みちのくの山野草

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本日の下根子桜(12/14、賢治の下根子桜の12月)43

2020-12-14 14:00:00 | 下根子桜八景
《1 》(2020年12月14日撮影)

《2 人の足跡はないが》(2020年12月14日撮影)

《3 犬の足跡かな》(2020年12月14日撮影)

《4 》(2020年12月14日撮影)

《5 ただ今10時12分》(2020年12月14日撮影)

やはり人の足跡は一つもない。誰も訪ねて来ていないということか。 
《6 》(2020年12月14日撮影)

《7 》(2020年12月14日撮影)

《8 》(2020年12月14日撮影)

《9 これらの足跡はもちろん私のもの》(2020年12月14日撮影)


 10時を過ぎた天気のよい本日(12/14)、未だに誰も訪ねて来ていないことが寂しい。しかし、この12月に賢治はほぼここ下根子桜には住んでいなかったのだから、止むを得んのかな。
 ちなみに、『新校本 宮沢賢治全集〈第16巻 下〉補遺・資料 年譜篇』によれば、まず、
    大正15年の12月2日に上京していて、12月29日夜に東京を発って帰花したということになる。
つまり、大正15年12月に賢治は実質的には岩手に居なかったということになる。なお、この年は、稗貫の隣の紫波郡(赤石村や志和村、不動村等)では飢饉一歩手前の未曾有の大旱害であった。そこで、当時の新聞を見てみると全国から陸続として救援の手が差し伸べられていることが知れる。言い方を換えれば、とても残念なことだが、この時に賢治が「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」ということはあり得ない。しかし、賢治はその時岩手に居なかったのだから止むを得ないとのだと弁護したくもなるが、実はこの年は早い時点から旱害が心配されていたのだから、その弁護はし難い(もちろん、その時の旱害のひどさを賢治が知らなかったはずがないからなおさらにだ)。
 また、翌昭和2年の12月には、やはり滞京していてチェロの猛勉強していたのだから、もちろん下根子桜には居なかった。
 それから、残された昭和3年の場合は、8月10日に実家に戻ったのだから、それ以降は下根子桜に住んだことはない(ということになっている)。つまりこの年の12月にも下根子桜には居なかった。

 畢竟、
    賢治は12月に下根子桜に住んだことはほぼない
と言えるのである。
 
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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
            ☎ 0198-24-9813
 なお、目次は次の通りです。

 そして、後書きである「おわりに」は下掲の通りです。



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