GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

スヴァイリエンからロンアン省へ

2012-10-27 07:41:11 | 交通

昨年11月にベトナム、ロンアン省とカンボジア、スヴァイリエン州との国境に国際国境ゲートが開設されました。ベトナム名は、Cua Khau Binh Hiep、カンボジア側はPrey Vo Internatioal  checkpointと呼ばれるようです。

http://tuoitre.vn/Chinh-tri-Xa-hoi/420048/Khai-truong-cap-cua-khau-quoc-te-Binh-Hiep---Pray-Vo.html

 

今週、はじめてこの国境ゲートまで行って来ました。地図を見るとスバイリエンの町から南下すれば直ぐに着くような場所と思われ、もしバイクで通過できればモックホアの町で一泊するつもりで出掛けました。

カンボジア南部、スヴァイリエンやタケオなどと同様に湿地や田圃が広がる風景です。国境近くとは言え、それでもベトナムの風景とは同じでなく、また他州とも異なった雰囲気を感じました。

            

ラオスで見て気付いたのですが、牛と鶏は共生関係にあるようで、地に伏した牛の背中に鶏が乗りダニか何かを食んでいるような光景を見ました。人が少しでも近づくと飛び立つサギも牛には近寄っていました。

            

 ラオスから戻って折角洗車したばかりなのにこの泥濘。バイクを止めて歩いて状況を確かめに行こうとすると、跨いだまま立てたサイドスタンドが土にめり込み倒れ掛けました。左足は地に着いているもののバイクは倒れ掛けて起こすことができず身動きできない状態に。5分ほどその態勢のまま過ごし、どうにもならないので「ソム・チュイ・ポーン」と農家の人の助けを呼ぶことに。確か「ヘルプ・ミー」の意味だったような。

裸足の男たちに助けられ、農家の庭を通らせてもらってどうにか窮地を逃れました。靴やズボンが泥に汚れることを覚悟で走り抜ければ良かっただけのことなのですが。

            

 暫くするとまた新たな難関が。鉄板の橋は幅があるので問題なさそうに見えましたが鉄板に上がる段差に「万が一」を恐れてしまいました。3台のバイクが水の流れるコンクリートの上を走り、この画像の女性は鉄板の上を通って行きました。迷った末に万が一の時のリスクが少なそうな水の上を行くことに。

 

国境ゲートの手前には4・5軒のカジノが並んでいました。ラスベガスやマカオのカジノ―見たことはありませんが―というのは華麗なイメージもあるわけですが、田圃の中や人の少ない工事現場近くのカジノというのはどうも卑俗で陰湿な印象が残ります。

カンボジアナンバーやべとナンバーを付けたバイクが国境を越えて走っていました。

しかし、ラオス国境のようにバイクの持ち出し書類は作って貰えず、バイクでのカンボジア出国はできたもののベトナムで入国手続きを済ませた後でベトナム税関が「バイクは駄目」とのこと。今更何を言うんだ糞ったれ税関、という気分でいる横を恐らくカジノへ行っていたベトナム人たちがパスポートも提示せずに次々と通り過ぎて行きました。


世界一のコーヒー輸出国

2012-10-26 00:03:25 | 農業・食品

NHKワールドプレミアムの「ワールドWave トゥナイト」は鬱陶しくないニュース番組なので最近しばしば観るようになりました。昨日は、この番組の中でベトナムのコーヒー輸出が今年上半期にブラジルを抜いて世界一となったことが取り上げられていました。

今年ベトナム中部高原のコーヒー栽培地帯の不況ニュースを目にして来ただけに、この明るい報道には違和感がありました。その上、ベトナム・コーヒーのアラビカ種が多く輸出されているかのような取り上げ方は不信感を抱かせるものでした。コーヒー輸出の60 - 70%ほどは外国直接投資企業によるものであり、中小のベトナム企業は高金利政策の下で倒産が相次いでいます。

ベトナムのコーヒーが輸出世界一となったのは2011年のアラビカ種コーヒー価格の上昇が安いベトナムのロブスター種への消費需要の転換をもたらしたためであり、ベトナムのアラビア種輸出は昨年5万トンでしかなく、160万トンの輸出中3%を占めるに過ぎません。

したがって、ベトナムでの「コーヒー輸出世界一」の報道は昨日のNHKの報道とは異なるものでした。

http://giacaphe.com/32140/viet-nam-tro-thanh-nuoc-xuat-khau-ca-phe-so-mot-the-gioi/

7月末までにベトナムは120万トンのコーヒー、金額で25億ドルを輸出し、昨年同時期比数量で31.6%増、金額で25.4%増となり、世界最大のコーヒー輸出国となった。

ベトナム・コーヒー・カカオ協会(VICOFA)によると世界経済の衰退によって各コーヒー加工工場と世界の消費者はロブスター種への転換を図った。これはロブスター種生産世界一であるベトナムのコーヒーに有利となった。

一方、ブラジルやコロンビアなどのコーヒー生産国は天候不順と消極的なコーヒー生産の影響に直面している。

年初7ヶ月のロブスター種コーヒーのベトナムと他国との価格差は250 - 300ドル/トンから、わずか30 - 50ドル/トンへと狭まった。

農業・農村開発省(MARD)によると、ベトナムのコーヒー生産は1996年から今日まで強力に発展し、ベトナム第二の農産輸出品に成長した。

ベトナムのコーヒーは世界80以上の国と地域に輸出されており、コーヒー輸出の量的な優位性を持ち、他の輸出国より低価格である。現在、ベトナムのコーヒー価格は38,000ドン/kg(19USD)から43,500ドン/kg(20USD強)である。

ベトナム・コーヒー・カカオ協会(VICOFA)の資料によれば、過去3年間アラビカ種の輸出が増加し、2009年の24,000トンから2011年には50,000トンに達した。輸出価格も2009年の2,313ドル/トンから2011年には4,261ドル/トンへと約倍増している。ロブスター種とアラビカ種の輸出価格差は益々拡大し、2011年にはロブスター種2,099ドル/トンに対しアラビカ種は4,261ドル/トンとなった。

ベトナム農業・農村開発省は、2020年に4万ヘクタールのアラビカ種コーヒー栽培の目標を掲げている。VICOFAによればベトナムでは現在12万ヘクタール以上のコーヒー栽培地が不毛化しており、多くの農場が植え換えのため生産量は15%減少するだろうとしている。

ベトナムの「コーヒー増産の2020年までの計画と2030年までの展望」では、2020年までコーヒー栽培総面積50万ヘクタールを維持し、生産量をヘクタール当り2.4トン。2030年に47.9万ヘクタール、2.5トン/ヘクタールとしている。2011年末にはコーヒー栽培面積は57.1万ヘクタール、年間12万 - 13万トンの処理能力。

現在、国内のコーヒー生産企業と輸出企業は輸出商品の多様化を急いでおり、同時に国内消費需要に応えようとしている。コーヒー生産者にとって最大の困難は低利率の融資をどのように得られるのかということにある。

世界市場においてベトナムのコーヒー加工製品は、各途上国の市場参入によって少なからず困難に直面しており、したがってベトナムは主要にコーヒー豆の低価格での輸出となっている。


クラチェからプレイベン

2012-10-25 00:03:15 | 旅行

19日金曜日の朝、クラチェのOudom Sambath ホテルをチェックアウトし、と言ってもチェックインの際に料金7ドルは払ったので鍵を返しただけ。ラオスでもベトナムと違ってホテルにパスポートを預けるということはありませんでした。宿泊料を後払いしたパクセホテルではパスポートの提示を求められ、コピーを撮りその場で返却してました。

               

外国人観光客が入るような店で朝食を取ると、壁にイラワジイルカのポスターがありました。ラオス側のメコン河でもイルカが見られるとのことですが、今回イルカ見物をパスしたのは、高倍率ズームのカメラを持ってないから。このポスターのような写真を撮りたいものです。

 

河沿いの地方政府機関と寺にシハヌーク前国王の遺影が飾られていました。数日前に日本からのメールで「シアヌーク殿下が亡くなられた」ことを知りました。たぶん日本でカンボジア報道が一番多く目にした頃は「シアヌーク殿下」と呼ばれていた時代だったわけで、「前国王の逝去」より「シアヌーク殿下」という言葉の方が多くの記憶を呼び覚ますものがありました。 

               

道路沿いの農家にも半旗が掲げられていました。

 

グーグルアースによるとメコン河沿いの308号線。ラオスでは稲刈りの季節でしたが、この湿地では田植えが行われてました。

              

73号線に分岐して直ぐに急にバイクの数が多くなり、高校生の下校時のようで雰囲気が一変しました。クラチェの町からは遠く離れ、コンポンチャム州との州境近くの農村地帯なのにバイクだけ都会的でお金持ちの雰囲気。

 

由緒あるLYCEEのようで、「セラヴェティ キアット チョン高等学校」と日本語を含め7ヵ国語で校名が刻まれていました。

メコン河沿いの町は右岸に位置するものが多く、クラチェのみが左岸にあります。また国道7号が何故コンポンチャムからクラチェの間を大きく迂回しているのかも不思議に思いますが、この位置にエリート校らしき高校が建てられた経緯も知りたいものです。1月にコンポンチャムで見たかつてポルポトが通ったと言われる「リセ・プレアハ・シーハヌーク」よりも立派な印象です。

 

喪章のリボンを胸に付けた生徒もいました。携帯を握りしめた指の爪には黒マジックインキの落書き風ネイルペインがありました。2年ほど前にはプノンペンで女子学生のミニスカートに反対する教職員組合のデモがあったそうです。高校生はロングスカート姿が多いようで、巻きスカートも。ラオスでは裾に柄が織られていましたが、ここでは無地。

              

ブレーキのない自転車に二人乗りしてました。座るとやっとペダルに足が届くかどうかという高さ。ラオスでは後輪に足を伸ばしてタイヤの上を踏みブレーキを掛けていた子供を見ました。泥除けがあるこの自転車ではそれも無理。

     

コンポンチャムに入った73号沿いのキャッサバ畑。

                       

SUONの町の食堂で昼食。子の髪飾りは毛を編んだものでした。店の人は皆フレンドリーで、国籍を聞かれたので日本人と答えると「女の子たちはパキスタン人じゃないかって・・」とのこと。確かに一週間でかなり日焼け顔にはなりましたが、パキスタン人と言われたのはこれが初めて。

コンポンチャムの町の手前で11号に折れ、プレイベンに向かいました。プレイベン経由で国道1号に出てプノンペンに戻っても7号をそのまま走って帰るのと距離は大して変わらないようです。プレイベンの雨期の風景を見たいと思いました。

            

湖畔の売店で休みました。前回ここに来たのは2010年の1月だったかと思います。初めはメコン河と間違えました。今はさすがに水面積はさらに大きくなっていました。

              

走り続けると幾つもの湖、というか池なのか川なのかわからない水面が見えました。

 

水辺の集落でバイクを止め水面近くに降りてみました。子供たちがベトナム語で話していました。トンレサップで水上生活を送るベトナム人も少なくないと聞きましたが、ここでもカンボジアの人々と混住しつつもベトナム語で生活しているようです。

この日の夕方、無事プノンペンに着きました。走行距離は往復2,020kmほど。ガソリン代は約60ドル。自転車だと1日200km計算で10日間掛かることになり、その差僅か3日ばかりでしかありません。そう考えると疲れが消えてしまいました。


VEUN KHAMの国境ゲート

2012-10-24 00:23:16 | 旅行

ラオスの13号線を南下すると「VEUNKHAM」までの距離標識が道路脇に見えます。たぶんそれが国境ゲートのある地だろうと思いましたが、バイクを走らせながらだとこのアルファベットのスペルをわが衰えた脳細胞は認識できず、読んでる途中で標識が視界から消えてしまいます。Veun Khamと分けてみてやっとどうにか分かったようなつもりに。

 

ラオス側の国境ゲートの名がVeun Khamかと思いましたが、国境税関の表示は「Nongnokkhan」とこれまた読みにくい名前になっていました。ラオス側でも立派な国境チェックポイントの建物建設が進んでいますが、まだ実際の窓口は古い建物で。最初にバイクの持ち込み書類を返却してから出国手続き。再び2ドル請求されました。

 

カンボジア側では相変わらずお盆休みを引きずってかトランプ博打に皆さん夢中でゲートハウスには誰も居ません。係官を呼びに事務所へ行き再びゲートハウスに戻って入国手続き。スタンプを貰うのに5ドル要求され、「あれー、ベトナムとのボーダーでは只なのに何故」?と聞くと「わかったわかった2ドルで良いよ」とのこと。しかし財布の中には5ドル札しかなく、しぶしぶ差し出すと「小銭はないよ」。「リエルで良いから12,000リエル返して頂戴」と頼んだのですが「持ってない」の一点張り。たぶん運悪くトランプ博打で負けた係官に当たってしまったのかも、と諦めました。

            

建設中のカンボジア側の出入国事務所。昨年5月から大して工事は進んでいない様子。

国境からクラチェまでは200km強。クラチェに着くのは7時近くになってしまう計算です。夜道は走りたくないものの次の日のことを考えるとやはりクラチェで泊まることにしました。しかし、わかっていたこととは言え、国道7号の舗装状態が悪いため思いの他時間が掛かってしまい、日が暮れてしまいました。すると益々スピード落とさねばならず、7時を過ぎてもクラチェの町から程遠い地点でした。わがAX-1の最大の問題はライトがやたら暗いことで、30km/h程度で走らないと穴を避け切れません。結局クラチェの町に着いた時は8時を過ぎてました。2回ほど泊まったことのあるHOTELでエアコン無しの部屋に7ドルで一泊しました。


Xe Pian 自然保護区

2012-10-23 18:46:44 | 旅行

カンボジアへ戻る途中の13号線で、Thang Bengの交差点で休憩し、このまま帰るのがちょっと惜しくなって、東に向かう道に折れてみました。

 

地図を見るとボロベン高原の南側を走りAttapuへと通じる道路です。グーグルアースでは18号と記されていますが、標識では116号となっていました。

 

「生物多様性のイニシエイトに世界的重要性のある自然保護区」に足を踏み入れたようです。Xe PianがここラオスでDong Hua Saoはベトナム語のようです。地図を見るとその間にカンボジア、ラタナキリ州のViracheay National Parkがあります。3つの国を貫く自然保護区ということに。

             

さらに直進するとKINGFISHER ECOLODGEの看板があったので、右折して見に行きました。

 

地元の人々の集落の近い場所でしたが、湿原にサギが舞う姿はECOを感じさせるものでした。一泊料金は2,700円ほどだそうです。詳しくはウェブサイトを見てくださいとのこと。

http://www.kingfisherecolodge.com/

 

池には蝶が舞っていました。画像に収めようとカメラを構えましたが、4倍ズームでは無理、というか反射神経が付いて行きませんでした。

 

最初にカメラを手にしたのは昭和30年代のフジペット。それでも昆虫を写したことはなく、このラオスのイナゴ(?)がたぶん初めてです。

 

116号を暫く東進すると泥濘道が見えたので諦めて引き返しました。登る時は気楽だったこの溝のある坂を下る際に溝にタイヤを取られ、焦って後輪ブレーキを踏んでしまったためロックされたタイヤが横を向き、右側の藪に突っ込んでしまいました。転倒はしなかったものの前輪が藪の溝に落ち汗まみれで引き上げていると通り掛かったオバサンが引くのを手伝ってくれてどうにか無事脱出。お礼の単語も覚えずにラオスに来たことを悔みました。

 

13号線に戻り、昼食は肉とドクダミ入りのインスタントラーメン。店にカエルを売りに来たお婆さんがいました。


フェリーでワット・プーへ

2012-10-21 23:06:47 | 旅行

メコン河右岸にある世界遺産のワット・プーへはパクセから13号線を南下し、フェリーで河を渡って行くことにしました。それしか方法がないと思い込んでいたためです。

             

このフェリー乗り場への分岐点は13号線を北上してパクセに向かっていた時に確認しておいたし、観光バスをはじめ観光客はこのルートでワット・プーに向かうのだと思っていました。

             

河岸に着いて唖然としました。乗用車やバスを何台も乗せられるフェリーが其処に待っているとの期待は裏切られました。小船2台の上に板を乗せただけのフェリーがバイクを乗せているだけです。岸辺は砂地で桟橋も小舟に板を乗せた簡易的なものです。安全性の概念が根本的に異なるようで、かなり怖い思いでした。

 

その上、料金も40,000KIP(400円)でカンボジアのネァクルン・フェリーの700リエル(14円)と比べるとかなりの高額。利用者が少ないのでそれも仕方ないとは思いますが、観光客料金ではないようで、地元の人も40,000KIP払っていたのには驚きました。

河を渡り土手を上がって少し進むと何と舗装された新しい道路があり、ガソリンスタンドには観光バスが止まり、観光客がマイクロバスに乗り換えていました。この道があるのならパクセで橋を渡って来るべきでした。高い料金を払って怖い思いをせずに済んだわけだし。

             

ワット・プーへの入場受付の建物は最近出来たもののようで明るく清潔感のあるものでした。プレハビヒアとは大違い。入場料45,000KIP、バイクの駐輪3,000KIP。

 

敷地はかなり広く、たぶん10ha以上なのですが、電動カートのサービスが利用できます。クメール遺跡の中で時代的にどういう意味を持つ遺跡なのか、後で調べてみたいと思いました。

 

遺跡の保存にはインド政府が支援しているようで、「INDIA-LAOS COOPERATION PROJECT」と看板に書かれています。

 

登れるところまで登ってみるつもりでしたが、「NO Climbing」の看板があったので諦めました。見たことのない花びらの形が「古代」から咲き続けているのか・・・などと感じさせてくれました。

 

カートに乗らず、貯水池の周りを歩いて戻ったので堪らぬ暑さでした。アイスコーヒーはミルクが多めでしたが予想以上に美味しかったです。このDao coffeeはカンボジアでも見たことがあります。ラオスコーヒーのブランドなのでしょうか?

メコン河右岸のこの周辺を探索してみるつもりもあったのですが、何故だかこの周辺は「禁煙」地区のようで、雑貨店などにも禁煙のシールが貼ってあり、長居をする気になれず、右岸の道路を直進してパクセの町に引き返しました。50kmほどだったかと。


パクセのサイドカー

2012-10-21 08:44:06 | 旅行

パクセの町では弾むような2ストロークエンジンの軽快な音が聞こえました。勿論ベトナムなどでも聞くことのある音ですが、ベトナムでは町の騒音に埋もれて騒音の一部でしかなかったように思います。ラオス第2の都市とは言え、何処となくベトナムのフエの町を思い出すような、と言うかもっと小さな 町です。やや時代から取り残されたような雰囲気に2ストロークエンジン音が馴染んでいました。バイク単体、即ち単車でも走っていましたが、多くはサイドカー付き。サイドカーには憧れと郷愁を感じるのですが、パクセのサイドカーはちょっと異質な雰囲気でした。

 

 殆どはスズキ、ヤマハ、カワサキの2ストエンジン車です。山が近く坂が多いため馬力がある2ストロークの方が好まれたのかも知れません。90年代の後半、ベトナムのサパへ行った時も当時ラオカイ駅の前に並んでいたバイクタクシーは2ストのソ連製ミンスクばかりでした。

小学生も大人も圧倒的多数の女性が巻きスカートを着用しているためサイドカーが普及したのでしょうか?

              

ヤマハの新しいスクーターなども多く走っていましたが、カンボジアで人気のタイ・ホンダ製のドリーム125は見ませんでした。地方の小さな町で販売されていたのは、KOLAOと言うメーカー製バイクや中国製のLIFAN。KOLAIはKOREA+LAOのようで、KORAO Huyndaiトラックもしばしば目撃しました。

 

ダイハツとの表示も見える3輪バス。本当にダイハツなのか?と疑って運転席を覗いたところ、計器パネルのガラスの中は数十年間の埃が積もった状態で50年前の製品である可能性は大ですが。

 

 プノンペンでも犬を乗せて走るバイクを見ることは少なくありませんでした。日本の道交法ではどうなんでしょう?ヘルメットの着用義務とか。自転車にこんな格好で乗ってる犬は今回初めて見ました。

              

日本の軽自動車はナンバープレートが黄色なのがちょと格好悪い、などと感じたこともありましたが、ラオスではレクサスもバイクと同じ黄色のナンバーでした。白のナンバーもあり、その違いは知りません。サイドカー付きバイクはサイドカーの方に白のナンバーが取り付けられ、バイクには付いていませんでした。

地方ではベトナムやカンボジアでもノンヘル走行が少なくありませんが、パクセの町でもノンヘルが主流でした。町の道路は東西に走る13号がメインでこれにメコン河が蛇行して交差してるため方向音痴の自分には分かり辛く、迷うこと度々。信号の消滅時は「赤」を意味するということを知らずに交差点を通過して交通警官に捕まりました。100,000KIP(1000円)払えと紙に書かれたものの小遣い稼ぎのようなので20,000KIP札を差し出すと相手にされず、50,000KIPで手を打ちました。


ボロベン(Boloven)高原

2012-10-20 21:32:58 | 旅行

地図を見るとラオス南部には、チャムパサック、アタプー、セコーン、サーラバンの4つの県があり、その4つの県を跨ぐ形でBolovens Plateauと記載されています。アタプーの町からセコンの町までは川に沿って北上する道路が走り、グーグルマプでは11号線と記してあります。

この道をそのまま走れば16号線に変わりパクセに至ることになり、以前ベトナムからのバスが通った道路でもあり、この日、コンツムに向かうマイリンのミニバスともすれ違いました。

 

稲刈りをしている田圃に降りてみました。女性4人でのんびと作業していました。若い女性二人は口に丸めた葉を煙草のように吸いながら。

 

道路沿いで野菜や魚などを売っていた子供たち。黄色の死んだ鳥を吊るしていました。

   

11号線の橋、Mun Houamuang付近。

 

昼食にフォーを食べたところキャベツも付いていました。何でキャベツが・・・との疑問はその後で思い当たりました。この家で飼われていた豚か猪。ちょっと凄味のある目つきで睨まれました。

 

セコーンの町はアタプーよりかなり小さく、それでもこの小学校はかなり大きなものでした。アタプー県は人口11万人、セコーン県は8万人ほどのようです。

セコーンの町を過ぎると道路は16号線となって西に向かいます。

 

池で小魚を獲っていた青年たち。今風のヘアースタイルだったので「ベッカム」?と聞くと、こっちはルーニー、ロナウド、ロナウジーニョだ、とのこと。カンボジアよりサッカー人気が高いようです。

 

水浴帰りのようでした。近くの池では男の子たちが泳いでました。

 

セコーンの町から1時間ほど走った場所で標高は200mほどになっていました。

 

さらに30分ほどで標高は600mを超えていました。午後からの授業に向かう生徒たち。身長差があるのは小中併設校なのかも知れません。

 

Thatengの三叉路。標高890m。北上すれば20号線でサーラバン県、左折して南下するとパクソンです。南下と言ってもパークソン付近は標高1,300mほどなので緩やかな登り坂。三叉路には市場があり、「宝くじ」らしきものを売る机が並んでいました。十二支みたいな絵が描いてあり、自分で何かを選んで買うようなのですがそのシステムはさっぱり分かりませんでした。この宝くじ売りの机はパクセの町でも夕方になると数多く目にしました。高原では日傘は何よりの生活必需品なのか雑貨店の一番前に飾られていました。

 

キャベツの集荷作業

 

日が傾くと気温が低くなりました。池が見えたので、草むらに降りました。バイクに乗り続けた後で柔らかい草の上を歩くのは気持ちよく、靴の泥も落ちました。見たことのない形の木がありました。根本はヤシ科のような気もしますが、枝はヤシとは思えません。

 

パクソンの町に着き、COFFEEの看板を見て暖かいコーヒーが飲みたくなってバイクを止めました。欧米人が二人座ってましたが、一人が店の主人でした。客に「日本人」かと聞かれ、この更に日焼けした顔が何でそうとわかるのか不思議に思ったところ、三重県の鈴鹿に3年暮していたそうです。何が日本人ぽかったのか自分ではわかりませんが。味は余り期待してなかったところ、小さなカップに注がれた濃いコーヒーは美味しくてびっくり。近くで獲れるアラビカ種の豆をこの鍋で自分でローストしているそうです。スターバックス・コーヒーより遙かに美味しく値段は一杯10,000KIP(100円)でした。

パークソンからパクセまではほぼ直線の下り坂で約50km。走り続けるとここからは空気が徐々に暖かくなって来ました。


ラオスのバッタとトカゲと花

2012-10-19 22:24:23 | 旅行

昨日はラオスからカンボジアとの国境を越え、日が暮れてしまったのでクラチェに一泊し、きょうの夕方プノンペンに戻りました。画像はたまたまガソリンタンクの給油口の上に止まっていたバッタ。

湿地に群生していました。場所は北緯14度5分13.5秒、東経105度52分11.7秒とGPSデータにあるのでコーン島に渡るフェリーを探してる途中の風景です。

116号道路の脇に咲いていた花

ワットプーで見たトカゲ。ベトナムでも見掛けたことのあるトカゲですが、膨らませた顎の色がベトナムで見たものはオレンジ色だったような。

カンボジアのケップで見たスイレンは赤い花だったので、この白い色は印象的でした。ここでも水連より蓮を多く見ましたが、蓮はこの時期枯れかかったものが多く、カンボジアのものと変わらない印象でした。


パクセからアタプー

2012-10-17 23:25:24 | 旅行

パクセで一泊し、朝8時過ぎにチェックアウトして銀行へ。新市場近くのACLEDA銀行のATMでは昨日と同じで引き出すことができず、店内に入って尋ねてみました。
「カードがVISA扱いのためにラオスのACLEDAでは使えません」。VISAの付いてないキャッシュカードであれば使用できるのだけど、との説明には理解できないものが残りましたが食い下がってどうにかなるものでもなさそうです。

このVISAデビットはカンボジア国内のみ、と説明を受けているので尚更不可解。諦めてベトナムの銀行カードのVISA扱いで引き出すことにしました。4%手数料を覚悟して。カンボジアのACLEDAカード引出しの際は、リエルでもUSドルでも可能ですが、ラオスは当然ながらKIPのみなので100万KIP(125US)引き出しました。

          

現金の次に必要なのは3Gのシムカード。言葉が通じない上に方向音痴を自覚しているので見知らぬ土地ではグーグル・アースに頼るため必須アイテムです。

ガソリンを入れ、さあ走るぞ、と気合いが入った直後に白バイに停止させられ出鼻を挫かれました。書類の提示を求められただけで、免許証やパスポートの提示は要求もされませんでした。
30分も走ると気温が下がったようでかなり寒くなりました。ジャンバーを取り出して着ようとバイクを止めると、日差しが強くて頭部は照りつける暑さでした。「800m先に滝」の看板を見たので左折して立ち寄りました。ホテルやコーヒーの木もあるリゾート施設になっているところでした。その後も滝の看板は幾つも見ましたが、コーンパペンの滝を見ればればもう十分という気分。

                    

PAKSONGの町でUNITELの店を見つけたので立ち寄りました。携帯で3Gを使いたいと言ってみましたが、何やら微妙な雰囲気。携帯は電源を切っておかなかったのバッテリー切れでコンセントに繋いで設定して貰いました。しかし、Mobile networkは「Disconnected」状態のまま。SIMカード10万KIP、チャージ10万KIPで計200円が無駄になってしまいますが、仕方ありません。音声通話は出来るからまぁ良いか、と諦めました。

          

PAKSONGの町を抜けると道路はSEKONG方向とATTAPU方向に分岐しています。目指すアタプーは直進とかすかに読み取れるので直進しました。どちらも舗装路のことだし。

道路に行先の表示石柱がないのが気になっていましたが、舗装路はいつの間にか終わり、土や砂利の道に変わっていました。

                    

コーヒープランテーションもあるこの地域がBOLOVEN高原ということのようです。

          

12時頃に食堂を見付けたのでバイクを止めて店に入ったのですが、その途端に食べる気が失せてしまい、問いかける言葉も知らないのでそのまま店を出てしまいました。道にコーヒーを干してところを見ると小規模なコーヒー栽培農家も少なくないようです。

分岐点があり、直進の道路には「Not Entry」の看板があったので右方向に進みました。コンパスを確認すると南へ進んでいました。手持ちの50万分の1地図では東に直進なのですが。すると道路は山の中を進むことになり、するともう曲がりくねるばかりなので進行方向は確認できません。

次第に険しい個所が増え、時折前方から来る四駆車とすれ違いました。少なくてもバスが通れる道でないことは明らかで、道を間違えたことに気付いたものの再び山道を登るのも面倒。それでも送電線が引かれているので何れは何処かの幹線道路に出る筈と思うことにしました。3年前にベトナムのコンツムからバスで来た時に見た風景とはかなり異なるものでした。

                    

山の中腹から湧き出る水が道の傾斜に流れ出ているのが一番恐怖でした。12年前フエの山を越えた時と同じような雰囲気(今はすっかり舗装されています)。何れはこの道もバスが通れるようになるのでしょうけど、今は石がゴロゴロしてたり泥濘んでたり。に足をついて靴はすっかり泥だらけ。

          

傾斜がなだらかになり、民家が見え始めると少し安心しました。しかしライフルを持った人間とすれ違った時は息を飲む思いでした。2度目はバイクの後部座席に座った子供でしたが。軍事用のライフルではないようですが、空気銃でもない様子。

遂に舗装路にでることが出来、アタプーまで50kmとの表示が見えました。3時前にはアタプー県の県都アタプーに着く筈。安心した途端に今度は眠気に耐えねばならないことに。ちょっとコーヒー飲んで休む、などという店もなく、草むらで身体を横たえたい欲求が起きるものの牛の糞が背中にベットリの妄想も。

                    

幹線道路に出ると水力発電所がありました。グーグル・アースで確認するとこの付近の標高900mのところに湖がありますした。道路は標高100m程度のところを走っています。

アタプーの町にはまったく見覚えがありませんでした。ベトナムの田舎の行政都市と同じで目に入るのは地方官庁の建物と銀行程度。碁盤の目のように道路は造られ、街灯も取り付けられているのに人々の生活が感じられない町です。バイクの修理店などはベトナム語の表記もあるのでベトナム人も少なくはない様子。

          

少々料金が高くてもゆったり出来るホテルでWifi繋いで道路の確認をしたい、との思いは無理だと諦め、最初に見つけた看板のホテルに泊まることにしました。一泊80,000KIP(800円)でWifiなしのエアコン付き。夜中には蚊が耳元にやって来て二度起こされてしまいました。