ども、砂川です。
山本周五郎「ながい坂」、読み終えました。
周五郎さんは久しぶりでしたケド、この方とは「感覚が合う」と改めて感じました。
徒士組という下級武士の子に生まれた小三郎は、八歳の時偶然経験した屈辱的な事件に深く憤り、人間として目ざめます。
学問と武芸にはげむことでその屈辱をはねかえそうとした小三郎は、成長して名を三浦主水正と改め、藩中でも異例の抜擢を受けます。
若き主君、飛騨守昌治が計画した大堰堤工事の責任者として、主水正は、さまざまな妨害にもめげず、工事の完成をめざすが・・・。
「俺は少年の頃から脇見する暇さえなく、懸命にながい坂を登ってきた、と歩きながら彼(主水正)ははつぶやいた。多くの困難や難しい仕事や命を狙われたこともある。しかし、今日までは自分の坂を登ってきたのだ、と彼は思った。しかし、登り詰めた今、俺の前にあるのはもっと険しく、さらにながい坂がのしかかっている、と主水正はまたつぶやいた。俺は死ぬまでその坂を登り続けなければいけないだろう。」
理不尽な屈辱に対する怒り、生きていく中での挫折や苦しみ、そして物事をやりとげる使命感がそこにはあります。
「人間の真価は、その人が死んだとき、なにを為したかで決まるのではなく、彼が生きていたとき、何を為そうとしたかである」
続けて読みたくなりました。