GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

Viettel 3G モデム

2010-04-29 00:33:20 | 生活
4連休まで後2日。そう思うと気分も軽く、多少のことには腹も立てずに過ごせる1日でした。昨日が停電だったので今日は大丈夫と思っていたところ、電力は来てましたが、ADSLが不調でネットに繋がりません。連休前なので今更急ぎの用事でメールが来ることもなさそうですが。

今月の頻繁な停電状況を思うとカフェのWifiに頼るのも問題だし、出掛けた時のためにもUSBのモデムで3Gに接続するサービスを申し込もうかと思ってはいましたが、カントーの「水産フェスティバル」会場でViettelのD-com 3Gとやらを申しんでしまいました。

料金体系などを聞くだけのつもりでしたが、要領を得ず、面倒なので持っていたノートPCに接続して使えるようにして貰うことにしました。すると日本に2年留学経験があるというViettelのスタッフが来て、日本語で対応してくれました。と、いうか殆ど世間話に終始して、肝心なことを聞き忘れた気もします。

今月は2万円で生活するつもりが、これでまたまた予算オーバー。余分なお金を持ち歩いたのが敗因ですが、バイクで他の省へ出掛けるとなると持ち歩かないわけにはいきません。

3Gでのネット接続は以前、携帯で使ってみるつもりでした。Mobilfoneの受付に行き、申し込みをしようとしたところ、「先ずは3G対応の携帯を持ってきてください」と言われ、400万ドンで携帯端末を買って再び申し込みに行ったところ長々と待たされた挙句「今3G回線は修理中なので使えません。直ったら連絡します」などということになり、しかもそれ以後連絡は来てません。

それに老眼が進んだ眼には携帯の小さな液晶でネットに接続しても疲れるだけのようです。と、いうことで無駄な買い物をしてしまったことに。

ViettelにはiPoneも展示してあったので値段を聞いてみました。6万円弱ぐらいでした。バイクに乗るのにノートPCを持ち歩くよりiPhoneにしたほうが軽さは魅力的ですが、幸いそれだけの金額は持ち合わせていません。

ベトナム政府、情報通信省は、iPhone 3Gの輸入を制限する方針だそうです。経済回復にともなう輸入超過額の増大の折、「濫費」を引き起こす可能性があるからだとか。

それほど多くiPhoneが売れるとは思えませんし、「濫費」対策ならもっと肝心な所があるのでは、とも感じます。しかし、それより何より、このVittelの3G接続、とても遅い上に、度々プッツンプッツン途切れます。サービスが始まってからまだ間もないのだから仕方ないのでしょうけど。


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停電に森林火災

2010-04-27 20:37:38 | 天気
朝、工場に着くと又しても停電。埃を被った発電機がけたたましい音を立てていました。中国製らしきこの古めかしい発電機、5kwの発電量だとかで、エアコン用には使えずドアを開け放って午前中を過ごしました。午前中は雲が多く、然程の暑さではなかったものの扇風機もないので汗がじっとりとシャツに染込みます。開け放たれたドアからは蚊が容赦なく入って来るしで堪らず昼前に退散しました。

やはり本格的な雨期には入っていないようです。新聞の国際欄にはマニラの住宅火災の記事がありましたが、メコンデルタでもドン・タップ省の国立公園で焼失面積200ヘクタールを越える森林火災がまだ鎮火していない様子。また、先日訪れたウーミンの森でも炎焼中だそうです。
http://tuoitre.vn/Chinh-tri-Xa-hoi/375676/Chay-lon-o-Vuon-quoc-gia-la-kho-tranh-khoi.html

先日、日本の初夏にやって来るホトトギスはベトナムから飛んで来るとの話を聞き、ドン・タップの森(Vườn quốc gia Tràm Chim)に双眼鏡を持って行ってみよう、などとも思っていたところだったので、森林火災は少々ショックです。ドン・タップ省に住むわが同僚は「焼き鳥が食えるぜ」などと冗談を飛ばしてましたが、直接収入に結びつかない鳥類研究はベトナムでは目立つものがなく、鳥類図鑑もベトナム人編纂のものを目にしたことがありません。

もっとも僕自身もホトトギスは名前しか知らず、目にアオバ山ホトトギス初ガツオのカツオの方に惹かれるのですが。ベトナム語でホトトギスは何と呼ばれているのかもまだ知りません。果たして日本に渡るホトトギスはもうベトナムの森を飛び立ったのでしょうか。


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カントー「水産祭り」

2010-04-26 22:32:49 | 農業・食品
24日のカントー橋開通に合わせて「水産フェスティバル」が開催されていたので日曜日に行ってみました。この手の展示会にもだいぶ飽きてしまい、この暑さの中、ロンスエンから60km走るのも億劫に感じてましたが、ちょうど日本人の知人がカントー市の隣のハウ・ザン省に来るというのでカントーの展示会を見た後でホウ・ザン省ヴィー・タィンまで行くことにしました。

昼近くにカントー市に着き、街中の道路沿いには「水産フェスティバル」の幟が賑やかに飾られているものの会場の場所が分かりません。これだけの幟を飾るのなら「会場方向」を示す看板があっても良いのでは、と思いつつ又しても「お節介ではあっても不親切」な社会を呪いました。道路脇にバイクを止め、地図を広げていると近くに居た子供達が物珍しげにバイクを見て寄ってきて「オジサン何を探してるの」?と声を掛けて来てくれたので助かりました。

昨年ホーチミン市に出来た新しい展示会場を何度か見たせいで、カントー市のこの少々古い展示会場は随分と貧弱に感じてしまいました。その上、冷房もない昼時でひたすら暑い。そのせいか、会場内は思いの他来場者数は少ないものでした。

一番目を引いたのは建物の外に展示された「いすゞトラック」。鯨のパネルが張られていました。以前見た水産展示会では「日野」の冷凍車が展示されていて、チャ魚の冷凍工場から出て来るトラックは殆どがHino製という印象でしたが。

ホーチミン市で開催される水産展示と異なるは、メコンデルタを初めとする各省のブースがそれなりに充実したものが展示されてました。ニャチャンやブンタウのブースもあり、また鮭やキャビア生産に取り組んでいるラムドン省も。

しかし、民間企業のブースは余り目立ったものはありませんでした。水産飼料関係でもフランス資本のプロコンコは相変わらず気の利いた展示でしたが、カーギルはブースも小さく、取りあえずお付き合いで出展したという感じ。

昨年の「コメ・フェスティバル」同様、各銀行やViettel,Vinaphoneといった通信会社のブースが少なくありません。その場でキャッシュコードを発行するとか「3G」の契約をするとか。

24日はカントー橋と共にベンチェ省のハム・ルン橋(cầu Hàm Luông)の開通式があり、ベンチェではその直前の19日から23日まで「果物フェスティバル」が開催されました。どちらかと言うと果物の方に行って見たかったのですが。


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フン・ブン記念日

2010-04-24 21:57:05 | 地理・歴史
昨日4月23日は、旧暦3月10日に当たるそうでフン・ブン(雄王)記念日-Giỗ Tổ Hùng Vương-で国家休日でした。この祭日が休日にになったのは最近のことで、しかも旧暦で決められているため毎年それに気付くのは直前になってのことです。

新聞の一面にはグエン・ミン・チェット国家主席がフー・トーにあるフン殿で線香を上げている写真がありました。ここだけで数万人の人出だそうで、先祖を祀るベトナム社会の伝統に少々驚かされます。

しかし、フン・ブン記念日が何故旧暦3月10日なのかが分かりません。「Giỗ Tổ Hùng Vương」の「Giỗ」は命日の意味、「Tổ」祖先の「祖」だと思うのですが、 Hùng Vương(雄王)は一人の王ではなく、この王朝の歴代18人の王を指す名称のようで、例えば良雄王、忠雄王、行雄王みたいに「雄」の字が付くということす。

毎年のことですが、このフン・ブン記念日になると日本の建国記念日を思い出します。同じように神話時代の建国のお話を現代においても継承するものなわけですが、ベトナムでは民衆の中に残る習慣や民話の世界を国家が取り込もうとする試みのようにも感じますが、日本のはどうなんでしょう。どうせなら卑弥呼の命日とかなんかの方が楽しいのでは、と。

ビン・ユン省では、この祭日に出勤させようとした韓国資本のFC VINA社の工場(ミー・フック2工業団地)が23日、怠業に見まわれたそうです。停電はビン・ユンの工業団地でも度々のようで、停電による生産の遅れを休日出勤で乗り切ろうとしたところ労働者700名が「休日に出勤させるなら300%の賃金支払え」との要求を出し、会社はやむなくフン・ブン記念日を休日としたとか。

木曜日が停電で金曜日が祭日、そして土日と休みが続いているのも拘わらず、この暑さの中をバイクで出掛ける気が起きず、うだうだと過ごしてしまってます。カントー市できょうから開催されて「第一回水産フェスティバル」に行くつもりだったのですが。

先日の雨以降、ここでの雨はありませんが、夕方からの風の冷たさはメコンデルタの何処かで雨が降ったことを知らせてくれます。
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レーニン生誕140年

2010-04-23 09:54:30 | 地理・歴史
きのうの朝、7時半に部屋を出ると国道91号との交差点の信号が消えていました。あれれ、と思い工場に向かって走るとどうやら街中停電の様子。10数キロ離れた出勤先は月曜日が停電でした。ロンスエンの町とは停電日が異なっているものと思ってましたが、きょうは同時に双方共に停電。こうなると行き場がなくなってしまいます。仕方なくカフェで新聞を読むことにしました。

「コレラ、おそらく広範囲に」「利率低下しかし依然として高水準」の二つの大きな見出しの横に「レーニンの思想、時と共に生きつづける」という記事が目に入りました。レーニンの生誕140年だそうです。

いつだったか、日本に帰って車を運転してる時にFMラジオで山下達郎が、「ロシア・マルクス主義の父プレハーノフ」について語っていました。プレハーノフという名を聞くのもひどく懐かしいものでしたし、それがFM放送がらというのも意外で、それが妙に新鮮に感じたわけですが、レーニン生誕140周年というのも、高校の世界史の教科書を思い出すような懐かしさがありました。

このハノイでの式典で基調演説を行ったTrương Tấn Sang政治局員は、党序列第五位のようです。

 一位、ノン・ドゥック・マン書記長
 二位、レ・ホン・アィン公安相
 三位、グエン・タン・ズン首相
 四位、グエン・ミン・チエット大統領
に次ぐ位置で1949年生まれ。党加入は1969年ですからテト攻勢の翌年、20歳の時ということになります。1949年生まれはズンン首相と同じで、日本の団塊の世代と同年齢。出身はメコンデルタのロンアン省。

記事の内容は「お経」のような決まり文句って感じですが・・・
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http://tuoitre.vn/Chinh-tri-Xa-hoi/374783/Tu-tuong-cua-Lenin-song-mai-cung-thoi-gian.html

4月21日、レーニン生誕140周年(1890年4月22日)を記念する会合がハノイで盛大に開催された。
記念演説は、チュン・タン・サン政治局書記局常務委員によって読まれ、レーニンの革命活動の生涯を今一度思い起こし、その思想と事業の歴史的価値、同時にそれが世界革命運動とベトナム革命、特にわが国のドイモイ事業に対して果たした役割と意義を確認した。

チュン・タン・ソン氏は、自身の生涯にわたる革命活動によって、レーニンは世界の労働者人民の解放事業、帝国主義に対する闘争、平和のための闘争、各民族の自由と独立に限りなく大きな貢献をした、と強調した。人類の進歩に印したレーニンの遺産は、革命活動の実践と思想理論のすべての面において尽きることなく大きなものである。

そしてまた、氏は述べた:ベトナム革命に対してレーニンの思想はわが人民の民族解放闘争と社会主義建設のための新しい地平、道筋を切り開いた。革命指導の過程で、わが党はいつもレーニンの思想をベトナムの具体的な条件に創造的に運用しようとしてきた。

栄光あるレーニンの旗の下で、党の指導の下で、わが人民は八月革命を成功させ、フランス植民地主義とアメリカ帝国主義を打ち破り、祖国を統一し、豊かな民、強い国、民主、公平、文明-を目標とする社会主義建設と祖国防衛の任務を実現せんとしている。また、わが党は断固としてマルクス-レーニン主義の正しさを防衛し、すべての歪曲手段や白を黒に置き換えるすべての敵視思想と闘う。また、マルクス-レーニン主義の原則から離脱したすべての表現にも反対する。

マルクス・レーニン主義、ホーチミン思想、精神と立場の上に、ドイモイ事業の中にあってベトナム共産党とベトナム人民は、マルクス・レーニン主義とその原理のベトナム革命の実践への創造的運用について多くの認識をより十分なものとしてきた。

「今日の世界は、レーニンが生きていた時代と比べ多くの変動を遂げている。本人亡くなってから86年が経過したが、依然として学習し見習おうと奮闘する全世界の真の共産主義者のための輝かしい手本である。レーニンの理論は、依然として時と共に生きている。労働者人民解放と全世界の民族の社会主義事業の道を照らす革命理論である」とチュン・タン・サン氏は言い切った。
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雨期のはじまり?

2010-04-21 20:35:45 | 天気
昨日の夕方、雨雲が風に乗って工場の空に流れて来ました。雨雲は次第に広がって空全体を覆い、1時間ほどまとまった雨を降らせました。降り止むまで外に出られず帰るのが遅くなったものの雨上がりの涼しい空気は気分の良いものです。何より道路の舗装工事が半年も続いてる工場の前の800mほどの区間に土埃を舞い上げることもありません。

そのお陰で今朝も気温は1度ほど低く爽やかな朝でした。これで雨期入りなのかどうかは分かりませんが、これからは合羽を持って出掛けないとならないようで、それはそれで面倒な季節となります。同じメコンデルタでも雨の降り方は各地で差が大きいようで、アンザン省の年間降雨量は1,500mmですが、カマウ省では2,500mmにもなるようです。

このところ土日の昼間にバイクに乗っていることが多いせいか、湿疹と汗疹の痒さもそれなり。連日40度を超える暑さで死者を出しているインドと比べれば嘆くほどの暑さではないのでしょうけど。

暑さとは直接関係はないのでしょうが、ベトナムの5つの省・都市でコレラが発生してるとのことです。ここアンザン省でもアンフー県総合病院ではベトナム人5名の他にカンボジアから国境を越えて診療に来たカンボジア人28名中12名がコレラに感染していたとのことです。

新聞では何度かこれに関連する記事を目にしてはいましたが、ベトナム語の 「bệnh tả」という単語が辞書を引いてもわからず、ベトナム語のウィキペディアを検索し、その項の日本語版を見てやっとコレラのことだと分かりました。

アンザン省の医療当局では省内のコレラ感染がカンボジアでの感染と関係があるとの認識を持っているようです。そのこともあってか、アンザン省の医療局ではカンボジアへ幹部を派遣し、治療と予防にあたっているとのことです。
http://tuoitre.vn/Chinh-tri-Xa-hoi/374557/Qua-Campuchia-ngan-dich-ta.html

まだ、ちゃんと記事を読んでないのでこの詳細は後日。



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カマウからカントーへ

2010-04-20 19:02:24 | 旅行
カマウから1号線をバクリュウへは東方向。朝の太陽が進行方向の正面にあるので逆光となり、風景を楽しむという具合ではありませんでした。道路は63号と違って道幅も広く、センターラインもあって大型バス2台が80km/hのスピードでもすれ違うことができ、またバイク車線も余裕があります。ティエンザン省などと比べれば車の台数はまだまだ少なく、快適です。

しかし、町を通る時は多くは道路を横切る水路があり、その橋は悉く付け替え工事の最中でした。そのため細い仮設の橋を片側通行で渡らねばならず、四輪車はかなりの時間そこで待たされることもあるようです。

1時間半ほどでバクリュウの町に着きました。町の中に入り朝食とコーヒーを、と思ったのですが、適当な店が見当たらず、しばらくウロウロしてました。WiFiの看板が出てるカフェに入ってみたものの「今は壊れてて使えません」とのこと。結局、持ってきたノートPCは使えわず仕舞い。滅多に来ることもない町ですから、何ならここで一泊して明日の朝帰っても・・・との思いもありましたが、事前に何も調べて来なかったので行きたい場所もなく、また長居をする気が起きる何ものもありませんでした。

バクリュウの町から1号線は一度北に進み、しばらくしてから東北に向かってソクチャンに向かいます。デルタ南部のこの当たりの風景はメコン河周辺の田んぼと異なり、この時期、まだ水が引かれていませんでした。日本なら11月に見る田んぼ風景でしょうか。その頃の空気の冷たさを思い出しますが、カンカン照りでクソ暑い干上がった田んぼには情緒など感じられません。

ソクチャンの町に入る前の国道で交通警官に呼び止められました。スピードも車線走行も問題ないのに。ムッとして「何か違反した?意味もなく止めるなよー」と若い警官に文句を付けました。自分に落ち度がないのでこの時ばかりは強気。ロンスエンの町では毎日、また毎週末に省内の国道を走っても一度も呼び止められたことはありません。目的もなく取り締まりをするわけではないので優良ドライバーは大丈夫。以前キエンザン省の道路でも止められましたが、田舎の若い警察官は気まぐれで止めるので勘弁です。

見ると白バイはヤマハの750CC。ロンスエンではホンダのCB250だというのに。ソクチャンの警察にはそんなに予算があるのでしょうか。それともヤマハが寄付したものかは知りません。「いいからバイクを降りろ。登録証と免許証を出して」などと若い警官は威張ったままなので、登録証と免許証、自賠責保険証もセットで渡しました。すると「この免許証は四輪車用だ」などと得意そうに反撃して来ました。ベトナムでは四輪車免許は有効期限があり、二輪免許は期限がないため通常別々になっているからです。「免許証の見方も分からずに警官やってるの?ここにA1って書いてあるじゃない」。ソクチャンでは外国免許証を書き換える外国人は皆無なのかも。

少々気分を害されたので、ソクチャンの町には入らず、1号線をそのままカントー方向に進みました。この道には見覚えがありました。ソクチャンにある水産工場に何度か行ったことがありました。ソクチャンを抜けるとホウザン省に入ります。ガーバイの町で休憩し昼食を取りました。ガーバイ(Ngã Bảy)は七差路の意味ですが、数えてみると道は5本しか確認できませんでした。一本の細い道に折れ市場を抜けると水路沿いに店が並んでました。多くの道が交わる場所というのは元々が水路が交わる場所だったようです。

折角ホウザン省に来たのでサトウキビ畑を見に行こうかと迷いました。しかし昼時の日差しの強さに負け、「どうせ、来週もカントーまで来るわけだから」と先延ばしに。

カントーの市街に入る手前にはヴィンロン方向に分岐する標識があり、新しい道路が出来ていました。カントー橋に通じる道路のようです。朝早くカマウを出たため2時過ぎにロンスエンに無事帰ってくることが出来ました。2日間で走行距離は500kmちょっと。ガソリン代と一泊料金で計2,000円ほどの出費でした。
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ウーミンからカマウ市へ

2010-04-20 15:21:37 | 旅行
アンザン省ロンスエンからキエンザン省を抜けてカマウ省まで来たので、帰りには国道1号線でバクリリュウ、ソクチャン、ホウザン省を通りカントー市経由で帰るとメコン河後江以西の7省・市をすべて通ることになります。カントー橋開前のこの時期、まだ後江で隔てられたままの土地をこのルートで走ってみようかと思いました。

そのためには先ず、カマウ市まで行かねばなりません。カマウ市はカマウ省の省都。したがって省の何処からでもカマウ市に至る道がある筈と走ってみたものの水路に沿って作られた道はくねって方向も分からず、気が付くと来た道を再びキエンザン方向に向かってました。地図にない道を探して森の中を迷子になるよりはその方が安心と諦め、63号線まで戻ることにしました。

地図を見ても水路は夥しい本数が流れています。この辺だけに限らずメコンデルタ全体がそうなのでしょうけど。それに引き換え道路が少ないのは、交通手段もまた水路を使う生活だからのようです。小舟のある生活というのにも少々憧れるものがあります。

カマウ市に向かう63号線は、地図では太く赤い線で印刷されていますが、その分岐点は南から戻ると市場の混雑の中を抜けるため分かり難いものでした。

カマウの地も17世紀の末にカンボジアのカンポート、ハーティエン、ラックザーと共にマック・キュウさんによって開拓されたと書かれてましたが、今のカマウ市だけがタイ湾沿いの海岸には位置しておらず、タイ湾沿岸と南シナ海沿岸に挟まれた中間の内陸にあります。何故なのでしょう?他のメコンデルタの都市は、殆どがメコン河沿いか海岸沿いなのに。

アンザン省の水路沿いの道は水路の水面よりもかなり高い位置に道路がありますが、この辺では道路の位置が高くなく、その分水路の水面が寄り身近で和むものがあります。雨期のメコン河の氾濫の影響がこの辺ではないからなのでしょう。

道路沿いでは、黄色い果物が売られていました。マクワ瓜のような色ですが丸い形なので違う果物のようにも思えます。人気のない土手で用を足してると足元にもこの果物の食べ賭けが捨てられてました。高価な果物ではないようです。

暗くなる前にカマウ市に着く前にでも宿泊するつもりでしたが、ノートPCを持って来てるのでせめてWiFiの使えるホテルと思ってしまい、しかし道路沿いの建物はそんな環境は望めそうにないものばかり。そうこうするうちに日が暮れてしまい、やっとホテルもありそうな町らしき場所に着いたと安心したところが何か雰囲気が変。Vinh Thuanという町ですが、明かりが点いておらず停電の様子。カマウまで50kmの標識に躊躇いながらもそのまま走ることにしました。

この63号線、国道だと思うのですが、趣は農道。バイクを追い抜きながら走って来るトラックの対向車とすれ違う際には何度か路肩に落とされました。オマケにライトを上向きにしたままの車も少なくなく、その都度目は眩み怒ってました。カマウ市に着いたのは8時を過ぎた頃。大そう立派な行政都市でロンスエン以上。街中の道路も広々だし。63号線の貧弱さとはあまりにも対照的です。大きな公園の向かいに建つミニホテルに入りました。WiFiの表示が入り口にありました。

一泊18万ドン。エレベータは無く4階の部屋でしたがエアコンをつけても部屋の熱気は直ぐには収まらず、堪らず外に出てしばらく甘いものを食べながら涼むことにしました。ミニホテルの従業員はとてもフレンドリーではありましたが、WiFiはネットワークに繋がっても受信できず、それに水色の化繊の枕カバーがどうもしっくりしません。部屋は広いのに。

ヘトヘトに疲れてしまい、ベットに横たわるとそのままシャワーを浴びることなく歯も磨かずで10時前に眠ってしまいました。お陰で翌朝は6時に目覚め、シャワーを浴びて早々にチェックアウト。国道1号線をバクリュウ方向へ走りました。
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ウーミンの森

2010-04-18 19:03:06 | 旅行
土曜日の朝、目覚めて電気蚊取り線香のスイッチを消そうとするとパイロットランプが点灯しておらず、冷蔵庫を開けてもランプは消えていました。雨期の始まる前の4月は電力不足で停電が多いとは聞いてましたが、ここの敷地内にあるゼネレーターは何の為なのか恨めしい。

顔を洗おうとして水道の蛇口を回すと水も出ず、停電の上に断水。髭も剃らずにパソコンを持っててカフェに行くとカフェも停電でWiFiが使えません。土日の朝は客が多くて落ち着かず、早々に部屋に戻ってみたもののエアコンどころか扇風機も使えない状態で汗ばむばかり。洗濯するどころかトイレの水も流せないのはやり切れません。パソコンと着替えをリュックに詰めて停電の町ロンスエンを脱出することにしました。

暑い時は森林浴が一番、と先週知ったので、メコンデルタの森の代名詞であるウーミン(U Minh)の森方向に行ってみることにしました。キエンザン省とカマウ省にまたがる湿地帯の森です。塩分を多く含む水路のため農耕に適さず開発から取り残された森だったそうですが、それでも1975年の戦争終結以降の10年で急激に森林面積が喪失し、植林が行われるようになった、などとも何かで読んような気がします。

戦争中は解放戦線の解放区があったとも聞いてますが、知ってるのはその程度。地図を見るとラックザー方向に走り、国道61号に出てこれを少し南下するとカマウ方向に進む道との分岐がある筈です。

が、地図をうろ覚えで、何処で昼飯を食べようかとの思いが優先して通り過ぎてしまい、途中で気付いて引き返しました。すると直ぐにまたまたクラッチレバーのボルトが抜け、ナットが落ちてクラッチが使えずエンスト。ボルトを入れ直し、指で押さえながら走って近くの修理屋さんに立ち寄ったところ、誰も居ないのでネットを一つ頂いて自分で取り付けました。見ると店の親父さんはハンモッグで昼寝の最中。眠りを妨げるのも悪いかとそのまま立ち去りました。

カマウ方向に分岐する63号線に折れて直進すると、地図には記載のないフェリー乗り場に着きました。船も大きくなく、自動車も数台載るのでバイクのスペースは狭くく窮屈でした。向こう岸も直ぐ近くに見えるのでバイクに跨ったままヘルメットも外さずにいると船は反対岸ではなく水路を右手に進みました。「あれーこれは一体何処に向かっているのだ」?と不安にもなりましたが、決まった行く先があるわけでもないので諦めました。後で確認すると、水路の向こう側にもう一本大きな水路があり、最初の水路を暫く右方向に進んでから「水路と水路を繋ぐ水路」を行き、それから大きな水路を渡ったようです。時間は30分ほど掛かりました。

フェリーを降りると後はひたすら南に伸びる水路沿いの道を走るだけ。途中で人気のないカフェのハンモッグに横たわり、水路の上を渡る涼しい風に吹かれ、店番をしながら音楽のノートを書き写している7年生の女の子と少し話ました。地図を見せて現在地を尋ねるとカマウ市方向に分岐する道は既に通り越し、真っ直ぐ進めばウーミンの森方向だと教えられました。

進行方向に雨雲が見え、風も冷たくなって来ました。が、幸い直接降られることはありませんでした。しかし何時しか舗装路が終わり、凸凹道に変わってしまいました。行き止まりの道なのかと不安にもありましたが、そのまま4kmほど進むと幅は狭いながらもコンクリートの道に続き、カユプチの林の中を走ってました。切り出した細い木材を水路の舟に運ぶ姿もあります。犬や鶏が道路を横切るのを避けながらバイクを走らせました。犬は危険を感じると方向を変えて引き返すので却って危なかったり、鶏は一羽が飛び出すとその後を次々と何羽もが後に続いて突進するのでこれまた要注意でした。

道路には標識があり、「〇〇まで2km」とか町の名が記されてはいますが、その名が手持ちの地図にはなく、地図にある地名は見ることがありません。道が二手に分岐した時にはお手上げでした。大雑把には東に進めばタイ湾、カマウ市は西方向ですから取りあえず西を選びました。すると運悪く一箇所でコンクリートの橋が建設中で未完成。その脇にカユプチの細い材木を束ねた壊れかけの橋があるだけです。バイクを止め恐る恐る橋の上を歩いてみると細い木なので軋み揺れます。雨の後で木も濡れてるし、釘の頭も何本も浮いていました。ここで無理したらろくな事になりません。落ちたら最後、バイクは引き上げられないし、「ファイト一発」なんて体力もないわけですから。

バイクの向きを変えてる最中に向こう側からバイクが来ました。地元の人のようで子供も乗せた三人乗りです。躊躇無く、足は下に二・三度着けながらも渡って来ました。「他人ができることを自分が出来ないわけがない」などというつまらぬ意地が湧き起りました。再び向きを変え、教習所で習った「障害物走行」はこの日のためなのだ、とばかり半クラッチでエンジンを強めに噴かし、その音に鼓舞さらながら一気に渡りました。
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氾濫する「遺伝子組み換え」農産物

2010-04-16 17:12:36 | 農業・食品
-Tràn ngập nông sản biến đổi gen-

午後からの暑さもきょうは風があるので多少和らいではいますが、それでも暑い。
3,500ドンで買った「トゥイチェ紙」経済面はこの記事でした。数日前には、「ベトナム農業新聞」に同じような見出しの記事が載ったばかりです。下手糞ですが訳してみました。
http://www.nongnghiep.vn/nongnghiepvn/vi-VN/61/158/1/15/15/47013/Default.aspx
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多くの商品、種や原料からホーチミン市の市場で売られている加工商品まで遺伝子組み換えに属するものが発見された。ある物は既に使用期限を過ぎているのにベトナムに持ち込まれたものであり、ある物は工業用用途であるにも拘わらず食品加工用に使われている。これらの事実は多くの人々を驚愕させている。

第3品質測定標準技術センター(Quatest3)の科学報告は、内部資料であるが、多くの人々を驚かせずにはおかない。
センターは、トウモロコシ、大豆、ジャガイモ、米、トマトなど323のサンプルをホーチミン市の市場、スーパー、小売店など17ヶ所で無作為に採取して検査したところ、1/3のサンプルが遺伝子組み換え(GMO)商品だった。

<もうずいぶん前から・・・>

最も多くGMOが使用されていた食品はトウモロコシだった。95のサンプルを分析したところ、45サンプルからGMO品が発見された。その内、6サンプルは種子であり、25サンプルはトウモロコシ種子を含む原料品とbắp trái、トウモロコシの粉3、トウモロコシからの加工品14だった。また、GMO品の9サンプルはタイ、シンガポール、アメリカ、中国からの輸入品だった。

Quatest3のチャン・ティ・ミー・ヒエン技師によれば、まだGMO作物の生産は正式に許可されていないにもかかわらず、トウモロコシ、稲、綿などのGMO作物がベトナムの田畑では植えられている。ホーチミン市、ドンナイ省、ビンユン省ではGMOトウモロコシが普通のトウモロコシと一緒に植えられている。

PCT兼ベトナム消費者保護会総書記のドー・ザー・ファン氏は、GMO食品問題は世界中ですら擁護派と反対派に分かれている。GMO食品を摂取することの健康上の影響について、まだ誰も科学的に証明できてはいない。まさにこの理由によって世界的にも消費者に選択権が与えられている。この権利は、もし企業がGMO食品を生産するならば、消費者が知ることができるようにその旨が具体的に記載されねばならない。

国家の規定によれば、GMO食品は外装の袋に明記されてなければならないのに、5年を経過しても殆ど誰もがそのようにはしていない。そうしてる間に、GMOを原料とする加工食品は公表されているもから隠されたものまで入り続けている。

同様に大豆製品も81サンプルを検査したところ、29サンプルからGMO作物が検出された。その内5サンプルは種、5種類が原料品、19サンプルは大豆からの加工品だった。続いてジャガイモとジャガイモ製品は、34サンプル中、15サンプルがGMO作物。注目すべきは、ベトナムに輸入されたジャガイモのサンプルで、EH92-527-1系は工業原料(紙)のためにしか使用できないのに食品に使われていたことである。

その他の各種食品、大豆、トマト、オランダ豆からもかなり高い比率(サンプルの20~35%)でGMO汚染が確認された。コメについては、コメとコメを原料とする製品56サンプルを選別、分析したところ、内11サンプルがGMO汚染のものだった。しかし、幸いにもLLrice62とLLrice601の二系統に属するものではなかった。特に遺伝子組み換えのLLrice601は市場流通を禁止されているものである。

更に言うならば、GMO作物であることが確認された商品のどれ一つとして包装に「遺伝子組み換え技術によって作られたもの」であると表示されたものはなかった。政府は2005年に212首相決定として定めているにも拘わらずである。Quatest3の副所長、ホアン・ラム氏は次のように言った。「2009年中に90のサンプルが自主的にこのセンターに持ち込まれ、GMO検査を依頼された。最近はGMO検査をより厳格にするようにとの声が高まっている」
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