<1↑『花巻ことば集 せぎざくら』(花巻市教育委員会)>
前々回の”高村光太郎の名誉のために”で挙げた山折氏の対談中の発言に
でも「ヒドリ」の解釈としては、あとひとつあるかもしれないと思っている。小倉豊文さんが言い出したことなんだけれど、「ヒトリ」という読み方があるだろうと。ひとりで涙を流すという場合の「ひとり=一人」という解釈です。これは僕が宮沢賢治を考える上で勝手に想像してい好きなイメージなんですよ。
という個所があったが、『遠野物語と21世紀東北日本の古層へ』でもこれと似た次のような発言がある。
それは石井正己氏との対談中の五章”「ヒドリ」は「日取り労働」の意味”の中での次のような発言である。
そういうことをずっと考えていって、ふと思いつくことがあります。賢治の「雨ニモマケズ」という有名な詩についてですが、その「ヒドリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ」とある、あの「ヒデリ」の問題をめぐって、賢治学会では侃々諤々の議論があるんですね。これは大変なんです。あれは「日取り」のことだ、という照井謹二郎さんの解釈が一つ、それと高村光太郎が直したように「日照り」の単純な誤記だと見るのがもう一つ、そして、「一人の時は涙を流し」と、これは僕の好きな解釈でね。花巻方言では「一人」のことを「ひどり」と訛ることがありますから、そういうことも可能ではないのかと言ったんですけれども、どうですかね。
<『遠野物語と21世紀東北日本の古層へ』(石井正己・遠野物語研究所編、三弥井書店)より>
つまり、山折氏は「ヒドリ=ヒトリ(一人)」説というものもあり、この説は自分が好きなイメージだと言っているのである。
1.「ヒドリ=ヒトリ(一人)」説
さて「ヒドリ=ヒトリ(一人)」説といっても、それには2つの説があるようだ。
その一つ目は「ヒドリ=ヒトリ(一人)の誤記」説である。入沢康夫氏が、
小倉さんもずいぶん長い間これは「ヒドリ」と読む他ないだろうと考えておられたのですが、わりに最近、二、三年前ですが、これを「ヒトリ」と読んだらどうかという説を出しておられます。「ヒトリノトキハ/ナミダヲナガシ」です。濁点が誤りであって、賢治はここを間違って書いてしまった。「ヒトリ」と書くのをつい手がすべって濁点まで書いてしまったので「ヒドリ」になったのではないかと考えておられます。(*)
<『「ヒドリ」か「ヒデリ」か宮澤賢治「雨ニモマケズ」の中の一語をめぐって』
(入沢康夫著、書肆山田)より>
と紹介している説(これは山折氏が前者の対談で挙げたものの方に相当することになろう)である。
ただし、この説の場合には賢治が誤記をしているということになり、玄侑宗久氏のように『賢治がそんな間違いを起こすと思うのは大間違いである』と主張する人々は納得させられそうにもない。
<*投稿者註:入沢氏は同著で、小倉は1987年に「ヒトリ誤記」説を著し、1990年頃にこの説を撤回したようだと判断している>
二つ目は「ヒドリ=ヒトリ(一人)の方言」説である。つまり、”ヒドリ”は”一人”の方言だということらしい(山折氏が後者の対談の方で挙げたものに相当する)。
されどよしんば”ヒドリ”は”一人”の方言だとしても、これは以前にも述べたことだが、ならばなぜ「雨ニモマケズ」はこの”ヒドリ”以外は全て標準語で書かれているのだろうか。
2.「雨ニモマケズ」は「標準語」で書かれている
実際、賢治手書きの「雨ニモマケズ」の全文を確認してみると、
11.3
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
行ッテ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無邊行菩薩
南無上行菩薩
南無多寶如來
南無妙法蓮華經
南無釋迦牟尼佛
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
<手帳の写真は全て『校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)』(筑摩書房)より>
となっている。「ヒドリ」が方言か否かはさておいて、明らかにそれ以外は全て「標準語」である。したがって「ヒドリ」だけが方言であるとすると、これはかなりおかしいと考えるのが普通ではなかろうか。よって、このことだけからでも「ヒドリ」の一語だけが方言であるという可能性は限りなくゼロに近いということを十分に保証できるのではなかろか。
したがって、
・「雨ニモマケズ」は全て「標準語」で書かれている。
とみなしてよい。
よって、
・「ヒドリ」は方言でない。
と結論してもほぼ間違いないのではなかろうか。
3.仮に「ヒドリ」が方言としても
さりながら、この「ヒドリ」が「一人」の意味の方言だと仮定してみた場合のことも考えてみよう。
まずは、「ヒドリ(一人)」が「標準語」の中にただ一つある「方言」ならばそれなりに知れ渡っていた方言だろうから、おそらく『花巻ことば集 せぎざくら』(花巻市教育委員会)に載っているに違いないと思って調べてみた。……しかしそれは載ってはいなかった。
ということは、仮に「ヒドリ」が花巻地方の方言であったとしたならば、その使用は地域的に極めて限定的されていたものであり、特異な言葉になってしまうと思う。
あるいは、それは単なる花巻訛りだということなのかも知れない。しかし、このことに関しては、これも以前に述べたことだが、『いくら岩手県人は訛るからといっても、私の知る限りでは”私”が”わだし”と訛るようなことはあっても、”一人”を”ひどり”と訛るような喋り方はこの花巻辺りではないと思う』のだが…。
というわけで、よしんば文脈の中で「一人」が成り立つとしても、そのような特殊な言葉を他は全て「標準語」から構成されている「雨ニモマケズ」の中で敢えて使う必要が、はたして賢治にはあったのだろうか。その訳を解明できなければ「ヒドリ=ヒトリ(一人)の方言」説は説得力が弱いと言わざるを得ない気がする。しかもその解明はすこぶる難しく、極めて難題だと思う。
なお、当然この難題は自ずから「ヒドリ=日用取」説に対しても降りかかってくることになる。
換言すれば、花巻地方で「日用取」(=「手間取」「日手間取」)が「ヒドリ」という方言で呼ばれていたという実態が仮にあったにしても、「雨ニモマケズ」は「標準語」で書かれていると考えられるから、敢えてここだけ方言を賢治が意識的に使ったその訳を解明できなければ「ヒドリ=日用取」説はやはり説得力が極めて薄弱だと言わざるを得ないのではなかろうか。まして「ヒドリ」は「日用取」の方言だとは『花巻ことば集 せぎざくら』(花巻市教育委員会)には載っていない。したがって、この場合も先程と同様にすこぶる難題であると思う。
『とかく人間は、物事を探究しようとすればするほど目が虫の眼(分析的)になってしまう。しかしそれだけでは解決が行き詰まってしまうことが少なくない。そんなときには鳥の眼(総合的)になってみろ』と、そう先輩から教わってきた。
それでも、つい私は「ヒドリ」の文字やその近傍にだけ注目してしまって虫の眼になりがちだ。たまには鳥の眼になって全体を俯瞰して見ることを心懸けたい。
続きの
”和田氏は「日取り」とは言っていない”へ移る。
前の
”赤い文字「行ッテ」”に戻る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
前々回の”高村光太郎の名誉のために”で挙げた山折氏の対談中の発言に
でも「ヒドリ」の解釈としては、あとひとつあるかもしれないと思っている。小倉豊文さんが言い出したことなんだけれど、「ヒトリ」という読み方があるだろうと。ひとりで涙を流すという場合の「ひとり=一人」という解釈です。これは僕が宮沢賢治を考える上で勝手に想像してい好きなイメージなんですよ。
という個所があったが、『遠野物語と21世紀東北日本の古層へ』でもこれと似た次のような発言がある。
それは石井正己氏との対談中の五章”「ヒドリ」は「日取り労働」の意味”の中での次のような発言である。
そういうことをずっと考えていって、ふと思いつくことがあります。賢治の「雨ニモマケズ」という有名な詩についてですが、その「ヒドリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ」とある、あの「ヒデリ」の問題をめぐって、賢治学会では侃々諤々の議論があるんですね。これは大変なんです。あれは「日取り」のことだ、という照井謹二郎さんの解釈が一つ、それと高村光太郎が直したように「日照り」の単純な誤記だと見るのがもう一つ、そして、「一人の時は涙を流し」と、これは僕の好きな解釈でね。花巻方言では「一人」のことを「ひどり」と訛ることがありますから、そういうことも可能ではないのかと言ったんですけれども、どうですかね。
<『遠野物語と21世紀東北日本の古層へ』(石井正己・遠野物語研究所編、三弥井書店)より>
つまり、山折氏は「ヒドリ=ヒトリ(一人)」説というものもあり、この説は自分が好きなイメージだと言っているのである。
1.「ヒドリ=ヒトリ(一人)」説
さて「ヒドリ=ヒトリ(一人)」説といっても、それには2つの説があるようだ。
その一つ目は「ヒドリ=ヒトリ(一人)の誤記」説である。入沢康夫氏が、
小倉さんもずいぶん長い間これは「ヒドリ」と読む他ないだろうと考えておられたのですが、わりに最近、二、三年前ですが、これを「ヒトリ」と読んだらどうかという説を出しておられます。「ヒトリノトキハ/ナミダヲナガシ」です。濁点が誤りであって、賢治はここを間違って書いてしまった。「ヒトリ」と書くのをつい手がすべって濁点まで書いてしまったので「ヒドリ」になったのではないかと考えておられます。(*)
<『「ヒドリ」か「ヒデリ」か宮澤賢治「雨ニモマケズ」の中の一語をめぐって』
(入沢康夫著、書肆山田)より>
と紹介している説(これは山折氏が前者の対談で挙げたものの方に相当することになろう)である。
ただし、この説の場合には賢治が誤記をしているということになり、玄侑宗久氏のように『賢治がそんな間違いを起こすと思うのは大間違いである』と主張する人々は納得させられそうにもない。
<*投稿者註:入沢氏は同著で、小倉は1987年に「ヒトリ誤記」説を著し、1990年頃にこの説を撤回したようだと判断している>
二つ目は「ヒドリ=ヒトリ(一人)の方言」説である。つまり、”ヒドリ”は”一人”の方言だということらしい(山折氏が後者の対談の方で挙げたものに相当する)。
されどよしんば”ヒドリ”は”一人”の方言だとしても、これは以前にも述べたことだが、ならばなぜ「雨ニモマケズ」はこの”ヒドリ”以外は全て標準語で書かれているのだろうか。
2.「雨ニモマケズ」は「標準語」で書かれている
実際、賢治手書きの「雨ニモマケズ」の全文を確認してみると、
11.3
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
行ッテ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無邊行菩薩
南無上行菩薩
南無多寶如來
南無妙法蓮華經
南無釋迦牟尼佛
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
<手帳の写真は全て『校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)』(筑摩書房)より>
となっている。「ヒドリ」が方言か否かはさておいて、明らかにそれ以外は全て「標準語」である。したがって「ヒドリ」だけが方言であるとすると、これはかなりおかしいと考えるのが普通ではなかろうか。よって、このことだけからでも「ヒドリ」の一語だけが方言であるという可能性は限りなくゼロに近いということを十分に保証できるのではなかろか。
したがって、
・「雨ニモマケズ」は全て「標準語」で書かれている。
とみなしてよい。
よって、
・「ヒドリ」は方言でない。
と結論してもほぼ間違いないのではなかろうか。
3.仮に「ヒドリ」が方言としても
さりながら、この「ヒドリ」が「一人」の意味の方言だと仮定してみた場合のことも考えてみよう。
まずは、「ヒドリ(一人)」が「標準語」の中にただ一つある「方言」ならばそれなりに知れ渡っていた方言だろうから、おそらく『花巻ことば集 せぎざくら』(花巻市教育委員会)に載っているに違いないと思って調べてみた。……しかしそれは載ってはいなかった。
ということは、仮に「ヒドリ」が花巻地方の方言であったとしたならば、その使用は地域的に極めて限定的されていたものであり、特異な言葉になってしまうと思う。
あるいは、それは単なる花巻訛りだということなのかも知れない。しかし、このことに関しては、これも以前に述べたことだが、『いくら岩手県人は訛るからといっても、私の知る限りでは”私”が”わだし”と訛るようなことはあっても、”一人”を”ひどり”と訛るような喋り方はこの花巻辺りではないと思う』のだが…。
というわけで、よしんば文脈の中で「一人」が成り立つとしても、そのような特殊な言葉を他は全て「標準語」から構成されている「雨ニモマケズ」の中で敢えて使う必要が、はたして賢治にはあったのだろうか。その訳を解明できなければ「ヒドリ=ヒトリ(一人)の方言」説は説得力が弱いと言わざるを得ない気がする。しかもその解明はすこぶる難しく、極めて難題だと思う。
なお、当然この難題は自ずから「ヒドリ=日用取」説に対しても降りかかってくることになる。
換言すれば、花巻地方で「日用取」(=「手間取」「日手間取」)が「ヒドリ」という方言で呼ばれていたという実態が仮にあったにしても、「雨ニモマケズ」は「標準語」で書かれていると考えられるから、敢えてここだけ方言を賢治が意識的に使ったその訳を解明できなければ「ヒドリ=日用取」説はやはり説得力が極めて薄弱だと言わざるを得ないのではなかろうか。まして「ヒドリ」は「日用取」の方言だとは『花巻ことば集 せぎざくら』(花巻市教育委員会)には載っていない。したがって、この場合も先程と同様にすこぶる難題であると思う。
『とかく人間は、物事を探究しようとすればするほど目が虫の眼(分析的)になってしまう。しかしそれだけでは解決が行き詰まってしまうことが少なくない。そんなときには鳥の眼(総合的)になってみろ』と、そう先輩から教わってきた。
それでも、つい私は「ヒドリ」の文字やその近傍にだけ注目してしまって虫の眼になりがちだ。たまには鳥の眼になって全体を俯瞰して見ることを心懸けたい。
続きの
”和田氏は「日取り」とは言っていない”へ移る。
前の
”赤い文字「行ッテ」”に戻る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます