きょうから高校の卒業試験が始まりました。受験者は100万人だそうです。出生率の低下を反映して小・中の生徒数は減っていますが、進学率の上昇で高校生の数は増え続けています。今の日本の高校生数がどのくらいかは知りません。70年代の初め頃は400万人ほどだってでしょうか。その頃「反戦高協」のスローガンに「全国400万高校生は・・・・」という文句があったような。
何れにしろベトナムの高校生数が日本のそれを上回ることになりそうです。人口は日本の70%ですが、子供と青年人口では日本を超えてしまいました。たぶん、この進学率の向上は、この間の経済発展を反映したものなのでしょうけど、卒業試験に合格する学力レベルという点から見ると問題は多いようです。この試験に向けて中部高原のコンツム省で行われた模試では半数以上が基準点以下であったとか。
昨年の試験であったバクリュウ省やハタイ省などでの不正行為を本当に無くしてしまえば、3割ほどは卒業できないのではないかと推測してます。個人的な推測で、きちんとした根拠があるわけではありませんが。中央政府による汚職や不正の取り締まりは、今のDung首相になってより強化された印象があります。最近ではハノイのディスコやHCM市のホテル賭博への大掛かりな手入れもありました。地方の官庁は警察や教育局を含め不正腐敗の主役です。その面では中国に似ているのかも知れません。たぶん高校の卒業試験も、採点にかかわる不正を無くすという意図で教育省中央の主導によるマークシート化が進んでいるようです。
きょうの新聞の折込に国会議員選挙の当選者名簿がありました。10日も経ってからの発表で集計には手間取るようです。493名の名簿にざっと目を通しましたが、省毎の選出ですから64省で割ると平均7.7人。最大はHCM市の23名です。しかし殆どはお役人の方々で、日本のようなタレント議員は見当たりません。もっとも国政選挙の疎外感というのはどちらの国も同じのようで、それをテレビが馬鹿馬鹿しくも必至に盛り立てている姿も共通しているように感じられます。
久しぶりにカラッと晴れ、強い陽射しが差し込むと二年間過ごした事務所の汚れと埃が目立ちました。椅子やブラインドは壊れ放題。電話線もだらしなくブラ下がっています。ここ暫くスタッフが箒を持つ姿をみたことがありません。ベトナムの小学校では教室の掃除を生徒がしないのでしょうか。「何でオレが昼休みに掃除しなくちゃならいんだ」と思いながらも、これで汚したり壊したりする人間も居なくなるわけだし、と思うと変に清清しい気分で掃除にも力が入りました。以前にも「そこ掃除しといて」と言ったら「掃除は私の仕事ではありません」と言われたこともありましたが、自分から箒を持つ人も少なくはありませんでした。ところが年々そういう人間は間違いなく減る傾向にあります。
「最近は豊かになって余裕もでき、しっかりした人も多くなった」との話も聞きましたが、どうも実感がわきません。衣食足りて礼節を知る、という言葉は現代資本主義の社会では有効性を失っています。非資本制生産領域が侵食されることにより新たな貧困が生み出されると共に旧来のモラルも解体して行くように感じます。進学率の向上と学力低下が同時に進行するように、経済発展は人間のモラルを失わせていくのでしょうか。
何れにしろベトナムの高校生数が日本のそれを上回ることになりそうです。人口は日本の70%ですが、子供と青年人口では日本を超えてしまいました。たぶん、この進学率の向上は、この間の経済発展を反映したものなのでしょうけど、卒業試験に合格する学力レベルという点から見ると問題は多いようです。この試験に向けて中部高原のコンツム省で行われた模試では半数以上が基準点以下であったとか。
昨年の試験であったバクリュウ省やハタイ省などでの不正行為を本当に無くしてしまえば、3割ほどは卒業できないのではないかと推測してます。個人的な推測で、きちんとした根拠があるわけではありませんが。中央政府による汚職や不正の取り締まりは、今のDung首相になってより強化された印象があります。最近ではハノイのディスコやHCM市のホテル賭博への大掛かりな手入れもありました。地方の官庁は警察や教育局を含め不正腐敗の主役です。その面では中国に似ているのかも知れません。たぶん高校の卒業試験も、採点にかかわる不正を無くすという意図で教育省中央の主導によるマークシート化が進んでいるようです。
きょうの新聞の折込に国会議員選挙の当選者名簿がありました。10日も経ってからの発表で集計には手間取るようです。493名の名簿にざっと目を通しましたが、省毎の選出ですから64省で割ると平均7.7人。最大はHCM市の23名です。しかし殆どはお役人の方々で、日本のようなタレント議員は見当たりません。もっとも国政選挙の疎外感というのはどちらの国も同じのようで、それをテレビが馬鹿馬鹿しくも必至に盛り立てている姿も共通しているように感じられます。
久しぶりにカラッと晴れ、強い陽射しが差し込むと二年間過ごした事務所の汚れと埃が目立ちました。椅子やブラインドは壊れ放題。電話線もだらしなくブラ下がっています。ここ暫くスタッフが箒を持つ姿をみたことがありません。ベトナムの小学校では教室の掃除を生徒がしないのでしょうか。「何でオレが昼休みに掃除しなくちゃならいんだ」と思いながらも、これで汚したり壊したりする人間も居なくなるわけだし、と思うと変に清清しい気分で掃除にも力が入りました。以前にも「そこ掃除しといて」と言ったら「掃除は私の仕事ではありません」と言われたこともありましたが、自分から箒を持つ人も少なくはありませんでした。ところが年々そういう人間は間違いなく減る傾向にあります。
「最近は豊かになって余裕もでき、しっかりした人も多くなった」との話も聞きましたが、どうも実感がわきません。衣食足りて礼節を知る、という言葉は現代資本主義の社会では有効性を失っています。非資本制生産領域が侵食されることにより新たな貧困が生み出されると共に旧来のモラルも解体して行くように感じます。進学率の向上と学力低下が同時に進行するように、経済発展は人間のモラルを失わせていくのでしょうか。