GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

誰も日本を阻止できない?

2007-06-30 23:03:05 | 天気
きのうの「トゥイチェ」紙スポーツ欄の見出しです。
ベトナム語は「Không ai cản nổi Nhật?」
アジアカップBグループで対戦する日本の分析記事ですが、中村俊輔の写真やセルティックの事情なども紹介されていました。

2年ほど前にはスポーツ新聞には、「日本を代表する選手は中田から中村に替わった」との評価も書かれ始め、ベトナムの新聞のサッカーに関する豊富な情報量は他の分野と比べひときわズバ抜けています。特に今回のアジアカップには「トゥイチェ」紙は力を入れてるようで、今日も川口の発言が写真入で掲載されてました。
Thủ thành Yoshikatsu Kawaguchi (ảnh) nhắm tới hat-trick vô địch Asian Cup 2007 cùng tuyển Nhật.

ハノイで開催された国際会議などでの新聞報道では日本の首相の扱いなどは実に影の薄いものがあり、ODAの援助額の割には政治の世界での日本への評価とはこんなものかと思ってしまいましたが、それと比べるとサッカーでの評価の高さは大違いです。今回、韓国はインドネシアが会場となるDグループのためか新聞での報道は多くありません。その分を差し引いたとしても、ベトナム人は韓国サッカーよりも日本サッカーの方が好きのようです。日韓開催のWカップの時も衛星中継の試合に街中が盛り上がり、韓国チームの快進撃があったわけですが、TV報道や女の子達とは違ってサッカー好きのベトナム青年は日本の試合に注目してました。

事務所の近くのカフェの娘に「韓国へは何時帰るのか?」などと訊かれてしまいました。時折、僕のことを「アジノモト」と呼ぶくせにです。日本人とて日本に住んでいればベトナムとカンボジアがゴッチャになったりもしますから仕方のないことですが、この間のベトナムの女の子たちに対する韓国のイメージ向上が日本を凌いでいるということもあるようです。しかし、サッカー少年は日本と韓国を間違えることはありません。中村俊輔や日本のサッカーに対する憧れや尊敬が日本人であるというだけで僕にも向けられていることを感じたことがありました。それはちょっと別問題、と思いつつも悪い気はしません。

ベトナムの対カタールやUAEとの試合を僕はどちらに肩入れして観ようとしているのでしょうか。ベトナム人のナショナリズムに迎合する気はないぜ、とばかりその敗北を願うのでしょうか。10年もこの国にお世話になっているというのに。世話になっているというより、踏んだり蹴ったりという実感であるわけだし。そんな鬱屈した思いからは何物をも生み出せそうもないわけだから、今回は日本のサッカーチームに肩入れしてくれるベトナムのサッカー少年への連帯心を持ってベトナムサッカーを観てみることにするつもりです。



裏道開拓

2007-06-28 20:54:39 | 天気
きのうの朝は久しぶりに晴れ上がった青空でした。雨上がりの爽やかさよりも再た暑い一日を送らねばならないことのほうが気がかりで「やれやれ」といったところです。こういう朝はグエン・キエム通りのバイクの数も増え、渋滞だろうと裏道を走りました。二年前に引越した頃は地図を眺めて裏道開拓にも励みましたが、このところ探究心が衰えてしまってます。市販の地図は(も)結構いい加減で、ゴーバップ市場の位置も間違ってますし、道路が記載されているけど実は軍隊の敷地内で通れない、などというのも珍しくありません。勿論ゼンリンの住宅地図のようなものはなく、グーグルマップも「地図」なしで航空写真だけです。

来年からは地下鉄工事も始まるようですから、あと5・6年もすれば道路事情も変るのでしょうけど、それまでの間、毎年10%を超えるホーチミン市の経済成長は、それに見合った自動車やバイクの交通量となるわけで渋滞は益々ひどくなるとしか考えられません。ここ4・5年で路線バスが増えたとは言え、バイク渋滞の中をバスも通るわけですから渋滞緩和に役立っているとも思えず、またこの渋滞にイライラするのかバス運転の荒っぽさは更なる社会問題です。埼玉県を走っていた70年代の国際興業バスの比ではありません。先日はファンバンチー通りで見た対向車線を走るバスは、前を走る乗用車にピッタリくっ付き、運転手はふざけた笑い顔をして煽りながら走ってましたし、タンディン市場近くのハイバチュン通りではエンストしての押し掛けを目撃。

そんなわけで、渋滞に巻き込まれてこれ以上ストレスを溜めないための方法として裏道探しは必須課題。小金井市に住んでいた子供の頃、多磨墓地から野川を渡って家に帰る近道を探して草深い藪で迷子になったことがありました。半ズボンであちこちスリ傷はできるし半べそ状態。それと同じで新規開拓なるものの効率の悪さは否定できません。当時はそれに懲りて、次に野川にかかる是政線の陸橋を自転車で渡ろうとしたところ途中で前から電車が来て大慌てでした。それと同じで知らない路地を走るのも思わぬ危険が付きまとうことは十分承知の上です。

さすがに僕自身も子供の頃よりは多少賢くなりましたから、道に迷って泣きべそをかくことはなくなりました。人生の迷路からは抜け出せませんが。問題は寧ろ、その探究心が薄れていくことです。黒田寛一は好きではありませんが、「探求」という言葉は好きです。

で、この日も路地を間違えて何回か行き止まりに突き当たりましたが、そこで思わぬ発見。ゴーバップ駅の看板を見付けました。今では列車の停まらぬ駅ですが、施設は何がしかの機能を果たしてるようです。75年以前、サイゴン駅がまだベンタン市場の前にあった頃は、この駅も列車が停まっていたのでしょうか。

アジアカップ2007

2007-06-27 04:01:30 | 新聞・書籍
ベトナムのスポーツ新聞や一般紙のスポーツ欄もサッカーがメインに扱われていますが、 アジア・カップの開幕を目前にして「トゥイチェ」紙もASIAN CUP短信欄も設けられるようになりました。「中村俊輔が29回目の誕生日を・・・」との記事もありましたが、単語が分からず少々意味不明。

そういえば、今回の大会はベトナムを含めたアセアン4カ国で開催されるわけで、ネットを開いて日程を確かめてみると、日本とベトナムは同じグループBで、7月9日の日本-カタール戦もハノイでの開催となっています。

サッカーの試合を観にスタジアムに行ったこともないわけですが、ふと、ハノイの出張のついでにサッカーの試合を見に行って来ようか、などと思い付きました。正確に言えば、東京オリンピックの開催時にサッカーの予選試合を閑散とした駒場のスタジアムで観たことがあったわけですが、その時は学校の授業の一環でしたから自分の意思で見に行ったというものではありませんし、どこの国の試合だったのかも覚えていません。

恐らく日本-ベトナムの試合は、チケットの入手は無理でしょうが、日本対カタール、UAE戦なら可能かも知れません。テレビ観戦でも良い訳ですが、日本-ベトナム戦をカフェのTVでベトナム人に混じって観るのは気が重そうです。否、この時ばかりは日頃の鬱憤を晴らすべくナショナリストと化して思う存分騒ぎまくりたい気もします。スタジアムに入れればそれも可能なのでしょうけど、それでも日の丸を振る人々と一緒にというのには引けるものがあります。

久しぶりにK君から電話があり、新工場への移転を前に大忙しの様子。アジアカップ観に行こうと思ってる、と言うと「何それ、バレーボール」?との返事で新聞を読む時間もないようです。「5000万件の不明年金とかミンチ偽装とか日本もベトナムのニュースみたいのばかりで勘弁だよなー」とのわが感想には同意せず、移転間際になって新工場には電話も来ていないことにご立腹で「いやー日本の役人は良くやってるよ」とのこと。彼の場合は将来、日本の年金が受取れるわけでもないし、偽装ミンチにしたところで規定量の数千倍の発がん性物質入り醤油放置してきた食品管理行政と比べればまだマシということのようです。

公証役場

2007-06-26 02:50:48 | 天気
何をするのも億劫なこの頃、ADSLも繋がらないのできょうはブログも書かずに済むぞ、とほっとしたのもつかの間、モデムの電源を入れ直したら繋がってしまいました。食事もせずに9時過ぎまで事務所に残ったりするすのだからカフェに行く時間もなく、ライチを冷蔵庫から出して一人寂しく食べているところです。ベトナムに居て日本のサラリーマンのように夜遅くまで仕事をするのは心身ともに不健康極まりないことですが、きょうの午後は公証役場で半日潰れてしまうし、5時から来客があったりでどうにもなりませんでした。

事務所も住居も結局のところ転居先を探したりするのも面倒臭く、多少の値上げも諦めることにしました。このGOVAPの大家は、また僕の気が変わって引っ越すなどと言い出さないか心配のようで、また期限も差し迫っているので、きょう、公証役場で契約延長の手続きをすることになりました。ベトナム人同士の賃貸ならこんな手続きも不要のようですが、外国人が借りる場合には公証役場で書類を作り、公安へ届け出ねばならないようです。大家は登記簿とか貸家の営業許可証などを揃えねばならないわけで、しかも貸家の場合家賃収入の20%を営業税として納付しなければならないのだとか。

ホーチミン市内の公証役場は何処も混雑しています。二人で1時にGOVAPの公証役場に着いたのですが、午後の仕事は1時半からの様子。大家さんは門の前で待つつもりのようでしたが、運悪く雨が降り出しました。堪らず近くの食堂兼カフェに駆け込みました。その間、雨足は強まるばかりで1時半になるとちょうどそのピークで、カッパを着ても濡れざるを得ないほどです。雨のせいか、タクシーでやって来る人も少なくありません。ここでは不動産売買の書類とかで富裕層が多いのかも知れません。

契約書に署名をして、その公正証書を作って貰うだけのことですが、きょうはカウンターで書類を提出するや否や「外国人は通訳が居なければ駄目ー」と言われてしまい一瞬呆然としてしまいました。大家さんが、「この人はベトナム語が分かるし読むこともできるから」と説得するのですが、担当のお役人は納得せず、「じゃ、これを読んでみろ」と偉そうな態度。ここ暫くベトナム語能力にはすっかり自信喪失の身ですから肩身の狭い思いで契約書を読み始めました。すると直ぐに「もう読むのは良い。何が書いてあった?」とのご質問。そんなこと読まなくても分かることですから、まったくこの公務員、何考えて仕事をしているのでしょう。

通訳を付けねば不可というのは規定ではなく、担当者の個人的見解だったのでしょうか?こういう断定的な言い方はお役人に限らず、わが事務所の新人スタッフもまったく同じ。売買契約書のワープロ打ちを頼んだところ、契約書番号を勝手に振ってきたので、「この番号どこから採ったの」?と訊くと「その番号は重要ではないので問題ありません」。

暫く待合室に置かれたTVでビリヤードの試合だのテニスの試合を観ていました。雨音が静かになった頃に呼ばれ、最後に「じゃ、ここに読んで内容を十分理解しましたと書いて、サイン」と言われました。その旨記入すると「何で外国人なのにベトナム語が書けるんだ」?と呆れ顔をされました。外国語の読み書きができるベトナム人だってそこら中に居るのにです。



大清帝国

2007-06-25 03:29:42 | 新聞・書籍
店先のテレビには香港製や中国製の時代劇ドラマが度々映し出されています。辮髪姿も少なくないので清朝の時代の話が多いようで、たぶん日本の時代劇の多くが江戸時代のものであるのと同じなのでしょう。75年以前のサイゴンでは、勝新の「座頭一」も人気だったと聞いたことがありますが、今やレンタルビデオもケーブルTVも韓国・中国製ドラマ全盛の観があります。

思い出せば子供の頃、名犬ラッシーやサンセット77といったアメリカドラマを夢中になって観ていた記憶があります。あの頃の日本のTVドラマは今のベトナムのドラマのように面白くなかったかも知れません。衛星放送とケーブルTVの普及によって今のベトナム人の外国製フィルムを観る頻度はかつての日本以上のようです。工業製品同様に自分で作るよりは買ったほうが安上がりだからでしょうか。

ベトナム製の面白い映画が作られるようになるのはまだだいぶ先のことのように思えます。政治的・思想的な規制という問題も残るため、外国から入ってくるものであれば兎も角、それをベトナム国内で作るとなると厄介な問題が付きまとうでしょうし。そういう制約を超えたベトナムの時代劇映画を観てみたいと思っています。

ベトナムの歴史に関する本を何か読みたいと思うのですが、日本語の文献は然程多くなさそうだし、とにかく手元にはありません。38年前の岩波新書の「ベトナム民族小史」にはいい加減飽きました。仕方なく、増井経夫著「大清帝国」を再びベッドに持ち込んで読みはじめました。この本の序章は結構気に入ってます。が、本文はまったく覚えていません。

中国の前近代、近世について興味を持ったのはベトナムに来てからです。浅田次郎の「蒼穹の昴」を読んで「そんなわけないだろう・・・」と不満に思ったことも切欠ではありますが、ベトナムや日本を含む東アジア世界とは一体何なのだろうか、という思いであり、北朝鮮の今日の体制をも含めそういう歴史の枠組みの中で捉え返してみるべきではないのかという気がしています。逸早く近代化を成し遂げた日本と半植民地化された中国という観念が日本人に居心地の好い優越感を与えてきたわけですが、同時にそのお陰で見ようとしてこなかったものも多くあったように思えます。

雨続きの週末

2007-06-23 23:31:55 | 天気
二日続けて朝から雨。カッパを着てのバイク通勤が億劫に思えるほど気力も萎えた土曜の朝でした。多少の雨ならカッパを着るより濡れた方が快適と思うこの頃ですが、そういうベトナム人っぽくなっていく自分とは反対に、道行くバイクはカッパ着用が増えているような昨今のサイゴン。しかし、カッパを着てもサンダルを履いてバイクに乗る人は多数派で、靴を履けば濡れて乾かすのが大変なので、敢てサンダル履きで出掛けるようです。

昨日は小雨だからと濡れて事務所に向かいましたが、濡れて歩けるような雨でもやはりバイクだと1kmが限度。仕方なくきょうはカッパを着用しました。新人のTさんは遅刻をしないのが唯一の取り得ですが、昨日は事務所に着くなりバイク置き場の床を水で洗い流し始めました。バイクが雨とともに泥も運んでしまうので、「へーそれはなかなか感心なこと」と思ってしまったわけですが、今朝も同じように水道のホースを取り出しているので、よくよく見ると何と自分のバイクを洗っているだけでした。と、いうことは昨日見た光景も僕の目の前で床を洗っている振りを装ってただけ、ということでしょうか。

まぁ、自分の汚したトイレの便器もそのままに放置しておく位ですからそう考えた方が正解かも知れません。自分のバイクを洗うことに熱心であり過ぎるためか、PCやプリンタの電源は切らず、門も開けたまま帰ってしまうのは困りもの。仕事の最中でも自らの私的利益を最大限如何に獲得するかには余念がないのですが、その分仕事への集中力は当然ながらまるでなし。きのうの帰りに「郵便局に寄ってEMSを出して」から帰るように頼むと、「細かいお金がありません」との返事。毎回お遣いの度に多めに仮払いしているわけで、その残金もある筈ですが、「家に置いてきました」。

事の善悪は判っているわけだから、改めて一々説明する必要もないと思うわけですが、どうやら言われなければ(隙があれば)何でもありとのスタンスのようです。踏み切り前の狭い道で車がすれ違えなくて渋滞している時に、われ先にと反対車線を走るバイクと同じです。そんなことをすれば益々渋滞がひどくなるだけというのは誰でも知ってるはずなのに。そう言えば何処かに実際、目先の5000ドンが惜しくて職場を辞めさせられた人もいました。

日本の通勤電車の殺気立った雰囲気もベトナムの道路事情と同じようなもの。目先の小銭のために明日を捨てることになる話も日本でないわけでもないし、自分とて立場が違えば何をするかはそれなりに分かっているつもりではいますが、そういう環境に立ち向かうエネルギーが些か枯れてきたような気もします。何しろまるで日本の梅雨のようなこの雨です。展示会にも顔を出さねばとは思いつつ、どうせこの雨で入場者も少ないだろう、などとサボってしまいました。

教育展示会

2007-06-22 02:21:15 | 仕事
日本語に直訳すると耳慣れない言葉ですが、きょうから3日間の予定で、ホーチミン市教育局主催の「展示会」がホアンバントゥ通りの「第7軍管区競技場」で開催されます。ホーチミン市では年がら年中、各種「展示会」が開かれているわけですが、この「教育展示会」は何とも不人気というか入場者も少なく、また出展も年々減少の一途で、お役人が主催するイベント、特に教育関係者となるとそのセンスたるもの流石と言うしかありません。

出展は教育・学校関係の業者で、教科書や文具、机や椅子だったり、物理や化学の実験道具等等範囲は広いのですが。ちょっと驚いたのはAK自動小銃などのモデルガンが並べられたブースです。バズーカ砲の構造を解説したパネルなども飾られてました。教育に武器は関係ないだろー、と不思議に思ってベトナム語を読んでみると「国防教科」という文字が目に入りました。そんなことを言ったらこの世に存在する全てが学問の対象になり得るわけですから・・・という気にもなりましたが、この国では軍事教練は必修科目のようですからベトナム人にすれば違和感はないのかも知れません。

今年は、この展示会が開催されることも知らず、会場を覗いて見るつもりもなかったわけですが、一昨日知り合いの業者から「展示会に出したいから機器を一台貸してくれ」と電話を貰いました。デモ用の機器は2台共北部に貸し出してあるので、何時までに準備すれば良いのかと訊くと「明日の夕方に搬入」との返事で面食らいました。展示会の日程は一ヶ月以上前に決まってるわけですから何でこうも押し詰まってから話が来るのか、毎度のことながら呆れるばかり。

その上、こちらは人手不足なわけですから堪りません。機器は無理して貸せないわけではなくても、操作や説明する人間がいません。カタログすらも切らしたままでした。思えばこうして周囲に振り回されてバタバタとするだけの日々を過ごしてきたわけです。

昨日はSさんに誘われてH君+1名の計4名で昼食を一緒にしました。初対面のTRさんに「日本人だったんですか?ベトナム人だと思ってました」などと言われ、外見はサイゴンの紫外線と排気ガスにすっかり馴染んでしまっているようですが、肝心なベトナムでの仕事に関しては未だに何一つ馴れてはいない、というのが実感です。







Tuyen Quang 省

2007-06-21 03:01:16 | 教育
今年の高校卒業試験は合格率66.7%で例年にない低さでした(昨年は92%)。不合格者が1/3、30万人以上が卒業できないという異常事態です。合格者が50%に満たない省が11/64あり、14.1%という圧倒的数字を残したのはトゥエンクアン省でした。続いて、バッカン省20.3%、ソンラー省24.4%、イェンバイ省26.7%、カオバン省27.7%と北部山岳地帯に集中しています。昨年、試験監督官の不正行為が明るみで出てしまったハタイ省は、昨年の99.2%から57.2%へと大幅ダウン。早い話が、不正を無くして厳格な採点を行った結果として合格者が減ったということのようです。

今年は、このような結果に終わることを予測して、2次の卒業試験が8月に予定されています。各教育局では高校卒業試験の採点は数日間の泊り込みで処理する大イベントですから、合格率の低い省ではまったくの二度手間になってしまい、目も当てられません。
確か日本では、大学入試の際には高校の「卒業見込み」の書類だかが必要だったような気もしますが、ベトナムの大学入試は7月5日からですから、大学入試の後で再び高校の2次卒業試験に臨まねばならない生徒も少なくはないようです。

それにしてもトゥエンクアン省とバッカン省には是非一度足を運んでみたいものです。トゥエンクアン省はタイグエン省の先、バッカン省はフートー省の先ですからさほど山奥というわけでもなく、訪問する機会がないわけではありません。ベトナムでは「女性はトゥエンクアン」という言葉があるほどなので、その真偽のほども確かめねばならないとは思いつつ、只それだけの理由でローカルバスに何時間も揺られる根性がありませんでしたが、やはりそれではベトナムに暮らす意味がありません。やがて地下鉄も通り、日本のデパートも開店するというサイゴンの街で日本食のランチなど食べていても(それはそれで快適ですが)刺激的ではありません。


端午の節句

2007-06-19 03:53:31 | 
今日は旧暦五月五日。ベトナム語でも Tet(節)Doan(端)Ngo(午)だそうです。日本の端午の節句も古代中国の風習が輸入されてから現在の「子供の日」に至るまでにはそれなりの変遷があるようですが、今日のベトナム南部にあっては「端午節」との言葉は残るものの人々の風習として何が継承されてきたのかは見え難いものがあります。

今やたった一人だけのスタッフのTさんに気を遣って昼飯を一緒に食べに行くことにしました。Tさんが「きょうは午の日」だと言うので、「じゃ、何をする日なの」?と訊いてみましたが、特に何をするでもないようです。狭い路地をバイクで走ると、民家の前で台の上に花や食べ物の供え物が飾られている光景がありました。Tさんが「端午だからよ」と教えてくれましたが、そう言われなければ気が付きもしなかったかも知れません。毎月十四・十五夜の供え物と同じようなものでした。

昨日は月曜だというのに、事務所は朝から停電。またまた落胆と苛立ちで一日が始まりました。月・水・金の午前中だけのアルバイトは一時間ほど遅刻して来て、「忙しいので辞めます」と一言。まだ10日ほどしか経たないTさんには、給料の前払いを要求されて唖然。先週、携帯電話買って生活費が無くなったようです。若い女の子にとって携帯電話はアクセサリーですから仕方ないとは思いますが、「会計」の仕事をする人間が給料の前借りでは拙いだろう・・・とも思ってしまいました。

Tさんの買った携帯は女の子に人気のあるサムスン製。日本の小中学校の中では貧乏で他人と同じようなものを持っていないだけでイジメの対象にもなる、と聞いたことがありますが、ベトナムの若い女性にとっては、食うに困りボロを着てても携帯だけはお洒落なものでなければ気が済まないものがあるようです。化粧をせず、アクセサリーを身に付けなくても携帯電話はサムスンの新型。

外出する時に連絡が取れないと不便だから、と古い携帯を貸して持たせたのが原因のようです。重くて古くてボロの携帯を持つことが恥ずかしかったのでしょうか。翌日、「これが私の番号です」と携帯電話番号を書いた紙を渡されました。価格もこの間かなり安くなったとは言え、給料月1.5Mドンの彼女にとって、1.8Mドンの携帯電話は無理があり過ぎです。その半額の機種も売られているのに。

おそらく自分も子供の頃は、「子供なんだからそれで十分よ」などと言われて納得し難かったことの二度三度はあったかとも思うわけで、携帯電話への若いベトナム女性の拘りを殊更愚かなこととは思いませんが、すべてが消費へと収斂されてしまう今の時代というものにはため息が出ます。

また何時金欠状態に陥るかもわからないので、今の内に電池を買うかそれとも携帯電話を買うか迷った挙句、携帯を買うことにしました。価格は1Mドンですが、やっと白黒液晶画面ともお別れです。これでボロ携帯を使ってると馬鹿にされることもなくなり、新しい物を買った満足感があるのも認めないわけにはいきません。それでもノキアとサムスンだけは買うまいと決め、少々使い勝手の悪いモトローラ製にしました。

Son Tay 県

2007-06-18 05:18:32 | 教育
一人も卒業試験合格者が居なかったクアンガイ省ソンタイ県のディンティエンホアン高校についてのルポがトゥイチェ紙に掲載されました。こういうことで新聞記者の取材を受けるというのも生徒や教師にとっては更なる屈辱以外の何ものでもあるはずはなく、少々気が沈みます。TVのワイドショーがないのがせめてもの救いでしょうか。
http://www.tuoitre.com.vn/Tianyon/Index.aspx?ArticleID=206083&ChannelID=13

高校のあるSon Tay県Son Dung村はクアンガイ市から約100km離れた山間部に位置する農村で、少数民族の多い地域だそうです。Son Tay県には6つの村があり、全3706世帯中78%が貧困家庭で、農業の傍ら高校に学ぶという状況のようです。クラスの1/3が既婚者とのことですから、生活の糧を得ることに多くの時間を割かれることは間違いありません。

この高校は2004年の設立で一昨年、昨年と卒業試験の実績もあり、合格率は99%、53%ですから、今年になって何故それが0%になったのか疑問であるわけですが、その点についてこの記事は触れていません。僻地の中学校では未だに英語の教師が居ない場合があるそうで、その場合英語の授業は高校に入っての3年間だけとなるため、卒業試験では英語の代わりに地理での受験になるそうです。一昨年の99%が昨年53%へと半減したところを見ると英語の試験が行われているように思えます。

フエ省 A Luoi県の高校も90名中7名という低い合格率でした。フエに住んでいた頃、一度だけ山をバイクで越えて A Louiまで行ったことがありました。ラオス国境の直ぐ近くです。やはり少数民族の村落の多い地域です。

その後でネルソン・デミルの「アップ・カントリー」を読んでいる時に初めてベトナム戦争時の「ハンバーガー・ヒル」と呼ばれた激戦地がこの A Luoiだと知りました。フエ市からA Luoiまでは大した距離ではありませんが、当時は未舗装の山道を越えるのですれ違うバイクも滅多になく、とても夜は危なくて走れそうもないのでA Louiで一泊しました。するとホテルのレセプションで「人民委員会発行の宿泊許可証がなければ外国人は泊まれない」などと言われ困惑しました。

国境に近いということもあるのでしょうが、少数民族居住地では往々にして他では感じない「緊張感」があるようです。キン族ベトナム人の横柄で威張りくさった態度と感じることもありました。A LuoiやSon Tay の高校生たちがどのような科目の点数が低くて試験に合格しなかったのかはわかりません。しかし、「ベトナム共産党設立の意義を述べよ」という歴史の出題そのものが傲慢さを表しているように感じます。