みちのくの山野草

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〈注〉(私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―)

2024-02-21 12:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』の中の第三章である、
「Ⅲ 私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―」の

〈注〉……56



*****************************************************以下はテキストタイプ****************************************************
〈注〉
(一) 佐藤隆房『宮澤賢治』(冨山房、一九四二年、一七五頁)
(二)『新校本 宮澤賢治全集第六巻詩Ⅴ校異篇』(筑摩書房、一九九六年、二二五頁)
(三) 森荘已池『宮沢賢治の肖像』(津軽書房、一九七四年、二三六頁)
(四) 雜賀信行『宮沢賢治とクリスチャン 花巻編』(雜賀編集工房、二〇一五年、一四三~一四七頁)
(五) 山下聖美『賢治文学「呪い」の構造』(三修社、二〇〇七年、五九頁)
(六) 澤村修治『宮澤賢治と幻の恋人 澤田キヌを追って』(河出書房新社、二〇一〇年、一四五頁)
(七)『七尾論叢第一一号』(七尾短期大学、一九九六年、八九頁)
(八) 森荘已池『宮澤賢治と三人の女性』(人文書房、一九四九年、八九頁)
(九) 二〇一二年年一一月四日高橋カヨ(一九二五生)からの聴き取り。
(十) 森荘已池『宮澤賢治と三人の女性』(七三頁)
(十一)『鉛線 列車時刻表』(花巻温泉電氣鉄道、一九二六年八月発行)
(十二)『イーハトーヴォ 創刊號』(宮澤賢治の會、一九三九年、四頁)
(十三)『四次元 七號』(宮澤賢治友の会、一九五〇年、一五頁)
(十四) 森荘已池『宮澤賢治と三人の女性』(九〇~九一頁)
(十五) 佐藤通雅『宮澤賢治 東北砕石工場技師論』(洋々社、二〇〇〇年、八三頁)
(十六)『イーハトーヴォ 創刊號』(四頁)
(十七) 関登久也『宮澤賢治物語』(岩手日報社、一九五七年、八九頁)
(十八) 小倉豊文『解説 復元版 宮澤賢治手帳』(筑摩書房、一九八三年、四八頁)
(十九) 森荘已池『宮澤賢治と三人の女性』(七四頁)
(二十)『新校本 宮澤賢治全集第一六巻(下)補遺・資料 年譜篇』(筑摩書房、二〇〇一年、三五九頁)
(二十一)『岩手日報』(二〇一四年二月一六日)に掲載された道又力の連載『文學の國いわて』
(二十二)『七尾論叢第一一号』(八一頁)
(二十三) 境忠一『評伝・宮澤賢治』(桜楓社、一九六八年、三一六~三一七頁)
(二十四) 森荘已池『宮澤賢治と三人の女性』(一〇四頁)
(二十五) 森荘已池『宮澤賢治と三人の女性』(一五八頁~)
(二十六) 本書簡は、二〇〇七年四月二一日第六回「水沢・賢治を語る集い「イサドの会」」における、千葉嘉彦の発表「伊藤ちゑの手紙について―藤原嘉藤治の書簡より」の資料として公にされたものでもある。
(二十七)『社会福祉法人 二葉保育園』のHPより。
(二十八) 萩原昌好『宮澤賢治「修羅」への旅』(朝文社、一九九四年、三一七頁)
(二十九) 鈴木守『本統の賢治と本当の露』(ツーワンライフ出版)及び鈴木守「聖女の如き高瀬露」(上田哲・鈴木守共著『宮澤賢治と高瀬露』所収)
(三十) 例えば、関登久也は「面影」(『イーハトーヴォ第十号』所収)において、
 亡くなられる一年位前、病氣がひとまづ良くなつて居られた頃、私の家を尋ねて來られました。それは賢治氏知人の女の人が、賢治氏を中傷的に言ふのでそのことについて賢治氏は私に一應の了解を求めに來たのでした。
 他人の言に對してその經緯を語り、了解を得ると云ふ樣な事は曾て賢治氏になかつた事ですから、私は違つた場合を見た樣な感じを受けましたが、それだけ賢治氏が普通人に近く見え何時もより一層の親しさを覺えたものです。其の時の態度面ざしは、凛としたと云ふ私の賢治氏を説明する常套語とは反對の普通のしたしみを多く感じました。
という追想を述べているから、賢治は思い込んだらまっしぐらな言動をするころがあったようだ。
 また、佐藤勝治は「賢治二題」(『四次元五十号』所収)において、
 忠吉さんは、ずいぶんためらつた後に、決心したように、実にいやなこと、それを思い出すと今でも腹わたがにえくりかえるようで、先生についてのすべてのたのしい思い出は消え去つてしまうといつて話し出した。
 話といつても簡単であつて、二つである。一つは、…(筆者略)… 常にもなく威丈高に叱りつけた。忠吉さんはあまりの事に口もきけずに、だまつて叱られていた。
 もう一つの話は、忠吉さんがある人(A)に稲コキ用のモーターを手離したいからどこかえ(ママ)世話をしてくれとたのまれていた。そこでさいわい知り合い(B)でほしい人があつたので世話することにしていたら、村の三百代言(C)がこれで一もうけしようと割り込んで来た。そこで彼(C)は賢治に告げ口をしたのである。そこで忠吉さんは賢治によびつけられ、長時間にわたつて叱りとばされた。つまり、忠吉さんは、Cの世話しかけているAのモーターを、Bと組んで安くAから取り上げようとしている。Cの取引の邪魔をし、Aをだましているというのである。話はまるであべこべなのだが、先生はぜんぜん弁解を受けつけず、村でも名高いCの嘘言だけをほんとにして、お前も見下げはてた奴だ、せつかく俺がこれ程お前のために何彼と心をつかつているのに、よくも裏切つたなと、さんざんな叱言である。
というトラブルを紹介していた。もちろん、この「先生」とは賢治のことである。したがって、これらによれば、賢治はどうも思い込みが強い性向があったということを否定できない。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
 そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。

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 そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))

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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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