みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

「和風は河谷いっぱいに吹く」の検証

2023-03-22 10:00:00 | 「賢治年譜」一から出直しを
《オオタカネバラ》(2021年7月17日撮影、岩手)

 奇しくも今から10年前の今日、2013年(平成25年)の3月22日に、入沢康夫氏から拙ブログ〝みちのくの山野草〟に次のようなコメントをいただいた
「和風は……」の詩の特異性 (入沢康夫) 2013-03-22 08:51:52
 私もかねてから「和風は河谷いっぱいに吹く」については、一筋縄ではいかない問題があると思っていました。第二集や第三集の作品で作品番号や日付が変わるのは、いずれもきわめて稀ですが、ここではその両方が生じています。(番号は「1093」から「1021」へ、日付は「1927・7・14・」から「1927・8・20・」へ。) この変化は、(晩年使用の黄罫詩稿用紙を使った)「下書稿(四)」で生じたもので、なぜ番号や日付を変え(ねばならなかっ)たのか、その理由をあれこれと推測するにつけ、この作品については、前後の作品との内容の齟齬を含め、興味がますます深まると共に、さらなる検討の必要を痛感しています。
追伸 (入沢康夫) 2013-03-22 10:11:00
 「宮沢賢治学会イーハトーブセンター」機関誌の「宮沢賢治研究Annual」3号(1993)に載った佐藤泰平氏の「『春と修羅』(第1集・第二集・第三集)の〈気象スケッチ〉と気象記録」中で、この「和風は河谷いっぱいに吹く」についてかなり詳しく論じられていたのを、思い出しました。御参考までに書き添えます。
(終わり)

 それは次のような経緯からであった。
 かつては私も、『春と修羅 第三集』の中では「稲作挿話(未定稿)」(〔あすこの田はねえ〕)や「和風は河谷いっぱいに吹く」の詩が大好きだった。菊池信一と思しき教え子を温かく見守りながら稲作指導をしている賢治の姿に、あるいは一度は倒れてしまった稲田だが賢治の指導よろしきを得て稲は皆元通り立ち上がったということで、その稲作指導の見事さに感心していたからだった。
 ただしそこは念を入れて、その裏付けを取ろうとして「和風は河谷いっぱいに吹く」について調べているうちに、常識的に考えてどうもおかしいぞと直感した。そこで、おおよそ次のような内容の投稿を拙ブログ『みちのくの山野草』においてしたのだった
  **************〈おおよその投稿内容〉************
 まず、昭和2年8月20日付「和風は河谷いっぱいに吹く」、
   一〇二一
      和風は河谷いっぱいに吹く
                 一九二七、八、二〇、
   たうたう稲は起きた
   まったくのいきもの
   まったくの精巧な機械
   稲がそろって起きてゐる
   雨のあひだまってゐた穎は
   いま小さな白い花をひらめかし
   しづかな飴いろの日だまりの上を
   赤いとんぼもすうすう飛ぶ
   あゝ
   南からまた西南から
   和風は河谷いっぱいに吹いて
   汗にまみれたシャツも乾けば
   熱した額やまぶたも冷える
   あらゆる辛苦の結果から
   七月稲はよく分蘖し
   豊かな秋を示してゐたが
   この八月のなかばのうちに
   十二の赤い朝焼けと
   湿度九〇の六日を数へ
   茎稈弱く徒長して
   穂も出し花もつけながら、
   ついに昨日のはげしい雨に
   次から次と倒れてしまひ
   うへには雨のしぶきのなかに
   とむらふやうなつめたい霧が
   倒れた稲を被ってゐた
   あゝ自然はあんまり意外で
   そしてあんまり正直だ
   百に一つなからうと思った
   あんな恐ろしい開花期の雨は
   もうまっかうからやって来て
   力を入れたほどのものを
   みんなばたばた倒してしまった
   その代りには
   十に一つも起きれまいと思ってゐたものが
   わづかの苗のつくり方のちがひや
   燐酸のやり方のために
   今日はそろってみな起きてゐる
   森で埋めた地平線から
   青くかゞやく死火山列から
   風はいちめん稲田をわたり
   また栗の葉をかゞやかし
   いまさわやかな蒸散と
   透明な汁液の移転
   あゝわれわれは曠野のなかに
   芦とも見えるまで逞ましくさやぐ稲田のなかに
   素朴なむかしの神々のやうに
   べんぶしてもべんぶしても足りない

      <『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)、110p~>
と、その下書稿の第一形態であるという昭和2年7月14日付
   一〇八三
   〔南からまた西南から〕   
                一九二七、七、一四、 南からまた西南から
   和風は河谷いっぱいに吹く
   七日に亘る強い雨から
   徒長に過ぎた稲を波立て
   葉ごとの暗い露を落して
   和風は河谷いっぱいに吹く
   この七月のなかばのうちに
   十二の赤い朝焼けと
   湿度九〇の六日を数へ
   異常な気温の高さと霧と
   多くの稲は秋近いまで伸び過ぎた
   その茎はみな弱く軟らかく
   小暑のなかに枝垂れ葉を出し
   明けぞらの赤い破片は雨に運ばれ
   あちこちに稲熱の斑点もつくり
   ずゐ虫は葉を黄いろに伸ばした
   今朝黄金のばら東もひらけ
   雲は騰って青ぞらもでき
   澱んだ霧もはるかに翔ける
   森で埋めた地平線から
   たくさんの古い火山のはいきょから
   風はいちめん稲田をゆすり
   汗にまみれたシャツも乾けば
   こどもの百姓の熱した額やまぶたを冷やす
    あゝさわやかな蒸散と
    透明な汁液の転移
    燐酸と硅酸の吸収に
    細胞膜の堅い結束
   乾かされ堅められた葉と茎は
   冷での強い風にならされ
   oryza sativaよ稲とも見えぬまで
   こゝをキルギス曠原と見せるまで
   和風は河谷いっぱいに吹く

       <『校本宮澤賢治全集第六巻』(筑摩書房)、188p~より>
とを比べてみると、常識的に考えれば、これらの2篇の詩に詠まれていることは同一日の気象条件下で詠んでいるとしか思えない。ところがこの2篇の詩の日付は、片方は7月であり、もう一方は8月である。したがって、同一内容と思われるのに月名が異なっているからそこに矛盾が生じていて、この2篇のうちの少なくとも一方は気象上の虚構が含まれたものであるということが考えられる。
 一方で、賢治には昭和2年8月20日付の詩篇が幾つかあるが、その中で「和風は河谷いっぱいに吹く」だけは他の詩篇と異質だと感じたから、はたして、
「和風は河谷いっぱいに吹く」に詠まれている光景はその日(昭和2年8月20日)の実景だったのだろうか。
という素朴な疑問を私は抱いてしまったのだった。
 そこで私は、あの『阿部晁の家政日誌』から当時の天気や気温を抽出して(〝 羅須地人協会時代の花巻の全天候〟参照)、「羅須地人協会時代」の7月~8月について一覧表にしてみたところ、下掲の《表1 「羅須地人協会時代」の7月~8月の花巻の気象一覧》

のようになった。
 次にこの気象一覧を瞥見してみると、やはりこの「和風は河谷いっぱいに吹く」の詩には虚構がありそうだと直感した。そこで少し分析的に見てみれば、例えば「雨のあひだまってゐた穎は」及び「ついに昨日のはげしい雨に」という表現に注目すると、前者からは、この詩は晴れている日に詩を詠んでいるはずであり、後者からは前日が雨であることが導かれる。ところがこの一覧表に基づけば、花巻ではこの前日(8/19)には雨が降っていないし、逆に当日(8/20)は雨が降っていることになり整合性が悪いので私はそう感じたのだろう。
 それゆえ、この詩「和風は河谷いっぱいに吹く」にはいくつかの虚構がありそうで、例えば「今日はそろってみな起きてゐる」がはたして真実であったかどうか疑わしくなってしまう。はたまた、賢治が「べんぶしてもべんぶしても足りない 」と思えるような実態にはたして稲田はあったのかという疑問が生ずる。
   **************〈投稿内容終わり〉************

 そこで入沢氏は拙ブログのこの投稿内容をご覧になって、先のような助言のコメントを下さったのであった。
 私は入沢氏のご教示に感謝しながら、早速佐藤泰平氏の同論文を見てみたならば、そこには詳細なデータがあり、花巻の降水量や水沢の湿度等も一部加味した緻密な論考があった。

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