GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

「現場監督」

2006-08-31 02:09:42 | 仕事
午前中の予定を忘れ、10時の約束を思い出したのが10時3分前。先方はベトナム人副社長だからと、Nに任せたつもりで伝えてあったのに「だって、昨日言いませんでした」とまたもや意味不明の言い訳、というよりは居直り。「一昨日言っただろう。言われたことはメモ位取れよ。オレはお前らの秘書じゃないんだよ。このボケ!」という言葉をベトナム語に変換する余裕もなく、たぶん顔の表情はそんな感じで、慌ててNと一緒に事務所を出ました。こうして急ぐ時に限って道路は渋滞。ハイバチュン通りは停電で、信号の消えた交差点に警官が立っていました。

応接室には様々焼酎やみりん等のサンプルが飾ってありました。ベトナムの日本料理店でよくみる銘柄です。この会社の名前は以前から聞いていましたが、訪問するのは初めてです。昨年、若くして逝ってしまったHさんがM社に来る前に働いていた会社です。「Hさんも日本語が上手でしたよねー」と言うと、副社長は「ここでは日本語が上手なだけでは駄目なのです。他に専門知識がないと。経理とか化学とか」と意外な冷たい言葉。ベトナム人のウェットなところにも度々驚かされますが、このクールさに驚くこともしばしばです。

行きが行きなら帰りも帰り。ハムギー通りの交差点でパンクです。後輪タイヤに釘が一本刺さってました。幸い目の前にパンク修理のオッサンの姿。Nに財布を渡してゆっくり煙草に火を付けました。サイゴン港近くのこの辺はコンテナトラックが多く、しかもこの時期道路拡張工事で渋滞してます。バイクで走るには最悪。

Nは午後から2件の納品を抱え、昼も満足に休めない忙しさ。明日、税関に提出する書類のコピー撮りができないからと、僕に振って来ました。「そんなことは超ー暇なMかAに頼めよ」と、こちらは表情とは裏腹に再び怒り心頭。きょうもまた雨が降り始め、事務所前の道路は川と化し、足首まで浸かる深さです。

2時10分まで待っても雨足は弱まらず、カバンをポリ袋で包み合羽を着てバイクを出しました。合羽を着てもズボンはびしょ濡れです。雨天対応仕様バイクを誰か設計してくれないものかと思わずにおれません。昨日と同じでゴーバップ、12区を抜け、ビンユン省の LAI TIEU に至る道を走りました。この道はサイゴン川を渡る橋が4輪車禁止のため、国道1A線の陸橋を過ぎてからは自動車の通行量が少なく、晴れてれば快適です。昨日は国道13号線に出た頃には雨は上がったのにきょうは当分止みそうもありません。

「12月に撤退予定だからあまり良い話はできないよ」とのことでしたが、そうであればなお更話を聞きたくもなるものです。自分では訪問先の応接室で煙草を吸うなどという非常識な営業活動はしないつもりでしたが、そのタブーをも破り捨て、しかも雨で煙草屋にも寄れず切らしたままなので、一本いただき、そして2本、3本とくすねては吸い続けてしまいました。
子供の頃は押入れを暗室代わりに写真現像などをしていたこともあったのですが、久々にそんなことも思い出しました。そういえば、コニカビッグミニ、現場監督も好きなカメラでした。1時間半の間、一冊の小説を読むような楽しさを覚えました。「ベトナムはどうですか」?と聞いてみました。「好きにも嫌いにもならないようにしている」とのことです。仕事だから当たり前かも知れませんが、その当たり前を貫くのも簡単とは思えません。

雨は降り続け、事務所に戻る時間もないので電話を入れ、T君にはバスで家に帰るように言いました。傘も一本置いてあるから。ところが、何故かバスが一本も来なかった、ということで歩いて帰ってきたそうです。40分ほどもかけて。
雨の中をバイクを走らせたので、すっかり身体が冷え切ってしまいました。晩御飯はシチューにしました。身体が冷えた分だけシチュー作りにも気合が入りました。


おにぎり

2006-08-29 04:04:14 | 天気
今にも降りだしそうな雲行きのためか、家路を急ぐバイクでグエン・キエム通りはいつになく渋滞していました。コーバップ六差路の手前まで来ると、キャセイ航空の機体が低い空を横切りました。到着時間が遅れたのか、あるいはこの雨雲のせいなのか、それとも日没時間が早くなったのでしょうか。今まではもっと明るい空に見えた便です。きょうはK君と三人でステーキ・カフェへ行く予定です。お目当ては、もちろん笑顔の可愛いヤンちゃんに会うためです。19Kドンのステーキを注文するつもりでもつい25Kドンの特別ステーキを選んでしまいたい気分にさせてくれる可愛らしさと清純な雰囲気を持っています。その割りには何故かこの店はいつもガラ空き。
きょうはK君の工場にNホテルの日本人女性が営業に来たそうです。確かに日系の工場で日本からのお客さんが来ることもあるようですが、K君の工場まで足を運ぶというのには驚きです。工場中の話題となるほどの容姿のためか、K君は早速次の来客者からNホテルに切り替えるのだとか。

傘を手にしたK君が家にやって来ると直ぐに、強い雨が降り出しました。昨日きょうの強い日差しに正比例する激しい雨です。30分ほどして一度雨足が弱まったのもつかの間、再び強さを増して来ました。空腹感も増すばかり。米を炊いておにぎりを作ることにしました。炊きたての日本米と海苔に梅干、そして味噌汁。腹が減っていたためなのでしょうけど、自分で作ったものとしては珍しく大満足でした。三合を三人で食べたので、この上ステーキを食べる気にはなれませんが、雨も小降りになったことだし、ヤンちゃんの店には行くことにしました。外に出てみると意外に雨は強く、T君は「合羽着て三人乗りで行くしかないよ」と提案しました。

この雨です。店は看板も片付けてしまっていて入り口がわからず、危うく男三人でラブホテルに間違って入ってしまいそうになりました。どうやらステーキ・カフェは営業はしている様子。三人でコーヒーを注文しました。K君だけはホット・サンドイッチも頼みました。「きょうは昼飯も食ってないんで、食っといても良いかな、と思って」などと言い訳がましいことを言い、「灰皿ください」とヤンちゃんに声を掛け、T君に向かって「駄目だよ、ここで吸殻下に落としちゃ」と、完全に人格が変わってます。

「T君、こっちに来てから好みの女の子とかもいたんじゃないの」?と話題を向けられると、「おれ、誰でも良い」と答えて、K君の顰蹙を買いました。「誰でも良いとか言ってて、それでヤンちゃんと仲良くなったりしたら怒るよ」。
「それでも妻子持ちが口説くよりは怒りをかわないぜ」と、冷や水を浴びせると「そうだよ、T君は何もしがらみがないんだから羨ましいよ」「オレだったら放っておかないね」。

ヤンちゃん巡って三人で立候補すれば自民党の総裁選より面白い混戦模様。会話のK、経験のY、外見のT・・・などと一人はしゃぐK君ですが、肝心のヤンちゃんは若いベトナム人男性客の隣に腰を落ち着け、話し続けています。雨が止むまでその場に居続けるのも情けないものがあり、場所を変えることにしました。
この降り続く雨で、さすがにどのカフェもガラガラです。「1区のバーじゃないんだから外国人だからということでチヤホヤされるわけないんだよ。オレら外国人というより、もう歳なんだよ。30過ぎの客なんて居ないんだし、チップ払うわけでもなく、同じ6千ドンのコーヒーしか飲まないだから女の子だって若いベトナム人と話すほうが良いに決まってるさ」とK君。

T君を見て、新しく店に来た女の子は又もや「アメリカ人」?と聞いて来ました。たぶん彼女たちの持ってる日本人のイメージが、背広を着た商社マンとかホンダやソニーのエンジニアなのでしょう。坊主頭は、今は欧米人に多いのかも。T君への興味はあっても皆、直接声を掛けることができません。「自分で聞いてみろよ。名前ぐらいは聞かれても答えられるから」と言うと恥ずかしそうに顔を歪めてしまいます。やはりT君の会話力を何とかしない限り進展は期待できそうもありません。

流星ワゴン

2006-08-28 01:20:07 | 新聞・書籍
真っ白の雲と青空がまぶしい日曜の朝でした。バナナでも胃袋に入れてからコーヒーを飲みに行ったほうが健康的。近くの市場まで自転車で行くと、さすがにこの時間は混雑しています。バナナ売りは見当たらず、梨を買いました。中国産で1kg12Kドン。昨晩買ったのは50Kドンでしたから1/4以下の値段。この12Kドンの梨をプレゼントしても喜んで貰えたのでしょうけど。それでも自分で高い梨を食べて他人に安物を進呈するよりはまだ良かったのだ、と自分納得させました。最近はDさんに持ってきて貰ったチョコレートを配ってばかりで自腹を切ってないことだし。
この暑さの中、路線バスを乗り継いでの田園散策も気が進みません。あれこれと外出しない口実を探し、家でブラブラすることにしました。

読み掛けの「流星ワゴン」を読んでしまおうか、とベッドの上に開いて置いたままの文庫本を手に取ると、また「♪りゅううせい○○○」というメロディーが記憶の奥底から湧き上がります。○○○が、どうもワゴンではないようです。何時どこで耳にした歌のなのか、まったく見当が付きません。70年年代か80年代初めの歌で最近聞いてないということは確かです。T君に本を渡し「これ読む?」と声を掛けたものの歌のことは聞くだけ無駄のような気がします。
何年も聞いてないカセットテープを取り出してみました。ちょうどO君に貰ったWALKMANもあることだし。曲名を書き出してないテープは「西島三重子」だけ。大当たりでした。「流星レビュー」というフレーズが曲の終わりのほうで二度出てきました。何というタイトルの曲だかはわかりません。

「ああ、やっぱり日本語の歌は良いな」とT君に同意を求めてしまいました。何かが心に滲み込んできます。日本語だから、というのは正しくないのかも知れません。日本語の歌は何曲もPCに入っていますし、聞く度に心を揺さぶられているわけでもありません。70年代の中頃、西島三重子の「池上線」がFMラジオから流れてきた時、好感は持てても当時としてはありふれた歌詞だなどと随分と失礼な感想を持ってしまいました。しかしその後の長い音楽活動は十分な非凡さを感じさせます。1950年生まれだそうです。
昨年だったか、ふと「今度日本に帰ったら沢田研二のコンサートに行こう」などと思ってしまいました。今はなぜそんな気になったのか信じられないわけですが、きょうは、西島三重子のコンサートに行くぞ、と決意を固めました。

2006-08-27 04:56:24 | 仕事
約束の7時にレタントンの店に着くと、やはり先方はまだ来ていませんでした。カウンターに座って煙草を吸うのも気が引けるので、厨房に入り顔見知りの板前と話をしていると日本人マネージャーらしき男が来て、ムッとした顔で「ここは禁煙です」。30分ほど外に出て待つことにしました。客が一人出てきてBicyclet と呟きました。駐輪係りが客の自転車に乗って買い物に行ってしまい、彼の自転車が無くなっていたからです。厨房の皿洗いの MAI さんが、直ぐ戻るからと英語で謝りました。彼女が駐輪係り兼ガードマンに頭痛薬を買いに行かせたようでした。

黒色のセダンが止まり、一才になる子供を抱えてDさん夫婦が降りて来ました。3ヶ月ほど会わなかった間に子供は随分としっかりしています。子連れで食事なら込み入った話もされないだろう、と一安心。車はカムリの新車で買ったばかりだそうです。5人乗りセダンは特別消費税が50%ですから、ベトナムでは間違っても買う気になれない車です。たぶん商売は順調なのでしょう。
そんなわけで相手の懐具合を考える必要もないわけですが、店の日本人スタッフのムっとした顔を思い出して、極力安く上げることにしました。ウェートレスにお飲み物は?と聞かれて、迷わず「TRA DA」。刺身の梅に始まり、焼き物、てんぷら、つまみ類、握り寿司、納豆巻き等計29ドル。隣の席のベトナム人は日本酒を飲み、最後はすき焼きまで食べていたので客単価20ドル計100ドル以上の売上だったかも知れません。

Dさんとは6年前、フエで知り合いました。日本語を勉強して日本ファンだったので親しくして貰いました。彼女のお陰でフエでの生活は行動範囲も広がり、不自由もなく過ごせました。当時は僕のことを「お父さん」と呼んでましたが、今は「お兄さん」に格下げです。彼女には20才も歳の離れた本物のお兄さんがいるので、そう呼ぶのに抵抗がないのかも知れません。彼女のお父さんはその20年の間、フエを離れ、解放戦線の戦士となり、戦乱を生き延びて再びフエに戻ることができたのでしょう。かと言って、彼女が特に恵まれた環境に育ったわけではなく、大学卒業後、コネがなく希望する就職先に就けそうもないので日本語を勉強し始めたようです。当時はフェアでない社会への不満なども漏らしていました。

今はすっかりバリバリのビジネスウーマンです。オーストラリアに1年ほど留学もし、英語・日本語が話せて、何よりも人に好かれる明るい性格です。その上、優秀なビジネス・パートナーが伴侶であるところなどもダナンのLちゃんと同じ。ついでに出産後体重を大幅に増やしたところもそっくりです。
一度は請われて彼女の仕事を手伝うつもりでしたが、片手間でできるような内容でもなく、また、今の仕事を任せられる人も居なかったのでできませんでした。きょうもまた同じ話をされたら断るつもりでしたが、その話はニュアンスのみ。

可能かどうかは別にして、他人から仕事に誘われるのはそれなりに気分の良いことです。刺身や寿司も食べたし。黒いセダンを見送って、こちらはバイクで家に向かいました。土曜の晩のハイバチュン通りは賑やかです。タンディン市場の前ではこうこうと裸電球を灯して果物を売っています。奥の方に梨が見えました。カフェのハーさんの好物だとか。「だったらK君が日本から持って来てくれるよ」と軽口を叩いたところ「重いものはお客さんに頼めないし、ここでも買えるのだから・・・」と切り返され、ハーさんの前でベトナム語の達者なK君にそれ以上言い返せないままになってました。値段を聞くと韓国産で1kg50Kドンだそうです。10ドル分のただ飯喰った後だし、と財布を開き、カフェへと向かいました。

携帯電話

2006-08-27 02:33:33 | 仕事
事務所の3軒隣で家の改築をしているため埃が机の上にもどっさりです。ということは髪の毛や服にも。あるいは呼吸の度に肺にも達していそうな感じです。朝寝坊のお陰で土曜の午前中はあっという間に過ぎました。このところ土曜の昼食は米を炊かずにパン食です。ゴーバップ市場近くでパンを買って帰ろうとすると雨が激しくなりました。スコールと呼ぶに相応しい強さです。家まで後1kmの距離ですから雨宿りせずにバイクを走らせました。メガネの水滴で視界が悪く、さらに雨が目の中に入ってきて最悪です。合羽を着ても服は上下とも半分は濡れてしまいました。結局服はそのまま洗濯機に投げ入れることになるわけですから、合羽を着ても着なくても同じようなものです。

数日前、朝のコーヒーを飲んでる時に電話がありました。表示された名前を勘違いして考えることなく直ぐに応答してしまいました。「シマッタ」と思っても間に合いません。「日本食を食べましょう」の誘いにも乗ってしまいました。「食事をしましょう」だったら迷わず断ったのでしょうけど、敵も手強くなりました。貧乏日本人のウィークポイントを掴んでいます。
その約束の土曜日が来てしまいました。一区の待ち合わせのレタントン通りには30分ほどで着いてしまい、どうせ遅れて来るだろうから、とその前にロアンさんの店に寄りました。そろそろ日本から帰って来る頃だし。

ロアンさんはまだ帰ってませんでした。最近は日本へ行く回数も滞在日数も増え、僕よりも遥かに多くなっています。その経済力のみならず、その間彼女が居なくても仕事に支障がないというのは羨ましい限りです。
「じゃあ、また来るから」と店を出ようとするとき、店員の持っている携帯電話を見るとvodafoneと書かれてました。シャープ製の903だそうです。日本から持ち帰った携帯が使えるという話は何度か聞きましたが、実際に見るのは初めてです。

SIMカードを取り付けられる構造なのかを知りたくて電池を外して見せて貰いました。ちゃんとSIMカードが入っています。以前二度も日本からAUの携帯を持ち帰り、CDMA方式のS-Foneで使おうとしたことがありましたが、ROMの書き換えができないとの話でした。
とにかくシャープ製のボーダフォンを日本から持て来て使えることは確かめられました。わが息子が日本でボーダフォンからドコモに切り替えたばかり。しかも一年未満の使用でカメラとMP3音楽再生機能付きだとか。これを日本から持って来ればもうそこいらのオネエさん達に馬鹿にされることもありません。
そう、ロアンさんの店の店員でした。4・5年前に買ったノキアの携帯を見て、「随分格好良い携帯使ってるのねー」「私だったらタダでもいらないわ」。確かこの店では僕は「VIP」扱いのはず。どういう意味でのVIPなのかが知れてきます。

中華丼

2006-08-26 03:01:48 | 生活
気力に欠ける一日でした。夕食はチャーハンでも作ろうかと考えてはみたものの外で食べるチャーハンの方がまだ美味しそうなので外食しました。中華鍋でチャーハンや焼きソバを作る店があります。T君がチャーハンを注文したので、それじゃあ違うものをと、まだ注文したことのない COM XAO THAP CAM を頼みました。「ミックス炒めご飯」という名ですが、日本の中華丼と殆ど変わりまりません。丼ではなく、皿に盛ってあります。もっとも日本で中華丼を食べたのは数十年前のことでしょうから(100円だったと記憶します)、どの程度同じかは怪しいものがあります。味にも不満は残りませんでしたし、値段も10Kドンですから100円以下で我々の懐具合にも合致します。

この店にはK君とも一緒に足を運んだことがありました。その彼は今週、金欠で毎晩自宅に直帰し韓国ドラマを見ているそうです。交友関係の広い彼は、先週援助が3件も集中し大出費だったとか。一つは、ここでは言わば定番中の定番「お母さんが病気で入院」、二つ目は出産間際に離婚した女性の出産費用、三件目は友人の家が火事で全焼。先週はタントゥアン輸出加工区でも2件の火事が報道されていました。雨期でも火の回りは速いようです。

要注意は電気関係とプロパンガスのボンベです。電圧が不安定なのが問題のようですが、それ以上に社会全体の安全概念が希薄なのでは、という印象を受けます。扇風機のモーターの出火2回、ポンプの出火1回、電信柱のトランスの出火1回を目撃したことがあります。電化される以前の日本は既に江戸の大火事等の歴史を持ちますが、ベトナムの近世社会ではどうだったのでしょう。プノンペンなどの日本人町での火事の記録は残ってますから火事と無縁な社会ではなかったようです。

更に問題なのは消火活動です。10年ほど前にもタントゥアン輸出加工区では工場の火災があり、消防車は到着したものの工場団地内に設置された消火栓と消防車のホースの径が合わずに放水できなかったそうです。惨事が繰り返される毎に対策は新たに立てられているはずですが。
消防車が進入できる地域ですら間に合った消火活動は難しいようですから、ましてバイクしか通れない狭い路地に覆われた区域ではいつ大惨事が発生しても不思議ではありません。ここも古い家ですので電気配線に不安は残ります。唯一の気休めは幸いにもこの家から50m足らずの位置に消防署があることでしょうか。

VSIP

2006-08-25 03:56:02 | 工業団地
ベトナム南部の日系工業団地の一つにベトナム・シンガポール工業団地(VSIP)があります。グーグルの航空写真で確認すると工場の姿は疎らですが、既に3期分計500haが契約済みで工場数約220社(内、日系工場60社ほど)だそうです。かつて小金井市に住んでいた子供の頃、近所に鴨下製糸とかいう小さな工場がありました。若い女工さんの群れが放つ「色気」のようなものに得たいの知れない後ろめたさを感じ、たじろいだ記憶が残っています。まだ田んぼが多く残る風景で、農家のおばさん達が湧き水で収穫した大根などを洗っている姿もありました。どちらも同じ工場という名ではありますが、大規模造成された工業団地は思春期の女工さん達の色気をも飲み込んでしまうほどの無機質に覆われているように感じます。

レベッカの「MOON」という曲に「工場は黒い煙を吐き出して・・・」という歌詞が出てきます。その一節があることもレベッカが好きな理由の一つです。たぶんその黒い煙は多くの有害物質を含んでいて人々の健康を蝕んだのかも知れません。それでも、環境対策も含めてインフラの整備された工業団地の風景はどう考えてもロックの歌詞になりそうもないし、ここよりは「古き良き時代」という気がしてきます。
このVSIPのあるビンユン省やドンナイ省ではさらに建設中の工業団地が増え続けています。この辺では、多くはかつてのゴム林の丘陵を工業団地に造成したもののようです。メコンデルタの水田地帯では1haの農地での収入が一家庭の生活を支えるようですが、工業団地ではわずか6ha程度の用地で8000人もの労働者の生活を支える場合もあります。その意味では、工業化が如何に過剰人口の問題解決に有効であるかを解らせてくれるものです。しかし、人口問題の解決にはなっても人間の問題としてはどうなのでしょうか。

今の最終学歴は、この周辺で中学未卒業者2割、中卒2割、高卒2割、短大・大卒等4割というところ。他方、工場が必要とする労働力は平均して中卒8、高卒1.5、大卒0.5という比率かと思います。当然のこととして中卒の単純労働力が圧倒的に不足し、地方の農村部から集めることになります。かつての日本の集団就職と異なり、会社が寮を持っているところは皆無に近いため、最近日系企業が社員寮を建てたところ、新聞でも大きく取り上げられたほどです。殆どの地方出身ワーカーは住宅難に直面し、劣悪な住宅環境に我慢しなければなりません。国道13号線を北上して1・2時間バイクを走らせた地域にも工場団地とその周辺の労働者用住宅を見ることができます。

「資本の蓄積とは非資本制生産領域からの収奪」とかいう数十年前に読んだ言葉を思い出す光景を見ることがあります。新聞にも「家畜小屋」と書かれる住宅での生活は、今日の工業化が地方農村の貧困を前提に成立したのもとも言えそうです。

ハノイからの電話

2006-08-23 02:04:10 | 生活
先ほどから久しぶりに雨が降ってます。雷鳴も聞こえて来ます。さて、何を作ろうかと冷蔵庫を開けて気付きました。買い物するのを忘れてました。残り物で野菜炒めを作り、冷凍庫に大事にとっておいた最後の納豆を食べました。T君が皿洗いをしている音を聞きながらパソコンに向かっていると携帯電話が鳴り、番号は滅多に縁のないハノイ市外局番です。

「Hです、覚えてますか」?電話は5年振り、最後に会ったのは9年ほど前です。このタイミングですから、てっきり昨日のブログを読まれたのかと思い、冷や汗。HさんはHANGさんの友達で、彼女もまた日本で暮らしています。ちょうどハノイに里帰りしていて、日曜日には日本に戻るのだとか。日本では浦和に住んでいて、HANGさんも最近まで浦和に居たそうです。
当時、一度彼女の職場に立ち寄ったことがあります。その時から既に日本語でバリバリ仕事をこなしていて、たまたま耳にした電話の内容からして、通常ならざる信頼を仕事の中でかち得ているようで驚きました。サイゴンでは今日に至るもまだHさんのような仕事振りの女性を見たことがありません。

電話では自分でも随分とはしゃいで、つまらぬ冗談を言ってしまったようです。日本人の旧友に会ってもこんな風に楽しくはなれないだろうし、不思議です。ほんの数ヶ月ベトナム語を教えてもらっただけの間柄なのに。二度と戻ることのできない9年前のハノイの空気を思い出せるからでしょうか。自分自身が確かにそこに存在し、精一杯(?)生きていたことの生き証人だからかも知れません。

雨は上がりそうもないのでT君と傘を差してカフェに行きました。雨にもかかわらず、客の入りは普段と変わりません。音声なしのアメリカ映画が21インチのTVに映し出されていました。ケーブルTVのチャンネル選定も大音量の音楽も趣味に合いません。それでもTVを買って家で観る気にはなれずにいます。

サトウキビ

2006-08-22 03:17:17 | 新聞・書籍
きょうもまた雨が降らず、これで四日連続です。それでもマリナーズの怒涛の11連敗と比べれば語るべきほどのことではありません。朝はすっかり晴れ上がった青空、空気もカラッと乾燥していて気持ち良い月曜日でした。などと書いてしまうと、ベトナムに来たばかりの頃、HANGさんに言われた言葉を思い出します。「お天気の話題って、何も話すことがないから仕方なく話してるようなもので恥ずかしいことです」「『青年同盟の会費は払ったの?』と聞くのと同じです」。当時彼女は外商大学の日本語学科を卒業したばかりでした。日本で「オヤジ・ギャグ」という言葉が使われだした頃だったか、その手の話がとてもお好きなようで、自分の冗談に自分で勝手に大受けして笑ってました。「お子さんはあなたに似てる?それとも奥さん似?」、「さあ、どうだか」と答えると「隣のおじさん似?」。数年前からベトナム人のご主人と一緒に日本で暮らしているそうです。今となっては懐かしくも感じますが、当時は怒りを抑えるのにかなりのエネルギーを費やしていたような記憶も残ります。

夕食後早々にシャワーを浴びました。それでも五、六月の暑さと比べれば、すっかり秋の気配です。虫の音も聴こえます。一歩外に出れば、近くで雨が降ったかのような涼しい夜風。このままゆっくり乾期に向かってくれればありがたいところです。しかし九月は台風シーズン。先日の洪水でも死者33名、行方不明3名だそうです。
最近はネットで日本語のベトナムニュースもある程度読めるので、楽をしてベトナム語新聞を読まなくなってしまいました。九月は新学期の始まり、ホンダ・シビックの発売。十月にWTO加盟、そして台風や鳥インフルエンザの季節です。社会の変化速度は経済成長率に比例して激しさを増してるようですし、再び辞書を片手に新聞でも読まねば、覚えたわずかの単語すら日々忘れてしまいます。

きょうの新聞には、サトウキビ価格の上昇によって××が危機的とありました。が、単語が分からず意味不明。スーパーでも安い時は1kg5Kドンだった砂糖が今は10Kドンで売られてます。たぶん今でも国内価格が高くなれば、タイや中国からの密輸が増えるので、国内だけでなく砂糖の国際価格が上昇しているためだと思います。原油価格の上昇でエタノール燃料への需要が増え、ブラジル産のサトウキビがそのために供給されるから、との話も聞きます。と、いうことは結局のところ今年に入って二度目の値上げて12Kドン/Lになってしまったガソリン価格同様、アメリカ政府の中東政策のお陰なのでしょうか。

日曜出勤

2006-08-20 23:47:11 | 生活
ここ三日ほど雨が降らず、だいぶ気温が高くなりました。路線バスに乗って郊外へ行ってみようかと地図を調べたりもしたのに、運悪くこの日、数少ない当社の顧客が中部からHCM市に出て来るとのこと。ほんの僅かの時間ですが、お付き合いしなければなりませんでした。折角天候には恵まれたというのにピクニックは来週以降に延期です。
さて、午後から何をしようかと考えても何一つ思い浮かびません。既に日曜日モードに入ってしまい精神も身体も弛緩しきっています。掃除・洗濯、家の中の整理・修繕、なすべきことは数々あれど気力なし。こういう無気力に過ごす日曜日を何度繰り返していることでしょう。

こんな怠惰なことでどうする。と、カフェの女の子の顔を思い浮かべてみました。朝6時から夜12時まで、土日の休みもなく働かねばなりません。労働密度が異なるとはいえ、佐川急便ドライバーもびっくりです。給料は通いで1.2Mドン。住み込みだと900Kドンがこの辺の相場。メコンデルタでの収入格差が拡大しているそうで、今まで以上にゴーバップ区のカフェへの新規低賃金労働力供給は不足することがなさそうです。勿論、定着率は良くありません。平均すれば1・2ヶ月。長くても半年。テトが明ければ総入れ替え。カフェからカフェへと何年も渡り歩いている子も居るので、顔見知りの子が別の店に移ったり、また職種を変えてクリーニング店で働いてたりもします。学歴を聞くと、大抵は10年生(高1)で中退と答えます。それでもよくよく話を聞くと中学中退または小学校低学年での中退も少なくありません。呆れるほどの「学歴社会」ですから見栄を張りたくもなるようです。

Dさんみたいに大学の授業料を1回だけしか払わず中退したことなど、ここでは自慢になりません。と、いうか日本でも特定の狭い世界だけでしか通用しそうもないし、同じことかも。この間、政府教育省は大学・短大の数を急速に増やしています。労働力人口に占める高学歴者の比率を先進国並みにするためだとか。学士さまの大量生産で学歴が無意味となればそれはそれで歓迎すべきことです。が、実情は経済格差がそのまま最終学歴に反映するようになるだけ、ではないでしょうか。学歴社会というよりも、それを成立させているのは東アジア的な序列社会なのかも知れません。それでいてスーパーのレジで列を乱して割り込んだり、ファイルに番号を振ってもその数字を無視して並べるどころが、上下左右も滅茶苦茶に収納されたりするところはかなりアナーキーで泣かされてます。

掃除機でも買えば少しは掃除をする気にもなれるだろうから、と電気店に見に行きました。TVの値段もチェックしておきたいことだし。財布の中は300Kドンしかなく足りませんが、衝動買いの心配もないわけです。掃除機はパナソニック、日立、サンヨーと日本製品ばかりです。最低価格が1.28Mドン。一万円以下ですが、1Mドン以下で買えると思ってたので諦めました。出力1500Wだから電気代も喰いそうだし。今月の電気料金は186Kwhで158Kドン。100Kwh以下なら55Kドンで済みます。