〈ハヤチネウスユキソウ〉(平成19年7月11日、早池峰山)
**************************************「宮澤賢治伝」の検証 ― 宮澤賢治と〈悪女〉にされた高瀬露―****************************************
この論文は、昨年(2019年)末に『賢治学会』に正式に提出したものだが、「以前に同じようなものを書いているから」というような理由で門前払い(?)をされたものである(なお、私はそのような論文は以前に書いてなどいない)。***************************************************************************************************************************
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というわけで、この「ライスカレー事件」を始めとして、『宮澤賢治と三人の女性』における露に関する記述にはあやふやなことが少なくないから、検証や裏付けなしにこれを「宮澤賢治伝」の研究のための資料に資することはできない。
なお、今まで考察してきたこと以外のことで、当時賢治と露に関して巷間どんなことが噂されていたかというと、前掲の高橋慶吾の「賢治先生」や関登久也の「返禮」(『宮澤賢治素描』所収)等によれば、
・賢治は顔に灰(一説に墨)を塗って露に会った。
・賢治は一〇日位も「本日不在」の表示を掲げた。
・賢治は露に対して癩病と詐病した。
・賢治は襖の奥(一説に押し入れ)に隠れていた。
・賢治が露に布団を贈った。
などという噂が流されていたということを知ることができる(上田哲はこれらのことについては同論文で詳しく論じている)。ただし、今となってしまってはこれらの真偽の程は判りにくいが、仮にこれらの行為が事実だったとしても冷静に考えてみれば、いずれも賢治の奇矯な行為だなどと言われこそすれ、これらの噂で露独りだけが一方的に〈悪女〉にされたとすればそれはアンフェアなことだ。
しかも、高橋慶吾によれば、賢治の父政次郎もこの件に関して、
その苦しみはお前の不注意から求めたことだ。初めて会つた時にその人にさあおかけなさいと言つただらう。そこにすでに間違いのもとがあつたのだ。女の人に対する時、歯を出して笑つたり、胸を拡げてゐたりすべきものではない。((十六))
と賢治を叱責して反省を求めたということであり、関登久也も同様なことを『宮澤賢治物語』で述べている((十七))。さらに、政次郎ととても親しかった賢治研究家の小倉豊文も、このことに関連して次のように述べている。
それらを知った父政次郎翁が「女に白い歯をみせるからだ」と賢治を叱責したということは、翁自身から私は聞いている((十八))。
したがってこれらの証言等から、この件に関しては賢治にほとんどの責任がある、というような叱責を賢治は父から受けたということはほぼ確実だろう。
さて、さらに大問題となるのが、『宮澤賢治と三人の女性』の中の、
一九二八年の秋の日、私は下根子を訪ねたのであつた。国道から田圃路に入つて行くと稲田のつきるところから((十九))、
における「一九二八年の秋」という記述であり、これは致命的なミスだ。その頃既に賢治は豊沢町の実家に戻って病臥していて下根子に居なかったので、これはあり得ない話となるからだ。
そこでどうしたかというと、いわゆる『新校本年譜』は、
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