのことにより、〔南からまた西南から〕に詠まれている気象に関する事柄①~④がこれだけ当時の気象データと整合していることが判るから、こちらの詩には気象上の虚構はないと判断できるだろう。となれば、その他の内容についてもそこには虚構がなさそうだ。
 よって、このことと先の「この2篇のうちの少なくとも一方は気象上の虚構が含まれたものであると判断せざるを得ない」という論理から、常識的にのみならず論理的にも、「和風は河谷いっぱいに吹く」の方にこそ虚構があるということにならざるを得ないだろう。
 言い換えれば、かつての私の場合には、
「和風は河谷いっぱいに吹く」の詩からは、賢治が駆けずり回った近隣の村々の稲は皆倒れてしまったのに、賢治が指導した稲田だけは彼の稲作指導が優れていたせいで、肥料設計が的確だったせいで一度倒れた稲は奇跡的に再び立ち上がったのでそれが嬉しくてたまらず、欣喜雀躍している賢治の様が目に浮かぶ。
のであったが、ここに詠まれている稲田の様子は昭和2年8月20日の現実のそれではなかったということになりそうだということを覚悟せねばならないだろう。つまり、こちらの詩はあくまでも虚構を含んだ「詩」であり、賢治がこうあって欲しいという「願いや祈りを詠んだ詩」であったということになりそうだ。
 そして、賢治の肥料設計した田は激しい雷雨のために稲が皆倒れてしまった状態で賢治の目の前に拡がっていたというのが、8月20日の真相だったようだ<*1>。それは、同日付の次の二篇の詩、
  〔もうはたらくな〕
   もうはたらくな
   レーキを投げろ
   この半月の曇天と
   今朝のはげしい雷雨のために
   おれが肥料を設計し
   責任のあるみんなの稲が
   次から次と倒れたのだ
   稲が次々倒れたのだ
   働くことの卑怯なときが
   工場ばかりにあるのでない
   ことにむちゃくちゃはたらいて
   不安をまぎらかさうとする、
   卑しいことだ
    …(略)…
   さあ一ぺん帰って
   測候所へ電話をかけ
   すっかりぬれる支度をし
   頭を堅く縄って出て
   青ざめてこわばったたくさんの顔に
   一人づつぶっつかって
   火のついたやうにはげまして行け
   どんな手段を用ひても
   辨償すると答へてあるけ

  〔二時がこんなに暗いのは〕
   二時がこんなに暗いのは
   時計も雨でいっぱいなのか
   本街道をはなれてからは
   みちは烈しく倒れた稲や
   陰気なひばの木立の影を
   めぐってめぐってこゝまで来たが
   里程にしてはまだそんなにもあるいてゐない
   そしていったいおれのたづねて行くさきは
   地べたについた北のけはしい雨雲だ、
     …(投稿者略)…
        <『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)>
に詠まれている気象条件の方が、「和風は河谷いっぱいに吹く」のそれよりもはるかに昭和2年8月20日当日の気象と符合してることからも裏付けられそうだ。
 しかも、賢治はこの日にもう一篇〔何をやっても間に合はない〕も詠んでいるから計四篇の詩を「一九二七、八、二〇、」に詠んでいることになる。すると新たな疑問にぶつかる。もし、これらの詩に詠まれているようなことが現実に起こっていたというのであれば、この時に賢治の「稲作指導や肥料設計は多忙をきわめた」ということは現実にはありえないのではなかろうか、という疑問がである。常識的に考えれば、これらの四篇もの詩を詠みながら、なおかつ同時にこれらの詩に詠まれているような稲作指導のために奔走するということは物理的にあり得ないだろうと。
 言い換えれば、少なくとも「和風は河谷いっぱいに吹く」の詩に詠まれている
   十に一つも起きれまいと思ってゐたものが
   わづかの苗のつくり方のちがひや
   燐酸のやり方のために
   今日はそろってみな起きてゐる
という目の前の光景はあくまでも虚構であったか、あるいは、そこまで多忙をきわめるような稲作指導を賢治はこの日8月20日にはしていなかったか、あるいはそのどちらでもあったということになるのではなかろうか、と。

 どうやらこれで、賢治は「和風は河谷いっぱいに吹く」において気象上の虚構をしていたということがこれでほぼ明らかになったし、おのずから、「今日はそろってみな起きてゐる」はこのままでは単純には還元できないことが明らかとなった。そうなると、他にも客観的なデータを虚構していたのではなかろうかという不安に襲われてしまう。

<*1:投稿者注> 天沢 退二郎氏が特集対談「雨ニモマケズ」において、
 もう台風が過ぎ去ったあとで、自分がちゃんと肥料設計した他の稲がむっくりと起きたと、大喜びに喜んでいる詩があると思うと、同じ日付の別の詩で、稲がもうすっかり倒れてしまったと、絶望して、倒れたところにみんな、「弁償すると答えて行け」というように自分に向かって叫んでいる。つまり彼の現実生活と詩作品とを重ねて解釈しようなんてしても絶対だめなんです。いままでは彼の詩を読んで、それが彼の現実生活そのものだと思って、いろいろ彼の人間を論じていたでしょう。それは考え直さなければいけない。
             <『太陽 5月号 No.156』(平凡社、昭和51年4月)、94p>
と主張していたことを私は知って、やはりそうだったのかと安堵し、かつ確信した。

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