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砂川自動車商会のドモドモ日記

新聞を読んで雑感 : 邪馬台国論争

2013-04-02 13:49:29 | 日記・雑感

ども、砂川です。

当時、高校の日本史教諭志望だった私は、教職課程を取得するべく文学部に進学し、
史学科で日本古代史を専攻していました。

実際には体育会でのクラブ活動で4年間のほとんどの時間とエネルギーを使い、単位は
取得したものの教員採用試験に合格するような勉強はほとんどしておらず、最後のシーズン
の試合日程と重なる・・・という理由で教育実習もキャンセルし、バブル景気の絶頂時に
企業へ就職しました。

まぁ、卒業論文だけはクラブ引退後に猛勉強して、なんとかカタチになりました。
いい経験だったと思います。

さてその当時、ゼミで指導されて驚いたのは、「論文で断言してはいけない」というコト。

歴史学とは、「事実がどうであったか」など誰もわからないので・・・という理由です。

数ある文献資料、私の場合は古事記や日本書紀、風土記などですケド、それぞれ相反する
情報の中で、どれを取ってどれを捨てるのか、自分の結論はこうであって、その根拠は
コレコレ・・・、そういうコトです。

ですから、しっかりとした根拠を示せば自分だけの新しい「学説」を打ち出してもOKな
ワケです。

確か私が在学中に「長屋王の木管」が発掘されたり、藤ノ木古墳の調査が始まったりで
歴史の教科書が書き換えられましたね。

歴史とは発見があるたびに変わっていくモノなのです。

さて、邪馬台国論争です。

「九州説」と「畿内説」があって・・・というのは、ほとんどの方がご存知だと思いますケド、
その他にも「東遷説」というのもあって、もともと九州にあったのが畿内へ移動してきて
成立した、とかです。

ここ最近は奈良県桜井市三輪山近くの纏向遺跡の調査が進み、畿内説がやや有力なので
しょうか?

もともと九州説というのは国学者の本居宣長が「日本こそが中国(中心たる国)であるべき
であり、日本の天皇が中国に朝貢した歴史などあってはならない」とのナショナリズム
史観から、蛮族とされた九州熊襲民族を「邪馬台国」としたのがはじまり、とも聞きます。

さて、歴史学者の村井康彦さんの提唱されるのは「出雲勢力が大和で邪馬台国をつくった」
という説。

奈良盆地の多くの神社には大国主命を中心とする出雲系の神々が祀られており、遺跡など
から総合的に判断された、とあります。

まだ日本には漢字も伝わっておらず、発掘調査が中心の気が遠くなるようなハナシ。

古事記の編纂が712年、日本書紀が720年ですから、卑弥呼の時代はそれより500年も前。

様々な情報から推測するしかありませんケド、古代史というのはロマンとミステリーに
あふれていますね。

さて、あなたの学説は? (笑)


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