みちのくの山野草

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2911 大切なものが失われている

2012-09-25 08:00:00 | 賢治関連
《↑0  『宮澤賢治全集』(十字屋書店27年版)》
『宮澤賢治全集』(十字屋書店27年版)
 過日上京の折、在京岩手県人のX氏から藤原嘉藤治のお家へこれを届けてもらいたいということで、お預かりしてお届けしたものがある。それがこのブログのトップに掲げた『宮澤賢治全集』(十字屋書店27年版)の5冊である。
 それらをこの度藤原嘉藤治のお家へお届けできた。主の藤原艶子さんはとても喜んでくださった。そしておもむろに次のようなことをしみじみと語ってくれた。
 以前はこのタイプの『宮澤賢治全集』も我が家にはあったのですが、いつの間にかなくなってしまいました。この『宮澤賢治全集』の初版、戦中に出版されたシリーズのものはいまでもこの通り全部揃ってありますが、このタイプの『宮澤賢治全集』、戦後になって再販されたものはいつの間にか不思議なことに全巻とも本棚からなくなってしまいました。実はこの版のものは特に嘉藤治にゆかりの深いシリーズだったので、これらをご寄贈いただいてとても嬉しいです。再び我が家に代わりのものが戻ってきたという感じです。ご寄贈してくださったXさんには大変感謝したい。またお届けいただいてありがとうございました。
と。私は任務を果たせたことでほっとしたのだが、調子に乗って厚かましくも藤原艶子さんにお願いした。もし宜しければ藤原嘉藤治さんの日誌を見せてもらえないでしょうかと。
藤原嘉藤治の日誌等の紛失
 すると、快くいいですよ仰って日誌というラベルの貼られた段ボール箱を指さしてくれた。私は、わくわくびくびくしながらその段ボール箱の中の日誌を1冊ずつ確認していった。大正15年、昭和2年、昭和3年のものはどれだと。ところがである、。それらはいずれもその箱の中にはない。
 そうか、もともと藤原嘉藤治はこれらの年は日記を書いていなかったのかもしれないと、自分を納得させながら念のためと思って、大正10年の日誌、同11年のそれ、および『我が年譜』を探したが、おかしいことにそれらもそこにはない。そこで藤原艶子さんに、この他に日誌はないのでしょうかと訊ねると、日誌はすべてその段ボール箱に入っているはずですという返事だった。
 しかしである、私はある方が藤原嘉藤治の〝大正10年の日誌、同11年のそれ、および『我が年譜』〟のそれぞれのコピーを持っているのを見ている。そこで、大正10年の日誌、同11年の日誌そして『我が年譜』が紛失していますよと知らせた。
 すると藤原艶子さんは寂しそうに、そうなんですよ似たようなことがしばしばあるんですよ、と言って幾つかの例を挙げて教えてくれた。噂には聞いていたが、そのようなことが藤原嘉藤治の場合も実際に何件か起こっているのだということを直接お聞きして、私は憤りを感じ悔しさをおぼえた。もしかすると、大正15年、昭和2年、同3年の日誌も同じ運命を辿ったのかもしれない。
 その後、藤原嘉藤治顕彰会の会長さんも来られたので日誌が紛失している旨を知らせた。藤原艶子さんからは、藤原嘉藤治の日誌等も含めて藤原嘉藤治が残していった資料・書籍等の一切の管理をその会長さんに任せていると聞いていたからだ。ところが、その会長さんもその紛失には気付いおらず、怪訝な表情をしていた。
      大切なものが失われていますよ!
 そこで紫波町にお願いしたい。幸いこの8月末に紫波町立図書館が新装されたばかりでもありますからこれを機会に、同町出身の先人藤原嘉藤治関連の貴重な資料は是非紫波町の図書館で預かってその管理をしていただきたいと。さもなければ、今後も藤原嘉藤治関連の貴重な資料はどんどん雲散霧消する虞がありますから、と。

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 ところで、次の写真はその中の
《1 『別巻』の奥付》

である。因みに、この別巻は〝昭和二十七年七月三十日第二版発行〟となっている。
 これらの預かった全集を花巻に戻る新幹線の車中で眺めていたならば、なかなか興味あることが特に別巻に書かれていた。俄然私もこの別巻が欲しくなった。帰宅後すぐさまインターネットで探したところ、本来はこのタイプの『宮澤賢治全集』は第一巻~第六巻及び別巻の計七冊あるのだが全巻揃いだとかなり高価である。ところが、第五巻だけが欠けているものが売りに出ていてそれらは比較的安かったので間髪をおかずワンクリック注文をした。それらがこの
《2 手に入れた『宮澤賢治全集』(十字屋書店版)》

である。なお、
《3 手に入れた『別巻』の方の奥付》

は〝昭和二十七年七月卅日第三版発行〟となっている。
《4 そしてこちらは初版の別巻奥付》

であり、こちらは〝昭和十九年二月二十八日発行〟となっている。
 ところで、戦中版と戦後版を比べてみたところ殆ど違いはなかったが、唯一違っていたのが 
《5 戦後版》

《6 戦中版》

を比べてみればお判りのように、戦中版には
《7 「覚え書」》

があり、戦後版にはこれがないことである。
 そして、それをなくしたことの意図と理由はな~るほどと思えるものであるから改めてあまり驚きもしなかったが、
   此の十年間に編者の宮澤は健康を害し
とあったことが意外だった。宮澤清六はこの当時10年間ほど健康を害していたのか、これは初耳だ。するとこの「覚え書」通り、戦中版も戦後版もともに編輯代表は宮澤清六となっているものの、実は過半以後の編纂は実質藤原嘉藤治と森荘已池が行ったということになるのか。

 それにしても非情だと感じたことは、この人のお陰で一躍宮澤賢治の名を全国に広めることが出来たといってよいはずの恩人松田甚次郎を、敗戦後は途端に賢治にとっては目障りな存在だとして葬ってしまいたかったことが見え見えなことである。しかし、はたして松田甚次郎だけが戦意高揚に協力したとでもいうのだろうか。もちろんそんなわけではないことは明らかである。だからこの「覚え書」を削除したという行為を知って、狡いと指弾する人が少なからず居たと思うし、今後も出てくるのではなかろうかということを私は危惧する。

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6 コメント

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宮澤賢治詩集坤巻(第2巻)の「藤原」の検印 (石川朗)
2015-11-19 09:37:17
貴殿が東京より持参し藤原艶子さんにお届けした 『宮澤賢治全集』(十字屋書店27年版)のうち、上記写真の別巻の奥付の検印は「藤原」のようですが、私が所蔵している第2巻の詩集坤巻(昭和28年9月5日、第3版)の奥付の検印も「宮澤」ではなく明らかに「藤原」なのです。これは本来「宮澤」でなければならない筈だと思うのですが、そういう意味で藤原家、艶子さんにとっては特に「大切なもの・・・」ということなのでしょうか。(この写真はhttps://twitter.com/isiwahahaにあります)。検印は原則的には著者印の筈だがと思う。、私の所蔵の別の第2巻の15年版、23年版共に検印は「宮澤」なのです)。

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「かり」があったのではないでしょうか ( 石川朗様(鈴木))
2015-11-20 09:13:55
石川 朗 様
 貴ツイッターにおいて、先ほど「藤原」印の「検印紙」を拝見いたしました。
 仰るとおり「27年版」には検印が「宮澤」のものと「藤原」のもの2種類があり、私が藤原艶子さんにお届けしたもの、そしてその後私が手に入れたものは皆「藤原」印のものです。そして艶子さんは、たしかにこの印は嘉藤治のものですと仰っておりました。
 一方で当時は、検印紙の枚数に応じて印税が払われるというシステムだったはずですから、その「藤原印の検印紙」の枚数に応じて宮澤家ではなくて嘉藤治にこのシリーズの印税が払われたということになるのではないでしょうか。
 有り体に言えば、そこまでせねばならぬような「かり」が宮澤家にはあったということではないのでしょうか。
                                                               鈴木 守
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藤原嘉藤治の検印 (石川朗)
2015-11-21 09:07:35
貴殿のこのWebの「藤原」の検印の写真をブログに書き込んでリンクを張っておいた。あしからず・・・。
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わざわざご丁寧にありがとうございます (石川朗様(鈴木))
2015-11-21 13:01:18
石川 朗 様
 わざわざご丁寧にご連絡ありがとうございます。
 ところで、この「「藤原」の検印」に関してですが、私よりもはるか以前に既にブログ〝ロゴス古書〟の「宮沢賢治年譜」(2008年11月23日)等で報告されております。
                                                                 鈴木 守
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『宮澤賢治全集』十字屋書店版の「藤原」の検印について (石川朗)
2015-12-04 08:56:40
私最近『宮澤賢治全集』(第1巻~別巻)十字屋書店の昭和27、28年版の検印が「藤原」のものを5,6例ほど立て続けに目にして驚いて少し調べてみました。
   岩手県立図書館    蔵書15冊中  5冊
   盛岡市立図書館      〃10冊中  3冊
    〃    都南図書館   〃 7冊中  2冊
    花巻市立図書館     〃26冊中  1冊
私と周辺          〃22冊中  7冊
計       80冊 18冊(22.5%)
 花巻市立図書館は県内一の26冊の蔵書を有しながら1冊のみ(宮澤家の手が回っているのではないか)、実に世上に出回っている23%強が「藤原」印ということになります。全集は初版以来15年間にわたり第3版4回ほどの発行になっていますのでこの割合は妥当かも知れません。私には特に27、28年版のシリーズ(定価@580円)は全て「藤原」印(第5巻26年版が最終を除いて)のように思われます。この時期は28年冷害の嘉藤治の苦境の時期より少し早すぎる。一体ヴァイオリンを米に換え、チェロを静六に売り渡した時期は何時なのか(Web かとうじ物語参照)。
 管見によればこれまでの賢治研究文献上にもWeb上にもこれを論じた記事はなく、賢治の関連記事にちなんで「検印」の文字が散見されるだけです。「検印」は本来著作権者のもので印税に関連する重要事項な筈です。この「藤原」の検印の経緯については林風舎の宮沢和樹氏に問い合わせても返事がない。(現在状況はここまで・・・)。
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驚きです (石川朗様(鈴木))
2015-12-05 11:49:31
石川 朗 様
 今日は。
 いつもいろいろとご教示賜りありがとうございます。

 驚きました。
 まずは石川様の調査の徹底ぶりにです。敬意を払いますとともに、私も見習いたいです。
 それから、その割合にです。これほど藤原印が多いとは予想しておりませんでした。
 逆に言えば、出版回数も多いですから、かなりの額が著者でない藤原嘉藤治の方に回ったということになりますので、こんなことは本来はあり得ないわけですから、何か特別のまだ公になっていない事情が裏にあったということになるのでしょうか。
 今後の石川様の追究にご期待しております。
                                                               鈴木 守
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