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気の向くままに

山、花、人生を讃える

嬉しい出来事

2021年08月13日 | その他

先日、生長の家の本部からうれしい連絡が来ました。それはアヤメを描いた絵手紙を生長の家の月刊誌に投稿していたのですが、今度の9月号月刊誌に掲載されることになったとのことで、一足早くその月刊誌と「愛と希望のメッセージ」という本が送られて来たのでした。

 

前回は去年の8月にサザエを描いて試しに投稿したところ、何とそれが呆気なく掲載されたので、サザエの絵が珍しかったからだろうと思っていました。が、今度はアヤメだから、絵手紙としては珍しいというわけではない。そしてまた、投稿者が少ないというわけでもないようだから、きっと良いところがあったのだろうと思ってうれしいのです。そして、私を知っている奴らがそれを見て、「オッ、あいつの絵が載っているじゃないか!」と、その少し驚いている様子を想像し、さらに「どうだ、見たか!」と自慢げに思っている自分を想像して楽しんでいる次第です。(笑)

 

ちなみに、普段私が描いているのは、ほとんどが絵手紙教室の動画を見て描いているのですが、投稿したものは現物を見て描いた自分の作品です。先生の評には「楽しい添え書きですね。鮮やかな色合いと凛とした佇まいに心が清まっていくようです」との有難い評をいただきました。

ちなみに生長の家は、何事においても善いところを見て讃嘆するという教えなので、評が甘いのはわかっているつもりですが、それでもやはりうれしい。72歳になるんですけどね。(笑)

 

以下、その掲載されるアヤメを描いた絵手紙と、最近描いたものですが、よろしければ見てやってください。

 

     

 

     

 

    

 

○五感は外界にあるあらゆる美しさというものを受け容れる機関でありまして、自己の肉体の触覚を弄ぶためのものではありません。外界にあるすべての美しさを受け容れると申しますが、受け入れてそれを感ずることができるのは、自分の中にその美しさと同じものが、すでにあるからであります。自分の中にあるあらゆる美しきものを外へ引き出す、これが教育であります。 (谷口雅春著『生命の実相』28巻より)

 


暑中お見舞い申し上げます。

2021年07月30日 | その他

毎日、暑いですね。

オリンピックはメダルラッシュで喜ばしいが、コロナ感染者数の急拡大が気になりますね。
私の住まいは田舎で出歩くことも少ないからあまり心配もしていないのですが、医療に携わる方や、医療のひっ迫により、面接も出来なくなるなどといったこともたくさん出て来るのではと気になります。

それはさておき、下は最近描いた絵手紙ですが、杉のご神木の絵以外は、どれも絵手紙教室の動画を見て描いたものですが、こんな程度のものでも自分が描いたと思うと嬉しいもので、絵は精神的にもいいものだと実感しています。
上手下手はともかく、色どりだけをとっても、改めて色の美しさというものを感じさせられています。
心なしか、色に敏感になったのでは、な~ちゃって。これは冗談です。(笑)

最後になりましたが、暑中お見舞い申し上げます。

    

 

    

 

 

最後まで見ていただき、感謝。


伊吹山へ

2021年07月25日 | 

22日、仲間4人で伊吹山ドライブウェイを利用して伊吹山山頂へ行きました。目的は日ごろの運動不足解消を兼ね、山々の眺望を楽しみながら山頂一帯を散策し、その後、弁当屋さんのおいしいおにぎりを食べ、コーヒータイムでのんびりくつろぎ、そして夕景、さらに、あわよくば星空も楽しもうという趣向でしたが、心掛けの悪いのがいたらしく、残念ながら山々の眺望はぼんやりしてよくなかったし、星空もさっぱりでした。が、琵琶湖の夕景が楽しめたし、仲間4人での山頂でのひと時はとても楽しい時間でした。

後記
連休初日とあって、山頂駐車場には夜を明かしてご来光を楽しむつもりらしい人たちの車がかなりありました。

思い出しましたが、10年前には夜暗くなってドライブウェイ―を降りて来る時には、街の夜景がとてもきれいで、また花火も3か所で挙がっていて、その初めての上から見る花火が珍しく、きれいで、妙な感じで夢の世界にいるようでした。数台駐車できるスペースに車を止めて、飽きずに眺めていたのを思い出しました。

 

琵琶湖の北部で、小さな島は竹生島

 

日が傾くにつれて湖面がほんのり染まっていくのを天女の気分で見入っていました。

 

これは10年前の写真ですが、一番奥に見えるのが加賀の白山で、今回もこのような眺望を期待したのですが・・・。

 

これも10年前の写真で琵琶湖中央を狙ったもの。

 


絵手紙と落款

2021年07月10日 | その他

最近は絵手紙を描くのを楽しみにしている。まだ絵の塗り方を勉強している段階で、You Tuveの絵手紙教室を見て描くことが多い。絵手紙だと1時間未満で描けてしまうが、描いている間は夢中になって暑さも忘れるぐらいです。

私の友達にも私同様、最近絵手紙を描くようになった者がいて、先日、描いた絵手紙の写真をラインで送ってきた。それが上手だったので、「こんなにうまく描けるなら落款を作ったらどうか」と半ば冗談のような軽い気持ちで言ったのだが、さっそく落款を作ったらしく、先ほどの絵にその落款を押し、再びラインで送ってきた。するとその落款の出来栄えもよくて、同じ絵が一層素晴らしく見えたので、自分にもぜひ作って欲しいと頼んだ。すると、やってみようということになり、出来たものをさっそく届けてくれたが、何と、3種類も作ってくれていて驚いた。

 

一番大きな四角いものは私のフルネームをひらがなで彫ってある。もう一つは、自宅のキンモクセイを剪定した枝で作ったとのこと。そして既に固くなっていて掘りにくかったとのことだが、少し曲がっていたり、小さな突起があったりで、いかにも野趣豊かなところが一目で気に入った。(写真中央)

そして、さっそく先日描いた絵手紙に小さい方の落款を使わせてもらったのだが、こうして落款があると同じ絵が立派に見えてしまうから不思議です。

     

     

 

そして絵手紙駆け出しの一年生が、このように落款まで持てて、ウキウキうれしい気分にならせて貰っているところです。


久しぶりの伊吹山

2021年07月06日 | 

6月10日、仲間3人で伊吹山(1377m)に登った。前回登ったのは6年前でこの時は家内と頂上まで登ったが、今回は久しぶりの上、 暑いさなかでもあったので5合目(標高900m)までにした。私は左手に日傘をさし、右手にストック(杖)をもち、「ゆっくり登ろう伊吹山」というわけで、登山口(標高200m)から5合目まで標高差700mを3時間要し、ようやく昼過ぎに到着した。途中、若い山ガールや山男たちの何人かが我々を追い抜いていったが、その後ろ姿から元気をもらいながら登っていった。

 

「伊吹山は日陰のない山」と文句を言う人もいるが、わたしはその開放感にあふれたところが大好きだ。
もう足で登ることもないかもと思っていたが、若い人から「案内して欲しい」と頼まれ、久しぶりに開放感溢れた雄姿を拝むことができうれしかった。

 

また絶えずホトトギスの囀りが聞こえいて、その声が懐かしかった。
そして、さすがに5合目では風も爽やかで、心配した日射しの強さも心地良いぐらいだった。
そしてコロナ禍が去れば、またトレーニングジムに通い、もう一度頂上まで登りたいと思ったことだった。

       

 

それにしても、10年以上前の写真を見ると一面の緑なのだが、この写真では随分地肌が見えるょうになっている。私たちが休憩しているとき、登山道の6合目付近を5~6頭の鹿が横切っていったが、鹿の食害が進んでいるようで気になるところである。


久しぶりの登山

2021年07月03日 | 

最近は、長年煙草を吸い続けたせいか(7年前に禁煙)、少し坂道を上ると息が上がるようになっていたので、
「我老いたり」の感じがしていた。
それで昔何度か登ったことのある養老山地の一画にある標高840mの「小倉山」を目指して、
どこまで登れるか、行けるところまで行ってみようとチャレンジしてみた。
すると、ゆっくりしたペースではあったが、山頂まで到達できたのでうれしかった。
そのせいか、久しぶりに見る山頂からの眺めにいたく感激、まるでエベレスト登頂を果たしたような気分だった。
おかげで10歳ぐらい若返った気分で、お祝いに小麦まんじゅうを買って帰った。 

          

この記事は5月11日のことです。そして絵にある山は小倉山とは関係ない別の山です。

 


今まで、ありがとうございました。

2021年04月01日 | その他

ブログからすっかりご無沙汰していましたが、しばらく休止してまた再開するか、店じまいをするか迷っていましたが、いつまでも宙ぶらりんのままにしておくわけにもいかず、ひとまず店じまいさせていただくことにしました。また、気が変わって再開することもあるかもしれませんが、ともかくひとまずは閉じたいと思います。

 

そんなわけで、今までご訪問してくださった皆様に心から感謝申し上げますとともに、益々のご健康とご活躍をお祈り申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。本当にありがとうございました。深く感謝申し上げます。

 

また、まことに勝手で恐縮ですが、フォローも解除させていただきますので、こちらへのフォローも解除していただきますよう、どうぞよろしくお願いします。

 

今まで本当にありがとうござました。心より感謝申し上げます。合掌


パソコンも携帯も新品

2021年03月05日 | その他

いったん更新が滞ると、これと言って書きたいと思うこともなく、ずるずると来てしまったが、今日は久しぶりの更新。

 

1月19日から修理に出していたパソコンの代替品が、ようやく3月1日から使えるようになった。旧パソコンは何をするにしても動作が遅くイライラさせられていたが、修理に出すのも面倒なので、我慢しながら使っていた。しかし、バックライトが機能しなくなり修理の必要に迫られ、おかげで新品になって帰ってきたわけだが、さすがに新品は、起動や終了、ワードやエクセルの立ち上げなど、断然早いので使っていて気持ちがよいので、有り難い。

 

そして次は携帯の話だが、先日ドコモの営業マンが我が家に来て言うには、


「ご主人の携帯は古い機種で、もし故障した場合、メーカーが対応してくれなくなりまして、それはこちら側の都合によることなので、もし、この機会に新しいものに交換していただけるなら、無料で新機種(ドコモらくらくホン)に交換させてもらいます」

ということだった。で、月々の料金もすーと1480円、通話料も5分以内は無料とのことでした。
それで、急遽、スマホに取り換えることになり、昨日よりスマホデビューしました。

 

使用する機器が一新し、新しくなったせいか、私までピカピカの一年生になった気分になっています。


私はガラ系フアン

2021年02月20日 | その他

今日、明日と暖かくおだやかな気持ちの良い日になりそうでありがたい。

 

昨日、修理に出していたパソコンについて、取替部品が多すぎて保証限度(パソコン費の半額まで)を超えて、4万円以上もこちらの負担が必要とのこと。ということで、新しいものと取り換えるとのことだったが、新品にすればまた、同じように諸設定の費用がかかるのであるが、仕方がなく交換してもらうことにした。この場合は、故障前の半年分ぐらいの写真や、本から抜き書きしていたものが失われることになるがやむを得ない。

 

現在は家内の古い機種を使用しているが、家内は携帯をスマホにしてからはほとんど使わなくなっているので、おかげで、私が部屋に持ちこんで気兼ねなく使わしてもらっている。

 

私の携帯はまだガラ系を使っているが、ガラ系で十分だし、スマホより小さくて携帯に楽だし、経費も安いというわけで、スマホにするメリットがない。2026年までには変えなければならないが、ぎりぎりまでガラ系様のお世話になるつもりでいる。

 

それにしても、どうしてガラ系を使えなくしてしまうのか。
そんなことを言うなら、もう携帯などいらないと言いたいが、そういうわけにもいかないところが、悔しいじゃござんせんか。


俳句の思い出

2021年02月17日 | 人生

船会社は多分どこも似たようなことをしていると思いますが、文化費が会社から支給され、その文化費で月刊誌や週刊誌を毎航海毎に購入し、それを航海中に皆で廻し読みをしていました。

 

わたしが船会社に就職して4年目、4度目の乗船の最初の航海でしたが、出港して1週間ぐらいしたときのこと、8時から12時の4時間の当直を終え、それから昼食をいただき、くつろいだ気分で自分の部屋のソファにもたれ、回覧されてきた月刊誌のページをペラペラめくり、何気なく文芸欄を読み始めました。

 

すると、その文芸欄には万葉集か、古今和歌集か覚えてませんが、「あかあかと」という形容詞が複数の歌に使われていることや、その「あかあか」とはどんな感じかということに触れ、そのあと、芭蕉の「あかあかと日は面難(つれな)くも秋の風」という句が紹介され、言葉は同じ「あかあか」でも、ニュアンスが違うということが説明されていました。

 

その「あかあか」のニュアンスについてはともかく、わたしはこの芭蕉の「あかあかと日は面難(つれな)くも秋の風」を読んだというか、目に入ったというか、その瞬間に、意味も何もわからないのに、いきなり脳天をハンマーで叩かれたような衝撃を受け、真っ暗になった脳裡の中に芭蕉の横顔が見え、その芭蕉は山の斜面を黙々と歩いていました。傾きかけた秋の日差しがその横顔を照らし、その横顔は如何にも「内に激しさを秘めた」と云う感じで、赤く染まっていました。

 

ふと気が付けば、太陽から凄い気迫がほとばしり出ているのにびっくりし、心配するような感じで「芭蕉は?」と芭蕉に意識を向けると、芭蕉は少しもその気迫に負けてないで、物凄い気迫で太陽からの気迫を跳ね返していました。しかし、太陽はただ照っているだけですし、芭蕉も静かに黙々と歩いているだけです。その静かな中にも、目に見えない気迫が迸り、ぶつかり合っていて、その気迫に打たれたとき、自分の中の血流が一瞬脳裡に見えたかと思うと、今度はいきなり海の大波となって私に押し寄せてきました。あまりのことにビックリし、思わず「何事だっ!」と心の中で叫びながら前方を見ますと、エネルギーか気迫の象徴のように大波が次から次へとウワ~ン、ウワ~ンと唸りを上げ押し寄せて来ます。それは、実際に実物以上のリアルさでした。その大波に、ソファに座った上半身を前後に揺さぶられながら、私はただ茫然自失。なすすべもなく、ただ呆気にとられ、成り行きを見ているだけでした。

 

やがてその大波もおさまりましたが、私の中の血流は寄せては返す漣のように、余韻の如く、打ち震えるように、いつまでもひたひたと波打っていました。そして1ヶ月ほどは、「どうしてこんなことが起こりうるのか」と不思議でならず、「不思議だ!不思議だ!」の思いが湧くばかりでした。

 

昔から、「狐に化かされる」とか、「狸に化かされる」とかの言い伝えがありますが、私の場合は「海坊主」に化かされたのかもしれません。しかし、こんな経験をさせてもらえるなら、何回でも化かされてみたいものだと思います。

 

その2航海後だったか、俳句とは何かを知りたいと思い、せっせと俳句の本を読んでいて、芭蕉の面影を追うように、無性に秋の山に登りたくなっていました。そして、サンフランシスコ郊外の港に着いたとき、10月の始めだったと思いますが、そこから見えた200か300メートル位の低い山に、道に迷わないだろうか、予定の時間までに戻れるだろうかと心配しながら、夢中になって登ったのですが、これも記憶に残る思い出です。 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

 

【後記】
ややこしくなるので詳しいことは書きませんが、「不思議だ、不思議だ」と言っていたときに、時たま掲示板に貼り付けられていたカーフェリーからの「高級船員募集」との貼り紙を見て、急にカーフェリーに変わろうという思いになり、即決し、洋上から無線電話でフェリー会社へ応募しました。そして、なんなくカーフェリーに転職することができ、その半年後に婚約し、さらにはその半年後に結婚しました。
それまで、特別な事がない限り、その船会社を辞めるつもりはなかったので、まさに運命の急展開と言える出来事でもありました。