GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

もっとしたたかに

2007-08-31 02:29:53 | 新聞・書籍
ここ二日ばかり小説を読んで夜更かしをしてしまい、今朝は家の前を通る廃品回収の声に慌てて飛び起きました。桐野夏生の小説を読むのはこれが初めてで、文庫本のカバーの写真を見て初めて女性だと知りました。「リアルワールド」との題名ですが、ベトナムの現実に沈殿している身には何処がリアルなんだよとの思いもしますが、ベトナムの現実ですら自分が感じてるところ以外に在って、自分が触れられずにいるだけだ、ということも考えてみるべきなのかも。

読み掛けの「毛沢東の私生活」はまだ上巻の途中なのですが、内容以上にそのワイドショー的タイトルが気に入りません。自分のことで手一杯、他人の私生活を気にする暇はないわけだし・・・それにやっぱ医者の書いた本は共感できない溝があるよなー・・・などと訳のわからぬことを呟いていたところだったので、「リアルワールド」を読み始めた時はかなり夢中になりました。が、初めの高揚は徐々に尻つぼみ。そして、何んだ、また最後は自殺で終わるのかよー、と不貞腐れ。

べトナムでは死刑判決を受けても妊娠している女性は執行されないそうで(日本はどうなのか知りません)、先日死刑判決後に収監先で妊娠した死刑囚がいました。看守が死刑囚の妹と仲良くなり、他の受刑者と死刑囚との数回に渡る妊娠作業を手伝ったのだとか。死刑囚の姉は美人(かどうかは知りませんが)のお陰で命拾い。日本と比べれば、死刑判決も執行も格段に多いベトナムのようです。交通事故や凶悪犯罪の多さは「命の軽さ」にため息が漏れるほどです。バイクの対人賠償保険も10万か20万円程度だし。

だけどそういう命の軽さだからこそ必死に生きようとするのかも知れません。日本は社会と人間の精神が複雑化することによって却って死が安易に選択されてしまっているような気がします。かつて日活映画の「もっとしなやかにもっとしたたかに」を観に行ったことがあります。ストーリーは忘れましたが。ベトナムの風土と社会が生み出した「したたか」と「しなやか」さを自分も見習うべきなのでしょうか。

16番目の月

2007-08-30 02:11:12 | 天気
昨夜は日本から月食が見られると知って、ベトナムから見ても少しは欠けるのだろうかと思っていたところに大雨。米も切らしてるので近所の皿飯屋に食べに行くつもりが外に出られず、一年も前に買ってそのまま残っていた長粒米を炊きました。水加減も炊き方も日本米と同じにしてガスレンジに掛けると吹きこぼれる水分の量はかなり大目です。炊き上がりもパサパサしてる分だけあって水を吸わないからのようです。外の店で長粒米を食べるのには何の抵抗もないのに、自分で炊いて食べる時には何故かガッカリするものがあります。

昨夜の雨は激しい雨音の割りには長続きせず、9時過ぎに外に出てみると薄い雲の向こうに満月が輝いていました。雲が流れ、くっきりした姿を凝視しても何処も欠けてません。月食は確かもっと早い時間だと書いてありました。前日が十五夜でしたからこの月は16番目の月の筈。夜空に輝く満月を見て何番目の月かを当てることは難しいと思うわけですが、新井由美の「14番目の月」では「次の夜から欠ける満月より14番目の月が・・・」などと歌われていました。で、この歌は月を見て作ったんじゃないなーという気がして来ます。

雨上がりの涼しい夜にのんびり散歩する人々の姿がありました。時折アクセルを吹かして騒音を撒き散らしながら住宅街を疾走する青少年のバイクも相変わらず通るわけですが、概ね誰もが昼間の暑さが大雨に打ち消され、そして雨も上がって怒りも憂鬱も過ぎ去ったかのような穏やかな気分でいるようでした。

読みかけの本を持ってコーヒーでも飲みたい気分なのに、本が読めるような明るさの店はないし、それにこのところ足の向くカフェもありません。可愛い女の子を揃えた店は7000~8000ドン。6000ドンの店は店員が少なかったり接客態度が悪かったり。ぶらぶら歩いて住宅街の5000ドンの店に座りました。客はカップルや中年ばかりで通りに面した店と雰囲気が少し違います。

一人で来てる客がいなかったせいか、少々太めでそれなりの年齢の店員が隣の椅子に座り話し掛けて来ました。嫌々ながらも適当に返事をしているうちに下手なベトナム語を見破られ何故か携帯電話に文字を表示させて質問して来ました。「韓国人それとも台湾人」?可愛い女の子にこうして話掛けられた時はそれなりの会話意欲も涌くのでしょうが、ただひたすら「早くあっちに行ってくれないかなー」と思うばかり。暗くてこちらの不愉快な表情も見えないせいか敵は益々エスカレートして来ます。歳は?仕事は?ベトナム人の奥さんは?ボソ、ボソと一単語で無愛想に答えると、今度はそれを周りの客に言い触らしています。晒し者にされた挙句に「ベトナム人の奥さんいないんなら私どう?9年前に夫を亡くしてるのよー」

5000ドンのコーヒーは他の店に劣る味ではありません。しかし二度とあの店に近寄るのは御免です。一人でコーヒーを飲む客が居なかったのも納得です。

盗伐

2007-08-29 02:22:55 | 社会
「面白いなー、公園の木を切り倒して盗む奴がいるんだって」と新聞を読みながらH君が言うので、「日本じゃ増え過ぎた杉の木を切る人間がいないらしいから日本に行って仕事したほうが良いんじゃないか・・・」「東京海上がベトナムで植林活動してるっていうから、俺たちはお返しに100人位集めて杉の木伐採・花粉症対策プロジェクトを派遣しようか」などと軽口を叩いていたのが「cây sưa」という言葉を知った始まりでした。

犬泥棒も日本では聞かない言葉ですが、木を泥棒するのは何と言うのか暫く思い出せず、密猟でもなく討伐でもなく「盗伐」だ、とわかったのは辞書を引いたからです。英語、ベトナム語だけではなく、日本語も単語数が減る一方の今日この頃。しかもこの盗伐なる言葉は今の日本では新聞・TVで滅多に見聞きすることもないように思えます。

今ベトナムで相次いでいる盗伐は、cây sưa(sưaの木?)という希少な木で、法律によって伐採が禁止されてるそうです。自分で植えて切ることはできるそうですが、植えるにも届出が必要だとか。どんな木なのか調べてみようとしましたが、ウィキペディアや辞書にはありませんでした。希少であるなら当然キロ単価も薪や犬肉より高いのだろう、程度にしか思っていなかったので新聞を読んでビックリ。

先日20トンも隠し持っていた木工所の親爺が逮捕され、何と現金価値は130億ドン(9400万円)だとか。キロ単価4700円ですから誘惑に駆られるのも無理からぬところ。夜中にこっそり忍び込んで木を切り、20キロも担いで帰れば9万4000円。cây sưaは、高級家具用の木材のみならずチップでも売れるそうですから枝でもOK。盗伐されたcây sưaの販売先は中国だそうで、この時期価格が高騰しているそうです。きょうの9万4000円を諦め、10年の収入を目指して今から木を植えてみたくもなりますが、果たして10年後の価格はどうでしょうか。

萬字醤油

2007-08-27 22:53:43 | 生活
日曜日、ミキサーを買いにスーパーのMETROへ行きました。前日にチラシを見ましたがこれと言って他に欲しいものもなく、また最近は「卸売りスーパー」と言うほどの安さとも思えません。今年はメジャーリーグのマリナーズが久々の好調なのでTVを買ってケープルTVを申し込もうかと思ったりもしてますが、昨日きょうは連敗。

朝方は涼しく、カフェで文芸春秋を読んでるときは一枚羽織ったぐらいでしたが、愚図愚図して昼近くになってしまと晴れ上がって出掛けるのが躊躇われる暑さ。それでもこれを夕方まで延ばせば、夕方は夕方で更に先延ばしになってしまうに違いなく、この時間帯の方が混雑も少ないだろうからとバイクを走らせました。サイゴン橋を渡るためヘルメットも着用。サイゴン川に身を投げた女性を救うためにこの橋から飛び込んだ学生の記事を思い出しました。水深はどの位なのだろう、と川を覗くと水はカフェオレ色。

日本の醤油もこのMETROで買えば多少は安かったという記憶があります。ところがシンガポール製キッコーマン醤油1Lが58,000ドン。安いベトナム米10kgの値段です。日本円換算で414円。何と言う贅沢品でしょうか。調べてみたら「ビックエー今月のお買い得品情報」では1.8Lで289円となってますから約2.6倍の値段。輸入税率が高いとしても高過ぎ。ニュージーランド産バターや米国産ピーナツバターなどは日本での価格以下です。

キッコーマン醤油は国内シェア30%、海外シェア50%で、アメリカにキッコーマン・インターナショナルを設立したのが50年前という歴史を持つグローバル企業だそうです。「亀甲萬」という文字もかつて見たことがあるようなないようなあやふやな記憶でしたが、スーパーマン、エイトマン、ウルトラマンに連なるものでないことは確か。「キッコーマンの子供、子供、子供、キッコーマンの子供キッコーマン○」などと歌った記憶はありません。

会計

2007-08-26 09:31:13 | 仕事
先週から知り合いに頼まれて一人雇いました。高卒で就職すれば良いものを中途半端な2年制の会計のtrung cấp(中級過程)などに行くものだから却って就職口がないようです。グイ・ラオ・ドン紙の求職欄でもよく見掛ける経歴です。昨日の新聞には食品工業短大(Trường CĐ Công nghiệp Thực phẩm TPHCM)が、9年間にわたり偽の履修書類(hồ sơ đào tạo giả,)を発行し続けていたことが取上げられてました。
CHUYỆN KHÓ TIN TRONG ĐÀO TẠO (信じ難い履修内容)
教育内容の杜撰さはそんな記事が出るまでもないとも思うのですが。

特に酷いのが「会計」を勉強したという新卒で、卒業証書があることで何かしらの技能を本人が身に付けていると錯覚しているから最悪です。それだけに会計の新卒は勘弁して貰いたいところでしたが、こちらは電話番も居ない状況ですから贅沢は言ってられません。またまたFAXの送受信や電話の応対、銀行送金の手続きやら付加価値税の申告等々を一から教えることになりました。自転車で片道45分掛けて通い、携帯電話も使ったことのない今時のサイゴンでは珍しいタイプの女の子です。

何しろ就職先がなかっただけのことはあって、同じことを何度も言わねばなりません。僕の下手糞なベトナム語を理解できるような勘の良さとは無縁ですから彼女も大変なのでしょうけど、こちらもだいぶ疲れて来ました。それでいて彼女も慣れるに従い手抜きを始めます。こちらは仕事の仕方を教えてるつもりでも相手は文句を付けられてるとしか受け止められない様子。不貞腐れて「知らない」と答えるので「それじゃぁ仕事にならないんだよ」「知らないのならそれまで(Không biết thì thôi)」と突き放してしまいました。

何度となく繰り返してきたパターンです。向こうから謝って来るわけないのに。彼女が出て行った後「再たやってしまった・・・」としばし呆然。月曜日から無断欠勤を続けたT君も前日「辞めます」と言いに来たばかり。また明日から一人でどうしよう。再び頭を抱えることになったわけですが、諦めるしかありません。それでいて身体が軽くなった気がして来ました。この解放感は何なのでしょう。

ところが、土曜日の朝事務所に着くと既にシャッターが開いてます。「あれっ」と驚くと彼女が出てきて「昨日はスイマセン、私が悪かったです」と、か細い声。これで気が軽くなったのか重くなったのかは微妙なところです。



降れば川

2007-08-24 17:53:40 | 天気
サイゴン川を海と勘違いした日本人もいましたが、豪雨の後のサイゴンの路地は至るところ川状態。きょうも昼飯に出かけようと傘を用意したもののあっという間に水嵩が増し出られなくなってしまいました。1時間ほどで雨も小降りになり水も引いてきたものの歩いてみると途中でまだ靴がずっぽり浸からずには進めない状態で引き返しかありません。こういう時はサンダル履きの方が便利。それでもゴミや犬の糞も流れる中を裸足で歩くべきか、靴の中がグジュグジュに濡れるのを我慢すべきかは迷います。先月貰った日本製の水虫の薬を塗り続けてやっと症状も治まったところなのに。

それでも今日は朝からバイクで出かけていたのでその間に降られなかったのは助かりました。印刷の発注も電話で済ますことが出来ず、会社まで行って納期の打ち合わせをして半額の前金を支払い、更に断裁の担当者へ再度の念押し。もう4・5年も続いてる仕事なのに気を抜くと使い物にならない印刷をしてくれます。日本に居る頃から印刷のトラブルの多さには腰の引けるものがありました。なるべくなら印刷には関わりたくないとの思いでしたが、何も印刷に限ったことではなく、何から何までトラブル続きのここではそんな思いも何処へやら。客先へは今月中と返事をしてしまったのに、印刷会社の返事は「連休明け」。建国記念日の9月2日が日曜に重なるので3日の月曜は振替休日で連休です。

「Arrival Notes」のFAXが届き、日本から送られて来たサンプル機器の引取り手続きのため空港近くの業者に向かいました。一番最初の輸入通関手続きは自分でやったところ丸一日潰れて懲り懲り。それ以後はプロに任せてストレスを減らそう、としてるわけですが委託しても面倒が差ほど減るわけでもありません。一方通行の道路規制が度々変わるように税関の対応もその都度どう変わるかは予測を超えます。今回は初めての機種のため輸入製品コードもわかりません。昨日は頼んだ業者から電話があり、インボイスに英文で書かれた製品名のベトナム語を知りたいとのこと。「何で日本人にベトナム語を訊くんだよー」とムっとしました。

チュン・ソン通りに面した事務所を訪れると道路の前方、空港近くに白バイと交通警官の姿が見えました。その前を通りたくはないけど中央分離帯があるので仕方ありません。見ていると3車線の真ん中車線を走るバイクを呼び止めています。が、交通警官2名ですから処理能力に限界があり、呼び止められるバイクは違反者の2割程度。違反をしたから捉まるというよりは運が悪く捉まるという感じです。思えばここ1年ほどは交通警官に捉まることもなく来ています。どうにか大体のチェックポイントを把握したということでもあるようです。或いは雨期のため降りそうになる前に白バイが引き上げてしまうからかも知れません。


海苔巻ランチ

2007-08-23 01:51:11 | 生活
アボカドを使った料理をメールで教えてもらったりしたので、このところアボカドを頻繁に食べるようになりました。1kg買うと3個ほどですから、一度買うと毎日半分ずつ位は食べないと傷んでしまいます。早く消費するにはジュースにするのが一番。サイゴン・コープでミキサーを買おうかと棚を見たところ、フィリップス製が550Kドンほどの値段で、中国製はその半額程度。その時の持ち合わせでは中国製しか買えません。昨年TCLの電気釜を買い、数ヶ月で壊れてしまったので中国製を再び買う気にもなれません。そう言えばフィリップスはマルクスの奥さんの伯父さんだかが創業者だったとか。それを理由にミキサーを選ぶ物好きもこの辺には居そうにないので、だったらその物好きに自分がなってやろうじゃないか、と思っただけで買わずに店を出てしまいました。

わさび醤油で食べるとアボカドはトロの味がすると聞き、「まさか」と試したところ一口目にはその通りトロの味がしてびっくり。ところがその一口目だけで二口目からもその次の時もトロの味はしません。ちょうど初めてタン・ソン・ニャット空港のタラップを降りる時に感じたヌクマムと海の匂いを含んだサイゴンの濃密な空気みたいなものです。初めのたった一度だけは強烈な刺激なのですが、二度目からは感じることがありません。

その話を日本人の友人にすると「いゃーそれは良く解るよ。俺もしょっちゅう経験してるから。隣に座った女性が凄く可愛く見えるだよ、最初の瞬間は。それが5分も経つともうあっちに行ってくれって感じになってるんだよねー」。否、味覚や臭覚とそれとは少し違うと思うんだけど・・・と言おうとしましたが、あまりに実感がこもった言葉だったので話の腰を折る気になれませんでした。

友人から貰ったばかりの海苔もあり、酢飯を炊いて手巻きのカルフォルニア・ロールを作ってみよう、とは思うものの酢飯の作り方を知りません。ネットで検索すれば何か見つかるだろうと思っていたところ、きょうの昼にTHUYさんが事務所に来たので一緒にレ・タン・トン通りに行って日本食ランチを食べることにしました。

きょうもまたカウンターには捻くれオヤジが座っていて、「何でお前がTHUYと一緒に来るんだよー。まるで美女と野獣だな」などと誰にも受けない時代遅れの第一声。安部首相のインドでの「価値観の共有」演説同様時代錯誤が甚だしくて寒くなりました。「ところでお前、ビイアオムへは最近行ってるか」?と意地悪の波状攻撃。ビイアオムは少々発音が悪くてもベトナム人にも聞き取れます。つまらぬ挑発には乗らず、話題を逸らして酢飯の作り方を訊きました。どうせ間違ったことしか言わないだろうとは思いましたが、旧左翼にありがちな他人にものを尋ねられて教えを垂れるのが好きなタイプです。

ついでにきょうは、海苔巻ランチセットなるものを食べてみました。カウンターの中で板前が手際よく海苔を巻く姿を見るのは気持ち良いものがあります。が、出てきた皿の上のあまりの量の少なさに愕然。それにお稲荷さんなども入っています。コンビニパックの海苔巻みたいな貧弱さ。板前に散々文句を付けると、「これでももっと小さくしろって言われてるんです」。これに半うどんでも付くなら納得できないこともありませんが、そうでなければ小食の僕でさえ2時間後には腹が減ります。とりあえず今週末には酢飯に挑戦、との決意を固めました。

新ターミナル

2007-08-22 03:12:16 | 社会
サイゴン、タンソンニャット空港の新ターミナルが完成し暫定的な使用が始まったそうです。前面的なオープンは9月2日の建国記念日からだとか。正式オープンの前に暫定的にオープンするということの意味が分らないわけですが、日本の政治家の外遊日程には好都合のようです。何しろ日本のODA予算で建てられたターミナル。総工費は3兆3000億ドンを超えるとか。

VN sử dụng vốn ODA Nhật hiệu quả
ホーチミン市を訪問中の富田茂之財務副大臣が、ターミナル建設が予定よりも早く完成したことは今後のODA援助にとっても良いことだと語った、トゥイチェ紙にあり、またグイラオドン紙には、

Nhật Bản cam kết hỗ trợ VN
20日グエン・ミン・チェット国家主席とズン首相は衆議員訪越団(代表、二階俊博自民党政策委員会委員長)と会談した。二階議員は、今回の訪問団は主に日本が援助を保証した3大プロジェクト(Hòa Lạc テクノパーク、南北高速道路・鉄道)の各分野の専門家であり、両国の協力促進に貢献することが目的であると述べた・・・
とありました。

この建物が建設される前は、空港に出迎えに行った時に航空機の着陸を目視することができたのですが、今やそんな風情も失われてしまいました。もっとも、家にいて上空を通過する機体を確認してからバイクで空港に向かっても間に合いそうです。

新ターミナルが完成し、年間800万~1000万人の搭乗客に対処できるそうです。それでも市内への道路は混雑するばかりで、空港よりもグエン・バン・チョイ通りの工事が終わってくれた方がどれほど助かるか知れません。ドンナイ橋の車両通行規制は始まったものの相変わらずの渋滞で効果なしだとか。

東アジア銀行

2007-08-21 03:31:05 | 生活
先週、ATMで現金を引出している最中に携帯メールの着信音が鳴りました。「誰だよ、手が離せない時に・・・」とお札を片手にしたまま携帯を取り出すと何のことはない、銀行からの現金引き出し通知でした。モトローラの携帯端末にまだ慣れず、メールの返信もまともに打てません。たぶん日本語の携帯の取り説も読むのは億劫なんでしょうけど、英語やべトナム語となると開く気にもなれません。そのためメールが届くと面倒な気がします。

ノキアの携帯ならまだ使い易いわけですが、「シオニスト協賛企業の製品なんか使ってちゃ駄目だよ、消費の選択にポリシー持てないの?」などと他人を攻撃したこともあったので、自分がノキアを買ったら今度はどんな言葉が返って来るかは明らかです。東芝の仕事をした後で、何があったか知りませんが、「エンガチョだから東芝のパソコンは買うな」とメールを送ったデウミさんが、その直後に「安かったから買っちゃった」と言って東芝のノートPCを持って来た時は少々ガッカリでした。

ベトナムの銀行は各行それぞれ一長一短で、日本の銀行のようにサービス内容が統一されてません。以前はACB銀行から日本へ仕入れ代金の送金をしていましたが、近くの支店では取り扱いができないのと契約書の内容のチェック等がうるさく、しかも担当によって言うことがバラバラ。昨年からĐông Á銀行に変えました。近くて便利だし海外送金もスンナリ手続きできます。ATM機の設置も市内各所に多数ですが、法人口座ではキャッシュ・カードが作れません。ベトコンバンクは作れると聞いていたので窓口で問い合わせるとまるで相手にされず。「私の妹はベトコンバンクで働いているのでベトコンバンクでも作れないことは確かです」との答えでした。

その時の対応に少々腹を立てていたわけですが、先月には現金を引き出そうとして窓口にチェックを持って行って断られ、怒鳴りまくってしまいました。他行や個人口座であれば「引き出し伝票」に記入すれば引き出せるのに、何故か一冊10枚綴りほどのチェックを買わされ、それを使わない限り引き出せません。自分でこのチェックを持って窓口で手続きしたのは初めてでした。差し出すと「裏面にも受取り人の名前を書いて下さい」と言われたので持っていたボールペンで記入すると「表面とボールペンの色が違うので駄目です」との返事。閉店時間も近く、翌日は早朝の便でハノイに行くためこちらに時間と心の余裕皆無でした。「書いた後から言うなよ。今ここで書いたんだから。口座名義人本人がこの場で書いて何処に問題があるわけ?」と抗議してもそっぽを向くだけ。

フロアー中に響き渡る大声を出してしまいました。すると誰も視線を合わせようとしません。完全に無視されてこちらの怒りは燃え上がるのみ。「解約してやる」と解約書類を貰いその場を引き上げました。こうなっては二度と自分では行けない、と思ったわけですが、代わりに行く人が無いのでその後も度々顔を出すしかありませんでした。前回怒鳴り付けた眼鏡を掛けたその憎たらしい担当者はその都度険悪な表情。あるいはそう見えるだけで、普段から険悪一途だったのかも知れませんが。そして他の行員は僕の顔を見るなり苦笑を漏らします。

通帳もなくキャッシュカードもなく、客先からの入金も電話で問い合わせないと知ることができません。その不便を補うためと窓口に顔を晒す頻度を少なくするためにインターネットでのサービスを申し込みました。

そのついでに個人口座用の「電子Đông Á銀行」も手続きをしたところ、どうやらこちらはインターネットではなく、「SMSバンキング」というもので携帯電話を使うサービスだったようです。

ドンナイ橋

2007-08-18 23:56:13 | 社会
 Cầu Đồng Nai sẽ sập bất cứ lúc nào!

いつ崩落するとも知れないドンナイ橋、との記事が先月末ありました。ドンナイ省人民委員会の会議で報告されたとのことです。当初は大して気にも留めなかった記事ですが、8月に入ってからは米ミネソタ州の橋崩壊事故、更に中国湖南省の崩落事故と相次ぎ、その犠牲者数の報道や惨状の写真を見るにつけ、事の重大さを思い知らされます。

ドンナイ橋は幹線道路、南北を繋ぐ国道一号線のホーチミン市への入り口。崩壊したとなったら、その時に運悪く橋の上を通過してた車両のみならず、社会経済への打撃もかなりのものとなりそうです。10年ほど前にビエンホアの工業団地に通っている時ですらしばしば渋滞に遭遇してイライラさせられました。その後トゥドゥック区から西に向かう国道1Aのバイパスが完成し、サイゴン大橋の補修工事が終わったりで、サイゴンに入る際の通行もだいぶスムースになったようにも感じたところですが、このドンナイ橋を渡る交通量はひたすら増大し続けているようで、一日の通行量は4万4千台以上と言われてます。

第2ドンナイ橋建設の計画があるものの完成は最短でも4年後だとか。20日からは7人乗り以下の車両のサイゴン方面への通行が禁止され、ビエンホアのホアアン橋(cầu Hóa An)へ迂回する措置が取られます。軽い車両の通行を制限して重い車両を通すところに困難性が象徴されてます。

コンクリート構造物の供用年数は通常50~60年程度だそうで、この橋が建設されたのは米軍が駐留していた時代にアメリカの建設会社によるものだそうですから40年ほど経過してることになります。その当時は軍事車両の通行に耐えられる構造設計がなされたのでしょうけど、その甲斐あって75年春には北から南下してきた戦車の通行を可能にしたものの、今日の交通量の増大と渋滞までは計算されてなかったようです。過重負荷に加え、熱帯の強烈な日差しとスコールの繰り返しがコンクリートの劣化を早めているかも知れません。

以前、ビエンホアに住む友人の家にバイクで行ったところ、泊まって行くように勧められました。ホアアン橋を通って帰る、と言うと「あの道は暗くて人通りも少ないので夜は危険です」と注意されたので怖くなり、国道1号線で帰ることにしました。すると彼曰く「あっちはもっと危ない」。「ヘルメットも持ってるし運転には気を付けるから大丈夫」と答えると、「橋の近くに女の人がたくさん立っていて呼び止めます。それが危ないです」との話でした。

今はかなり変わったようですが、10年ほど前のある時期には驚くほどの数の若い女性が橋の近くに立っていたことがありました。わが友人のThanh君がそこでどういう怖い思いをしたのかは知りません。しかし、今やドンナイ橋はこの国で知らぬ人はいないほどの一番怖い橋になってしまいました。