みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

2464 雪の下根子桜(12/18)

2011-12-19 08:00:00 | 賢治渉猟
 平成23年12月18日(日)下根子桜は雪化粧していると思ったので訪れたみた。

《1 》(平成23年12月18日撮影)

《2 》(平成23年12月18日撮影)

《3 》(平成23年12月18日撮影)

《4 》(平成23年12月18日撮影)


 寒さは厳しかったが、時折冬の日射しが射した。

 一体賢治は寒さの冬、ここで如何様に過ごしていたのであろうかなどと思い巡らしているうちに、あれっ賢治はたしか
 ・大正15年12月18日は上京中
 ・昭和 2年12月18日には年譜記載なし
 ・昭和 3年12月18日には既に下根子桜から退却して豊沢町の実家へ 
ということだったはず。
 ここで気付いた、かつて賢治が12月18日という日に下根子桜の宮澤家別宅に居たのは、昭和2年のその日たった一回しかあり得ないということに。
 そしてそれは当然ながら、かつて12月に賢治が下根子桜で生活していたのはたった一冬しかないということにも繋がる。なぜなら、賢治は大正15年は12月2日~12月29日間は滞京中であって、その年の12月はそこにはほぼ不在だったはずだからである。この地で12月を過ごしたのは昭和2年の一度だけだったのだ。

 どうしてなのだろうか、私は遥か昔からこの時まで、賢治は寒さの厳しい冬を何度も何度も幾冬も幾冬もここ下根子桜で過ごしていたとばかり思っていた。

 何かが自分の中でガラガラと崩れていった。そしてちょっと恐いことだと感じた、これが真実に近づいているということなのかも知れないと思いつつ。

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