みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

宮澤賢治と〈悪女〉にされた高瀬露 (13~14p)

2020-12-10 20:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
〈ハヤチネウスユキソウ〉(平成19年7月11日、早池峰山)

***************************************「宮澤賢治伝」の検証 ― 宮澤賢治と〈悪女〉にされた高瀬露―***************************************
 この論文は、昨年(2019年)末に『賢治学会』に正式に提出したものだが、「以前に同じようなものを書いているから」というような理由で門前払い(?)をされたものである(なお、私はそのような論文は以前に書いてなどいない)。
*****************************************************************************************************************************

******************************************************以下テキストタイプ********************************************************

 「一九二八年の秋の日」とあるが、その時は病臥中なので本年に置く((二十))。

と注記し、「一九二七年の秋の日」の間違いであったと見做していて、これが通説となっている。たしかに、『宮澤賢治と三人の女性』は一九四九年発行だから、「一九二八年の秋の日」と記述するところのその訪問はそれよりも約二〇年も前のことなので、森の記憶違いであり、ケアレスミスであったということは十分に考えられる。
 ところが、森は一九三四年発行の『宮澤賢治追悼』でも、『宮澤賢治研究』(一九三九年)でも、そして『宮沢賢治の肖像』(一九七四年)でもこの訪問時期については一様に「一九二八年の秋」としている。となれば、これはもはやケアレスミスとは言えまい。
 次に、『宮澤賢治と三人の女性』で西暦と和暦がどう使われているかも調べてみた。すると、全体では和暦が三九ヶ所もあったのだが、西暦は一ヶ所しかなく、それがまさに件(くだん)の「一九二八年の秋の日、私は下根子云々」の箇所だった。しかも、同じ年の和暦表現である「昭和三年」を他の五ヶ所で使っているというのに、だ。したがって、この件(くだん)の箇所だけは西暦で「一九二七年」とも、和暦で「昭和三年」とも書くわけにはいかなかったと判断せざるを得ない(言い換えれば、森の「下根子桜訪問」は通説となっている「一九二七年」でもなければ、はたまた「昭和三年」でもなかったとほぼ言えそうだ)。
 では、なぜ彼は通説となっている「一九二七年の秋の日」と書くわけにはいかなかったのだろうか。このことに関しては、道又力の『文學の國いわて』等によれば、

 東京外国語学校へ入学した森荘已池は…(筆者略)…心臓脚気と結核性肋膜炎を患ってしまう。仕方なく学校を中退して、盛岡で長い療養生活に入る。
 昭和三年六月、病の癒えた荘已池は、盛岡中学時代から投稿を重ねていた岩手日報へ学芸記者として入社。会社までは家の前のバス停から通勤できるので、病み上がりの身には大助かりだった。((二十一))

ということであり、森は病気になって一九二六年一一月に帰郷、その後盛岡病院に入院したりして長期療養中だった。しかも、快癒したという一九二八年六月以降でさえも彼は、「会社までは家の前のバス停から通勤できるので、病み上がりの身には大助かりだった」というくらいなのだから、病が癒える前の、通説となっている「一九二七年の秋の日」の下根子桜訪問が実際に行われたということは考えにくい。
 ならばいっそのこと、「一九二七年の秋の日、下根子桜の別宅に賢治を訪れた際に道で露とすれ違い、その日はその別宅に泊まった」と森は始めから嘯くこともできただろうに、なぜそうせずに頑なに「一九二八年の秋」としたのだろうか。私はその理由を、彼は一九二七年当時重篤だったことが当時世間に知られていたからに違いないと推測した。
 そこで実際に一九二七年の『岩手日報』を調べてみると、

・その時の一人森君は今、宿痾の為、その京都の様な盛岡に臥つてゐる。(四月七日)
・森さんが病気のため帰省したこと脚気衝心を起こしてあやふく死に瀕し、盛岡病院に入院したことは私もよく知つてゐる。(六月五日)

 続きへ
前へ 
 “『「宮澤賢治伝」の検証 ― 宮澤賢治と〈悪女〉にされた高瀬露 ―』の目次”へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

《新刊案内》
 『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』(「露草協会」、ツーワンライフ出版、価格(本体価格1,000円+税))

は、岩手県内の書店で店頭販売されておりますし、アマゾンでも取り扱われております
 あるいは、葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として当該金額分の切手を送って下さい(送料は無料)。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
            ☎ 0198-24-9813
 なお、目次は次の通りです。

 また、2020年12月6日)付『岩手日報』にて、『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』の「新刊寸評」。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ツェルマット(6/29)(回想) | トップ | ツェルマットベルクバーネン... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

濡れ衣を着せられた高瀬露」カテゴリの最新記事