みちのくの山野草

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下根子桜(6/16、残り前編)

2018-06-18 14:00:00 | 下根子桜八景
《1 ハルジオン》(平成30年6月16日撮影)

《2 ヒメジョオン》(平成30年6月16日撮影)

《3 コウゾリナ》(平成30年6月16日撮影)

《4 オニノゲシ》(平成30年6月16日撮影)

《5 ブタナ》(平成30年6月16日撮影)

《6 ジシバリ》(平成30年6月16日撮影)

 ところで、ご承知のように、賢治は「羅須地人協会時代」にジシバリに関して次のような詩を詠んでいる。
一〇八七    〔ぢしばりの蔓〕    一九二七、八、二〇、
   ……ぢしばりの蔓……
   もう働くな
   働くことが却って卑怯なときもある
   夜明けの雷雨が
   おれの教へた稲をあちこち倒したために
   こんなにめちゃくちゃはたらいて
   不安をまぎらさうとしてゐるのだ
   ……あゝけれども またあたらしく
      西には黒い死の群像が浮きあがる
      春には春には
      それは明るい恋愛自身だったでないか……
   さあ
   帰ってすっかりぬれる支度をし
   切できちっと頭を縄って出て
   青ざめて
   こはばったたくさんの顔に
   一人づつぶっつかって
   火のついたやうにはげましてあるけ
   穫れない分は辨償すると答へてあるけ
   死んでとれる保険金をその人たちにぶっつけてあるけ
             <『校本宮澤賢治全集第六巻』(筑摩書房)196p~より>
 私は今から約10年ほど前に初めてこの詩を見たとき、予想だにしなかった「働くことが却って卑怯なときもある」という表現に出くわして、ただただ驚くしかなかった。しかし、それから10年ほどが過ぎた今、冷静になって考えてみれば「こんなにめちゃくちゃはたらいて」とか、「火のついたやうにはげましてあるけ/穫れない分は辨償すると答へてあるけ/死んでとれる保険金をその人たちにぶっつけてあるけ」という責任感や決意そして覚悟は立派というか立派すぎるのだが、この詩篇から受ける賢治の高揚感にかえって違和感を抱いてしまう。
 それはおそらく、拙著『本統の賢治と本当の露』において述べてみたように、
  〈仮説5〉賢治が「羅須地人協会時代」に行った稲作指導はそれほどのものでもなかった。
が実質的に検証されたことに、そして、どうやらこれが本当のところだったのだということに気付く。
 よって、ここ10年間ほどの賢治に関する検証作業を通じて私は、
「羅須地人協会時代」の賢治が、農繁期の稲作指導のために徹宵東奔西走したということの客観的な裏付け等があまり見つからない。何故なのだろうか、どうも不思議だ。
とずっと疑問に思っていたのだが、この検証された〈仮説5〉によってほぼすんなりと疑問が解消した。
            〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版、83p)〉
からであろう。
 つまり、これは至極当たり前のことだが、この詩を裏付けも検証もなしに安易に還元はできないということである。あくまでも「詩」、なのだ。もちろん、賢治はそうは思ったかもしれないが、その通りに賢治が事を為したということの保証はこのままでは得られない。しかも、私のこの10年間ほどの実証的な研究結果からはその保証は殆ど望み薄である。

 なおもちろん言わずもがなであるが、
 以上が事の真相であったとしても、だからといって賢治作品の輝きが色褪せるということではもちろん全くない。賢治の多くの作品は相変わらず燦然と輝き続けるだろうし、今後も賢治ほどの作品を書けるような人物はそう簡単には現れないであろうことは私からすればほぼ明らかだ。ただし、今の時代はかつてとは違って賢治作品の素晴らしさは万人のほぼ認めるところなのだから、何も彼がそうでもないのに農聖や聖人・君子に祭り上げておく必要はもはやなかろう。もうそろそろ《創られた賢治から愛すべき本統の賢治に》戻してやることが賢治のためでもあるのではなかろうか。そしてそうすれば、これからの若者たちはもっともっと賢治及び賢治作品に惹かれるようになるのではなかろうか。
            〈〃83p〉
 賢治は聖人でもなければ君子でもなく、人間的には私たちと同様に過ちや失敗を、あるいはそれ以上のそれらを繰り返していた愛すべき人間であったのである。そして一方で、極めて優れた詩人であり、童話作家であった、ということではなかろうか。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、宮澤賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

〈鈴木守著、ツーワンライフ出版、定価(本体価格1,500円+税)〉
をこの度出版した。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付された。
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題の本である。

 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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