GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

ハイズン省からハロン湾

2016-05-23 21:05:24 | 旅行

Chi Linhから東へ80kmほどでハロン湾に着く筈です。ハロン湾はまだ一度も見たことがなく、また見たいと思ったこともありませんでした。今回も中国国境にあるMong Caiまで行く途中に折角だからちょっと寄ってみようという程度のことでした。国道18号線の道路沿いで休憩してコーヒーを飲もうと思って探してもCafeの看板が出て来ません。たぶんありそうだと思う店に寄って注文すると、店の人は「これしかないけど」とネスカフェの「3 in 1」の袋を取り出しました。仕方がないのでそのインスタントコーヒーで我慢することに。店の庭にはサトウキビが植えられ、それを絞ってMia Daを売る店だったようです。それなら仕入れも簡単。必要に応じて切れば良いだけのことで、鮮度が保てます。確か、サトウキビは切ってから時間が経過すると糖度も落ちるのだとか・・・

      

再び走り出し、田圃の空に凧が見えました。自作の凧のようで、見たことのない形でした。

ハロン市街に入り海岸に近づくと、大きなホテルが立ち並んでいました。一目海を見ようとバイクを走らせても道路脇には大きなフェンスが張られ広告しか見えません。延々と続く広告にウンザリしてやっと海が見えたかと思うと、目に入ったのは観覧車とロープウェイ。世界遺産のイメージがガタガタに崩れ落ちました。

     

ガイドブックも持たずに来たので訳も分からないまま、取敢えず橋を渡って西方向に進みました。何処から何処までがハロン湾なのかも知りませんが、東京湾と言っても神奈川県から千葉県に渡るわけですからそれなりの距離があるのかも・・・と。暫く走るとVan Don方向との標識が見え、何処かで聞いたような地名だったのでそちらに向かいました。

      

Van Donの町に入ると制服姿の公安の数も多く混雑していましたが、外国人旅行客の姿もチラホラ。更に進むと港があり、観光客が溢れてました。確か古い時代からの中国との貿易港だったかと。地図を見ると大小さまざまな島があり、此処で積み込んでいる氷は離島に運ぶためのもののようでした。無事ハロン湾の景色を眺められて満足。ミニホテルがたくさんある割には料金、質共に不満が残るものでした。


ハイズン(海陽)省チーリン(志霊)

2016-05-14 23:23:35 | 旅行

稠密な人口のためか紅河デルタの各省都間の距離は短く、ナムディンから何処へ向かうかは迷いました。河口が多いため海岸線に沿って北上する道路はなく、また隣のタイビン省の省都は余りにも近いので、「ベトナム中国関係史」を読んだ時に地理をイメージできなかったハイズン省に向かうことにしました。中国宋朝や元朝との戦闘でも確かChi LinhとかPha Laiの名が出て来ました。中国から陸路Lang Sonを通って来る遠征軍がハノイを陥落させるためには紅河を渡らねばならず、したがって水軍が必要となり、紅河に至るDuong河など6つの河が交わる地点が戦略的要衝となったようです。

     

途中で日本語で書かれた看板を見て、折角なので矢印の方向に道を逸れました。そう言えばチュウダウ陶器の名も何かの本で目にした気がします。ベトナムの手工業品が海外に輸出されるようになった初期の代表的な商品だった・・・とか。工場にはかなり多種多量の陶器が並べられていました。

Chi Linhの町はずれのやや閑散とした地域の閑散としたホテルに一泊することにし、まだ日没までに時間がありそうだったのでシャワーを浴びてからĐền Kiếp Bạcを探しに行きました。地図に載っていてホテルから近そうだったので。行って初めて元との闘いで勝利したチャンフンダオを祀ってある場所だと知りました。

     

敷地の直ぐ近くをThai Binh河が流れていました。河川敷にいた学生に訊くと土手沿いにバイクでなら国道18号にそのまま出られるとのこと。そうと知ってれば入場料も駐輪料金も払わずに済んだのに・・・。国道沿いにあるPhả Lại火力発電所の煙突が見えました。かつてこの地に要塞があったとか・・・宋、元、明、どの戦争時にもハノイまで中国に兵を進められているのでこの地は一度の勝利の前に何度もの敗北を経験したに違いありません。陳朝王族も数多くの王族が元に屈服し、それだけにチャンフンダオこと興道王陳國峻の名声は高まったのでしょう。南シナ海はすべて中国のも、などと言って中国が西沙諸島の軍事基地を建設する状況下にあっては、英雄チャンフンダオの功績も輝きを増すばかりなのかも。

此処からは河を下って白藤江まで行ってみようかとも思いましたが、数々の戦役の知識も乏しく手元に資料もないので諦めました。

 


籾摺り用具

2016-05-10 23:52:53 | 農業・食品

ナムディンでは、海岸近くにある郷土資料館に行って来ました。村の住民がかつて使っていた農具などを持ち寄って出来た資料館だそうです。昨年、越生へ友人の稲収穫を見に行き、その時籾米を少々持ち帰って自分で籾摺りを試みました。すり鉢とスリコギを使っての作業は容易ではなく、電化される以前の時代に人々はどうやって籾摺りをしていたのか疑問に思うことしきり。

弥生時代に稲作が普及した、と歴史の教科書では簡単に触れられる事柄ではありますが、こんな面倒な作業をしなければならない稲作がそう簡単に普及したとは思えなくなって来ました。隣の人が作っているから自分も真似して・・・などということではなく、新しい生産システムが社会組織として革命的に普及する過程だったのだろうと思います。

左がナムディンの資料館にあった籾摺り用杵、右はニントゥアン省ファンランのチャンパ資料館にあったものです。

 

思い出せば、4年前にラオスに行った時に見た農家の庭先で作業していたものと大して変わりません。

 

改めて画像を確認すると、やはり電気の来てない農家でした。

 

日本では江戸時代になって中国から籾摺り臼が伝わり、玄米の状態にすることが可能となったとのこと。杵で脱穀すると籾殻も米も多く破砕されてしまったようです。この籾摺り臼もナムディンとチャンパの資料館に展示されていました。

ベトナムのカオバン省で今回見た中国製電動籾摺り機。籾米を上から投入しほぼ白米の状態で落ちて来ていました。籾殻も粉々。オバサンは二度通してしましたから一度では籾殻を取り切れないようです。数軒ある集落で共同で使っているようでした。


ナムディンに二泊

2016-05-09 23:16:07 | 旅行

ニンビンからナムディンまではわずか32㎞程度。スマホのノキアマップをチラッと見て方向を確認して進みました。ナムディンには97年頃、頼まれて日本の高校生の付き添いで一度来たことがありました。農村の民家を訪れ、トイレに新聞紙を切って置いてあったのを覚えています。かつての日本と同じ文化。ベトナム南部はカンボジアと同じでお尻を水で洗う文化です。その名残は今もホテルのトイレで気付くことがあります。高級ホテルは別なのでしょうけど。

紅河下流デルタ、ナムディンの田圃は広々とし、この地でも起きた1945年の大量餓死が何故だったのだろうか、と改めて考えざるを得ない気になりました。田圃の一区画がやたら広いのは合作社の時代の名残なのでしょうか?そしてやたら教会が多いのも不思議に思います。かつてビエンホアの町の教会の多さにも驚きましたが、それはジュネーブ協定の後北部のキリスト教徒が大量に移住したため、と単純に納得しました。

     

暫くしてからナムディン方向への標識が見えないのに気付き、方向を大きく外れてしまっていました。スマホのMapを見ても現在地に道路がありません。何度か人に訊ね、その都度益々混乱するばかり。改めてノキアMapを見るとナムディンまで190㎞との表示。やっとのことでフェリーで河を渡ればナムディンまで一本道で行けると教えて貰えました。

     

大きな荷物を積み、バイクに裸足で乗るオバサン達の姿を見ると農村部の豊かさがどれほどのものであるのか想像されます。以前見たナムディンの町は人々が彼方此方でバトミントンをしている姿があり、そして泊まるべきホテルも余りなかったような・・・・。ハノイに居た時にナムディン出身のThanhさんという名の学生と知り合い、「ナムディンは何もありません。大きな繊維工場がありましたが倒産しました」と言っていたのを思い出します。町の外観は大きく変わっていました。道路や建物は立派になっても何処か実態が伴っていないスカスカな感じは残ります。人々の活気を感じることはありませんでした。

     

博物館巡りを予定してましたが、生憎の休館。雨が降って海岸を見に行くことも出来ず仕舞い。ハナム省の省都Phu Lyまで鉄道沿いの道路で行ってみました。途中、路上で梅の実が売られているのを見掛けました。小さい品種です。

     

 


胡朝城塞からニンビン

2016-05-08 23:47:06 | 旅行

タインホア省はホーチミン市、ハノイに次ぐ人口を有し、面積も全国で5番目の11,132Km2。漢支配下の時代には九真郡に属し、今の政府の地理区分では北中部に位置します。紅河デルタとは異なる気候や文化がどのようにあるのかが気になったりもします。明からの独立を勝ち得たレロイのラムソン蜂起の地でもあり、とりあえず世界遺産に登録された胡朝城塞を見に行きました。

     

着いて驚いたのは、ゲートがあり入場券を買わねばならないのか、と思ったものの周辺住民の生活道路のようで、「エンジン付きの乗り物で入場禁止」と表示があるものの皆バイクに乗ったまま通過しています。面倒なので私も後に着いてそのまま通過。外壁を登って中を見ると只の田圃が広がっていました。従って周辺は世界遺産の町という雰囲気は何もなく、勿論観光客用のホテルなどもありません。のんびりできる場所なら一泊するつもりでしたが当てが外れ、もう少し西北に向かって山地方向に進むことにしました。

     

ホーチミン道路に出たので、それを暫く北に走ってからニンビン方向に下りました。トラックの通行などもあるとは言え、国道一号線と比べると交通量も少なく、周りが緑に囲まれていて気分は爽快でした。タインホアから北は各省都間の距離が短く、どの方向に走ろうか選択肢が出来ることになりました。

初めて来たニンビンの町は地理を捉えられず、静かな場所の安いホテルを探してみましたが、結局観光地となっている郊外のTam Cocに泊まることに。

     

朝食付きで一泊33万ドン。快適さを考えれば高いとは言えない宿泊料でした。生憎小雨続きで二泊しました。