どもども。
で、今回、イモト同様に感動したのが、寛平さんのアースマラソンでした。
アメリカ大陸横断を成し遂げた寛平さん、道中で様々な人々から応援や励ましを受けた
そうで。
だいたいみんな、通りすがりのヒトや、新聞、ネットなどをみて興味本位で応援に来た
ようなカンジでした。
その中の一人、リックさん。
このヒト、奥さんは日本人のようですが、はじめ、アリゾナのあたりで道端にクルマを
停めて寛平さんに手を振って応援していました。
そのうち、クルマに「a・me・ma」と書いたり、道路に「a・me・ma」と看板を立てたり、
ニューヨークに到着するまでに計11回、登場しました。
寛平さんも、「アメマのおっさん」と呼んで、とても仲良くなってました。
寛平さんは知りませんでした。
リックさんは40年前、兵役で片足をうしない、走るコトができませんでした。
損傷が複雑なため、歩くことさえ、ほんのわずかしかできません。
リックさんは、走っている寛平さんを応援しながら、自分も40年ぶりに走る決意を固め
ます。
大西洋をヨットで渡り終えた寛平さん、今度はフランスの大地を走り始めましたが、
田園地帯の道路端で、またも「a・me・ma」と書いたクルマとリックさんが・・・。
リックさんは、はじめて寛平さんの前でズボンのスソをめくり、義足をはずします。
驚く寛平さん。
ランニング用の義足に付け替え、わずか20mあまりでしたが、涙ぐむ寛平さんと一緒に
走りました。
「走る勇気をありがとう」
はじめてコクハクしますが、私が走りはじめたのも、よく似た理由でした。
平成11年春、私はスズキ社、東住吉(営)でショールーム担当営業マンでした。
ある日、「大阪シティハーフマラソン」という大会があって、前面道路が通行止めに
なりました。
クルマ屋さんは仕事になりません。
諦めきった私は、小旗を振って応援してました。
そんな私の目の前を、障害者ランナーの人たちが、競技用の車イスで横切っていきました。
で、最後尾、フラフラになりながら走ってきたのは、両足、片手が不自由で、残った片手で
車イスを漕いできたランナーでした。
それから私は走り始めました。
私は何も背負ってませんし、順位やタイムもさほど気にかけてません。
でも、走る勇気をいただいたコトにとても感謝しています。