〈「白花露草」(平成28年8月24日撮影、下根子桜)
「ライスカレー事件」で露を〈悪女〉には出来ない
鈴木 今荒木が、
「ライスカレー事件」そのものはあったのだが、その中身は「見聞や想像を駆使してつくりあげた創作」であったと言われても仕方がなかろう。
と言ったが、まさにその通りだと私も感じている。吉田 そこでここは少し視点を変えて、この事件の際に「賢治がライスカレーを食べなかった理由」を少し浮彫にしてみようじゃないか。
そこでまず鈴木に訊きたいのだが、ここまで賢治のことを長年調べてきて、この件に関してはどう考えれば合理的な説明がつくと思ってるんだ。
鈴木 あくまでも理屈上から考えての私見だが、
ある時、賢治は2階で勉強か何かをしていた<*1>。
→その時露は賢治の許に来ていて、ライスカレーを作っていた。
→ちょうどそこへ肥料設計の依頼に数人の百姓たちがやって来た。
→彼等は、料理をしている露を見てびっくりした。
→それを突然見られてしまった賢治は、露がまるでお嫁さんの如く思われたのではなかろうかと思って焦ってしまった。
→ばつが悪くなった賢治はそのライスカレーをその百姓たちに御馳走した。
→そして賢治はつっけんどんに「私は食べる資格がない」と言って取り繕い、2階に上がってしまった。
→そこで露は、「折角作った料理を食べないなんて……」とがっかりし、心をめる静めるためにオルガンを弾いた。
→その傷心振りを察知した賢治は1階に下りていって露を慰めた。
→しかし、露の気持ちは直ぐには元に戻らなかった。
というのが大体の「流れ」であったのではなかろうか。→その時露は賢治の許に来ていて、ライスカレーを作っていた。
→ちょうどそこへ肥料設計の依頼に数人の百姓たちがやって来た。
→彼等は、料理をしている露を見てびっくりした。
→それを突然見られてしまった賢治は、露がまるでお嫁さんの如く思われたのではなかろうかと思って焦ってしまった。
→ばつが悪くなった賢治はそのライスカレーをその百姓たちに御馳走した。
→そして賢治はつっけんどんに「私は食べる資格がない」と言って取り繕い、2階に上がってしまった。
→そこで露は、「折角作った料理を食べないなんて……」とがっかりし、心をめる静めるためにオルガンを弾いた。
→その傷心振りを察知した賢治は1階に下りていって露を慰めた。
→しかし、露の気持ちは直ぐには元に戻らなかった。
というのは、「羅須地人協会時代」に、ロシア人のパン屋が下根子桜に訪れて来た頃の賢治と露はとてもよい関係であったということを知ってしまった私には、この事件が起こった日に露がライスカレーを作りに来ることを賢治は承知していたかあるいは依頼していたはずだと考えられるからだ。しかも、この流れであれば、賢治がライスカレーを食べなかった理由もそれなりに合理的に説明できる。そこで、これが「賢治がライスカレーを食べなかった理由」の真相であったとしてもほぼ間違いなかろう、と私は判断している。
吉田 なるほど、それなりの説得力はあるな。
鈴木 さらにもう少し具体的に考察してみると、高橋慶吾の証言に基づくならば、この時は少なくとも2~3人の来客があり、しかも賢治の分のライスカレーも用意したということがわかるから最低でも3人分のライスカレーを露は作っていたことになる。ところが、下根子桜の別宅にそれ用の食器等が十分にはなかったから食材の準備だけでなくそれらも露は準備せねばなかったであろう。
荒木 その根拠は?
鈴木 当時下根子桜の宮澤家別宅にどれほどの食器があったのかについては、その頃賢治と一時一緒に暮らしていて炊事等も手伝っていたという千葉恭が次のような証言しているからだ。
大櫻の家は先生が最低生活をされるのが目的でしたので、台所は裏の杉林の中の小さい掘立て小屋を立て、レンガで爐を切り自在かぎで煮物をしてをられました。燃料はその邊の雜木林の柴を取つて來ては焚いてをられました。食器も茶碗二つとはし一ぜんあるだけです、私が炊事を手傳ひましたが毎日食ふだけの米を町から買つて來ての生活でした。
<『四次元7号』(昭和25年5月、宮澤賢治友の会)所収「宮澤先生を追つて(三)―大櫻の實生活―」 より>荒木 この「大櫻の家」とは、下根子桜の宮澤家の別宅のことだな。
鈴木 うん、そう。
したがってこの証言によれば、下根子桜の別宅には「茶碗二つとはし一ぜんあるだけ」だったから、別に新たにライスカレー用の大皿、スプーン、コップなどを最低でも3人分、そしておそらく露はその他に食材や調味料なども用意してきたはずだ。多分この事件の起こった日は勤務校が休みの日曜日か長期休業中であり、鍋倉の下宿から向小路の実家に戻っていた露は実家から約1.5㎞ある道のりそれらを運んできたことになる。
吉田 その上、下根子桜の別宅の場合、炊事場はちょっと離れた外にあったということもあり、その別宅で当時3人分以上のライスカレーを作るということは、普通の家庭とは違って何から何まで大変なことだった。とはいえ、そうでもしなければライスカレーは作ることができなかったのだから、露はとても優しくて甲斐甲斐しい人だったということも一方でわかる、ということか。
荒木 それに対して、賢治は突如自分の都合が悪くなったので頑なに食べることを拒否したというのであれば、仮に露が「私が折角作った料理を食べないなんて……」と詰ったとしても、そしてまた心を静めるためにオルガンを弾いたとしてもそれは至極当たり前のことであり、その責めは賢治にこそあれ、露には殆どなかろうに。
吉田 ましてや、そんなことで露が〈悪女〉にされたのではたまったものではない。恩を仇で返すようなものだ。ちなみに『広辞苑』によれば、〈悪女〉とは「性質のよくない女」のことをいうようだが、こんなことで「性質のよくない女」と決めつけられたのでは、世界中の女性が皆〈悪女〉になってしまうだろう。
荒木 まったくだ。ましてや、男性は皆それ以上に〈悪男〉となってしまうべ。
吉田 これでどうやらある程度浮彫になってきたな。
例の「下敷」には、例えば、
悲哀と失望と傷心とが、彼女の口をゆがませ頰をひきつらし、目にまたたきも與えなかつた。彼女は次第にふるえ出し、眞赤な顏が蒼白になると、ふいと階下に降りていつた。
降りていつたと思う隙もなく、オルガンの音がきこえてきた。…(投稿者略)…その樂音は彼女の乱れ碎けた心をのせて、荒れ狂う獸のようにこの家いつぱいに溢れ、野の風とともに四方の田畠に流れつづけた。
ともあるが、かくの如く、だいぶ話が盛られたと言わざるを得ないこの「ライスカレー事件」を元にしては、常識的に考えて、高瀬露を〈悪女〉には出来ないということがだ。降りていつたと思う隙もなく、オルガンの音がきこえてきた。…(投稿者略)…その樂音は彼女の乱れ碎けた心をのせて、荒れ狂う獸のようにこの家いつぱいに溢れ、野の風とともに四方の田畠に流れつづけた。
荒木 にもかかわらず、そうなっているのが現状だから、これは極めてアンフェアなことだということも浮彫になってきたということだ。
鈴木 そして私には、今回吉田が「少し視点を変えて」ということで始まったこの話し合いによって新たに気付いたことがある。それは、さっき荒木が「その責めは賢治にこそあれ、露には殆どなかろうに」と言ったことではっとしたのだが、賢治に関わる「世界」でさえも抜きがたい「女性蔑視の体質が今までずっとあった」ということを示唆している、ということにだ。
荒木 もちろんそんな意識は毛頭なかったのだが、俺の発した一言で、あの「世界」でさえも「女性蔑視の風潮が今までずっとあった」ということになってしまいかねないのか。ちょっと責任を感じてしまうな……でも、実は確かにありかもな。
<*1:投稿者註> 『賢治研究6号』所収の、高橋慶舟の論考「賢治先生のお家でありしこと」の中では、次のようにも述べている。
雪消えた五月初めのころ宝閑小学校の女の先生の勧誘で先生のお家を訪れました。
小生は二階で先生と話しを致しており、女の先生は下で何かをしておりました。その時農家の方が肥料設計を頼みにまいりました。設計書を書き終わり説明をしているとき、下から女の先生がライスカレーを作っておもちになり、どうぞお上がり下さいとお出しになされたその様子はこゝのお家の奥様が晝時になって来客に心利かせてすゝめる食事の如く、飛び上がるばかりに驚いたのは、外ならぬ先生なり。まづどうぞおあがりくださいと、皆にすゝめてたべさせて、私には食う資格はありませんと遂におあがりになりませんでした。それでお作りになった女の先生は不満やるかたなく、隅にあったオルガンをおひきになりました。それを聞いた先生は、トントンと二階からおりて、二階の板に片手をかけ、階段一二の上に足をとどめて、おりきらないまゝ先生は口を開くのです。今はまだ農家の方は野外で働いている時間です。どうかオルガンをひかないで下さい。と制せられるのでありました。
<『賢治研究6号』(宮沢賢治研究会)27p~>小生は二階で先生と話しを致しており、女の先生は下で何かをしておりました。その時農家の方が肥料設計を頼みにまいりました。設計書を書き終わり説明をしているとき、下から女の先生がライスカレーを作っておもちになり、どうぞお上がり下さいとお出しになされたその様子はこゝのお家の奥様が晝時になって来客に心利かせてすゝめる食事の如く、飛び上がるばかりに驚いたのは、外ならぬ先生なり。まづどうぞおあがりくださいと、皆にすゝめてたべさせて、私には食う資格はありませんと遂におあがりになりませんでした。それでお作りになった女の先生は不満やるかたなく、隅にあったオルガンをおひきになりました。それを聞いた先生は、トントンと二階からおりて、二階の板に片手をかけ、階段一二の上に足をとどめて、おりきらないまゝ先生は口を開くのです。今はまだ農家の方は野外で働いている時間です。どうかオルガンをひかないで下さい。と制せられるのでありました。
もちろん、この“高橋慶舟”とは高橋慶吾のことであり、“女の先生”とは高瀬露のことであることは自明だろう。したがって、慶吾は「賢治先生」という追想や、座談会「宮澤賢治先生を語る會」においてのみならず、この「賢治先生のお家でありしこと」においてもまた、「ライスカレー事件」について言及しているのである。
続きへ。
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
電話 0198-24-9813
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