GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

対岸はカンボジア

2010-05-30 23:23:58 | 旅行
チャウドックのCon Tien 橋で後江の支流を渡ってアンフー県に行きました。一度もフェリーに乗らずに済みますが、この橋を渡るのに行きは只で帰りに3000ドン徴収されます。ここもTan Chauと同様に川を渡るとすぐにイスラム・モスクが目に入りました。

ベトナム語版のウィキペディア「アンザン省」に省出身の著名人が記載されており、アンフー出身者としてトロツキスト、タトゥタオ(Tạ Thu Thâu)の名があります。1906年5月5日ロンスエン省アンフー総タンビン村の貧窮した子沢山の第四子として生まれ、父は大工兼漢方薬業(nghề bốc thuốc)。

それから100年を経過した今日も農業が主産業のこの地では、貧困が語られ続けています。たぶん雨期の始まりによるメコン河の水位の上昇によって6月から農地の多くが冠水してしまうからのようです。

省道956号を北に進むと30分ほどでメコン河沿いの町ロンビン(Long Bình)に着きました。狭い路地の突き当たりにはカンボジアとの国境口、Cửa khẩu Khánh Bìnhの看板が見えます。河沿いのロンビン市場を歩くとカンボジア通過リエルを束にしてショーケースに飾っている両替商の店も数軒あり、国境の町の雰囲気を感じます。それでも、この商売は一応非合法なのか、ビデオカメラを向けると店のオバサンは「撮るな」とばかり慌てて手を振りました。

このロンビンは、アンフー県ではたった二つしかない町(Thị trấn)の一つですが、町を回るのに10分も掛からないほどの小さなものです。国境を越えて来たベトナム人を待ち構え、金をふんだくる装置としてカンボジアではカジノがありますが、ベトナム側のそれに相当するものは「ビール・カラオケ」と書かれたやや怪しげな店のようでした。

この町は、ちょうどメコン河に注ぐ水路との接点にあり、国境口もこの水路沿いです。水路の向こう側がカンボジア領で両側共に小船に荷物の上げ下ろしをしている姿が見えます。水路に下りて見ると、カンボジアから来た果物を荷揚げしていました。ダンボールに詰められたマンゴスチンなどです。その場にトマトや苦瓜なども袋詰めにしてありましたが、これらの野菜はカンボジアへ運ばれるものだそうです。

果物の入ったダンボールに貼られたシールを読むと、生産国はタイと書かれていました。以前はベトナムでもマンゴスチンは高価な果物でしたが、先日コープマートで2万5千ドン/1kgで売られていて中国製のリンゴより遥かに安いのに驚きました。ここから運ばれたものなのかも知れません。

アンフー県にはこのカンビン国境口のほかにもう一つビンホイドン国境口があります。二つとも国家国境口(Cửa khẩu Quốc gia)で国際国境口ではないので、規定では第3国人の越境は出来ないことになっています。実際には特例とか柔軟な運用があるようで、そうでないとチャウドックから舟でカンボジアへのツアーなどもできないわけです。アンフー県にはこの国家国境口の他に輔国境口(cửa khẩu phụ)と規定されるものが幾つもあるとのことです。

水路の幅は対岸のカンボジアの家が掛ける音楽が聞き取れる距離です。洗い物をしてる女性の年令を判別できるほどではありませんが。

アンフー県ではこのカンボジアとの経済交流を経済建設の重要な柱にして行くとの方針を持っているようです。既に県内で生産される野菜の10%はカンボジアへ輸出され、輸出用に作付け品目も変更されているのだとか。昨年2009年のアンフー県のカンボジアとの輸出入金額は150百万ドル(140億円)。

この国境を流れる水路沿いにバイクを走らせてみることにしました。



国道91号陥没現場

2010-05-29 22:47:19 | 交通
アンザン省にある九県の内、アンフー(An Phú)県だけはまだ行ったことがありませんでした。メコン河の後江がカンボジアから流れ込む場所でもあり、一度は見ておきたいと思い、朝から出掛けました。

町を出る前にスタンドに寄って洗車とオイル交換を済ませ、国道91号を30分ほど走ると前方の空から雨雲が広がりました。午前中にスコールが降ることはそう多くはありませんが、降ること間違いなしの雲行きです。

スコール直前の景色を画像に残し、更に走り始めると先月だったか、道路が陥没した地点に着きました。台風や地震による被害ではなく、メコン河の侵食による崩落です。91号線はメコン河に沿ってはいるものの河岸に接近した地点はこのチャウフー県Cái Dầuの町の近く、その手前です。

新聞によると、河沿いの道路の下にはまだ幾つもの空洞が見付かっているとか。どうやって調べたのでしょう。それを発見するための「地下レーダ」をアンザン省の運輸局が持っているとは思えませんが・・・などと、かつて働いたことのある地質調査関係の会社のことを久しぶりに思い出しました。確か兼崎さんという方が会社に泊まりこんで地下レーダーに取り組んでおられたような。

町の中の岸壁がコンクリートで固められ整備された光景を見る度に、以前の土の土手を懐かしがったりもしているわけですが、しかしこの陥没現場を見てしまうと、そうも言ってられない気になります。

バイクを止め、シャッターを一度押したところで雨が降り始めました。船から籾殻を運ぶ人々も雨宿りを始め、近くの売店のオバサンが中で休むようにと声を掛けてくれました。

暫く振りに洗車したのに30分ほどで雨に濡れてしまいました。雨具の用意はしてあるもののこのバイク、濡れた路面でブレーキを掛けるとスリップして危険。他に道路を走るバイクもなくなりました。

道路は子供達の独占物となりました。大人たちが何も出来ない束の間の空間を勝ち誇ったように上半身裸の子供たちがはしゃいでいます。

雨は30分ほどで上がり、再び空が明るくなりました。路面が乾くまで10分ほど待ち、再びバイクを走らせました。




停電の5月

2010-05-28 23:52:29 | 天気
10kmほど離れた工場からの帰り道、直ぐ後ろにホンダのPCXが軽快に走ってました。黒色の真新しい新車でそのスタイルは目立ちます。このタイ製ホンダのスクーター、この町で見かけたのはこれで3回目。日本でも今年から30万円で販売されてるものですが、ベトナムでは37万円と更に割高です。町を走るスクーターを見ても一度として「乗りたい」などと思ったことはないのにこのスクーターだけ別です。

ロンスエンの町に入ると道路が濡れていました。昨日は雨が降った形跡はありませんでしたが、近くでかなりの降水量があったようで涼しい風が吹き、きょうは降ったものの雨量が少なく、昨日よりも蒸し暑さを感じます。

今日の新聞によれば、ホーチミン市では場所によっては23時間連続の停電があり、しかも事前の予告無しだったそうです。この状況が改善されるのは6月20日以降だとか。「Điện cúp, chịu hết nổi」それと比べればまだ田圃に囲まれたこの地の気温の方が快適であることは間違いありません。

PCの3G接続ができないので、夕食後、カフェに行く途中でViettelの店に寄って問い合わせてみました。まだ買ってから一ヶ月ほどしか経たないものですが、1時間ほど時間を費やしてUSBモデムの中のSIMカードに問題があるということが分かりカードを交換。

カフェに行くと、顔なじみのウェートレスがいつもそうするように、まるで犬が尻尾を振るように手を振ってくれました。このカフェも最近、改装を機会にエアコンの効いた室内は禁煙になってしまい、屋外の席に座るしかありません。一時期は夜の屋外席でも暑さと蚊を我慢しなければなりませんでしたが、ここ暫くはその心配もなくなりました。

9時過ぎの帰り道、宿に向かう道沿いのカフェは停電で蝋燭を灯してました。近くの電柱に登って工事する二人の姿が見えました。宿舎に着くとやはり停電。「また停電かよー」と呟くと、愛想の良い従業員が「ベトナムはいつもこんな風なのよ。気の毒だけど。でも直ぐに点くから」とその体格に相応しく悠然としていました。

風のない部屋の中はそれなりの暑さ。蝋燭を点けて水シャワーを浴び、ついでに洗濯をしました。他にすることもありません。明日は土曜日。まだ訪れたことのないアンザン省のアンフー県まで行ってみようと思います。

工場の犬

2010-05-27 20:24:57 | 生活
昨年この工場に来たときは犬が三匹飼われていました。つまらぬ冗談を言ったり自己顕示欲を抑えることのできない人間よりは犬と触れてた方が余程心休まる思いがしてました。それでも当初は匂いが違うのか、警戒されて新参者になかなか慣れず、お菓子の「リッツ」を分けてどうにか距離を縮めました。

「リッツ」を食べるようになって懐いたは二匹だけで、残る一匹は最後まで匂いを嗅ぐだけで咥えようともしません。この三匹の関係には序列があるようで、毛の長い外来種犬が親分格。三匹とも世話らしい世話を受けているわけではないので毛は汚れ、皮膚病におかされてました。特に毛の長いテリア風の犬は痛々しいほど。

それがテト休み明けには親分格とその次の順位の2匹が姿を消し、替わって愛玩犬風の犬が来ていましたが、いつの間にかその犬も居なくなり、今は写真の犬一匹だけです。この残った一匹はリッツも食べず、他の犬と違って極度に人間を恐れて懐かず、犬同士でしかコミュニケーションがとれないようだったのに。

餌は主に昼食時に従業員がテーブルの下に落とす肉や魚の骨。時にご飯に混ざった石を口の中のご飯ほど吐き出しりしたものも綺麗に食べてしまいます。猫ならば人の目を盗んでテーブルに飛び上がって盗もうとするのでしょうけど、ベトナムの犬がそんな大胆な行動をとったところは見たことがなく、悲しいほど従順に落とされたものだけを食べています。

連休前の飲み会で牛肉を食べに行った時は、店にシェパードが飼われていました。かつての米軍の軍用犬の子孫なのかどうかは知りませんが、ベトナムの在来種と比べて体格はやたら大きく見た目には恐怖を覚えます。しかしベトナム社会で飼い慣らされてしまうと習性は在来犬と変わりません。客がテーブルの下に落とした骨を恐る恐る食べに来るシェパードの姿は哀れです。「お前にはプライドがないのか」!などと思ってしまいます。

工場のボケ犬は仲間が居なくなってしまってからは元気もなく、この暑さのせいかも知れませんが、以前は4へクタールある工場の敷地内を歩き回っていたものが、今はひたすら事務所の前で眠り続けています。賄いのオバサンが植えた雑草のような野菜畑で眠るのが好きなようでしたが、そうするとオバサンに見つかって追いやられてしまいます。

先日は目の周りにダニをぶら下げていたのでピンセットで取りました。それ以来多少懐くようになり、きょうは甘えるような声を発してゴロンと身体を横たえましたが、皮膚のただれを見るとちょっと触る気にはなれません。オロナイン軟膏を塗って効果のほどを確かめてみようかとも思っています。




ディンアン河口

2010-05-23 23:58:50 | 旅行
金曜日は、日が暮れる頃にディンアン (Định An)の町に着きました。町と呼ぶには余りにも小さく、果たして泊まるところがあるのだろうか、と心細い思いで探してると「この先200mにnhà nghỉ」との看板を見つけ道を折れました。が、200m走ってもそれらしき建物はなく、更400mほどのところにまだ建って間もない2階建ての建物がありました。エアコン付きの部屋が一泊12万ドンとのことで、そこそこ清潔そうにも思えたので、其処に泊まることにしました。
受付では、パスポートがないので運転免許証を代用して切り抜けました。

部屋は全部で20室あり、他の宿泊客の姿も見えました。しかし部屋に入ると床にはヤモリのフンが散乱。慌てて宿の人がホウキを持って掃き出しましたが、ベッドの上やトイレの中の糞はそのまま。トイレにはヤモリの死骸も横たわってました。

シャワーを浴び夕食に外に出ると既に外は真っ暗。灯りが少ないので7時過ぎとは思えぬ雰囲気で、その時間に食事らしきものを取れる適当な店は一軒だけでした。店には他の客の姿はなく、店のオバサンも嘆くほどの蚊のためにしばし箸を休めながらの食事。何故か各テーブルの上には天井から水の入ったビニール袋が垂れ下がっていました。

「これは何ですか」?と聞いてみると「水」との答え、「何の為ですか」?と聞くと、何だかよく聞き取れず分かりません。日本で暮らしていた時、隣の家のオバサンが水を入れたペットボトルを並べ、「猫の侵入対策」とか言ってましたが、少なくともこの水袋、蚊避け対策になってないことだけは確かです。

田舎の小さな町で大人の姿は早々と家の中に消えても若い人々はカフェやビリヤードに集まっていました。宿に戻る途中でコーヒーを飲みに寄ったものの、カラオケの騒音と蚊の攻撃に耐えられず早々に退散しました。

翌土・日はチャビン省内を回りフェリーでベンチェ省かソクチャン省へ渡ってみようか、などとも思っていたところ、朝まだ目が覚めぬ頃に携帯メールの着信音があり、VISAの更新ができているとの知らせ。旅行は切り上げてサイゴンに向かうことにしました。

宿の近くに人だかりが見えたので行ってみると其処は船着場。河口近くのメコン河(後河)の流れが見えました。バイクも乗せている姿がありましたが、フェリーというよりは普通の小舟で、少し大きめのバイクを載せるのは迷惑そうな感じです。朝食の麺を食べる人々に混ざってコーヒーを飲み、次回もう一度この地を訪れるつもりでその場を後にしました。


メコン河の出口

2010-05-21 23:01:04 | 旅行
先週依頼したVISAの延長が出来上がっている筈なので(昨日20日が期限切れ)、きょうは仕事を休みサイゴンまで受け取りに行くつもりでした。が、来るはずの連絡は今朝になっても来ず、携帯メールで問い合わせると「まだ」との返事。と、いうことはもしかしてきょうから不法滞在?と慌てなければならないところですが、事情も分からず手元にパスポートもないわけでどうにもなりません。

昨夜はベトナム語の文章を読んでいてちょっと目を閉じて考えようとしたところ、そのまま歯も磨かず、シャワーも浴びず、洗濯も途中のままで眠ってしまいました。ところが運悪く、朝になって水道の蛇口を回しても水が出ません。VISAが出来てないのにサイゴンに行っても仕方ないことだし、部屋は断水・停電。

机の上にチャヴィン(Tra Vinh)の地図があったので、チャヴィンまでバイクで出掛けることにしました。前日の激しい夕立の後で空気は爽やか。空の青さと雲の形もこの時期ならではのものです。Bam Congフェリーの上から見るメコン河は先週にも増して鮮やかで、今度こそは緑色のメコン河を写してみせる、とカメラを取り出し、液晶画面を覗くと「カードを入れてください」の表示。メモリーカードを外したまま置いてきてしまったようです。

フェリーを渡ってからサデックを通りヴィンロンまでは50kmほど。ヴィンロンの町に出る手間にチャヴィン方向に分岐する国道がありました。国道沿いには水田が広がり、水田の奥くにはバナナやヤシの木が見えます。稲は30cmほどに伸び、一面の緑の中を走り続けると、VISAの延長のことなど気にもならなくなりました。

途中、二度ほど雨に濡れ、道路沿いの店で休みました。雨が降っても陽は差したままなので道路は直ぐに乾きました。昼過ぎにはチャヴィンの町に着き、市場の周りで昼食をどうしようかとウロウロしているとパンを売ってたオバサンが、こちらの気を察したかの如く「このパンに肉を挟もうか」?と声を掛けて来ました。パンか麺類であれば胃への負担が少ないようで食べた後で痛むことがありません。

チャヴィンには何度か来たことがありますが、バイクで来たのはこれが初めて。地図はあるものの殆ど用をなさない地図です。チャヴィンはメコン河の支流に挟まれた省で2つの河口が南シナ海に注いでいます。

先日はメコン河の入り口を見たので、今回は出口を見てみよう、などとも思い、河沿いの道を探しましたが地図にはありません。仕方なく、とりあえずは南端に位置するDuyen Haiの町まで行き、そこできょうは一泊してみようかと思いました。

3年前だったかにも一度来たことのある町ですが、相変わらずの感じでここに泊まる気にはなれません。Hotelと名の付くものが一軒、Nha Nghiが2軒ありましたが。チャヴィンの町まで引き返しても50kmちょっと。1時間半もあれば戻れるので日が暮れる前後には着ける距離です。そう思って走り出したものの途中で気が変わり、Tra Cu方向と書かれた道を行ってみることにしました。

たぶん地図では省道914号と記されてる道だと思います。幹線道路でないためか自動車を一台も見ることがありませんでした。道沿いの家々も多くはニッパヤシで葺かれたもので何処か長閑な印象です。水田の稲穂は見えず、養殖池や休耕田が目立ちます。このTra Cu県では少数民族のクメールが人口の60%を占めているとのことです。

子供達がサッカーをして遊ぶ姿が見えたのでバイクを止め、田圃に下りてみました。ベトナム語で話しかけられたのでベトナム語で答えていると余りにも下手糞なベトナム語だったからか「オジサン、ハノイの人でしょ」と問われ「いいえ、外国の人です」とへんてこな答えを返してしまいました。「この辺は何もないよ。Dinh Anまで行かないと。この先のDinh Anには魚の・・・(?)があるから」と教えてくれたので、そこまで行ってみようと思いました。

サッカーに参加するように誘われましたが、苦笑しつつそれは断り、歩き始めると彼らは再びサッカーボールを蹴り始めべトナム後ではない言葉を交わし合っていました。






メコン河の入り口

2010-05-16 23:49:38 | 交通
メコン河が二つに分かれてベトナム領内に流れ込む景色を見に行こうと思いました。後河のほうは以前シンカフェのツアーでチャウドックからボートでプノンペンに向かった時に通ったことがあります。それにAn Phu県方向はコレラも流行っているようだし。

今回は川幅の広い前河を見ることにしました。が、金曜の午後から胃が痛み出し、土曜日は一日中ベッドの上で過ごすことに。連休以降、朝にリンゴを食べる習慣を止めてしまったのも原因かと思い、リンゴを買いに行きました。この時期、中国製の「ふじ」もマンゴスチンより高い値段になってました。

あれこれ飲み残しの胃薬を引っ張り出して飲んでみましたが、ベトナムで買った薬は効果なく、日本から持ち帰った「セルベックス」と「ガスター」、粘膜の分泌を促進し、胃酸を抑える薬が効いたようです。

「前河」の上流へはチャウドックからフェリーで「後河」を渡ってTan Chauの町に出て、そこから「前河」沿いに北上すれば着くはずですが、以前一度迷ってしまったことがあります。「前河」と「後河」を結ぶ水路をフェリーで渡らねばならない、と地図を見て知りました。

昨日一日身体を休めたせいか、きょうは朝も爽やかに目覚めたのでバイクで出掛けました。昨日は午後から何度か雨があり、雲も多く気温がさほど上がらずでしたが、きょうは強烈な日差しを浴びることに。一時間ほどでチャウドックのフェリーに着きました。

途中メコン河沿いの国道の陥没箇所を見ました。川の浸食で見事にズドンと道路の片側が途切れ、絶壁状態になってました。まだ何箇所も道路の下に空洞が出来ているとのことです。

フェリーに乗る前にリュックから地図を取り出して見ると、何と朝出がけに手にしたのはアンザン省の地図ではなくチャヴィン省のものでした。書店を探して暫くチャウドックの町を回りましたが見つからず、買ってもどうせ当てになりそうもない地図だろうし、と諦めました。

チャウドックで渡る「後河」は川幅が狭く、フェリーは4,000ドンですがあっという間です。その分水深があるのかも知れません。渡ると直ぐにイスラムのモスクが目に入りました。民家も古い木造の高床式の建物が多くなります。Tan Chauの町までは16kmほど。「前河」と「後河」を繋ぐ水路に沿った省道です。この時期だからか、水路の水は浅く淀んで見えました。

Tan Chauの町は前回来たときにも通りましたが、他の町と同じように見るべき何ものもないの殺風景な町なのでカフェに寄ることもなく「前河」の上流方向に走りました。省道の右側にフェリーの看板を見つけ、大きな水路を渡りました。木々の青葉が繁っているせいか、水は緑色に見えます。

国境近くのこの辺の村は特に貧しいらしく、先日、警察(公安)が2つの村に25百万ドン寄付したとの記事がありました。道路を走りながら見る限りでは、その特別な貧しさを知ることはできません。

道路を進むとメコン河に出ました。そして其処にVinh Xuong国境口の看板がありました。兎に角暑いので売店でペプシを飲み、メコン河を眺めました。川幅は広く雄大な流れです。売店ではベトナム人の男が集まり博打をしてました。制服を着た入国管理官二人も椅子に座ってそれを眺めていました。








緑色のメコン河

2010-05-13 23:01:11 | 天気
乾期のメコン河は上流から運ばれる土壌の流入が少ないため雨期とは違って澄んだ色を見せています。思えば埼玉を流れる入間川も台風の後では土の濁った色をして流れてました。
昨日の朝、と言っても10時近くでしたが、ロンスエンからBam Congのフェリーで後河を渡る時、5月の青空の中を巨大な雲がムクムクと昇り立ち、その下のメコン河の色を今までここで見たことのない緑色に染めてました。
(残念ながら画像では何故か緑色に見えませんが)

「これは凄い」と跨っていたバイクから降り、携帯電話のカメラに画像を納めようとしました。一人で興奮してデッキの後部に行ったところ、河の水の色に心を奪われた様子の人間は他には誰もなく、後方デッキの左右では一人づつ男が放尿してました。折角一人で盛り上がっていたのにガックリ。

M.デュラスがヴィンロンのフェリーを渡る時、もし同じように放尿してる男がいたら「ラ・マン」の小説は違ったものになっていたかも知れません。

『河を眺める。母からときどき聞かされてた通りだ、生涯をとおして、これほど美しい河、これほど原始のままの河を二度と見ることはないだろう、・・・』

誰かこの緑色に染まったメコン河を見て小説にしてくれないだろか、と思ってしまうのは、このこの景色を見てわが想像力の貧困-テンプターズの「エメラルドの伝説」の歌詞しか思い浮かばないためです。

ヴィンロンに続いて、カントーにも橋が架かり、フェリーが失われることによってこの地を訪れる外国人の想像力も間違いなく失われていくに違いありません。

しかし、そこで生活する人間にとっての問題はまた別なのでしょうけど。後10年もすれば、このBam Congにも橋が架かる予定のようです。

ロンスエンで後河を渡るにはもう一つ街中にAn Hoaのフェリーがあります。人間一人にバイク一台で4000ドンのチケットを買うわけですが、このチケット売り場の若い女性と何度怒鳴り合いを演じたことか。ロンスエン側の売り場は問題ないのですが、ドンタップ側の売り場の女性です。前回も5000ドン札を渡すとお釣りをくしゃくしゃにしたままの500ドン札2枚を乱暴に投げて来ました。誰に対しても不機嫌を爆発させているかのような仕事振りです。

きょう、帰りに乗ったフェリーでは、空は降り出しそうな雨雲に覆われ、河の水も色彩を欠いていました。隣に止めた車の運転手が車から降りてきて話し掛けて来ました。またまたバイクの話です。80年ほど前、デュラスが乗ったフェリーの上で当時のベトナムの人々はどんな会話を交わしていたのでしょうか。

きょうも停電

2010-05-11 22:49:11 | 天気
今年は例年よりも暑くなるとのベトナム気象庁の発表があり、またこの暑さで病院を訪れる人の数も増えているそうです。そんな記事を読むまでもなくとにかく暑い。水分の摂り過ぎで食欲減退。夕食時になっても「あぁ、喰いたくない」と思ってしまいます。しかし、ふと「カツオの刺身だったら喰えるだろうな」と思い、だったらベトナム定食も食べようとすれば食べられる筈と思い直して食べに出掛けました。

きょうは、工場前の電線工事で午前10時頃から停電。1時間ほどで終わるだろうと思ったわけですが、午後になっても終わる様子はなく、ドアを開け放っても風は入らず、蚊が入ってくるだけだし、堪らぬ暑さに早々に仕事を引き上げて来ました。

それにこのところ胃の調子も悪く、たぶん土曜日に出席したサイゴンでの結婚披露宴で食べ過ぎたせいかも知れません。エビ、蟹に始まり鶏肉、牛肉、鍋と続いて出た料理を冷房の効いた会場で堪能して来ました。日頃の食生活に比べれば贅沢な料理でした。

その時に「豚肉が無いなー」とは思ったのですが、青耳病が流行っているため北部では豚肉価格が30~70%も下落しているとか。殺処分が増えて供給量が減り、価格が上昇するのか、などと思ってましたが、逆でした。その代わりに鶏肉や魚の価格が上がってるそうです。

養豚農家にとては感染してなくても売れなくなったり、極端な価格低下を引き受けねばならず、堪ったものではありません。そこで農業・農村発展省の獣医局は、「豚青耳病のウィルスは採りインフルエンザと違って人間には感染しないので安心です」などと語っています。
Ông Hoàng Văn Năm, quyền Cục trưởng Cục Thú y (Bộ NN-PTNT), cho biết virus tai xanh ở heo không có cơ chế lây nhiễm sang người như cúm gia cầm nên người tiêu dùng hoàn toàn yên tâm.

感染した豚は適切に処分され流通させない、ということが不可能だと認めているようだし、感染死した豚をもったいないから食べちゃう、っていう風潮をも助長してしまいそうな気がしました。

先日ハノイに来た前原国土交通相は、ベトナムの鉄道は「味があって良いんじゃないの」と語ったそうですが、豚肉は食べたのでしょうか?






4月の農業報告-病疫

2010-05-06 23:18:23 | 農業・食品
4月末の新聞には豚青耳病(Dịch tai xanh trên lợn)感染拡大の記事が大きく何回も取り上げられていました。宮崎県の口蹄疫の記事が日本の新聞でどのように書かれているのかは知りませんが、ベトナムの豚青耳病の記事はルポルタージュ的な書き方で、より人間味ある記事のようにも感じます。

豚青耳病(豚繁殖・呼吸障害症候群)に感染した豚を食することも少なくないようで、そのため加熱不足で連鎖球菌感染の患者も発生している-豚青耳病が流行すると連鎖球菌感染患者が発生する関係があるそうです。

感染し処分した豚に対しては1kgにつき2万5千ドンの補償費が支払われることになっているそうですが、獣医局が直ぐに来て処分する体制が整ってはいないようで、死骸を数日間放置せざるを得ない場合もあるようです。

農業・農村発展省の4月統計報告の病疫状況(Tình hình dịch bệnh)では次のように記されていました。

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a.鳥インフルエンザ

4月中(3月15日~4月15日)に引き続き感染はバッカン省とクアンニン省の3県・区にある6村・町で発生した。

バッカン:3月19日から4月6日の間に16軒の家禽施設-ルンフー県ニューコー村ナータオ集落で感染が発生し、総数318羽の各種家禽が死亡または殺処分された。

クアンニン:4月13日、さらに感染は拡大しハロン市ヴィエットフン地区の一軒の家禽施設で900羽のアヒルの雛が感染した。死亡したアヒルは450羽。獣医局は施設の全家禽を殺処分し、規定に従って予防措置を行った。

ワクチン注射:ワクチン接種が強制される地域では今年度第一回目のワクチン接種が積極的に展開されている。家禽への接種総回数は2,687万回であり、内アヒルが1,342万回、鶏1,345万回である。

b.口蹄疫

今月も引き続きディンビエン、ハザン、ソンラー省の3県・区、5村・町で発生した。発病は135頭の水牛と牛。

ハザン省:ドンヴァン県で引き続き再発し、35頭が感染し、累計280頭(水牛115頭、牛156頭、豚9頭)で4県10村11集落の118軒の施設。今日までに死亡した家畜は7頭、殺処分1頭。残りは治療され症状は回復している。

ディエンビエン省:4月15日までにディエンビエン、ムォンアン、ヌォンニェの各県とディエンビエンフー市の26村91集落で発生した。感染家畜数は2,747頭。内、水牛2,568頭、豚167頭、山羊12頭である。死亡および殺処分は、水牛15頭、豚13頭。
現時点までに感染した家畜の多くは症状が回復しており、新たに感染した家畜は現在引き続き治療中である。

ソンラー省:ムォンラー、モックチャウ、ソンマー、ソップコップの各県で発生し、水牛105頭、牛90頭、豚250頭が死亡した。

c.豚青耳病

ハイズン、タイグエン、タイビン、フンエン、バクニン省とハイフォン市の6省・市の12県・区、68村・町で発生している。感染総数は2万96頭で、死亡と殺処分は5,959頭。

ハイズン省:4月14日から18日までにトゥキー、ビンザン、ザーロック、カムザンの各県9村で発生し、18日までに3,221頭が感染した。

フンエン省:4月21日に新たにヴァンラム県チュンチャック村で発生し23頭の豚が感染した。他の既に感染した村でも続いて発生している。4月21日までの感染総数は9,797頭。

タイビン省:4月15日までに新たにタイビン市のフースァン村とヴーラン村で発生し、4月18日までの感染総数は5,958頭。

バクニン省:4月18日、ルンタイ県フールォン村で新たに40頭の感染があり、総数は127頭になった。

ハイフォン市:4月19日、ドーソン区のヒェップドゥック地区とミンドゥック地区で2,060頭の感染が確認された。

d.その他の病疫