GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

VN-Index急伸

2007-09-30 20:23:40 | 工業団地
昨夜も散々降った雨が、きょうも昼からダラダラと降り続いています。気温も28度を下回り扇風機も必要ありません。久しぶりに掃除をしてついでに扇風機の羽を取り外して洗いました。ウンザリするほどの埃がこびり付いてます。雨期ですらこれですから堪りません。鼻毛が伸びるのも当然。

このところベトナムの株価も伸びています。証券口座の開設手続きを申し込んだのが8月初旬。「外国人の場合、他社は一ヶ月以上掛かりますがウチは3週間で完了します」との説明を信じたわけではありませんが、手続き終了の連絡が来たのは1ヶ月以上過ぎてからのことでした。ウチは40名を超える分析スタッフが研究してますから大丈夫ですよ。絶対儲かる株を特別に秘密で教えてあげます。担当者は、この業界の胡散臭さと熱帯的楽天性を差し引いてもまだお釣の来るタイプ。日本語対応なのですが、意思疎通は簡単ではありません。意味不明な言葉が多いので、言葉を変えて聞き返すと、彼には僕の日本語が意味不明。彼に分り易い日本語表現が分りません。

郊外の工業団地で税関の手続きをしてる最中に電話があり、証券会社の女の子が誤発注してしまったので200株買って欲しいとのこと。何でそんなことを頼まれるのかとても不思議ですが、相手は頼んでいるという様子でもなく、「絶対お買い得の銘柄ですから」と儲け話として振って来ました。だったら前もって何で言わなかったの?訊き返すのも時間の無駄。口座に残高ないから無理と答えると、大丈夫です、確認しましたとの返事。そんなわけないけども・・・と思っていると「私が現金で払いますから」と意味不明の言葉が続きます。わけが分らないので翌日証券会社まで行くことにしました。

窓口でDさん居ますか?と訊くと、あっ○○さんですね、知ってますよ。昨日ITA買った人ですよねー。「じゃ君が100株の注文受けて300株買い注文出した人」?とは訊く気にもなれませんでした。無いはずの口座残高は前回出したBHS株の買い注文が成立してなかったためでした。しかも200株の話がステートメントを見ると300株になってます。何で300株になっているのかの説明もなく、上機嫌のDさんは、「いやー良い株を買い増したねー。感謝してくださいね。年末には絶対ダブルです。倍になってますよ。そしたら私に何割か払ってくださいね。エーと・・・」

週末のベトナム株はほぼ全面高。HCM証券市場への上場企業は110社を超え、ハノイ市場も80社を超える上場ラッシュです。値上がりを予想してたSTBとBBCは既に高くなり過ぎて買えません。訳もわからずに買わされたITAはThủ Đức区の方ににある工業団地の開発会社だとか。調べてみたら場所はまったく別方向。水産会社だと教えられた会社も不動産会社だったし、まったく頼りになることこの上ありません。やはりと言うべきでしょうか、ITA株は他の株が値上がりする中、翌日しっかり値を下げていました。

橋崩落、謝罪会見

2007-09-30 16:23:56 | 社会
「交通運輸大臣とTKN連合代表、被災者とベトナム人民に謝罪」
Bộ trưởng Bộ GTVT Hồ Nghĩa Dũng, đại diện Tập đoàn TKN xin lỗi người bị nạn, nhân dân Việt Nam

29日の記者会見には、共同、ロータス等の外国通信社も参加したとの記事だったので日本語で読めるかと思って共同通信のサイトを開いてみましたが見つかりません。

Không có chuyện nhà thầu Nhật bán thầu

建設省は、幾つかのベトナムの新聞社電子版で報道された-建設大臣が日本のTKN連合(大成・鹿島・新日鉄)のベトナム企業にへの契約「売却」を承認-というのはあり得ない話として否定(Tuổi Trẻ紙)。「Buổi(ザボン)を食べると乳がんになる」と同様の噂が記事になったようです。今回の事故の責任が大きな問題にされていることの反映なのでしょうけど。

受注工事の契約は3つから構成され、
1- ビンロン側道路部分5.4km:Thăng Long, Cienco 6, Cienco 8建設会社連合。
2- 橋主要部分とHậu川の渡河部分、全長2.75km:Taisei - Kajima - Nippon Steel (TKN) 連合
3- カントー側道路部分7.69km :Trung Quốc (CSCEC)建設会社

TKN連合は、この分野の建設工事で有名かつ経験豊富なスイスのVSL社と契約を結び、VSL社がベトナム人労働者をVĩnh Thịn社とThăng Long2社を通して雇用していたとのことです。

「交通運輸大臣:もし誤りがあれば辞職も考える」
BỘ TRƯỞNG BỘ GTVT HỒ NGHĨA DŨNG: Nếu làm sai, tôi sẽ xem xét việc từ chức!

ある記者の「通例では特別重大な事故が起きた場合、関係省庁のトップは辞職しなければならないようですが、今回多数の死傷者をもたらした事故の責任を取って辞職するつもりがあるのか?との質問に「事故原因はしかるべき法的な各機関によって調査解明される。その時個人なり部署なりの誤りが認められれば責任を取らねばならない。私自身については、カントー橋崩落事故の責任が私にあるとの調査結果が出れば辞職の可能性についても考える、と答えた。






秋の長雨

2007-09-29 00:32:05 | 仕事
昼から降りだした雨が延々と続いています。上がったと思えばまた降り出します。

カレンダーを見ると来週月曜日はもう10月。ということは今日が月末の金曜日。何でこうも早く月日が過ぎてしまうのでしょう。またまた一ヶ月間、何もせずに終わってしまいました。人の採用も失敗続き。取りあえず誰もいないよりはマシだろうと妥協しても一週間と我慢できません。

決して良い人がいないわけではなく、何人かは「これで安心」と思わせてくれました。が、必ず後から断りの電話が入ります。一人はご丁寧にも延々と辞退の理由を書き連ねた詫びの文章をメールで送ってきました。そんなものは一言で十分なわけですが、こういう時に限ってはベトナム式の誠意と礼儀を尽くすようです。一方で形式主義的な過剰な礼儀が建前としてありながら、実質的なところでは無礼千万。最初の一日、二日は過剰な挨拶をしてたのが三日もすると知らん顔に豹変。

今朝は朝、二人の面接がありました。前日に電話をした時からどうにも期待できない応対振りでした。一人は2年制のパソコン過程終了で就職経験なし。就職先がないので会計の教室に通い始めたばかりだとか。君が仕事が見つからないのはそういう専門性の問題ではなくて、そのヘナヘナした喋り方が仕事もきっちりできないように感じさせるからだよ。と思ってしまいました。

もう一人は「あなたのベトナム語は不自由だから・・・」などと電話で言われた相手です。それじゃ、日本語か英語で面接してやろうか、と思って受話器を置いたことは忘れてました。経歴は、サイゴンの短大を卒業後、ドンナイ省に帰って韓国企業の縫製工場の倉庫係り。生まれは北中部のタィンホア省で10歳まで暮らしたそうです。たった一度だけ訪れたタィンホア駅前の不愉快さを思い出させてくれる人柄でした。短大では「経営管理」を専攻と書いてありましたが、前職も希望職種も「倉庫」とあったので仕事の内容も作業内容に即して説明したところ。「そういう仕事にはマーケティングが必要です。商品の案内を郵便で出しても効果はありません。こんなもの送られてきてもちらっと見るか見ないかして捨てられてしまいます。良い(面白い)仕事ではありません」。

顔を見た時からこちらも一言も口を利きたくないタイプでしたが、それも自分の偏見かもしれないと思い直し、我慢して何とか一緒に仕事ができないものかと可能性を追求していたつもりでしたが、その努力の挙句がこのケチ付けです。日本で亜鉛部品製造の会社にいた時も納入先の受入れ検査担当の20才前の女の子に惨々な文句を聞かされたことがありました。しかしその時は怒られても仕方のない製品を納入していたので「口の利き方気を付けろよナー」と思いつつも立場上は甘んじるしかありませんでした。

とにかく理由にならないような理由をまくし立てることが好きな風土のようです。失敗すれば、「まだ慣れていないので、それに初めからちゃんと教えてくれませんでした」。分らないことは聞いてください、と言っても聞いてくるのは分り切ったことばかり。自分には向いてないので働きません、とは言わず、あなたの仕事の仕方が間違ってるので働きませんと言いたいようです。

先週から新しく二人働いてもらってますが、どうにもなりません。一人は履歴書ではフエ大学の情報処理卒の男子。一週間経ってもプログラムは一行も書けません。前任者の書いたプログラムソースを見ている振りだけで、目を離すと関係のない画像ファイルをあちこち開いて暇つぶし。毎日遅刻するくせに5時にはきっかり帰り、我慢できないのはトイレの便座に小便を振りかけたまま放置してくれることです。「トイレを汚したら自分で掃除してください」ってベトナム語でどう言うのかは知りません。多少言い回しには心当たりがありますが、それを口にするのも馬鹿馬鹿しく気力が失せます。


カントー橋

2007-09-27 01:48:36 | 交通
トンレサップ川と合流したメコン川はプノンペンで再び二つに別れてベトナム領内を流れます。サイゴンから見た呼び名なのでしょうか、手前の川がTiền Giang(前江)で後ろがHâu Giang(後江)という名です。したがってベトナムではこの二本の川がメコン川であり、どちらが本流か支流かという認識ではありません。中国では「江」は揚子江、「河」は黄河を意味する固有名詞だそうですが、この川を前江、後江と名付けたのはサイゴンの華僑だったのではないかと勝手に想像しています。

ティエンザンにはビンロンの手前に大きなミートゥァン橋が2000年に完成しました。映画「ラマン」に出てくるビンロンの渡しの代わりです。全長1.535,2 m。建設費の66%はオーストラリアの政府援助でした。そして、今回建設中に崩落したカントーはホウザンに架かる橋で全長はミートゥァン橋の倍近くあります。

ミートゥァン橋が完成した直後、知り合いのベトナム人が誇らしげにこの橋の完成を語っていました。長さが1.5kmもありベトナムで最長。日本で一番長い橋は何mあるのか?と訊かれましたが「多分もっと長い橋があると思うけど・・・」と多少戸惑いました。東京タワーの333mしか建造物の高さや長さの記憶がありません。高層ビルの高さや、新幹線やジェット機の速度が日本でも盛んに取上げられた時代もあったわけですが。

そういった意味では、このカントー橋の完成はメコンデルタ新時代の象徴になるはずでした。しかしこのような事故が起きてしまった以上、何処かに無理があったことは確かです。本当に必要な橋だったのでしょうか。完成すればカントー市とその先のメコンデルタ各省に行くのに30分以上時間が短縮されることになります。その30分が決定的な意味を持つとは思えません。

フェリーがなくなってしまえば、ラマンの主人公が華僑青年と出会うこともできません。ドンタップ省のサデックを訪れる観光客は多くはありませんが、以前日本語ガイドをしていたロアンさんが困っていました。「ラマンの映画を観てサデックに行きたいという日本人がいるけど、あそこに行っても何も見るものないし」。経済的な効率性は知りませんが、一度車を降りフェリーの上で過ごす時間は無意味なものは思えません。車の中からとはまったく違う風景を眺めることができます。フランス人少女や華僑のお金持ちだけでなく、鬱陶しい物売りや物乞いとの出会いもあります。橋を渡るようになればどんな物語が生まれるというのでしょう。

カントー橋建設中に崩落

2007-09-26 20:10:44 | 交通
 事業主体は大成建設、鹿島建設、新日本製鉄の日本企業3社。ホーチミン市の南西約170キロメートルに位置するカントー市とビンロン省を隔てていたメコン川支流(ハウ川)に約2700メートルの橋を新設するプロジェクトで、2008年12月の完成を目指していた。
 政府関係者によると、建設中の橋げたが支柱から外れて川に落下。事故当時、橋の上下に200人を超えるベトナム人の建設作業員がいたといい、今も現地の救急隊が生存者の救出を続けている。(日経ネット18:43)

トゥイ・チェ紙電子版によれば死者52名、負傷者97名が確認されたとのこと。VTV1のTVニュースのビデオクリップが貼り付けてあります。
http://www.tuoitre.com.vn/Tianyon/Index.aspx?ArticleID=221576&ChannelID=3
この映像を見ると先月中国での橋崩落同様の惨憺たるものです。

日経新聞のサイトで初めて知ったのですが、その時点では朝日も毎日にも報道されておらず、また「現時点で日本人の被害情報は無い」と書かれているのには複雑な思い。責任の所在は建設主体にあるわけでしょうから、日本のゼネコンの大失態で命を落としたのはベトナム人だけということになります。ベトナムで起きた事故であるとは言え、日本政府の開発援助であり、日本企業が請け負った工事であるわけですから報道の姿勢としては日本の問題として捉えられるべきものなのでは、と思うわけですが、きょうの東証市場ではこの3社共に株価を上げている始末。


中秋の雨

2007-09-26 02:58:34 | 天気
仕事帰りにH君の家に寄りました。「子供達が来てパーティーやってるから」とのことで、そんな鬱陶しいところに顔を出す気は起きませんが、親戚や近所の子供達ではなくH君のゲーム仲間だというので、ならばタダ飯にもありつけそうだしと思ったわけです。合羽を着て雨の中を走るとちょっと複雑な路地は昼間とは勝手が違い曲がる道を間違えてしまいました。それでも以前感じたほど複雑な迷路ではなく、道もだいぶ整備され、また周辺の家々も建て替えられて随分と立派になっています。ちょうど越生に引越して借家に住んでいた頃のサワダ君の家とその後の新築した家の違いみたいな変わりようです。しかし、古くて狭い家のほうが落ち着くように感じるのは何故でしょう。長年の貧乏生活というか子供の頃の生活環境によるものなのでしょうか。

何人かの顔は以前にも会ったことがありました。先日一緒に食事をしたH君の職場の同僚も来てました。暫くすると雨も上がり、屋上に出て芝生の上でくつろいでいるとき、提灯が飾られているのを見て、やっとのことできょうが中秋祭だからなのだと気付きました。空の雲は風に流されてだいぶ薄くなって来ましたが、月は見えません。集まった人々は月があってもなくてもどうでも良いようで、夜空を見上げる人はいませんでした。とにかく大勢で集まって食べるものを食べ、ワイワイガヤガヤ楽しく過ごすことに意義があるようです。

知らない人と共通する話題もないのにベトナム語で話をする気力はまったなくなってしまっている今日この頃です。日本語を多少話せるDUONG相手に無理やり日本語で話し続けました。サイゴンの大学を卒業し、タイとフランスにも留学経験があるのだとか。活発というか物怖じしないタイプです。80年生まれだそうで、「若い」?と訊くので、それが歳より若く見えるか、あるいは27歳という年齢が若いということなのか意味を計りかねましたが、仕方なく若いと答えると「そう、若いし可愛い」と実に朗らか。こちらもベトナムには「解放前に10年、解放後も10年。君が生まれる前には米軍とも戦ったんだ」などと嘘を並べ立てているので文句は言えません。仕事はマーケット・リサーチ会社から最近証券会社に転職したそうで、日本語は日本人の接客に必要なのだそうです。3年ほど前は数社しかなかった証券会社も今は50社ほどになっていて急成長する高賃金業種というところ。


8時を過ぎた頃から雲の間に月が見え始めました。時間と共に鮮明な姿を現し、9時にもなるとくっきりとした十五夜。日本の天気はどうだったのだろう、と思いつつ家に帰る途中、ガソリンスタンドに設置された月餅売り場を見ると半分は片付けられています。残る半分の店舗もショーケースの月餅はほんの僅かになっていました。DUONGさんに訊いてみても月餅は「あまり好きではない」とのこと。やや自信を深め、次なるテーマは月餅の新製品開発、と呟いてみた2007年の中秋祭でした。

月見団子と月餅

2007-09-25 01:53:28 | 
月見は団子とススキで、「中村屋の月餅」は十五夜とは無縁のものと思っていましたが、ベトナムに来て認識が変わりました。今や月見団子は遠い昔の微かな記憶でしかありません。今の日本では七夕も十五夜も保育園や幼稚園の行事でしか残らないのでは・・・などと考えているうちに、何となく子供の頃を思い出して郷愁に浸ってしまいます。しかし日本に帰ったところで団地の上に輝く満月を見ても情緒があるわけでもなく、同じ月を見てもご先祖様と同様の感慨を抱くことはできそうもありません。それでも月見そばや中村屋の月餅を食べることができるというのには憧れないでもありません。

これがヨーロッパやアメリカでの生活なら旧暦なども考えることなく、十五夜がいつなのかも知らずに過ごしてしまうのかも知れません。同じ東アジア文化圏にあるからこそ似て非なるものになお更敏感に反応してしまうような気もします。

こちらの新聞やTVでも福田自民党新総裁の誕生や安倍首相の会見が伝えられました。常々不思議に思うのは「Yasuo Fukuda」であり「Shinzo Abe」と書かれることです。たぶん世界中、ホーチミンはホーチミンで毛沢東は毛沢東、金正日は将軍様かもしれませんが、決してチー・ミン・ホーではなくツァー・トン・マオでもないわけです。因みに韓国の大統領はこちらの新聞では「Roh Moo-hyun」。

ベトナムでは苗字で呼ぶことはなく常にファーストネームで呼び合います。苗字の多くはグエンさんですから区別できないし。初めの頃は郷に入っては郷に従うべきと名前を呼び捨てにされるのにも抵抗はありませんでしたが、最近は「呼び捨てにされる謂れはないゼ」などと感じるようになってしまいました。それで予め名前を教える時は、「日本人は余程親しい場合以外は通常苗字で呼ぶから」と言うことにしています。名刺には漢字の名前の下にローマ字を付け、前が苗字で後ろが名前であると説明してます。

日本人二人でベトナム人二人に会った際、次に渡された日本人の名刺を見て「Toshiakiって呼べば良いのでね」と言われました。「今説明したばかりじゃない。それは名前。苗字で呼ぶんだってば・・・まったく人の言うこと聞いてないんだから」。ところが彼女、「前に書いてあるのが苗字だというので私、前を読みました」とのこと。もう一人の日本人の名刺はローマ字表記が名前・苗字の順に印刷されていました。気難しいことを言う上に名刺の書き方も人それぞれ。ベトナム人からすれば何とも付き合い難いのが日本人、というところです。


カップ麺

2007-09-24 04:43:45 | 天気
先週は昼となく夜となく雨が続きました。このところ新聞は交通渋滞を何度も取上げています。渋滞はこの雨も影響してのことかも知れません。雨が降ればバイクでの外出は減り、雨上がりと共に一斉に道路に繰り出します。サイゴンやハノイのバイク渋滞は10年前から既にかなりのものでした。それを思えば、この間の人口流入やバイクの保有台数の急激な増加にも拘わらず何とかなっていることの方が不思議なくらい。

九月に渋滞が酷くなるのは、やはり新学期のせいです。地方からホーチミン市の大学・短大に入学する学生に加え、不合格者もまたここに留まって来年の試験に備えて浪人生活。更に地方の学校を卒業してサイゴン周辺に職を求める人もかなりの数になります。地方の大学数は増加しても地方で就職口を見つけることができるのはほんの僅かだそうです。

学生の生活費が新聞に載っていました。学費を除いた月の必要額は120万ドン。一日4万ドン(2.5ドル)で家賃も含まれるわけですからサイゴンの物価ではかなり厳しい生活です。一食当り5~6千ドンで済まさねばならないわけですが、今や定食屋も7~9000ドンが相場となりつつあります。雨期のこの時期、雨で外に食べに出られない時の非常食はやはりインスタント・ラーメン。スーパーの陳列棚には各社各種の製品が並んでいます。

ちょうど日本から持って来て貰った乾麺も底を着いてしまったので、カップ麺を買ってみました。SPAGHETTIとの文字と写真に釣られました。VIFON社の「ROMA」140gで一個6400ドン。ベトナム製では高級カップ麺という価格です。もう一つはベトナム・エースコック社の焼きソバ(Mì Xào Thập Cẩm)85g4200ドン。made with Japanese Technologyとパッケージには印刷されてます。日本の価格と比べれば1/3以下かも知れませんが、所得水準からすれば安いとは言えないようです。

もっとも日本では原材料の値上がりで即席麺も値上がりだとか。ベトナム製品との価格差を考えれば製品価格に占める原材料費が差ほどとは思えません。日経のコラムに「食品値上げは本当に悪いこと?(土居丈朗)」という題名からして嫌味な文章がありました。顔写真はさらに不快感を増長させてくれます。が、本文も期待を裏切らず、チンピラに喧嘩を売られた気分になれます。

アメリカでは農産物価格の上昇で農地価格が値上がりしているとのこと。べトナム農民の所得増加に繋がらないのは何故でしょうか。

735 USD/ounce

2007-09-22 23:25:35 | 社会
金価格1オンス735ドルは、28年来の最高値だそうです。ということは1979年も金が高かったということのようです。2月のイラン革命に始まり中越戦争、英サッチャー政権成立、韓国全斗煥クーデター、ソ連アフガン侵攻と続く激動の国際情勢による金高騰だったのでしょうか。その当時も含めて日本で生活していて金価格を気にしたことはありませんでした。「金預金」でもしたことがあれば多少は興味を持ったかも知れませんが日本の貧乏人には縁のない世界。

7・8年前に一度ベトナムで「金」を買ったことがありました。中公新書『金(ゴールド)が語る20世紀』を読んだからだと思います。グラフを見て金価格が歴史的安値であることを知ったからだったか。日本に居ればスーパーの買い物のついでに金を買うなどということはないわけですが、ここでは至る所に金販売店があるわけで、特に市場の近くには必ず数軒並んでいます。「1chỉ」という一両(lượng)の1/10の単位が500千ドンを僅かに切る価格でした。1両=37.5グラムで明治時代の日本と同じです。江戸時代は一両=米一石(1000合、一人分の年間消費量)だったとのことですが、今のベトナムで500千ドン分の米を買えば約100kg~30kg。

今やベトナムの金1chỉ は、1,410千ドンと3倍近くになっています。1トロイオンス=31.1034768gですから1オンス735ドルになると、/31.1gで26.33ドル/g。1=3.75×26.33=98.7375ドル=1,599,547ドン(?)。計算が合いません。

1992年に脱税容疑で金丸信宅が家宅捜査され1千万相当の金の延べ棒が発見されたと聞きましたが、1993年からのクリントン米大統領在任期間中に金の国際価格は下がり続け99年から02年に掛けては300ドルを割っていました。各国政府が金備蓄を売却していたようです。米国の財政赤字が解消され国際経済が安泰と思われたからでしょうか。その意味では今回の金高騰はなによりもブッシュ政権の功績であることは間違いなさそう。以前、ホリさんから「あのチョロンの華僑は今でも金を何トンも持ってるんだぜ」と訊いたことがありました。当時はトラックでしか運べないような財産どうするんだよ、阿呆くさい。などと思ったわけですが、今となっては3倍以上の価値になったわけでさすが華僑、というところです。

4年ほど前、1chỉの金は食うに困って売ってしまいました。700千ドンを超えていたので200千ドンほどの儲け。ところがそれからの値上がりが激しく、900千ドン近くまで高騰したときのこと、金を買うと言っていたモモちゃんに「こんなに高い時に買うのは損だぜ」などと言ってたわけですから、つくづくわが情勢分析能力のなさを思い知らされます。過去にもどうせインフレが続くと思って35年のローンを組めばバブル崩壊。変動金利はリスクがあるからと思えば超低金利の継続。

最近サコムバンクの株を買ったH君。2割ほど上がったのでどうしたかと訊くと、「金がなくて上がる前に売ってしまった」とか。「オレ達にはそういうの向いてないんだよ。株で儲けたからって社会に貢献するわけじゃないんだし」。と言うのはやはり負け惜しみでしょうか。

「ベトナムで日本を考える」

2007-09-21 02:13:58 | 新聞・書籍
日銀総裁「世界経済の不確実性増大」との見出しを昨日何処かのサイトで見たことを思い出し、朝日新聞だったかと思って開いて見たところ、何と「経済」欄がありません。その代わりに「ビジネス」という欄があるわけですが、読みたい記事がなかった腹いせか「何を考えてるんだアサヒ・コム」という気分。ダイアル・アップで繋いでた頃は日本のニュースを読むのが新鮮でしたが、ADSLでじっくり読めるようになってからは、やたらとつまらない記事ばかり多いように感じてます。特に「文化・芸能」欄には「どこが文化なのか」と思うことしばしば。

国際欄-アジア-各国と開いて行っても東南アジアの国が出てこない毎日新聞のサイトにも腹が立ちます。日経は竹中平蔵のコラムがあるので不愉快だし。最近は読もうと思って開くと「会員登録が必要です」というが増え、「それならそうと先に言えよ・・・エロサイトじゃないんだから」と思ってしまいます。

「不確実性拡大」の記事は日経のサイトにありました。今までビジネス・コラムというのを読んだことがありませんでしたが、この「不確実性」の中身を知りたくて「時限爆弾化するアメリカ――サブプライムローン問題は世界不況の前触れ?」をつい読んでしまいました。箭内 昇氏、アローコンサルティング事務所代表という肩書きと顔写真を見ると、竹中平蔵ほどではないとしても間違いなく読む気は起きません。などという我がヒガミ根性にもかかわらず、文章は至って簡潔に問題点を整理してあって感心させられるものでした。

で、もう一度読み直して自分の頭で整理してみよう、という気にもさせてくれたわけですが、それをしないのが自分を自分たらしめているわけで、他にどんなことを言ってるのかと思って過去のコラムを探すと「ベトナムで日本を考える―官僚は今こそ天動説から脱却せよ」というのがありました。「時限爆弾」とか「天動説」とかの言葉には、ダサいタイトル、と思わずにおれませんが、本文はしっかりしてました。

「人間が子供から大人になり、企業が中小企業から大企業に成長すれば、おのずから心構えや果たすべき責任も異なる。国も成熟すればするほど高いレベルの使命やモラルが要求される。
 その意味で、自己保身のため組織的、合法的に税金を費消する日本の官僚たちは、農民をだまして農地を搾取するベトナムの役人よりはるかに罪は重い。」

執筆者は日本長期信用銀行出身の方だそうです。小説「アジアの隼」を思い出しました。長銀の経営破綻の渦中にいた方ですから銀行の株式上場が相次ぐ今日のベトナムの金融状況についても語って欲しかったところですが、その点については触れられていません。