多くの賢治研究者が、「昭和二年は、多雨冷温の天候不順の夏だった」とか「未曾有の凶作だった」と断定して、これらのことを基にして持論を展開なさっておられるが、一次資料等に立ち返るという基本に則ればそれは誤認だと直ぐ判るのに、なぜこの基本を蔑ろにしているのだろうか。しかも私の知る限り、この誤認は大問題だということを誰一人として指摘していない。
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〈「雪白く積めり」の詩碑》(平成22年7月29日撮影)
私は高村光太郎についてはほどんど分かっていない。せいぜい自分なりに興味を持って光太郎を調べたのは、彼が昭和26年に『独居自炊』という本を出版していたことに関わってであった。
もう少し具体的に言うと、賢治の羅須地人協会時代は巷間「独居自炊」といわれているが、調べてみると、賢治の場合の「独居自炊」の使われ方はそうでもなかったことを知った。つま . . . 本文を読む
《松田甚次郎署名入り『春と修羅』 (石川 博久氏 所蔵、撮影)》
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