GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

卒業試験1日目

2007-05-31 03:11:20 | 天気
きょうから高校の卒業試験が始まりました。受験者は100万人だそうです。出生率の低下を反映して小・中の生徒数は減っていますが、進学率の上昇で高校生の数は増え続けています。今の日本の高校生数がどのくらいかは知りません。70年代の初め頃は400万人ほどだってでしょうか。その頃「反戦高協」のスローガンに「全国400万高校生は・・・・」という文句があったような。

何れにしろベトナムの高校生数が日本のそれを上回ることになりそうです。人口は日本の70%ですが、子供と青年人口では日本を超えてしまいました。たぶん、この進学率の向上は、この間の経済発展を反映したものなのでしょうけど、卒業試験に合格する学力レベルという点から見ると問題は多いようです。この試験に向けて中部高原のコンツム省で行われた模試では半数以上が基準点以下であったとか。

昨年の試験であったバクリュウ省やハタイ省などでの不正行為を本当に無くしてしまえば、3割ほどは卒業できないのではないかと推測してます。個人的な推測で、きちんとした根拠があるわけではありませんが。中央政府による汚職や不正の取り締まりは、今のDung首相になってより強化された印象があります。最近ではハノイのディスコやHCM市のホテル賭博への大掛かりな手入れもありました。地方の官庁は警察や教育局を含め不正腐敗の主役です。その面では中国に似ているのかも知れません。たぶん高校の卒業試験も、採点にかかわる不正を無くすという意図で教育省中央の主導によるマークシート化が進んでいるようです。

きょうの新聞の折込に国会議員選挙の当選者名簿がありました。10日も経ってからの発表で集計には手間取るようです。493名の名簿にざっと目を通しましたが、省毎の選出ですから64省で割ると平均7.7人。最大はHCM市の23名です。しかし殆どはお役人の方々で、日本のようなタレント議員は見当たりません。もっとも国政選挙の疎外感というのはどちらの国も同じのようで、それをテレビが馬鹿馬鹿しくも必至に盛り立てている姿も共通しているように感じられます。

久しぶりにカラッと晴れ、強い陽射しが差し込むと二年間過ごした事務所の汚れと埃が目立ちました。椅子やブラインドは壊れ放題。電話線もだらしなくブラ下がっています。ここ暫くスタッフが箒を持つ姿をみたことがありません。ベトナムの小学校では教室の掃除を生徒がしないのでしょうか。「何でオレが昼休みに掃除しなくちゃならいんだ」と思いながらも、これで汚したり壊したりする人間も居なくなるわけだし、と思うと変に清清しい気分で掃除にも力が入りました。以前にも「そこ掃除しといて」と言ったら「掃除は私の仕事ではありません」と言われたこともありましたが、自分から箒を持つ人も少なくはありませんでした。ところが年々そういう人間は間違いなく減る傾向にあります。

「最近は豊かになって余裕もでき、しっかりした人も多くなった」との話も聞きましたが、どうも実感がわきません。衣食足りて礼節を知る、という言葉は現代資本主義の社会では有効性を失っています。非資本制生産領域が侵食されることにより新たな貧困が生み出されると共に旧来のモラルも解体して行くように感じます。進学率の向上と学力低下が同時に進行するように、経済発展は人間のモラルを失わせていくのでしょうか。



リラックス

2007-05-30 02:51:05 | 天気
後一週間ほど踏ん張ればどうせ暇になるだろうし、それから今後の身の振り方でもじっくり考えて・・・などと思っていたところ、朝から軍服を着た客がやって来て納期の催促です。「明日の便で日本から発送すると今メールが届いたところです。通関手続きに手間取らなければ来週には必ず納品できます」と安心させようと思って答えたのですが、「通関手続きに一ヶ月掛かったら俺は首を括らにゃならんのだよ」と押しの利いた声で脅かされました。

考えてみれば、金曜日からはNも居ないわけだし、土曜日からは自分も北部へ出張するわけで、機器の引取り手続きをする人間が居ません。しかも来週は中部へも行くことになりました。今までもスタッフのご機嫌を損ねて一度に辞められ、途方に暮れたことも何度かあったわけですが、その頃は今と違ってまだ仕事が暇だったので何とか切り抜けることが出来ました。今回は少々事情が異なります。誰かに手伝いを頼むとしても仕事を教える時間もありません。

それでも、やはり留守番くらいは置かないと拙いわけで、ここまで押し詰まってしまえば誰かに頼むしかありません。ロアンさんに電話をしてみました。「人の問題は私も頭が痛いのよ・・・」とのことですが、直ぐに店のスタッフに声を掛けてくれ、その内の一人から電話が来ました。「週三日、午前中なら働けます」。早速、夕方の雨の中を1区までバイクで駆け付けました。気付きませんでしたが、相手は僕のことを知ってるようでした。日本語も多少は喋れるし、金曜日から来てもらうことにしました。

それでやや気分が軽くなったからか、どっと疲れを感じてしまいました。家に帰って早めに寝ることにしよう、とその場を後にしたものの、やはりロアンさんに会ってお礼の一言でも、と気付き、店まで足を伸ばしました。すると「そうだ、ついでに店で1時間ばかり足マッサージでも受けることにしよう。渋滞する時間に帰る必要もないし」。ところが、生憎財布の中は数万ドンしか残っていません。お礼を言いに行ったのに「後払い」を頼むというのでは、面の皮の厚い僕でも流石にそこまではできません。

足マッサージを諦め、それよりもこんな雨の日はサウナだなーとも思いましたが、勿論その予算はないわけで、可能なのは15Kドンのシャンプー&顔マッサージだけ。雨の日の冷水シャンプーでは心地良さも半減ですが、リラックスできるひとときです。特に眼の回りをマッサージされる時が気持ち良く、日本の老人ホームや介護施設を巡回する「シャンプー&顔マッサージ」業を開業すれば商売繁盛間違いなし、と思えて来ます。7時を過ぎるとこの店は閉まってしまいますが、きょうはどうにか間に合い、最後の客でした。

隣に長屋があり、下町そのものの地区です。近所のオバサン達の派手な口論が聞こえてました。耳を凝らしてもまったく聞き取れません。分かるのは「ドゥーマ」と罵る声だけです。もっともこういう場合、お互いに相手の言うことなど聞く耳を持たないでわめき続けてるだけですから聞き取る必要もないようです。シャンプーが終わると、やはり濡れた髪で身体も冷えました。いつもはノースリーブで胸の谷間を見せているDIEMさんも、きょうはポロシャツを着ていました。



騒がしい月曜日

2007-05-29 01:51:56 | 天気
月末の月曜日の朝、グエン・キエム通りはたぶん渋滞と思いつつ家を出るのが遅れたので遠回りをせず、最短距離のグエン・キエム通りに突っ込みました。こういう時の危惧は見事に的中。「だから急がば回れなんだよ」と思ってみたところでどうにもなりません。5分ほど遅刻して事務所に着きましたが、まだ誰も来ていませんでした。誰も待たせなかったことの安堵が半分ですが、時間通りに来てないことを喜ぶわけにもいきません。

きょうの朝刊には、日本でも報道されたホテル賭博の大量検挙、発ガン物質盛り沢山の醤油、鳥インフルエンザ等々と社会面の記事が賑やかで、ブログの種には困らない・・・などと思ったりもしたわけですが、そんなことも日本のサイトを開いて農水大臣自殺の見出しを見て吹っ飛んでしまいました。安部内閣発足以来、閣僚のスキャンダルばかりでボロボロだった上にこの記事です。ベトナム社会のモラルのなさを嘆く資格もない日本政治の現状というものでしょうか。

「日本は大変なことになってるみたいだぞー」とK君にでも電話をしたい気分でしたが、在庫もないのに客から注文が入ったり、午後からはNが休むと言い出し、挙句の果てには私物のUSBメモリーを使ってPC二台がウィルス感染。駆除もままならず、そのPCで作ったプログラムを客に送るわけですから、こちらは怒り心頭。先日もNがハノイに空のドキュメント・ファイルを送ったばかりです。しかもファイルが開かないとの連絡を受けて送り直したPDFファイルも空のまま。本人は気付きもしないので、「ちゃんと確認して送ってくれよなー」と言うと、不貞腐れて返事もしません。自分のミスが発覚するとご機嫌が悪くなるのにはまったく手が付けられません。

新人の男子もまったく同じ反応で、「私物のUSBは勝手に使わないでください」と言ったことに腹を立て「USBから感染したのではありません。このPCが既に感染してました。Nが感染させたんです」。「誰が感染させたかよりもどうすれば感染を防げるかを言ってるんだよ」と言うと「分かってます。でも僕はもう辞めます。5日までもう来ません」。「何で5日まで来ないわけ」?と訊くと「5日に給料取りに来ます」。僕もブチ切れました。日本語で罵倒し一件落着。

これで明日から電話番もいなくなってしまい、6月からはスタッフ、ゼロです。午後のアルバイトが一人残っていますが、不在時に一人で置いておけば何をやらかすかは明らかで、トラブルを増やすだけ。5時前にK君から沈んだ声の電話がありました「朝からADSL繋がらないけど、そっちは使えてる?」

同じ言葉を何度こちらから投げかけたことでしょう。幸い今はVIETTELのADSLは問題ありません。「こっちはADSLどころじゃないよ。とうとう誰もいなくなっちゃってさー」。それでいて何故か自分の声が明るいのが不思議です。

住宅事情

2007-05-28 02:37:53 | 生活
昨日買った情報誌を家に持ち帰り、日曜日のきょうはこれを読んで引っ越し先を探すつもりでした。が、気力が湧きません。今月、既に三件見て回り、その内一件は500Kドンの手付け金も払ってきたのですが、遠い上に路地が複雑。通勤時間も空港まで行くにしても今より20分ほど余計に掛かりそうです。その上、やはりこの辺では外国人が借りるとなると大家が負担する税金やら公安への届けなどが面倒のようで、「大丈夫、大丈夫」との返事も土壇場になってどうなるか怪しいもの。

いつの間にか増えてしまった荷物や、でうみさんの残したパソコン関係の書籍も処分せねばなりません。一人身故に「どうでも好いや」と投げやりの気分です。期限まではまだ一ヶ月以上あるわけだし。

60年代後半から70年代初めの頃、日本の部屋の賃貸料は1畳千円位でした。高卒初任給が2万5千円ほどで、四畳半一間を借りて5千円でも給料の5分の1でした。今のベトナムの高卒初任給は1.2Mドン程度。それでいてサイゴンの部屋の賃貸料は最低でも0.5Mドンはします。食事にしても5000ドンで食べられる店はなくなりました。その上、今ここで生活するにはバイクやら携帯電話が必需品となっているわけですから、生活の厳しさと格差の度合いはかつての日本の倍以上であることは確実です。夫婦二人で部屋を借りるとなるとこの辺でも18平米で1Mドンだそうです。需要を反映してか低価格帯の方が家賃の値上がりは激しいようです。共稼ぎにしても5Mドンほどの収入がなければやって行けません。

ここの大家さんが働く向かいの会社では建物の増築中です。事務所の拡張かと思っていたところ、訊けばどうやら賃貸オフィスにするのだとか。街中至る所、不動産所有者は皆が皆同じ事を考えているようで、それでもまだ需要に追いつかないかのようです。

今は、事務所の家賃と家の家賃で月合計6.4Mドンを払っています。ドルに換算すれば400ドルですから高負担とは言えない面もありますが、この2年の間に不動産インフレが進んだため、値上げは必至の状況。通常、商売上は家賃負担は売上げの5%程度に抑えるべきだとか。そうであれば月8000ドルの売上げが必要なわけですが、それすらも実現しないのが根本問題。富める者は益々富み、貧しいものは苦しさを増すサイゴンの住宅事情です。

予測能力

2007-05-27 18:22:52 | 生活
昨夜はこのブログを書いてる最中に突然の停電でした。「何だよ、折角書いたのに・・・」というところですが、悔やむような文章だったわけでもなく、まぁ今日一日に相応しい幕切れと納得してシャワーも浴びずに寝ました。本が読めず、扇風機を使えないのが停電の夜の辛さです。夕方の雨で気温は低めでしたが、降り終ってしまえば温まった地表から蒸発する水分の生暖かさに包まれてしまいます。それに扇風機を回して寝るのは、暑さよりも蚊を避けるためですから、その不安も残ります。

この土曜日は朝から惨々でした。前日の夜に帚木蓬生の「受命」を読み終え、暗殺が解決手段というのも「制裁」同様に釈然とせず、「三度の海峡」の復讐と共に好きにはなれない小説でした。暗殺とか復讐というのは失敗するからこそ文学の題材になり得るわけで(?)、成功してしまえばTVドラマの水戸黄門の「印籠」みたいなものでしかありません。などと思いつつ夜更かししてしまい、朝は起きれたものの、急いで事務所に向かおうとするとバイクのエンジンが掛かりません。

9年目のズズキのVIVA110cc、やはりホンダのバイクより安定性には欠けるようです。10分ほど四苦八苦してキックを続けても掛かりそうな気配はなく、近くの修理店まで押して運びました。数ヶ月前から交差点でのエンストを繰り返し、何れはこうなることは十分予測できたわけですが、しかし知らない店に修理に出すのはここではすこぶるリスキーな行為です。下手をすればエンジンまで開けられて結局直らず、手間賃をボラれた上にしかも部品を盗まれた、などということもありました。今回は近所なのでそこまでの心配はありませんが、交換部品が揃っていそうな店でもありません。プラグとキャブレターの点検に30分ほど時間がかかったものの、10万ドンまでなら黙って払おう、と諦めていった修理代も1万ドンで済みました。

遅刻して事務所に着き、財布を開けてキャッシュカードがないのに気付きました。「あ、とうとうやってしまった」。Dong A 銀行のATMは、現金を引き出した後、「終了」のパネルを選択しないとカードが返却されません。残高が多ければ注意もするのでしょうが、底を突く直前の額だけになお更注意力が散漫だったようです。とは言え、カードを失くせば面倒です。再発行には時間が掛かるし、もう一枚のカードは残高数万ドンの筈。運が良かったのは銀行の建物に併設されたATMボックスで使ったためです。取り忘れカードは銀行に数十枚保管してあり、その中にありました。

自分の不注意のための後始末に時間を割かれ、そして他人の不注意のための被害も引き受けねばなりませんでした。クリーニング店には最近は滅多に足を運びませんが、どうしてもという(日本で買った)Yシャツとズボンは出すことにしてます。それが何故か紛失したらしく、改めて店に行くと「お金を渡すので新しく買ってくれ」との返事。ここで買えるものでもないので「お願いだからもう一度探してください」と頼み込んで帰って来ました。

夕方、K君と待ち合わせ、食事に行こうとした時にちょうど雨が降り始めました。この雨が上がるのを待つか、小雨の内に多少濡れても出掛けるべきかの選択で二人とも後者が安全策だと意見が一致しました。長年のベトナム暮らし、幾多の失敗を繰り返し、その都度少なからず教訓化したことが身に染み付いてる筈と思っています。ところがどうしてレストランに着き、食事が運ばれても雨足は強くなりません。

天候の予測はまだまだでもベトナム女性についてはそれなりに見る目を養ってきたはず。「あの娘は間違いなくメコンデルタ出身」と口にすると、「ちょっとまって、俺は省まで当てられる」とK君は自信満々。「ベンチェかティエンジャン」と言う僕に対し彼は「ロンアンかドンタップ」。さて軍配は如何にとばかり訊いてみると、中部のニントゥアンだそうで、二人とも大ハズレ。些かの予測能力も身に付いてはいないことを思い知らされました。

崩壊感覚

2007-05-26 01:09:04 | 天気
晴れ上がった暑さと雨が降って冷えた時の気温差に身体が上手く付いて行けないようで、昨夜は深夜3時過ぎまで何度もトイレに起きてしまいました。正確にはトイレに起きたというよりは、咳き込んで眠れなかったことの方が主要因だったのかも知れませんが。湿疹の原因の一つが水の摂取不足だったようなので、1日に3Lほどの水を飲むようになりました。その他にアイスコーヒーやらお茶なども気温に関係なく飲むわけですから、汗をかかない日はトイレに行く回数が増えるようです。それに体調を崩し、湿度が高い時には、暑いんだか寒いのだか分からない感覚になります。

そんなわけで、咳を引きずり更に寝不足が重なり、スタッフは3人辞めることになり、送金予定の輸入代金もなし。引越し先も決まらず、意思疎通もままならず、電話番も出来ないアルバイトの新人二人を抱えてこの先どうすれば良いのでしょうか。かつて「岸辺のアルバム」というTVドラマがありましたが、崩れて流されてしまう感覚故か、ふと思い出しました。しかし違うところは「まさか」と思える事態ではなく、毎年洪水で流されるメコンデルタの水路沿いの掘っ立て小屋と同じで十分に予測可能なことでもあるわけです。

ここで落ち込んでたら体調は益々悪化しかねません。憂鬱なる精神が肉体を蝕む前に前向きになれる契機を何処かに求めるべきです。時間帯が合わず、まだ一度もデートをしたことのなかったOさんに電話をして相談してみることにしました。Oさんの仕事は朝8時半から夜11時まで。休みは月2日。午後2時から4時まで2時間の休憩があります。家に帰って昼寝をする時間を割いてもらいました。レストランやカフェを経営する話なら相談にも乗って貰えるのでしょうが、現在のわが窮地の出口を見つけることに繋がりそうもないことは分かっていました。

バイクがないと言うので職場までバイクで駆け付け、「じゃあ、カフェに行こう」としたところ、顔見知りのTに見付かってしまい、更にその他にも3人がゾロゾロと付いて来ました。「ちょっとOさんと話したいことがあるからさー。君たちはそっちのテーブルで飲んでてくれない?」という言葉はまったく無視されTが一人ではしゃいでいます。「今度カラオケに行こうよ。歌知ってる?」「私、イチゴジュース」。

あれこれ足掻いてもろくなことはありません。かと言って何もしなければ何も始まりません。今週、北部から戻ると何時も行っていたカフェの女の子が又もや変っていました。どう見ても16・7才のメコンデルタの高校生という細身の体型です。暇潰しにコーヒーを飲みながらベトナム語の単語を教えて貰っています。「中国語では何て言うの?」「さっきから言ってるでしょ。日本人だって。中国語は知らないの」。「だって私、中国語勉強したいんだもん」と、話はかみ合いませんが、このお嬢さん、鸚鵡返しにした日本語の発音はなかなかのものでした。まだ言葉を発する筋肉が固まっていないためなのか、或いは素質なのか、少々驚きました。

子供はいるのか?と聞かれたので、君より一つ年下の男の子がいる、と答えました。「ハンサム?」「当然。僕の息子だからね」。「女の子は?」と訊かれ、こういう場合綺麗だと答えると気分を害するものなのだろうか、と躊躇しつつ「周りの人には綺麗だと言われてるみたいだけど・・・」と控えめに答えたところ、「私とどっちが綺麗」?と訊かれ、何のことはない、結局知りたいのはそういうことだったようです。朝6時から夜11時まで働いて給料は140万ドン。時給に換算すれば日本円で23円。「ベトナムの法律じゃカフェで20歳未満の子が働いちゃいけないんだぜ」と教えても気にする素振りはありませんでした。有名無実の法律が多過ぎるためでもあるようです。給料を貰ったら服を買って、それから飴とお菓子を買うのだとか。このカフェで一ヶ月以上続いたウェイトレスを見たことがはなく、果たして給料日まで働き続けられるのでしょうか。


卒業試験

2007-05-25 01:55:14 | 教育
今月末に行われる高校卒業試験の日程が一昨日の新聞に載っていました。30日、文学150分、物理60分。31日、歴史90分、科学60分。6月1日、数学150分、外国語60分。試験時間60分の教科はマークシート形式で、他は論文形式だそうです。

教育欄の記事の見出しは、「壁を高くするか、それとも責任(感)を高めるか?」となっており、昨年のハ・タイ省の高校の壁に梯子が掛けられている写真が添えられています。壁を高くするというのは比喩的な表現ではなく、文字通り壁を高くして外部からの乱入を防ぐという意味のようです。試験会場に侵入してどうするのか、と不思議なわけですが、たぶんカンニング・ペーパーを受験者に渡すためだろうと考えられます。と、いうことは試験が始まってから何らかの形で試験問題なり解答を知り得ることが出来るということなのでしょう。

同時にまた、卒業試験のボーダーライン上にある生徒の数が少なくないということでもあるようです。各教科10点満点で計60点。合計点数が30点に満たない場合、もしくは1教科でも0点がある時は落第となるようです。大学入試は3教科で、しかも高校の授業編成が大学入試向けに理系重視とか、文系重視とかに分かれるようなので、大学入試に合格してもその前の高校卒業試験に落ちていた、ということもあるのだとか。卒業試験の採点・発表が大学入試に間に合わなかったりするためだそうです。

しかし、それにしても梯子を用意し、壁をよじ登ってカンニング・ペーパーを投げ込むという行為は、生徒自身のモラルの問題というよりは家族の意思という印象です。資産家のお坊ちゃんお嬢さんが大金払って裏口入学というのは日本でも珍しくはなかったようですが、わが貧乏人の世界ではカンニングをすれば万引き同様、親に怒られた、というのが一般的ではなかったでしょうか。バク・リュウ省の昨年度の不正採点が話題になったとき、「800万ドン払っても、もう一年学費払ってやり直すよりは安いものよ」などという言葉を聞いて一瞬驚きました。ここでは誰も教育にモラルを求めてはいないようです。

建前と本音の乖離は、この教育分野においても甚だしいものがあります。と、いうより、これこそ悪弊の元凶とすら感じてしまいます。「偉大なるホーおじさん」の話は全国のどの小学校でも教えられるわけですが、その実、先生方が身を持って教えている内容は如何なものなのでしょう。学歴とは無縁だった革命の世代が世を去り、彼らの息子たちが政権を握る時代になって再び世界は逆転してしまったのでしょうか。「自由と独立ほど尊いものはない」との言葉は、個々人の自由な独立心を育むことにはならなかったようです。

ATM    

2007-05-24 01:07:48 | 仕事
販売代金の回収も終わらない内に、10万枚ほど帳票の追加印刷発注をせねばならなくなってしまいました。会社の銀行口座も手持ち現金も底を着き、借入れに手を尽くしていますが、今はタイミングが悪いようです。仕方なくこちらもまた残高が少なくなってしまった個人口座から引き出すしかありません。前払いで代金の半額を振り込まないと印刷して貰えませんし、納期は迫っているのでグエン・キエム通りのキャッシュディスペンサーに急ぎました。

このキャッシュカードを作ったのは3年ほど前のことです。銀行で現金を引き出す際にはパスポートが必要ですから、パスポートなしでも引き出せるカードの便利さは気分的にもかなり楽なものがあります。ドン・ア銀行の現金引出機は市内に台数が多く、コープマート・グエン・キエム店の並びにもありました。時間帯にかかわらず混む場所でないのは良いのですが、その代わりボックスを出るや否や毎回エロVCD売りのお兄さんに呼び止められるのが面倒でした。「一枚1万ドンなら安いじゃない、金払うから買っておいてよ」などというK君の言葉に騙されて一度買ってしまったのが運の尽き。隙を見せると「今度は絶対面白いから、保障するよ。返品も可だからさー」と執拗に迫って来ます。

そのキャッシュ・ディスペンサー(ATM)のボックスが道路の向かい側に移動したお陰でその煩わしさからは解放されました。ところが、どうしたことでしょう。今回その新しいボックスに入ると強烈な異臭が。足元に堂々とした人糞がボテっと鎮座していました。狭い空間ですから匂いは強烈です。しかもガラス越しに強烈な日差しを浴びているため蒸れ蒸れ状態。兎に角、「早急に印刷会社に振り込まねば・・・」との焦りがあったので、息を止めてATM機のパネルを操作しました。

十数年前であれば道路の人糞も珍しくはありませんでしたが、最近は滅多にお目にかかれません。当時はサンダル履きで道路を歩く時は足元を見ずには恐ろしくて歩けなかったほどでした。それを思うと随分と時代は変わったとも感じますが、どうしてどうして今だ消滅したわけではないようです。銀行としてはボックスの下半分をアルミ製にしたのが敗因です。九死に一生を得た思いで脱糞した方にとっては恵みのアルミドアであったわけですが。かつての日本の全面ガラス張りになる前の電話ボックスでも同様の被害はあったのでしょうか?

国会議員選挙

2007-05-23 01:39:50 | 交通
20日の日曜日は国会議員選挙の投票日でした。翌日の新聞には投票率は全国で99%以上だとか。メコンデルタのビンロン省では100%というまったく異常な数字です。かつて工場で棚卸をしたら誤差が0で「まさか」と思いましたが、たぶんそれと同様で、要求された数字に合わせなければならない事情があるようです。ハノイからサイゴンに戻る際のノイバイ空港で一時間半ほどの待ち時間。TVからは投票のニュースが延々と映し出されていました。日本の戦争中の大政翼賛選挙をも凌ぐ投票率と演出というべきものなのでしょうか。

今まで投票日の光景を目にした記憶はありません。喧騒のサイゴンでは投票騒ぎも特に目立つものではなそうです。それに比べホアビンの町ではスピーカーから流れる声が喧しく、投票場もやたらと多く設置されていました。町中に国旗が飾られているのはこの投票日のためのものなのか、それとも前日のホーおじさんの誕生日を祝ったものなのでしょうか。どの投票場にも黒っぽいYシャツにネクタイを締め帽子を被った中年男性の姿がありました。地区の世話役という雰囲気です。手に白い紙を持った人々が歩いて投票場へ向かっていました。近所の結婚式に参列するかのような服装のご婦人も目立ちます。

12時にホテルのチェックアウトを済ませたもののハノイ8時発の便にはまだまだ時間があります。前日のバイクタクシーのオジサンが居たらまた何処かへ頼もうかとも思いましたが、日曜日のためかバイクタクシーの姿はありません。朝市で賑わっていた道路も昼を過ぎるとすっかり片付けられていました。気温は然程高くないのに湿度があるようで、歩くと汗で全身がぐっしょりします。路地の食堂に入り「ご飯」と声を掛けると、「1万ドン、それとも1.5万ドン?」と訊かれので迷わず1万ドンのセットを頼みました。おかずの種類と量はまったく問題ないのですが、味がどうも食欲を誘いません。1万ドンも払ってこんな食事では、とてもここでは生活できそうもありません。食材は豊富なのに何が足りないのでしょう。

少し早めにハノイに戻るバスに乗りました。15分に1本ほどの頻度で走っています。方向が逆になると見える景色も異なり、来る時は気付かなかったゴルフ場が見えました。ハノイから40kmほどの距離だと思います。椰子の木が植えられ、電線も走っているので初めはゴルフ場とは思いませんでしたが、キャディーさんの制服やらプレーする人々の姿も見えます。ハノイからの距離を考えればそこにゴルフ場があってもおかしくはない、とも言えるわけですが、自分がゴルフとは無縁なせいか「こんなもの必要ないだろう。他に金の使い道もあるわけだし・・・」というのが率直な感想。

ハ・ドンのバスターミナルに着くと、暫くハノイ方向へ歩くことにしました。10年前にこの辺には何度か来たことがあります。当時は所々建物が途切れ、長閑な雰囲気もありましたが、今やハノイの街との境にも気付かぬほど賑やかになっています。久しぶりに蝉の鳴き声を聞きました。サイゴンの生活では滅多に聞きません。道端ではライチが売れていました。10年前なら迷わず買ってしまったのでしょうけど、近年はサイゴンでも安く売られるようになってしまい、その分有り難味を感じなくなってしまいました。

路線バスを乗り継ぎ、空港へと向かいました。ナムタンロンから空港へ行く7番のバスに乗り込むといつもと変わらぬ混雑で、車内の後方へと進むと何故か学生らしき女の子に「オジサン座ってください」と声を掛けられました。日頃ベトナム女性の悪口を言い続け、書き続けてる身としては赤面する思いでした。こんなことがある筈がない事態です。そしてまた「席を譲られるほどオレの外見は年老いているのか」と愕然。「いいえ、結構です」と断ったものの、彼女は立ち上がってしまい、座らなければ、彼女にも気まずい思いをさせることになってしまいます。それ以上車内が混むこともなく、彼女も途中から近くの席に座れるようになったので、少々心の負担は軽くなりましたが、彼女の方ではそんな中年日本人の心理など思いも寄らぬことに違いありません。

ホアビン発電所

2007-05-22 02:45:26 | 地理・歴史
ホアビン省は人口80万人弱。面積は4600平方キロを超え、隣接するハタイ省と比べ人口は1/3以下で面積は倍以上。平野部が少なく、街の真ん中を中国から流れるダー河が横たわっています。地図で見る限り、湖と呼ぶより河の一部のような形のホアビン湖の直ぐ近くに町があり、発電所が出来て町が出来たのではないかと思わせる程度の何もない町ですが、今は「ホアビン市」となっています。

仕事が終わって更に一泊して帰ろうなどと思ったことはなく、今回が初めてでした。ダー河の水の色と起伏に富んだ地形が他の省の殺風景な省都とは違った雰囲気を作り出しているためのようです。ホテルを探して一眠りしてから町を歩いてみるつもりでしたが、期待できるようなホテルはなさそうでした。ホテルの前にかなり草臥れたシクロが停めてあったので、一時間ばかり町を走ってくれないか、と頼むと「バイクタクシーではどうか」?と訊き返されました。シクロで回れるような地形ではないので当然です。バイクタクシーは、10kmで1万ドンの超低価格でした。

最初に発電所を見て回りました。1979年に作られたようです。写真撮影禁止の看板が掲げられ、「何で・・・?」と思いつつ昔読んだ小説「邪宗門」の中で発電所を破壊しに行く場面を思い出しました。それに最近読んだ「逃亡」でも日本軍が香港のイギリス軍を降伏させる決め手は給水施設の占拠だったとか。中越戦争時に作られた施設ですから当時は撮影禁止の看板もリアルなものだったに違いありません。いまさらながらですが、北部の町の建物にはがっかりさせられます。一昔前の田舎の高速道路沿いのラブホテルという趣で、ゴテゴテした飾り付けの上にどうすればこういう配色になるのか理解を超えるものがあります。ここでも住宅建築ブームなのか、古い民家のない場所に間口5m、奥行き15mほどの新しい3階建ての住宅が連なっていました。バイク・タクシーのオジサンに値段を聞くと一軒400Mドンだとか。GOVAPのこの辺りの1/4程度です。

ホアビンは初めてだから何処か景色の良い所に、と頼むとソンラーに向かう国道6号の山道を登り20kmほど離れた自然公園まで走ってくれました。冷たい空気が流れ、雲の動きも雨が今にでも降りそうな気配。雨宿りできそうな場所もなく「ここで濡れたら最悪」と不安も残りましたが、砂糖黍やとうもろこし、瓜類など品種の多い山の畑の中を走る楽しさは滅多に体験できません。自分で農業の経験があればもっと気付くこともあるのでしょうけど、作物の種類が多いということ以外は分かりません。斜面には焼畑のようなものもあり、ここに蕎麦を植え、ホアビン蕎麦(平和蕎麦)として出荷しては如何なものだろうか、などと駄洒落の範囲を超えません。

自然公園とは訳せぬ内容の自然環境を売り物にした施設がありました。DU LICH SINH THAI THAC BAC LONG CUNGという名です。入場料3万8千ドン。山小屋風の宿泊施設もあり民間会社の経営です。単語としてはエコツーリズムを意味するベトナム語なのですが、ベトナムでの使われ方というか、その運営のされ方は「エッ?」。「何でこんなものを作って置くんだよ」というものが散りばめられて勘弁勘弁。トイレの匂いだけは日本のキャンプ場のそれと同様でした。30人ほどのスタッフがその施設で働いてるそうで、CAFEと書いてあった建物に入るとレセプションの女の子に出迎えられました。何のことか分からないまま勧められたお茶を飲み世間話。THUさんという名の21歳の可愛い子でした。旅行関係の学校を卒業し、この仕事をしているそうです。ここはハノイより4・5度気温が低く、霞が掛からず晴れた日の山の景色はとても美しいとか。訊かれて日本人だと答えると桜の美しさに憧れを抱いているような口振りでした。

客は他に数名しか見当たらず、30名ものスタッフがこれで喰っていけるのかと心配になるほどですが、外国人旅行者は兎も角、ハノイから週末に遊びに来るにはちょうど好い距離かも知れません。この日、雨にも降られず、THUさんとバイクタクシーのオジサンの二人に出会えたことはラッキーでした。次にまた訪れる機会があるとは思えませんが、町の食堂の料理の味を思い出すと「平和蕎麦」の方が遥かに食欲をそそること間違いなしですので、ホアビンを訪れる外国人観光客確保のためには是非とも実現すべき企画です。