GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

一時帰国

2006-10-27 00:54:16 | 新聞・書籍
秋の日本は久しぶりです。乾燥した空気が皮膚の細胞を覚醒させたかのような気持ち良さは意外でした。初めてタンソンニャット空港に着いた航空機のタラップを降りる時に感じたサイゴンの濃密な空気を今は感じることができなくなってしまった代わりに今は、日本の空気を新鮮だと感じることができます。
きょうでちょうど一週間です。昼も夜も驚くほどの静けさです。池袋の雑踏ですら静かだと感じてしまいます。夕方家の前を通る学校帰りの小学生の姿の中に一瞬娘がいるのではないかと探してしまいました。この10年間に日本で過ごした時間が半年にも満たないためか、10数年前の記憶が直近のそれと入り混じってしまいます。

「ちょうどNGUYEN TAN DUNG首相が日本訪問していますね。ベトナム戦争当時、中国で勉強していたDUNG首相、就任当時「中国派」と言われ、日本関係者はかなりあせっていたようです。なんせ、VN日本大使でさえ、ほとんどコネクションがなく、内務省上がりということもあり、「軍人のような振る舞い」と悪評が立ったのも有名な話。ODAの絡みもあり、そうした評判を払拭したいVN側と、経済面での強化を図りたい日本側の思惑が一致したのが今回の訪問でしょう。国会演説、天皇訪問と序列第三位の首相としては異例の待遇ですね。
気のせいかもしれませんが、ここ数ヶ月DUNG首相の国際的な露出度、評判はうなぎのぼりな気がしています。一部では仕事の進め方が独裁的だとの声もありますが、確実に勢力を広げているようです。その一方、MANH書記長の露出度が国内的にもえらく少ない気がします。病気もしくは半失脚ではと疑ったりするのは私だけでしょうか?」

先週、日本でこのメールを受けとりましたが、ベトナムの新聞の扱いと比べると日本では殆ど報道されなかったに等しいズン首相の来日です。北朝鮮の核実験を巡る外交交渉が慌しい時期と重なったせいでもあるのでしょうけど。慌ててベトナムの新聞社のサイトを開くと「日本のTV、新聞各社も報道した」と書いてあるので数人に聞いて見ましたが、誰もベトナム首相の来日は知らないとの答えでした。一人は「ぼくはマスコミに踊らされてる口だから気が付かなくて失礼しました」などという言葉が返って来ました。
日本に居る時の僕自身の意識もまたベトナムの政治を随分と遠いもののように感じているわけですから却って肩身の狭い思をしてしまいました。

家族

2006-10-18 04:57:47 | 生活
T君がベトナムに来てちょうど三ヶ月目のきょう、日本へ帰るチケットを手配して来ました。本人はまだもう少しここに留まりたいようでしたが、意欲がますます衰えてきたようなので一度日本に帰り、もう一度環境を変えて再出発の準備をした方が良い、と勧めました。来た時よりも元気のない状態で帰らせてしまうのには後ろめたさが残ります。自分がもう少し気を付けて入れば、と悔やまれる場面も少なくありません。毎度毎度、後になってからでないと気付かない自分の愚かさです。自分がT君の問題を解決できると自惚れていたつもりはありませんが、もう少し居心地の良い環境を用意することもできたに違いありません。

家族とは何だろう、ということをT君との生活で何度か考えてみました。もしT君の家庭がメコンデルタの農家であれば、一家の貴重な働き手として今みたいに無為に一日を過ごすことはなかったはずです。父親が築き上げた農業の経験を身に付けることもできたでしょうし、その上でインターネットで情報を集め、今の時代に対応した新しい農業を模索していたかも知れません。家族一人一人の協同労働の上に生活が成立するのですから、お互いの苦労も身近にしることができるはずです。家族が一つの経営単位である農家と今の日本のサラリーマン家庭とを単純に比較することはできないのでしょうけど、父親の給与所得の多寡と子供の学業成績が価値基準とされる社会で「家族の絆」が形成されるということ自体がそもそも無理な話のようにも思えてきます。

数年前に日本に帰った折、知り合いの税理士さんに「倒産に直面した経営者を自殺させないのが仕事だ」と聞きました。自殺に追い込む最後の一押しは家族だとも。「家族崩壊」という言葉が語られるようになってからどのくらい経つのでしょう?
TVドラマの「それぞれの秋」とか「岸辺のアルバム」などもそのようなテーマだったのでは。ストーリーは殆ど覚えておらず、高沢順子が出演していたのと「岸辺のアルバム」では通りの風景に「全金」のステッカーが貼られていたシーンが印象に残るだけです。映画「三丁目の夕日」が評価されるとするならば、それだけ今の家族と社会がどうしようもなくなっているということなのではないでしょうか。
家族の絆を取り戻すということを考ねばならないのだと思います。子供に財産を遺すこと、生命保険に入ることが家族を守ることではないわけで、と、僕が言っては唯の自己弁護で説得力もありませんが。

きょうはT君の最後の夜ですからささやかな送別会代わりに15Kドンのステーキを食べに行き、その足で風俗床屋にも寄って来ました。Phan Van Tri通りに3軒並んだ店です。年増のオネエさんの濃厚なサービスを受けてるようでなかなか出て着ません。こんな所に連れてくるよりは日曜日にでも郊外へ出掛けた方が余程良かったのでしょうけど。

ダナン

2006-10-17 00:16:06 | 社会
朝、ダナンのらんちゃんから携帯メールで「Tro nen map」は日本語で「太いになります」と言うのかと聞いて来たので「太ります」と返信しました。「デブ」という単語はショウジ君を形容する単語として確か教えたこともあるはずなので「デブになります」のほうが実用的かとも思いましたが、使い方次第では、下品な日本人と付き合ってると思われてしまうでしょうから、それも可哀想なことです。ベトナム語でも男言葉、女言葉の使い方があるようで、以前「それ、誰に教えて貰ったの」と笑われたことがありました。10数年前、ハノイの町を歩いていて、店先でご老人に「オマエ、日本人かシナ人か」?といきなり軍隊調の日本語で声を掛けられたときも面食らいましたが、外国語の会話学習は同姓同年輩の人に接するのが一番良いようです。ベトナム語の人称名詞の使い方の習慣もあって、中途半端に日本語を勉強したりすると、時に自分をHOAさん、とさん付けで語り相手のファーストネームを呼び捨てにしたりということも少なくありません。特に日本人は他人との距離の感覚がベトナム人と違ってますからファーストネームでいきなり呼ばれることに抵抗があるようです。他人事だと、「ちゃんと教わってないんだからしょうがないじゃん」と思えるのですが、言われた本人の感情は別です。もっともネットで新聞社のニュースを読んでも、犯罪を犯した芸能人が「さん」付けで呼ばれてて、被害に遭った芸能人が呼び捨てだったりだったりもするわけですから、外国人の日本語の言葉使いをとやかく言うのも筋違いで、ベトナム人にそいう日本語をしか教えられなかった日本人に問題があることは確かです。

ダナン市の先日の台風被害額は400億円と言われてます。一人当たり名目GDPが8万4千円の国で人口40万の都市での400億円は巨大です(一人当たり国民所得は日本の約35分の1。高卒初任給は20分の1位でしょうか)。工場等の生産設備への被害は再建の見込みの立たない小規模工場の倒産を不可避としているようです。また、観光開発が進むフラマリゾート・ホテルなどビーチサイドの高級ホテルの被害も特に大きかったと報道されています。
ビクトリア・ホイアン・ホテルも被害を受けたということですからトゥボン川が氾濫したのだと思います。数百年前に建てられた木造家屋も無事ではなかったそうです。古都ホイアンの被災は数百年に一度のものだったのでしょうか。「南洋日本町の研究」には自然災害の記録は残されていないので、ホイアンに日本人町があった時代に台風がやって来たかどうかはわかりませんが、1635年、最後の朱印船が中部ベトナムに向かうまでの凡そ50年の間に一度も台風被害に遭わなかったとは考え難いものがあります。記録に残る日本人町の被災は殆どが火事です。火元は死刑に処され、また異国で全ての財産を焼き尽くされた商人の境遇も想像を超えるものがあります。火災保険もなかったでしょうし。
などと考えてしまうのは、ダナンに一台貸し出した機器が未だに戻って来ないからでもあるようです。わが社の簿価では35万円ほどの資産。水に浸かってなければ良いのですが。

掃除

2006-10-16 14:25:49 | 生活
きょうこの小説を読んでしまうと、明日の日曜日の午前中カフェで読む本が無くなってしまう。などと思いながらも、とうとう佐藤正午の「ジャンプ」を読み終えてしまいました。初めのうちは少々退屈でしたが、主人公が下戸であるところに惹かれてか、TVのサスペンスドラマを最後まで見てしまうように没頭してしまいました。ちょとした日常生活の描写や会話にすら、ここにはない日本を感じて懐かしくなったりもするから。「流星ワゴン」や「ラッシュライフ」より夢中に読めたのはそのせいかも知れません。でも、その懐かしさみたいなものは、単なる風景ではないようで、例えば偶に目に入るNHK・BSの映像を見ても懐かしさなどありません。ネットで日本のニュースも毎日読んでいますから日本が懐かしいと感じるのも可笑しなことです。

クボタ君が用意してくれた「三丁目の夕日」のDVDも先週観ました。建設中の東京タワーとか銀座の風景や都電、氷を入れて冷やす冷蔵庫などは、子供の頃を思い出します。オート三輪はここでは毎日ゴミ回収車のそれを見ているせいで今ひとつ。それより登場人物にはどうも懐かしさが伴いませんでした。風景を50年前に戻し、当時を再現した物語である筈なのに、ストリーはそうであっても、何か違うよなーという感じでした。かろうじて小雪という女優さんの雰囲気(ラストサムライでしか見てないせいか)に懐かしさがありました。懐かしさというよりは虚構の世界が作り出すリアリティーということなのかも知れません。その意味では「リンダリンダリンダ」のほうが懐かしさも感じたし、リアリティも感じることができました。知ってる俳優が一人もいなかったせいかどうかはわかりません。

先週の日曜日は結婚式の披露宴に出掛けたのでしたが、それからもう一週間も経ってしまってることに驚きます。エクアトリアル・ホテルの披露宴式場には500名ほどの人数で、他の知り合いも来ているはずですが、とても探せるものではありません。新郎新婦に両親が付き添って入場する姿を見て、自分もこんな表情をして娘の結婚式に出ていたのかと思うと少々情けない気分になりました。

今回の週末もまたADSLがつながりません。この近所のネットカフェでは日本語入力の設定をしていそうもなく、それを確かめに行くのも無駄のような気がします。本棚を眺めて岩波新書の「金融システムの未来」を取り出しました。10年ほど前の本です。経済関係の本は読んだかどうかも殆ど記憶に残ってません。ベトナムの銀行も何れはこの成長過程の後、「不良債権」問題を抱えるかも知れないし、などと思って読んでみる気になりました。が、一度に20頁ほどしか読み進みません。集中力が持続しないわけですが、こういう時は何故か他のことに集中力が発揮されます。期末試験の前に机の引き出しの整理を始める高校生みたいなものです。久々に部屋の掃除を始めてしまいました。乾期に比べれば埃っぽさも10分1程度なのでしょうけど、終えてみれば鼻の穴の中は真っ黒。空気清浄器を使ったら毎日フィルター交換をしなければならないに違いありません。

ビンユン陶器

2006-10-14 12:15:13 | 仕事
卒業試験で休んでいたNがきょうから仕事に復帰し、ほっと一息でした。今更卒業証書があっても大した役には立たないだろうに、と思うのですが、両親がこだわっているようです。日本の政治家の学歴詐称問題などを見ると日本も学歴社会なんだ、と思いますが、こちらでは学歴偽造問題が多発してますから、それ以上の学歴社会のようです。「科挙」の歴史を持つ国だから、ということでは日本には科挙はなかったわけで説得力ある説明とも思えません。それにしても家族の学歴へのこだわりに逆らわないところが日本とは少々異なる感じです。親から精神的に自立できないということなのか、それとも家族の絆が強いということなのでしょうか。何れにしてもこの学歴社会が教育ビジネスに好都合なことは確かです。NはTOEICのランゲージセンターに通い始めたようですし、新人の子も日本語センターに通っているそうです。センターに通いさえすれば何かが身に付くような幻想の雲はとても厚いものがあります。それでもベトナム語のセンターにも通わずにいる同居人のDさんやT君よりはマシかも知れませんが。試験を終えても晴れ晴れとした表情でもないNに「日本に留学でもすれば良いじゃん」と無責任に声を掛けると、「no money」と定番回答。「カネの問題じゃないだろ」とは思いつつ。

納品も溜まっていたので、早速出掛けることにしました。バイクに積める量でもなく、かといってタクシーを使えば足が出る距離です。それに雨に降られたら目も当てられないので行きだけタクシーを使うことにしました。ビンユン省の工業団地の立ち並ぶ一角です。北部ではハノイ郊外のバッチャン村のバッチャン焼きが有名ですが、南部ではビンユン省の陶器が伝統産業のようです。もっともビンユン(Binh Duong)という地名は新しいようで、以前はソンベと呼ばれていたので、ソンベ焼きと言うのかも知れません。今では「ソンベ」と言う名を聞くことは少なくなりましたが、以前、知り合いの日本人が空港に行こうとしてタクシーの運転手にSAN BAYと告げ、居眠りして目が覚めたら見知らぬ田舎に着き「お客さんSONG BEに着きましたぜ」と言われたそうですから発音には要注意。ビンユン省は東西の省境をサイゴン川とドンナイ川に挟まれた地ですから、ソンベのソン(song)は川という意味で、この川砂が焼き物に適していたのでしょうか。この地場産業の焼き物は海外への輸出も多く、また今では日本やヨーロッパ資本の工場もあります。

ベトナム人がこの地に南下して来てからせいぜい300年ですから、伝統産業と呼ぶに相応しいかどうかは別にして、それでも焼き物の技術的な問題で日本人が指導することは何もないそうです。手作業の仕事ですが、工場の敷地の広さに比べ従事する人数はさほど多いようには見えませんでした。観葉植物用の大きな植木鉢が並んでいました。輸出先の国のマンションやオフィスで使われる都会的な色と形です。ホームセンターに並ぶこの鉢を見て、それを何処で誰が作ったかを考える人が居るとも思えません。そう考えると何か得をしたような気になりました。ガス釜の設備は昔とは大違いでしょうけど、作業する人々の気持ちには昔と変らないものがあるに違いありません。ベトナム人がこの地で焼き物を始める前にも、たぶん先住民族がこの地の砂を利用して焼いていたような気もしてきました。

なぜ英語が話せないのか

2006-10-12 19:39:54 | 新聞・書籍
カフェで新聞を開くと、「あら、ベトナム語の新聞が読めるの」?などと女の子が声を掛けてきました。少々鬱陶しいタイプの子なので「写真見てるだけだよ」と素っ気無く答え、ページを捲っていると、「普通教育で7年間学んでも何故英語が話せないのか?」との記事が目に入りました。ホーチミン市はベトナムの中でも最も英語に触れる機会が多く、高校卒業試験の外国語の点数も高いのに、との書き出しです。「高校三年生の86.8%が英語での簡単な日常会話も交わせない」、「教科書は1980年に編修されたもの」との小見出しはどうにか読めました。

日本でも小学校から英語教育を導入するとか、それより日本語をしっかり学ぶべきだとかの意見が交わされてるそうですが、どうなったのでしょう。どっちにしても言語を通してコミュニケーションをはかるということ、他人と関係を持つということの意味を掘り下げて考えて欲しいものです。言語や文化の異なる人々と関係を持つということが外国語学習の基本ではないのでしょうか。学校やクラスの中でいじめが起きるようならば、そもそもその前提に欠けているということのように思えます。会話だけなら話そうとする意志が強ければ間違った文法を使ってもそこそこ通じるでしょうし、会話の最中に前置詞の使い方に迷ったりしてたら、それこそ言いたいことも言えなくなってしまいます。中途半端な知識は持たない方がかえって喋れるということもありそうです。

ベトナムに進出した日系企業では、英語にするか日本語で通すかの2つのタイプに分かれるようです。即戦力の外国語能力の高いスタッフを多く集めるには英語のほうが便利でしょうし、日本人駐在員が英語での仕事に慣れているなら尚更です。また、技術的な問題を含め日本語の概念が重要だったり、日本人の出向者が多いような場合は現地スタッフへの日本語教育が重視されたりもしてるようです。日本語の基礎的な学習は半年間集中して取り組めば可能です。日常的な会話を交わすこともできるようになります。その後は本人のモチベーションと環境の問題です。日系企業への入社を前提に高卒者100人が半年間の日本語教育を毎日受けた場合、90%以上が必要なレベルに到達するようです。自動車の運転免許を取得する時間よりは長いかも知れませんが、必要な知識を身に付けるという意味では似たようなものです。

この基礎的な学習の後で本当に身に着く学習ができるかどうかが問題です。おそらく80%ほどの人々が脱落し、折角学習したことも時と共に忘れる一方なのではないでしょうか。個々人のセンスというよりは、主要には接する日本人の問題だろうと思います。工場の中で日常的に日本人と接していても日本語でコミュニケーションを取ろうという気が失せたらお終いです。如何に会社が従業員の日本語学習のために予算を割いたとしても、尊敬に値しない人々の言語を学ぶ気にはなれそうもありません。まぁ、そういう意味で僕の周りには日本語を覚えようとするベトナム人ができないのでしょう。

卒業試験

2006-10-12 02:40:49 | 仕事
先週金曜日から家のADSLが繋がらなくなり、月曜日に問い合わせたところ6ヶ月分の料金未納のため停められたとのことでした。5・6月は留守番も居たのに集金には来なかったし、何の通知もありませんでした。以前もダイアルアップ接続の頃2年分ほど溜めてしまい、その時はとうとう最後まで請求は来ず、かなりの金額を支払った覚えがあります。今回は半年分でも350Kドン、約2600円で済みました。このViettelという軍隊系の通信会社、急成長しているため管理が追いつかないようです。Le Duc Tho通りの料金支払い窓口に行くと皆20代前半の若い従業員で慌しく仕事をしていました。公務員的体質丸出しの郵便局系VNNとは大違いです。勿論、郵便局とて千差万別、一括りに語れるものでもありません。それでも「お前、縁故採用だろう」と言いたくなることはしばしば。

それでどうにか家のADSLは元通りに使えるようになりましたが、仕事と生活のリズムは狂いっ放し。先月末でスタッフの一人が「卒業試験が近いので辞めます」、ということになり、その余波でついでにもう一人抜け、取敢えず急場凌ぎに新しく一人来て貰ってはいますが、これまた姿を見ればストレスにしかならない仕事振りです。そして頼りのNも「最後の卒業試験」だそうで2日間の休み。どうやら5度目の卒業試験のようです。

きょうは朝から停電だと聞いたので、長時間の計画停電なのか臨時工事の短時間停電なのかと新人の子に尋ねると工事停電だとのこと。しかし電気メーターを見ると回転してます。ただブレーカーが切ってあっただけでした。恐らく事務所に顔を出さなければ、彼女は夕方5時までそのままで過ごしたか、停電だからということで早々と家に帰ったに違いありません。昨日も「問題が起きたら連絡すること、原因を追究すること」などと言ったばかりだったのに無駄な話をしたようです。普通の生活をしていれば、少なくても大家さんに尋ねる、電力会社に電話する、ぐらいのことはする筈ですから、その普通のことをして頂きたいわけです。この普通のことが出来ない人がベトナムでも増えているように感じます。或いはそういう人しかこの事務所には来ないということでしょうか。

試験は昨日までのはずのNが、9時、10時になっても来ません。しかも携帯電話は電源を切ってます。連絡もなく休み、携帯の電源を切るということはもしかしたらもう来ないということ・・・・などとの思いが過ぎり、どうにも落ち着かなくなりました。また一から始める気力が自分にはもう残っていないように感じます。地区の世話役が台風被害のカンパを集めにきましたが、黙って追い返してしまいました。店仕舞いしたら楽になれそうだし、スッキリした気分にもなれそうです。
12時を過ぎてからNが来ました。青い顔をして「あと2・3日休ませて欲しい」とのことです。表向きの理由が本当であるかどうかを考えても始まりません。兎に角、携帯電話の電源だけは切らないよう頼みました。

二階建バス

2006-10-06 04:46:15 | 交通
朝、起きると二人の姿が見えません。大家さんが家賃を取りに来ても鍵がないので門扉を開けられませんでした。二人はそれぞれ朝食とカフェへ鍵を持って出掛けたようです。Dさんが一人で先に帰って来ました。朝は、腹が減って目が覚めるそうです。Dさんの携帯はまだT君が持ったままなので、T君に電話をするとカフェにいるとのこと。Dさんの携帯番号は郵便局からの電話が入るはずなので、再び取り替えて二人にそれぞれ携帯を持って貰わないと面倒です。カフェに出掛けてSIMカードを交換することにしました。T君は最近一人でカフェに行くことが多くなりました。好きな女の子ができた、ということではないようです。毎回行く店を変えています。

家に戻ると、「公安が来てて大変だった」とのこと。隣家の世話役の爺さんと大家さんも一緒で居住登録のことのようですが、「ベトナム語しか喋らない」から何を言われてもお手上げ状態だったそうです。隣家の爺さんがもう一度来て、台風被害への義援金を募りました。災害と義援金については頻度が高いせいか、爺さんの詳しい解説を聞くまでもなく趣旨は十分伝わりました。

T君は、きょうもまた一人でブラブラしたいとのことなので、事務所へは雨上がりを待ってDさんと二人で向かいました。PCを一台、バイクの後ろに跨るDさんが抱えることになりました。「運転し難いからPCは膝の上に乗せて」と当然の如く要求したところ、「足が地面に着かないのが不安」「股開いて乗ってるから狭いところは通らないで」などと言ってます。ベトナム人の女の子二人乗せるよりも重たい上に煩いヤツだ、とは思いましたが、考えてみればバイクの後部座席に乗り慣れない日本人が手を塞がれて掴まることが出来ずにバイクに乗る恐怖も当然です。体型や外見、日頃の言動からは思い至らないことではありますが。

ホッチキスを3個調達しなければならなくなり、どうせサンミゲルのビールも買わねばならないわけだから、とスーパーのMETROまで行きました。24缶買っても5日分にしかならないと言われ唖然。5日後また買いに来るのも面倒です。他に持ち帰るものもあったので12缶入りを3箱買いました。何故か24缶入りは@75Kドンなのに12缶入りは@70Kドンでした。その帰り道、国道を2階建てバスが通ったのを見てDさんに教えると、「四トロのマークが付いてるのが変だなー」と一言。ビールは買いましたが、まだ飲んではいない筈。酔っ払いの戯言を昼間からは勘弁です。40年近く前の新左翼用語をそのまんまで連発するところはビアオム先生と変りません。「そういうこと言ってるとヤマダさんに言いつけるよ」と時には恫喝してみるのですが、「ヤマダの引越しの時に車を運転しててぶつけちゃったんだけどさー、後ろをちゃんと見ててくれたと思ったんだよなー・・・」などとこれまた古い話の言い訳が始まります。

H君が来たので「Dさんはさー、自分がミスすると直ぐ他人のせいにして言い訳するんだよ。ベトナム人そっくり」と言いつけると、H君は「それなら、ここで生活するのに合ってるんじゃない。大丈夫やって行けるよ」と励ましてくれました。

湿度

2006-10-04 16:42:38 | 天気
きょうも曇り空で、今にも降りだしそうな気配です。お陰で埃っぽさは免れていますが、湿度が高いようで、机の引き出しに入れておいた財布やタンスの中のベルトがすっかりカビだらけになってしまいました。ハノイの湿度を思えばそれでもまだマシのようです。ここではこんなにも曇り空と雨が続き、青空の見えない日はそうそう多くありません。ハノイの湿度は冬でも扇風機で換気しないとすぐに部屋がカビ臭くなってしまいます。10年ほど前、ハノイで革ジャンを着てコーヒーを飲んでいたら靴磨きの少年がジャンバーを磨かないか、と言って来ました。その時は、革ジャンに靴墨塗るというのが信じられない行為で驚きでした。カビ対策だと思えば納得です。
家の造りも暑さと湿気対策で通気口を大きく取ってあります。部屋の中を埃っぽくするには十分の大きさですし、虫、ヤモリ、ゴキブリ、鼠にとってはバリアフリー状態。すべての部屋にエアコンを設置するのであればまた違った設計になるのでしょうけど、どちらが合理的で快適な環境なのかは難しい判断です。

昨夜は、Dさんを迎えに空港に行きました。到着便の時刻を確認しようと数週間前のメールを開くと「10/3に変更になりました」としか書かれていません。便名も時間も書いてないからたぶん前回と同じなんだろうと、10時に家を出ました。生憎の雨でタクシーを捉まえるのに手間取り、空港に着いたのが10時20分。ちょうど成田からのJALの到着時間でしたが15分遅れの表示。ANA便は30分遅れで11時30分到着予定となってます。1時間以上、下手すれば2時間近くも待つことになります。こんなことならカフェでコーヒーでも飲んでいれば良かった、と思いながら売店でペプシを買うと9Kドンもして、その上まったく冷えてません。接客態度も横柄だし、タクシー同様空港サービス会社SASCOの売店は最悪。

「お元気ですか」?とベトナム人の若い男に声を掛けられました。何処かで会ったかどうか思い出そうとしても思い出せません。日本レストランの「志摩」で働いてたそうです。今はツアーガイドの仕事で、日本人客の送迎に来ているとのことでした。いまだにここに居続ける僕に「ベトナムで暮らすのが茎なんですね」?と同意を求められましたが、「はい」とスンナリ答えられる心境でもありませんでした。

JAL便が到着し、そしてインチョンからの大韓航空機も着いて到着便出口は深夜とは思えぬ混雑です。どの民族も集団で群れると耐え難く近寄り難い雰囲気を感じます。特に海外旅行というのものが、ある種の興奮を伴うものだからなのでしょうけど。中年の韓国女性が出迎えの長身の青年に飛び付き、ブチーっとキスをしました。ベトナムで生活している息子に会いに来た母親という感じです。あちこちに地べたに座り込んでいる出迎えの外国人の姿もあります。他人のことをとやかく言える立場ではありませんが、皆さん次第に立ち居振る舞いも現地化しつつあるようです。雨期の真っ只中、観光シーズとは思われぬ火曜日なのにこの日の乗客率は高かったようです。

他の乗客に比べるとDさんの荷物は、さほど多いというほどではありませんでした。タクシー(カローラ)のトランクに納まる程度です。つい話しに夢中になってるとタクシーは大回りしています。まるで百年振りの火山噴火の如くタクシーの運転手に怒鳴り始めてしまいました。Dさんは「日本でもよくあることだよ」ととりなしてくれ、代金を支払う本人がそう言ってるのなら僕が怒るのも筋違いではありそうですが、堰を切った怒りは勢いを増すばかりで収まりません。「こんなことするんじゃ空港タクシーと同じじゃねーか。絶対会社に言いつけるぞ・・・」と怒鳴り続けた成果なのか運転手の態度は急変し、最後は「領収証、金額は空白にしておきましたから」と低姿勢。一方通行のせいでもあるのですが、タクシー料金は、行きが35Kドンで帰りが60Kドンでした。Dさんの感想、「着いた早々、しばらく愚痴聞かされるのかよ」。


台風被害

2006-10-03 03:29:25 | 天気
中部を直撃した昨日の台風は10数年来で最大規模のものだったそうです。テレビに映し出されただけでもその破壊力の一端を知ることができました。電信柱や街路樹がボキボキに折れ、トタン板の屋根がすべて吹き飛ばされていました。去年は「私を恐れてダナンを避けて通った」などと言ってたランちゃんも、今回ばかりは元気がありません。海岸の波の高さは14mにも達したとか。フエ、ホイアンはほぼ水没状態だとのこと。被害状況はまだ集約し切れてないようです。
昨日のTVのニュースではCNNのウェブサイトでもこの被害状況が大きく取り上げていることが報道されてました。しかし日本の新聞社はまったく無視なんですね。ベトナムの新聞には安部新首相の奥さんの顔写真まで載るというのに。しかもこの顔写真、そのような意図があってのことなのかどうかは知りませんが、一区あたりで時たま目撃する駐在員の奥様風の堪らない表情でした。風景に馴染まないというか、変に浮いている感じです。その上意地悪そう。

日本のニュースでは、日本人観光客が乗ったバスが転落でもすると大きく報道され、あるいは日本に向かいそうな台風には早々と注意が喚起されるのに、どうして?という気になります。台風による被害、損失というものに日本も外国もないでしょうに。しかも日々日本からの航空機が何便も飛び、日系企業の進出が相次いでいる今日です。ベトナム中部の青利イカや剣先するめにもお世話になっているわけだし。あるいは、世界遺産、フエ、ホイアンへ旅行へのを予定していた人はキャンセルせねばなりません。

一区にある知り合いの会社に顔を出すと、ダナンの代理店が水に浸かり、商品すべてが損害を受けたとのことでした。漁業、農業は言うまでもなく、商店、倉庫、工場等の経済的損害は、経済成長を続けている時だけによりダメージが大きいというケースも少なくないはずです。銀行の前を通ると、預金利率年9.2%との看板が出ていました。高金利で預け入れを誘うということは、より高い金利での貸付の需要があるということです。運転資金に年十数%の借り入れを行い、仕入れた商品が水浸しになってしまった人々にはどのような救済策が講じられるのでしょうか。
7年前のフエの洪水の後には、ホーチミン市に裸一貫で出稼ぎに来て、「人民証明書」を担保に高利貸しから借りたお金を資本に路上販売するオバさんの姿が増えたそうです。そうすること以外に食いつなぐことのできない人々が今回もまた大量に生み出されたということでもあるようです。

夕食の最中に電話があり、名前を聞いても顔を思い出せない女の子から「明日田舎に帰るので一時間後に家に寄る」と言われました。こりゃ間違いなくお金をせびりに来るのだと予感し、その前にカフェに避難するつもりでしたが、T君の皿洗いが思いの他手間取り、とうとう女の子2人がバイクで来てしまいました。真っ黒に日焼けしているので、聞くと建築現場で働いてたそうです。それでが2階から転落し、全身打撲で仕事が出来ないから田舎に帰るのだとか。借金のかたに中国元紙幣を受け取ったからベトナム通貨に換えてくるとのことでした。毛沢東の肖像の10元札でした。20Kドンにしかなりませんが、100Kドン貸した担保だからそれじゃ困る、などと勝手なことを言い始め一悶着。建築現場の仕事は一日25Kドンだったそうです。T君の一日の煙草代とコーヒー代にもなりません。田舎に帰るバス代も残ってはいないようでした。