GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

メコンとアマゾン

2008-06-30 00:26:44 | 仕事
400トン以上の生簀養殖魚突然死。

28日朝9時、カントー市トットノット町とトットノット県チュンキェン村で22世帯41生簀の養殖魚(ca chim trang,ca dieu hong)400トン以上が大量死しているのが発見され、損害額は約60憶ドン-とThanh Nien紙電子版で伝えられました。

メコン河やその支流に筏の生簀を浮かべての養殖のため当然ながら川に住む自然魚もその影響が及ぶわけですが、既に自然魚の死の方が先行していたようで、地元人々は工場廃液による汚染が原因と疑っているとのことです。

この「nuôi cá bè」と呼ばれる筏生簀による養殖は平均1haもある輸出用のTra魚などの池での養殖とくらべて規模が小さく、主に国内出荷用の魚です。cá điêu hồngは昼食に利用している定食店にも定番メニューにあり、200g弱の煮付け魚定食が1万7千ドン(約100円)。

先週訪れたアンザン省の水産協会の人の話では、今はこの魚も輸出されているそうです。四川省の地震被害によって中国の水産輸出が減った影響なのだとか。

一方、cá Tra,cá Basaの輸出用冷凍品を近所のスーパーでも多く見かけるようになりました。ハノイのロッテリアでフィッシュ・バーガーを注文し、聞いてみると魚はcá Basaを使っているとのこと。日本でフィッシュ・バーガーを食べた記憶はありませんが、多分同じようなものだと思います。

最近メコンデルタの魚養殖に幾分関わるようになったお陰で多少世界も広がったかのように感じているところでしたが、ネットでブラジルで養殖コンサルタントをしている日本人の記事を読み、広がったと思っていたことが如何に狭い世界であったのかを思い知らされました。

アマゾンに生息する世界でも最大級の古代魚、肉食魚「ピラクル」の養殖を試みているそうです。1億年以上も姿を変えずに生きている魚というだけでも驚愕してしまいますが、1年で10kgにも成長し、現地の人々は50kg以上にならないと食べない(それより小さいと美味しくない)とのことで、約1kgで出荷するメコンデルタの養殖魚とはスケールが違うようです。

http://www.100nen.com.br/ja/qq/000016/20030411000074.cfm


首都ハノイ拡張

2008-06-27 03:16:24 | 仕事
一泊でハノイに行って来ました。前回は1月で寒さに異が痛み、今回は予想通りの35度を超える蒸し暑さ。それでもハノイ市内だったので、バクザンやフートーへ行くことを思えば随分と気楽なものでした。

目的地はTran Duy Hung通りで、今まで立ち寄ったことのない場所。狭いハノイ市街故、地図を見れば大体の見当は付きました。高層ビルが建ち始めた開発地区で道路は国際競技場へ向かう50番のバスが走っていました。

道路を挟んだ向かい側には大きなホテルが建設中で、何処が一体「金融危機」なのだ?と思ってしまいましたが、泊まったのはADSLもエレベーターもないミニホテル。しかも朝食も付かずに一泊30ドルの6階(実質7階)の部屋。文句も言わずにこんなホテルに泊まってしまうとは今までの自分とは明らかに違うわけで、こんな風に振舞うのも仕事の中だから、と納得したつもりでもストレスが溜まるだけの様子。

5月末の国会で「ハノイ拡張決議」が採択されたニュースを思い出し、同行したベトナム人に「ハタイ省は何時消滅するんだっけ」?と何気なく聞いてみると、発音が悪かったのか怪訝な顔で暫く沈黙が続き、「あぁ、それは統合されるのだから消滅ではない」との答え。吸収合併されて名前が消えればそれは「消滅」と呼べるだろうと思ったわけで、「64省・都市が63に減るんだから減った1は数学的には消滅だぜ」と、無駄な一言を付け加えてしまいました。

一省当たりの人口は100万から200万人でここ10年の間に5省ほど増えています。ハノイ市は350万で人口だけみれば十分大きな都市と思えるわけで、何故広域化が必要なのかは穿った見解しか耳にしません。「日本の何処に住んでますか」?と聞かれて毎度「埼玉県」と答えるのは億劫で「東京」と言えば話は早く済むに違いないわけで、ハタイ省省民はこれからハノイ市民と名乗れる便利さを享受することになるわけですが。

昼食を近くのロッテリアで済まそうとドアを開けると日本語で呼び止められました。何故か行く先々で数少ない知り合いの日本人やベトナム人に会うことが多いのには驚きます。偶々出張でハノイに来たのだとか。そう言えば数年前に空港でも偶然会ったことがあり、それ以来です。

「いゃー大変ですよ」というのが日本人同士の再会の挨拶のようでもあり、また今は、実際に大変なんだろうと思わざるを得ません。が、ベトナム人同士がこういう風に再会した時はどうなんだろうか、と推測するに見栄の張り合い見え透いたお世辞の言い合いの方が圧倒的に高い比率のように感じてしまいます。虚飾を必要とする社会なのだろうか、とは度々感じることで、広域首都ハノイというのも虚栄心を満たすものであるのかも知れません。

ロンスエンの朝

2008-06-22 01:10:27 | 生活
あわよくば日帰りできるかも、と思って出掛けたメコンデルタですが、ロンスエンに2泊して来ました。とは言え、密度は低い仕事だったのでフェリーの上から写真を写したり、統計局に寄って2006年度のSTATISTICAL YEARBOOKを買ったりする余裕も十分。ホテルではケーブルTVが見られたので退屈もせず、早めに寝て今朝は町を散歩してみました。

アンザン省の省都 Long Xuyen は漢字表記すれば「龍川」。メコンデルタはベトナム語では「九龍川デルタ」ですから龍川とはメコン河の意味なのでしょうか?もっとも今の中国ではメコン河は「湄公河」との当て字が使われてます。因みに中国の四川省はベトナム語では「Tu Xuyen」。

先月買ったビンロン省の統計は2007年6月発行とあったので、6月も半ばを過ぎた今なら2007年度の統計が発行されているのでは、との期待もあったわけですが、聞いてみれば「8月にならないと2007年版は出ない」とのつれない返事でした。「なら半額にしてよ」と値切ろうかと一瞬思ったものの相手は統計局の男性公務員。無駄話をする気にもなれず渋々13万ドンを支払いました。これもまた一応2007年6月発行と印刷されています。その下には何と発行部数100部と記されていました。
100部しか印刷しないならこの値段も仕方ない、というべきか或いはこの値段でも赤字は間違いなさそう。在庫がどれだけ残っているかは知りませんが。

ページを捲っていると驚いたことに省内のGDPの内訳で第3次産業の数字が第1次産業を超えていました。メコンデルタの中でも特に生産性の高い米の産地であり、また内陸魚養殖が最も盛んな省です。省内の人口220万人中70%以上が農村人口だというのに。これは一体どういう意味なんだろうかと第3次産業の内訳を眺めてみましたが分かりません。

一人当たり省内GDPは2006年で年間953万ドン。当時の円レートで約7万円。月にすれば6000円に満たない金額。「肥沃なメコンデルタ」という言葉からかけ離れた数字です。統計に乗らない実態の数字が少なくないことは想像できますが、それを上乗せしても「本業」での稼ぎの少なさは変わるものではなさそうだし。

朝のコーヒーを飲んだ後、川沿いを歩くと牛か水牛の尻尾の皮を剥ぎ、並べて売っている姿がありました。その隣では何故かシートの上に骨が数本並べてありました。誰が買いに来て何に使うのかはまったく想像できません。

カラオケ事情

2008-06-17 23:24:19 | 生活
キャンセルしてくれ、と頼んでも聞き入れて貰えるわけでもなく、渡されたマイクを持ってモニター画面を見ました。年長の外国人の歌が多少は気になるのかお喋りも止んで注目が集まります。「アジノモト」と声が掛かり、力が抜けました。10年ほど前は屋台で焼きそばを注文する時も「化学調味料抜きで」などと言っていたわけですが、いつの間にかそんなことも忘れてしまっています。

最初の画面でハングルは表示されましたが、文字の色が変わらないので歌いそびれてしまいました。そして次からはそのハングルも表示されません。こうなればどう歌っても勝手とばかり適当に言葉を並び立てて声を張り上げました。が、言葉になったのは半分ぐらいで後はラララ・・・。

一番のみで早々に切り上げ、今回はここまでで勘弁願うことにしました。メロディーが流れても歌詞を思い出せないのは自分ではショックでした。実のところ、どんな内容の歌詞だったかもはじめから知らなかったようです。

調べてみると一番は恋人の別れ、二番が倒れる旅人。なるほど、こんな歌詞だったのか、と初めて納得し、しかし二番は何だか少々意味不明。ただ、「今日は倒れた旅人たちも生まれ変わって歩き出すよ」というフレーズだけは妙に心が揺さぶられます。

選曲の失敗を後悔し、他に歌える曲はないものかとベトナム語のリストを捲って探しました。日本語の歌にベトナム語の歌詞を付けて歌われてる歌謡曲も少なくはありません。五輪真弓、テレサテン、サザンの歌は数曲耳にしたことがあり、「神田川」もカラオケにあった筈。しかしべトナム語のタイトルを知りません。

ついでに中国語のリストも捲ってみました。「昴」はあるだろう、と思ったのですが、これも中国語で違うタイトルになっているのか見つかりません。歌手名で探しても見覚えがあるのは麗君と林憶連の名だけ。谷村新司はありませんでした。しかし曲名が題名の次数順に並んでいるのは便利。「昴」を探すのに何ページも捲る必要がありません。

家に帰ってPCをネットに繋ぐと、中国語になった日本の歌謡曲は簡単に探すことができました。昴は「我的心没有回程」。次回はこの7文字を探してみるつもりです。

時代

2008-06-16 01:54:35 | 生活
朝、スッキリと目が覚めたと思って時計を見ると驚きの午後1時過ぎ。夜中に激しく咳き込んで何度も起こされたからのようです。タバコを止めたカツトシさんが「気管支炎になっちゃってさー死ぬかと思った程だよ」と言っていた言葉を思い出し、「あぁこれで自分もタバコとの縁が切れる」と涙を流しながら考えてたわけですが、一夜明けたこの爽快感は何なのでしょう。躊躇なくVINATABAに手が伸びてしまいました。

土曜の晩に疲れを感じていたのは確かで、本も読まずシャワーも浴びず早々に寝たつもりでした。夜中に咳き込んだのは扇風機を回して寝てる最中に虫か何かが気管支に飛び込んできたのかも知れない。あるいは食事会の後にカラオケに行って歌ったせいかも。と空しい言い訳で自分を誤魔化してもう一本。

カラオケは3時間も付き合って2曲しか歌わなかった訳ですから、それが咳き込む理由とするには無理があります。
少々早くカラオケ店に着き、テーブルに置いてあった曲名リストにJAPANESEがあったので喜び勇んで4・5曲立て続けにリモコンのリザーブボタンを押しました。これじゃまったくベトナム人と変わらぬ厚かましさ。と気が引けないわけでもありませんが、総勢30名近くですから遠慮してれば歌えず仕舞いにもなりかねません。

しかし、何時まで経っても30000番台の日本の曲は現れず、リストはあっても機械が日本の曲に対応していないことが判明。たぶん他の部屋にはあるようですが。恨めしく外国曲のリストを捲ると韓国曲のなかにJIDAIという文字を見つけました。日本の曲には対応してなくても韓国、中国語の曲は大丈夫とわかり、とりあえずJIDAIを入れました。

それで何となく最悪の事態だけは免れたような気がしてましたが、順番が近づくにつれ、ハングルが読めるわけでもないし、まして日本語の歌詞を暗記してるわけでもないので不安になりました。どうせ誰も日本語が分からない訳だから適当に何とかなるだろう、と思ったのは間違いで、詩を思い出そうとしても最初の一行目のみで後はまったく思い出せません。

それでは適当な詩をでっち上げてメロディーに乗せれば良いだけだと手帳を開いて書き込もうとすると今度はメロディーが浮かびません。それでもまだ、曲が流れ出せば思い出すだろうとの楽観が残っていたのでキャンセルせずに番が回って来てしまいました。


水産品展示会

2008-06-15 23:21:35 | 農業・食品
12日からの3日間、ホーチミン市でベトナム国際水産展示会(Vietfish2008)が開催されたので、土曜日に見に行って来ました。130を超える会社・団体と170以上のブースとのことで、スペイン、イギリス、ノルウェー等海外からの参加もあるとのことでした。

多少は養殖魚の知識も身に付きつつあるこの頃、それゆえ疑問も増えてこういう機会に・・・などと期待もしていたわけですが、会場に向かった時間が遅かったので、二つ三つのブースを回っただけで携帯電話が鳴り、「今日は職場の懇親会」で食事に行くとのこと。後10分待ってくれ、と返事して集めたパンフレットは僅かばかりで以下の通り。
(水産飼料関係)
Cty CP Viet Phap PROCONCO
VIALIS VIETNAM
Ocialis
(水産加工輸出企業)
ANGIANG AFIEX COMPANY
AGRIMEXCO CAMAU
NHATRANS SEAFOODS
(他)
NITTO-FUJI INTERENATIONAL Vietnam
Cty Lien Doanh Bot Quoc Te INTERMIX
Cty Lien Doanh HINO MOTERS Vietnam

Binh Gia 通りの店に着くと、すでに食事会は半分ほど進んでいて胃袋はちょっと損した気分。食事の味付けに多少の違和感があっても今更ながらのことだし、ビールの乾杯を5分毎に繰り返す騒々しさを平気で無視する図々しさも身に付いてはいるわけですが、それでも何処か内臓を満足させる食事とは違うような気がしてます。

それでもちゃんこ鍋を食べ続けなければならない外国人力士と比べれば、まだ幸せだとは思います。すべての違和感を否定して歯を食いしばり、上り詰めれば腰痛だと言って故郷に帰りサッカーするのも無理からぬこと。それよりも、加藤ともひろ君は「自動車絶望工場」でどんな食事をしていたのでしょう。

奥田英朗の「最悪」で描かれていた落ちこぼれ銀行マンの食事風景も衝撃的でしたが何処かありそうな話だと思えました。食事に無頓着に生きて来た自分に語る資格はありませんが、楽しく食事を採れるかどうかに思いを馳せねばならない時代に日本社会はなってしまったような気がします。仲間と呼べる人々の存在を感じられない派遣労働者の工場の昼食風景は、おそらく月給1万円に満たないべトナムの縫製工場の女工さん達のそれよりも悲しく辛いものなのでは、と10年ほど前の工場での昼食風景を思い浮かべました。

などということが頭を過ぎり箸を休めていると隣の席のオバサンに「何をそんなにつまらなそうな顔をしてる」のかと問われる始末。「だってこの飯美味くないから」などと言えればわが人生も変わっていたのでしょうけど、財布から娘の七五三の写真などを取り出し皆様に披露してその場を取り繕いました。

文化の違いを痛感することはしばしばあれど、一番迷惑なのが、職場で僕に気があると公言して憚らない女性。幸か不幸か女性が20名を超える職場では必ず遭遇します。しかも毎回、俺にも選ぶ権利はあるだろうに、と思ってしまうタイプばかり。お陰でからかわれること以外得るものはないわけで辟易としているところでした。それへのささやかな反撃のつもりでもありました。

ボーバンキェット元首相死去

2008-06-14 00:05:19 | 天気
11日にシンガポールの病院で死去のニュースは日本メディアのサイトの方が早く、トゥイチェ紙のサイトに載ったのは昨日の夕方でした。
BBC NEWSの見出しでは、EX-Vietnamse PM VoVan Kiet dies
トゥイチェ紙朝刊では、Chu Sau Dan da ra di
とSau Danという「別名」が大きく記されていました。

ドイモイ政策が日本でも盛んに報道されるようになり、市場開放が進展し始めた時期の首相でしたので、その名前だけは強烈に記憶に残っていました。90年代のベトナム象徴としてなのか、ニュースは僕にとっても一抹の寂しさが過ぎりました。

1922年11月23日生まれ、享年86歳(ベトナムの数え方では)。本名Phan Van Hoa。Trung Hiep村、Vung Liem県、クーロン省(現ビンロン省)出身。1938年、16才で抗仏革命闘争に参加。1939年インドシナ共産党入党。1959年までメコンデルタでの闘争を指導し、1959以降サイゴンおよび南部の指導的地位にあったようです。
最初の妻と4人の子供を戦争で亡くしてるとのこと。

キェット元首相がそんな人柄であったのかはまったく知りません。シンガポールの病院で自身の一生をどのように振り返り、何を回想していたのかは知りたいものです。生まれ故郷のメコンデルタVung Liem県は今だ冷蔵庫の普及率8%。たぶん氏の少年時代と変わらぬ風景も多いのではないかと思います。日本の首相では故田中角栄と4歳違い。


19.2%

2008-06-13 02:14:08 | 生活
政府の預金金利制限が引き上げられ上限が年利19.2%となり、昨11日から各銀行の定期預金利率が引き上げられたとのこと。最も高いのはSeaBankの13ヶ月定期で制限目一杯の19.2%。VietcombankやAgribankは17%だそうです。

それでも物価上昇率には満たないわけですから驚くほどのことでもないのかも知れませんが、収入が物価にスライドするわけでもなく生活は厳しくなる一方。取り敢えず手持ちの現金を利率の良い銀行に預け替えて・・・などと心配できるお金持ちがどれだけ居るのでしょうか。

預け入り金利が上がれば貸し出し金利も上がるわけで、年21%になるのだそうです。銀行借入で商売できる利率ではありません。株式市場の崩壊で資本調達の道を閉ざされ、銀行からも借り入れできず、プロジェクトの中止が相次ぐ状況のようです。

日経新聞社のNBonlineに「ベトナム、凋落するか新興国の星」とのコラムがありました。が、こういう文章が出る頃には既に(一時的には)多少の均衡を取り戻したようで、ここ二日ほどはやや楽観的な雰囲気です。というのは僕の気分でしかありませんが。長らく続いた株価の下落もきょうは珍しく若干の上昇。メコンデルタの水産会社も養殖魚の買い入れを相次いで発表しました。

ここ3日ばかり雨が続く割には通勤時に降られないのはラッキーです。きょうはカレーでも作ろうと閉店間際の市場でじゃが芋4つ、人参2本と胡瓜1本、スレンダーな大根1本を買いました。ところがそれだけで何と1万5千ドン。自炊を始めた4・5年前はこんな値段で農家はやって行けるのかと心配するほどの安さでしたが、きょうは足元を見られた感じで予想額の2倍。

嫌味を言う気力も捨て台詞を吐いて立ち去るエネルギーもなく財布を開きました。そう言えばこのところキレて怒りを爆発させることがなくなりました。確実に溜まるべきものは溜まっているには違いないのに。発散できないストレスの代わりに湿疹が活発となり、それがまたストレスを増幅させているかのようなこの頃です。


再び「アジア通貨危機」・の本を読む

2008-06-09 22:54:58 | 生活
昨日の日曜日、引越し先を見つけるか荷物の整理を先にするか迷った挙句に面倒なのでどっちも手を付けず、それよりもこのベトナムの「金融危機」について考えてみようなどと柄にもないことを考え、10年前のアジア通貨危機に関係した本を取り出してみました。

買った当時も少しは目を通した本ですが、タイトルにある「危機と発展の構図」が理解できたというものとは程遠かったような。しかし、10年後の今日、ベトナムの現在の危機と何が同じで何が異なるのか、という切実な問題意識に支えられて読むならばまた違ったものを汲み取れるのでは・・・との期待も空しく、夥しく活字が並ぶ割には「なるほどそうなのか」と思える文章は見つけられません。

2時間ほど本を読むともう限界。昼の気温はもうそれだけで体力を消耗させてくれるし、食欲もありません。片付け始めた市場でパンと野菜を買って朝食のような昼飯を作り、食べ終わると昼寝。この昼寝が更に気力を奪い、買ったばかりのレモンを使ってアイス・レモンティを作るのが精一杯。読書を再開するのも億劫でネットで手っ取り早く要約された文章でもないかと検索していて秋葉原のニュースに釘付け。そうこうしてるうちに時間が過ぎてしまいました。

何故に日曜日はこうも怠惰を極めてしまうのでしょうか。冷蔵庫の中はほぼ空っぽ。明日の朝食べる林檎もありません。きょうの夕食を近所の定食屋で食べるよりは・・・と近くのスーパーに買い物に。滅多に行かない店なので売り場を探すのに手間取り、加工食品と果物を少々買っただけのつもりが19万ドンで予算超過。ニュージーランド産バター250g43,500ドンとドリアン34,000ドンを買ったのが失敗でした。

日本円に換算して、1,100円程度だし・・・などと考えてしまったのが間違い。日本円で所得を得てるわけではないのですから。時にベトナム通貨は「お金」というリアリティを希薄に感じてしまうことがあります。このインフレで益々その傾向が助長されてしまうのかも。

9日の日経記事に「アジア株・通貨が下落、インフレ加速懸念強まる」との見出しがありました。ベトナム株はもう十分過ぎる下落を続けてますから今更ながらですが、ベトナム通貨の下落が激しくなると問題は重大です。

170ドン/円

2008-06-08 02:28:26 | 農業・食品
今週もまたメコンデルタへ行って来ました。
途中で立ち寄ったACB銀行で外国為替レートの表示を見ると1円が170ドンを超えているのにビックリ。4月末に日本に帰る際に両替したときは160ドンを割ってましたから。しかし米ドルは16,280ドン。1ドルが100円を割らねばこういう数字にはならない筈と思いつつカナダドルや豪ドルの表示を見ると、これまた米ドルを超えています。

遂に米ドルが暴落したのか、であれば新聞にも載って大騒ぎで気付かぬ訳がありません。定期預金金利は銀行によってバラつきがありますが、月利1.25%、年利15%を超えるところも増えて来ました。サコムバンクでは2~6ヶ月定期が一番利率が高く7~12ヶ月はそれよりも低い設定になっています。不足してるのはベトナム・ドンばかりでなく米ドルものようで、米ドル預金も年利6.4%と高い数字になっています。

そういえば、自由市場での米ドルが値上がりしているという記事がありました。10年ほど前、アジア通貨危機の頃だったか、同じように銀行のドルレートと当時はブラックマーケットと呼ばれた巷の取引とでは10%ほどの差があり、この差額を利用して取引を繰り返せば・・・などと考えてみたことがありましたが。

顔見知りの両替店に電話を入れ確かめてみました。「今はドルはありません」との返事で、僕が誰であるかを確認すると「1ドル18,100ドン」で用意できるとの話。銀行に掲げられたドルレートはドルを売ることはできてもドル紙幣を買うことはできないレートなわけです。

ドルを低く据え置かねばならない政府のインフレ抑制の意図も分からないわけではありませんが、しかしドルを抑えたままであれば輸入の増大は促進されるばかり。その上、他の通貨に対しては急激なドン安になっているのに米ドルに対してだけドンを高く据え置いても混乱が増すばかりなのではないでしょうか。

このような無理をしてもこの物価高です。実勢価格にした場合更にインフレの昂進となることは明らかで、そのような調整が行われざるを得ない局面が訪れない保障はありません。

などと考えていると、今まで随分と自分が暢気に考えていたことに気付きました。株価は文字通りの止まるところを知らない下落を続けています。ベトナムへの投資が大きいマレーシア企業の株価がそのことを理由に下落しているとか。今年のベトナム経済は今までとは逆の意味で注目されてるようです。