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《1↑『遠野物語と21世紀東北日本の古層へ』(石井正己・遠野物語研究所編、三弥井書店)》
前回少しだけ引用した『遠野物語と21世紀東北日本の古層へ』での山折氏の発言だが、その続きを以下にまた引用したい。
先の”「ヒドリ」は「日取り労働」の意味”の山折氏の発言は次のように続く。
山折 やっぱりあれは日銭かせぎの「日取り」説が一番正しいのではないかと思うようになっているんです。「日取り」というのは、昭和初年代の昭和恐慌によって打撃を受けた農村で、寒さの夏に貧しい農民たちが土木作業に出ていって、日銭かせぎをする。「日取り」というのは方言だけれども、南部藩では半ば公用語だったんですね。そういうことを詳細に議論した新しい本が出たんです。和田文雄さんという方の『宮沢賢治のヒドリ』(コールサック社、二〇〇八年)という本で、これでもう決定したなと、ぼくは思うんだけれども。
…(略)…
石井 手帳そのものはどうですか。
山折 それは明らかに「ド」なんですよ。それをなぜ「ヒデリ」に直すかといったら、それは「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」と「サムサノナツハオロオロアルキ」となって、対句的表現になるから、というのがその理由ですね。これはもしかすると、高村光太郎のような都会的な人間の感覚ではないでしょうか。
石井 私は『柳田国男全集』の校訂などをしていますけれど、やっぱり校訂の権力が働いてしまう部分があって、それを誤りだと認定するかどうかということは、とても難しい。柳田の編集をやっていても、そんなことを強く感じるのです。
山折 そうでしょうね。照井謹二郎さんが「日取り」論を発表するのは一九八九年なのです。これについてすぐ『詩学』に安西均氏が反論を書き、そのあとずっとこの線できているわけです。ところが、賢治学会の主流は「日照り」ということになっているのだけれど、じつはそうじゃないよ、という主張をしているのが最近出版されたさきほどの和田文雄さんの本なんです。その根拠がすごいんです。これは短期的な、臨時的な労働形態のことをいう。主に土木作業で、農繁期にそれが集中しているので、冷夏のときにはだいたいみんな「日取り」に出て生活を補ったと言っているのです。それは南部藩の公用語として「日用取」と書く。それを方言で「ひどり」と、漢字の読めない人たちは呼ぶ。「手間取」「日手間取」という字もあるのですね。実際にそういうことは漢字で使われていたようです。その当時、花巻地方の人々は「ひどり、ひどり」と言っていて、誰でも耳にしていた言葉だったというのです。しかも、この「ひどり」労働をやっている貧しい人々が、南部藩から他の藩に出稼ぎに出ると、戸籍を取り上げられて、やがて扱いになる、無宿者扱いになるという。これは花巻地方だけではなしに、東北地方全般にそういう問題があった。もう一つは名子制度というのがあるでしょう。それともこれは関わっているということが、詳細に例証をあげて議論されているのです。
それから、ぼくは農業のことはよく知らないのですけれど、田圃には乾いた乾田と湿った湿田とがある。乾田の場合には水を入れなければいけない、湿田の時には排水をしなければいけない。これが潅漑排水の事業で、それを「潅排」と言っていたといいます。潅排の仕事をするのが日取り労働者だったというわけです。やっぱり、「日照りに不作なし」と、これは普通に言われていることですね。日照りを嘆く農民なんていない。むしろ寒さの夏こそ日取り労働をしなければならなかった。こういう事情を知らないから、勝手に直したんだと、ものすごく説得力のある話なんです。
<『遠野物語と21世紀 東北日本の古層へ』(石井正己・遠野物語研究所編、三弥井書店)
この山折氏の発言で気になるのは上の赤い字の部分2個所である。この2個所の赤い字の部分とは、”和田文雄氏は『宮沢賢治のヒドリ』の中でかように語っている”と山折氏が言っている部分である。
しかし、山折氏の語っている内容は和田氏の言っていることとはちょっと違うのではなかろうか、正しくは伝えていないのではなかろうかと思うのである。
和田氏はもっともっと慎重な言いまわしをしていて、特に山折氏の使っている「日取り」や「ひどり」という用語などは和田氏のこの著書の中のどこにも使っていないはずである。
そこで、この赤い字で表した部分に相当するであろう部分を和田氏の著書『宮沢賢治のヒドリ』の中から以下に抜き出してみよう。
《2 当該部分》
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/3d/40be24c3c00080bab1d73e88eaba3944.jpg)
<『宮沢賢治のヒドリ』(和田文雄著、コールサック社)>
つまり以下のようになっている。
<19p>
二 土地ことばヒドリ
1 ヒドリは方言でない
ヒドリとよばれる短期または臨時的就労機会は多く土木作業、荷物の出し入れの倉荷作業、そして農繁期に集中的なもので、肉体労働などの苦汁作業をさして用いている。ともに体力のすぐれた者、経験ある者が単純労働であることから重用される。ヒドリは一日働きの作業でも、雇用形態には受取りあるいは小回り、と常傭型がある。…
<20p>
…農業以外の仕事では人格までが評価されるのがヒドリ仕事である。…
<21p>
2 ヒドリの用
南部藩では公用語として使われていた。領民が誰でも使っている言葉で藩政の伝達指示をすることはその効果をつよくする。このころは漢字、漢文、候文で通達や記録を書くから、庶民一般には理解しづらい。「ヒドリ」は「日用取」と書かれた。いまは「手間取」とか「日手間取」とか使われている。また、「日傭稼」とするが「ひやとい」の人夫として説明される。…
このように、和田氏の文章にはどこにも「日取り」や「ひどり」という用語は出てこない。同様、私が調べたかぎりではこの著書全体の中のどこにもそれらは出て来ていないようだ。
まして、”その当時、花巻地方の人々は「ひどり、ひどり」と言っていて、誰でも耳にしていた言葉だったというのです。”はもちろんのこと、そのような内容のことも言っていないのではなかろうか。どこに書いてあるのだろうか。
山折さん、『和田氏は「日取り」とは言っていない』のではありませんか。
では次回は、和田氏の言うとおり
『「ヒドリ」は「日用取」と書かれた』
ていたのかということについて検証してみたい。
続きの
”和田文雄氏の「ヒドリ」”へ移る。
前の
”「雨ニモマケズ」は「標準語」で書かれている”に戻る。
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前回少しだけ引用した『遠野物語と21世紀東北日本の古層へ』での山折氏の発言だが、その続きを以下にまた引用したい。
先の”「ヒドリ」は「日取り労働」の意味”の山折氏の発言は次のように続く。
山折 やっぱりあれは日銭かせぎの「日取り」説が一番正しいのではないかと思うようになっているんです。「日取り」というのは、昭和初年代の昭和恐慌によって打撃を受けた農村で、寒さの夏に貧しい農民たちが土木作業に出ていって、日銭かせぎをする。「日取り」というのは方言だけれども、南部藩では半ば公用語だったんですね。そういうことを詳細に議論した新しい本が出たんです。和田文雄さんという方の『宮沢賢治のヒドリ』(コールサック社、二〇〇八年)という本で、これでもう決定したなと、ぼくは思うんだけれども。
…(略)…
石井 手帳そのものはどうですか。
山折 それは明らかに「ド」なんですよ。それをなぜ「ヒデリ」に直すかといったら、それは「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」と「サムサノナツハオロオロアルキ」となって、対句的表現になるから、というのがその理由ですね。これはもしかすると、高村光太郎のような都会的な人間の感覚ではないでしょうか。
石井 私は『柳田国男全集』の校訂などをしていますけれど、やっぱり校訂の権力が働いてしまう部分があって、それを誤りだと認定するかどうかということは、とても難しい。柳田の編集をやっていても、そんなことを強く感じるのです。
山折 そうでしょうね。照井謹二郎さんが「日取り」論を発表するのは一九八九年なのです。これについてすぐ『詩学』に安西均氏が反論を書き、そのあとずっとこの線できているわけです。ところが、賢治学会の主流は「日照り」ということになっているのだけれど、じつはそうじゃないよ、という主張をしているのが最近出版されたさきほどの和田文雄さんの本なんです。その根拠がすごいんです。これは短期的な、臨時的な労働形態のことをいう。主に土木作業で、農繁期にそれが集中しているので、冷夏のときにはだいたいみんな「日取り」に出て生活を補ったと言っているのです。それは南部藩の公用語として「日用取」と書く。それを方言で「ひどり」と、漢字の読めない人たちは呼ぶ。「手間取」「日手間取」という字もあるのですね。実際にそういうことは漢字で使われていたようです。その当時、花巻地方の人々は「ひどり、ひどり」と言っていて、誰でも耳にしていた言葉だったというのです。しかも、この「ひどり」労働をやっている貧しい人々が、南部藩から他の藩に出稼ぎに出ると、戸籍を取り上げられて、やがて扱いになる、無宿者扱いになるという。これは花巻地方だけではなしに、東北地方全般にそういう問題があった。もう一つは名子制度というのがあるでしょう。それともこれは関わっているということが、詳細に例証をあげて議論されているのです。
それから、ぼくは農業のことはよく知らないのですけれど、田圃には乾いた乾田と湿った湿田とがある。乾田の場合には水を入れなければいけない、湿田の時には排水をしなければいけない。これが潅漑排水の事業で、それを「潅排」と言っていたといいます。潅排の仕事をするのが日取り労働者だったというわけです。やっぱり、「日照りに不作なし」と、これは普通に言われていることですね。日照りを嘆く農民なんていない。むしろ寒さの夏こそ日取り労働をしなければならなかった。こういう事情を知らないから、勝手に直したんだと、ものすごく説得力のある話なんです。
<『遠野物語と21世紀 東北日本の古層へ』(石井正己・遠野物語研究所編、三弥井書店)
この山折氏の発言で気になるのは上の赤い字の部分2個所である。この2個所の赤い字の部分とは、”和田文雄氏は『宮沢賢治のヒドリ』の中でかように語っている”と山折氏が言っている部分である。
しかし、山折氏の語っている内容は和田氏の言っていることとはちょっと違うのではなかろうか、正しくは伝えていないのではなかろうかと思うのである。
和田氏はもっともっと慎重な言いまわしをしていて、特に山折氏の使っている「日取り」や「ひどり」という用語などは和田氏のこの著書の中のどこにも使っていないはずである。
そこで、この赤い字で表した部分に相当するであろう部分を和田氏の著書『宮沢賢治のヒドリ』の中から以下に抜き出してみよう。
《2 当該部分》
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<『宮沢賢治のヒドリ』(和田文雄著、コールサック社)>
つまり以下のようになっている。
<19p>
二 土地ことばヒドリ
1 ヒドリは方言でない
ヒドリとよばれる短期または臨時的就労機会は多く土木作業、荷物の出し入れの倉荷作業、そして農繁期に集中的なもので、肉体労働などの苦汁作業をさして用いている。ともに体力のすぐれた者、経験ある者が単純労働であることから重用される。ヒドリは一日働きの作業でも、雇用形態には受取りあるいは小回り、と常傭型がある。…
<20p>
…農業以外の仕事では人格までが評価されるのがヒドリ仕事である。…
<21p>
2 ヒドリの用
南部藩では公用語として使われていた。領民が誰でも使っている言葉で藩政の伝達指示をすることはその効果をつよくする。このころは漢字、漢文、候文で通達や記録を書くから、庶民一般には理解しづらい。「ヒドリ」は「日用取」と書かれた。いまは「手間取」とか「日手間取」とか使われている。また、「日傭稼」とするが「ひやとい」の人夫として説明される。…
このように、和田氏の文章にはどこにも「日取り」や「ひどり」という用語は出てこない。同様、私が調べたかぎりではこの著書全体の中のどこにもそれらは出て来ていないようだ。
まして、”その当時、花巻地方の人々は「ひどり、ひどり」と言っていて、誰でも耳にしていた言葉だったというのです。”はもちろんのこと、そのような内容のことも言っていないのではなかろうか。どこに書いてあるのだろうか。
山折さん、『和田氏は「日取り」とは言っていない』のではありませんか。
では次回は、和田氏の言うとおり
『「ヒドリ」は「日用取」と書かれた』
ていたのかということについて検証してみたい。
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