みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

読解の仕方が変わってしまった一例(前編)

2019-12-04 10:00:00 | 鈴木守著作
〈『本統の賢治と本当の露』の表紙〉

「和風は河谷いっぱいに吹く」
 さて、賢治の詩「和風は河谷<*1>いっぱいに吹く」、
   一〇二一  和風は河谷いっぱいに吹く  一九二七、八、二〇、

   たうたう稲は起きた
   まったくのいきもの
   まったくの精巧な機械
   稲がそろって起きてゐる
   雨のあひだまってゐた穎は
   いま小さな白い花をひらめかし
   しづかな飴いろの日だまりの上を
   赤いとんぼもすうすう飛ぶ
   あゝ
   南からまた西南から
   和風は河谷いっぱいに吹いて
   汗にまみれたシャツも乾けば
   熱した額やまぶたも冷える
   あらゆる辛苦の結果から
   七月稲はよく分蘖し
   豊かな秋を示してゐたが
   この八月のなかばのうちに
   十二の赤い朝焼けと
   湿度九〇の六日を数へ
   茎稈弱く徒長して
   穂も出し花もつけながら、
   ついに昨日のはげしい雨に
   次から次と倒れてしまひ
   うへには雨のしぶきのなかに
   とむらふやうなつめたい霧が
   倒れた稲を被ってゐた
   あゝ自然はあんまり意外で
   そしてあんまり正直だ
   百に一つなからうと思った
   あんな恐ろしい開花期の雨は
   もうまっかうからやって来て
   力を入れたほどのものを
   みんなばたばた倒してしまった
   その代りには
   十に一つも起きれまいと思ってゐたものが
   わづかの苗のつくり方のちがひや
   燐酸のやり方のために
   今日はそろってみな起きてゐる
   森で埋めた地平線から
   青くかゞやく死火山列から
   風はいちめん稲田をわたり
   また栗の葉をかゞやかし
   いまさわやかな蒸散と
   透明な汁液の移転
   あゝわれわれは曠野のなかに
   芦とも見えるまで逞ましくさやぐ稲田のなかに
   素朴なむかしの神々のやうに
   べんぶしてもべんぶしても足りない

     <『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)より>
は私の大好きな詩の一つだった。それは賢治の稲作指導(特に肥料設計)のよろしきを得て、
   十に一つも起きれまいと思ってゐたものが
   わづかの苗のつくり方のちがひや
   燐酸のやり方のために
   今日はそろってみな起きてゐる

ということで、倒伏した稲がものの見事に元のように立ち直ったのだと私は解釈できたからだ。そこでかつての私は、『流石は賢治!』と感嘆し、賢治の稲作指導や肥料設計は神業だと思ったのだった。そしてこの詩にとても感動したものだ。

〈和風は河谷いっぱいに吹く(作品第一〇八三番)〉
 ところが、十数年前から賢治のことを調べているうちに、この日付「一九二七、八、二〇」頃、つまり昭和2年8月20日頃の天気等を調べてみるとどうもそのようなことは起こりそうにないぞ、という疑問を抱き始めた。そしてそうこうしているうちにこんなことにも気付いた。
 それは、かつての『宮澤賢治全集 四』(筑摩書房、昭和31年発行)等に載っている〈和風は河谷いっぱいに吹く(作品第一〇八三番)〉の詩(以後、こちらの形態のものを〝旧〈和風は河谷いっぱいに吹く〉〟と表す)は、『校本全集』等に載っているものとは違っていることにである。実際に、『校本宮澤賢治全集第四巻』(昭和51年発行)の〈一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く〉と、『宮澤賢治全集 四』(筑摩書房)のそれこそ〝旧〈和風は河谷いっぱいに吹く〉〟とをそれぞれ左右に並べて比べてみると以下のようになる。

青い文字の部分は両者に共通であるが、その他の部分は結構違っている。
 そこで、この〝旧〈和風は河谷いっぱいに吹く〉〟をそのまま賢治の実生活に還元して鑑賞するとどうなるだろうか。それを教えてくれる一つの例が『近代文学鑑賞講座 高村光太郎宮澤賢治』に、
 …その朝焼けと雨降りがつづき、つめたい霧がながれ、雨が降りつのり、稲は水につかってしまった。いまこの天候に対抗できるのは、自分が設計した肥料の効果だけである。それはたしかに適正な設計だったはずだ。そしてその効果によって、稲は自然の過酷さをくぐりぬけ、「蘆とも見えるまで逞しくさやぐ」ようになった。和風は河谷いっぱいに吹いている!
 稲作指導の数篇中でこれはめずらしくあかるい詩だが、私はこの詩から賢治のものの考え方に、やはり二つの側面のあったことをおもう。その一つは「たうとう稲は起きた まったくのいきもの まったくの精巧な機械」という部分である。ここで宮沢賢治は肥料設計が合理的で適正であれば、つまり稲作栽培が科学的であれば、稲は「まったくの精巧な機械」にひとしく育つことをいっている。この科学的考え方を押しつめてゆくところに農耕指導の意味があるわけだが…
              <『近代文学鑑賞講座 高村光太郎宮澤賢治』(角川書店)290p~より>
というようにあった。
 かつての私であれば、この鑑賞の仕方を素直に肯んじていたと思うし、もちろん『流石は賢治!』とばかりに誉め讃えていたはずだ。まして、その稲作指導の成果が実ってなんとあろうことか反当4石もの収穫を上げそうなんだと、賢治の稲作指導はやはり神業だったんだといたく感激していた。そしてそのことは私一人だけにとどまらず、この「和風は河谷いっぱいに吹く」の詩を、ましてや〝旧〈和風は河谷いっぱいに吹く〉〟を読んだ人はなおさらに皆なそう思ったのではなかろうか<*2>。

そんな収穫高はあり得ない
 しかしその後、当時の岩手県の水稲反当収量の推移、

          <素データは『都道府県農業基礎統計』(加用信文監修、農林統計協会)より>
を知って、どうやら私は誤解をしていたようだと不安になってしまった。当時豊作であったという大正14年でも2.14石、昭和8年でも2.22石であり共に反収で2.5石さえも超えていない。となれば、少なくとも昭和初期の1927年に「村ごとの反当に/四石の稲はかならずとれる」は100%不可能であったと言い切れるだろう。まあ、これは下書稿の中のもので推敲の一過程だし、もちろん詩に虚構があることは何も悪いことではなくそれどころか当然のことではある。そして、この〝反当4石〟とはそこに賢治の強い想いと願いが込められているのだろうと理解したい気持ちも私にはもあるものの、「羅須地人協会時代」の賢治の詩に客観的な数値の変更があったということを知ってしまうと、私は以前のような感動はもうそこからは味わえなくなってしまう。また一方では、かつて〝旧〈和風は河谷いっぱいに吹く〉〟でこの詩を読んでいた人達の殆どはそれこそ、「宮沢賢治は肥料設計が合理的で適正であれば、つまり稲作栽培が科学的であれば、稲は「まったくの精巧な機械」にひとしく育つことをいっている。この科学的考え方を押しつめてゆくところに農耕指導の意味がある」と満々と思わせられていたということになるのであろう。実は現実には到底そんな収穫高はあり得ないというのに、である。

<*1:投稿者註> 『鑑賞日本現代文学⑬宮沢賢治』(原 子朗編著、角川書店)の216pによれば、この「河谷」とは、北上川流域の田園をさす、とある。
<*2:投稿者註> この件に関しては、「和風は河谷いっぱいに吹く」の〝下書稿(四)〟の中に次のような〝連〟があるということも知った。
   あゝわれわれはこどものやうに
   踊っても踊っても尚足りない
   もうこの次に倒れても
   稲は断じてまた起きる
   今年のかういふ湿潤さでも
   なほもかうだとするならば
   もう村ごとの反当に
   四石の稲はかならずとれる

             <『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)511pより>
 ということから、おそらく〝旧〈和風は河谷いっぱいに吹く〉〟はこの〝下書稿(四)〟によるものだったのだろう。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

 本書は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
 1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
 例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。

 2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。
 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。


〈はじめに〉




 ………………………(省略)………………………………

〈おわりに〉





〈資料一〉 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間)   143
〈資料二〉 賢治に関連して新たにわかったこと   146
〈資料三〉 あまり世に知られていない証言等   152
《註》   159
《参考図書等》   168
《さくいん》   175

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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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