GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

トンレサップ河

2012-09-30 00:04:16 | 交通

雨上がりの夕方にトンレサップ(河)を眺めてみようとダイヤモンドアイランドまで出掛けてみました。生憎、岸辺はフェンスが張り巡らされていたり工事中だったりでバイクを停める気になれず、王宮前広場の近くへ。しかし外国人がカフェテラスでビールを飲む姿が目に入り、此処も自分には不似合いのように思えました。

結局、川沿いに国道5号を北上してプノンペンの街を抜け出すことになりました。どうせならウドンまで行ってみたいところですが、着く前に日が暮れてしまうのは間違いありません。

トンレサップはトンレが「河」を意味し、サップが「湖」なのでトンレサップ河と書くと「入間川river」みたいな違和感が残ります。トンレ・バサックはバサック河、トンレ・メコンがメコン河であるわけだし。しかし、トンレ・サップだけだと湖も同じ呼び名なので区別がつかず困ります。

 

   

国道から逸れて岸辺の住宅密集地に入ってみました。雨の後の夕暮れで気温はだいぶ低くなっているはずですが、子供たちが水に浸かっていました。国道の反対側の土地もこの時期完全に水没状態です。それなのに狭い土地に何故これほど多くの人が住んでいるのか不思議に思えました。特に子供の数は一家に5・6人居るかのような感じ。

河には夥しい水草が浮き、ゆっくりと流れて行きます。しかし流れの方向は上流の湖方向ではなく下流方向でした。「雨期にはトンレサップ河にメコン河が逆流し・・・」と言われているわけなのにどうして??

「ウィキペディア」にトンレサップ水系で獲れる魚はカンボジア人のたんぱく摂取量の60%を占める・・・と書いてあり、確か90年代に読んだ「もっと知りたいカンボジア」にも書かれていた内容で、20年前ならともかく、今は絶対にあり得ない、と常々思っているわけですが、トンレサップ河の逆流現象もそのまま鵜呑みにはできないものがあるようです。

何しろ今が雨期のピークとも言うべき時期です。トンレサップ湖を雨期には6倍もの面積に拡大させると言われる水量の内、メコン河から流入して来るのものはどれほどなのでしょうか。

    

「緑豆しるこ」があるかと思って腰を下した店でしたが、木の実の砂糖煮のようなものしかありませんでした。よく分からないので具は一通り全部入れてもらいました。驚くほどの甘さになっていました。


明日は中秋節

2012-09-29 14:43:54 | 天気

今週のプノンペンは恐らく今年一番の雨量ではないか、と思ってしまうほど雨が続いています。昨年の今頃は洪水のニュースが続いていたわけですが、今年のプノンペン市内の雨は昨年以上のような気もします。そんな自分の感覚は正確さを欠くものであるとは思いつつメコン河の水位を見ると、やはりベトナム国境付近では320cmほどで、昨年の480cmよりまだ160cmも低い状態でした。

        

それでもベトナムの水文気象予報センターが、2000年のメコンデルタ洪水に匹敵する災害となる可能性を指摘し注意を促しているとも報道されていました。

2011年のメコンデルタにおける洪水は20名以上の死者をもたらし、250kmの堤防、55kmの省道・国道を破壊し、2万7千ヘクタールの田畑が被災し、内1万ヘクタールは100%の損害だった。2000年の記録的な洪水被害では539名が死亡(300名以上が児童)、負傷者212名、89万世帯、13,793教室、383医療施設が浸水した。9,457家屋は全壊し6,200世帯が移転を余儀なくされ、50万人以上が緊急援助を必要とした。農業や養殖、インフラや環境破壊も極めて大きく、総被害額は4兆6千億ドンと推計されている、とのことです。

眩しい青空が突然黒い雲に覆われ激しい雨が一時間ほど降るスコールとは異なり、この時期の雨は何時降りだすかもわからない曇天が続き、降る時間も当てがつきません。

明日の晩の中秋月は見られそうもない空です。


カーン・リーの帰国公演許可

2012-09-28 00:20:00 | 社会

ベトナムの文化省芸術公演局は、歌手Khanh Lyの12月末までの間のベトナム公演を許可したと報道されています。

http://tuoitre.vn/Van-hoa-Giai-tri/513192/Khanh-Ly-hat-o-que-nha.html

しかし、海外のベトナム人向け新聞が「カンリーは11月にベトナムで歌わない」という記事を掲載した。この記事によれば彼女は、今から年末までアメリカでのスケジュールが忙しく帰国して歌うことはない、ということである・・・との報道もあり、許可は得られたものの実現されるかどうかは確定していないようです。

http://vnexpress.net/gl/van-hoa/am-nhac/2012/09/khanh-ly-chuan-bi-cho-ngay-ve/

1970年大阪万博での来日以降も日本へは何度も来ているようですが、僕はベトナムに来るまで知りませんでした。

          

チンコンソンの曲やDIEM XUA(日本語題名:美しい昔)のメロディーはハノイで何度か耳にしていました。Khanh Ly の歌はサイゴンでベトナム人の友人からMDを借りて聞いたのが初めてで、1990年代の当時はKhanh Lyの歌声は公然とは聴けないような雰囲気だったように覚えています。

Khanh Lyは1945年3月ハノイ生まれ。1964年のチンコンソンとの出会いが歌手人生を決定付けたようです。

1945年3月生まれと言えば日本では吉永小百合さんと同じです。高校生の時に後輩の持っていた可憐な表情のブロマイドを無理やり取り上げて暫く定期入れに入れて持ち歩いていたことがありました。未だにそのイメージが損なれない生き方をされてるようにも感じています。

その堂々とした歌い方からKhanh Lyは、てっきりもっと年上と感じさせる雰囲気がありましたが、1975年以前の彼女を知るベトナム人にとってはKhanh Lyの帰国コンサートは、もし実現されたら感慨深いものとなるに違いありません。


中国拉麺1.5ドル

2012-09-26 00:07:07 | 生活

風邪を引いてしまい、ここ数日咳が止まりません。久しぶりに体温計を取り出して計ったところ、バッテリーの電圧が低くなってしまったようで何分待っても「ピー」という音はせず、数値も上がりませんでした。ベトナムで買った中国製デジタル体温計。安いだけのことはあります。

自炊する気力がないので近くのモニボン通りにラーメンを食べに行きました。週末などは店の前に客が大勢待っている人気店です。手打ちラーメン一杯1.5ドル。餃子も12Pcsで1.5ドル。一人で12個は食べ切れないので無駄ですが。

 

きょうも客の半分が外国人でした。一人で混雑する店に入るのは気が引けるものがあります。必ず合席になるわけだし。それでも日本人と合席になることはなさそうだし、会話ができないというのは却って気楽なのかも。

スーパーでインスタントラーメン「出前一丁」が5個入り2.5ドルほどで売られています。タイ製のため多くはタイ向けの味付けになっています。一つだけシンプルな日本の味に近いものがあるので買っていますが、今週は2つのスーパーを回っても品切れ。日本から輸入したインスタントラーメンだと5個入りで10ドルか5ドル。作る手間や具の値段を考えると1.5ドルの中国拉麺の安さは明らかです。味もそこそこだし。

1.5ドルは今のレートだと約120円。かつて高校生の頃、小金井駅近くのラーメン屋で50円で食べた記憶があります。ゴルフ場でのキャディーのバイトが日払い1,000円でした。月4回バイトすればラーメンを80回食べられたことになります。平均賃金月100ドルと言われる今日のカンボジアでは月25日働いても1.5ドルのラーメンは66回しか食べられません。そう考えると1960年代後半の日本の賃金水準は今のカンボジアで初任給750ドルということに。

この店も手打ち麺なのは、プノンペンに良い製麺工場がないからなのでしょうか?

隣には「中国鮮魚粉館」という意味不明の店があり、こっちはいつも客が疎らです。チャーハン1.5ドル、餃子も1.5ドルでボリュームも味も問題ないし、串焼きもあるのですが。一度チャーハンと餃子を注文し、食べ切れないので餃子を半分包んで貰って家に持ち帰ったことがありました。

 


田圃のネズミ駆除で感電死

2012-09-25 00:10:09 | 社会

日本でも稲刈りを迎えている時期かと思います。ベトナム中部や北部の8・9月には稲刈り前の時期に毎年この田圃での感電死のニュースが後を絶つことがありません。

9月20日、ベトナム中部のビンテュアン省ドゥックリン県公安は、Nam Chinh村第2集落のLe Thanh Vu (33才) を過失致死容疑で逮捕拘留し捜査中であると発表した。
9月18日18時30頃、田圃の稲がネズミの被害を受けているためLe Thanh Vuはバッテリーを使用して高圧電流を発生させ針金に電流を流し、ネズミ駆除のために田圃の周囲に針金を張り巡らせた。
その後に第6集落の Huỳnh Quang Lành (55才) が来て誤ってこれに触れ、その場で感電死した。

http://www.cand.com.vn/vi-VN/phapluat/2012/9/181267.cand

8月末にはビンディン省で3件の同様の感電死が起きたと報道されていました。昨年8月には北部バクザン省で5人、9月にハイフォンで2人。

昨年のハイズン省での感電死事件では針金を張り巡らせて電流を流した農家の婦人(52才)に今年2月、殺人罪で7年の刑が下されています。

http://phapluattp.vn/20120205014552861p1063c1016/giang-dien-bay-chuot-lam-chet-nguoi-mot-phu-nu-linh-7-nam-tu.htm


今年も1万人以上の特赦

2012-09-24 02:47:48 | 社会

サイゴンでの観光客のひったくり被害は相変わらずのようで、先日ベトナムに来た友人と同じツアーに参加した日本人女性がドンコイ通りでパスポートや貴重品の入ったバックを盗られたそうです。観光客の減少が心配されるほどひったくりが頻発していた一時期に比べればたぶん件数は減少していると思っていたのは間違いだったのかも。

9月2日のベトナム独立記念日には今年も特赦が行われ、昨年同様の1万人以上が出所したとのことです。入所者数の約1割と言われているので受刑者総数は約10万人ということに。

http://vtv.vn/Article/Get/Hon-10000-pham-nhan-duoc-dac-xa-tren-toan-quoc-04e079e02e.html

日本の受刑施設も定員オーバーとのことですが、たぶんベトナムではより深刻な状況あるようで、2010年の特赦人数は日本の受刑者総数に匹敵する3万人だったとのこと。9月2日の特赦以外にも毎年旧正月のテトには各受刑施設で減刑措置が取られています。

特赦によって出所して直ぐにまた犯罪を犯す例も度々記事になっています。離婚した妻を刺して2007年に9年の刑を宣告された男が2011年の特赦で出獄し、2ヶ月後に元妻に復縁を迫り、拒否され、勤務先の学校を訪れ再び刺して今度は死に至らしめたという事件や、一度は死刑判決を受けた麻薬密輸のラオス人が終身刑に減刑された後特赦で出獄し、今年再び麻薬密輸で逮捕され、今回は死刑を免れようもありません。

http://nongnghiep.vn/nongnghiepvn/72/25/25/93732/tu-vu-xuan-truong-den-trum-ma-tuy-xieng-phenh.aspx

麻薬・覚醒剤の売買や運搬に死刑が適用されるためベトナムでは死刑判決を受ける女性の数が多くなっています。今年になってから新聞で報道された一審での死刑判決は39名、この中6名の罪状が麻薬売買と麻薬運搬で4名が女性です。また、殺人以外の罪では横領で2名(男性)が死刑判決を受けています。

南北の比較では北部の方が凶悪犯が多いとの思い込みがありました(ハイフォンのやくざの抗争やバクザン省での宝石店殺害強盗事件などのイメージが強く)が、死刑判決を受けた人数は北部は7名み。南部が圧倒的で多くはHCM市に集中しています。しかも、酒に酔った勢いで、という情けない殺人も多く、鶏を盗んだと疑って隣人を殺してしまったり、煙草一本をくれなかったからと恨んでのことなどというものも含まれています。

ベトナムでの死刑執行は今だに銃殺刑のようで、その様子の動画をネット上で見た時は驚きました。ベトナム語の「tu hinh」で検索すると直ぐ見つかります。恐らく最近は死刑執行数は少なくなっているようで、そのため死刑犯は400名ほどになっているとのことです。また、薬物による刑の執行に変更する予定でもあるようです。9月2日の特赦の際には、300名の刑の執行延期と猶予とあるので、これが死刑囚に対する措置だと思われます。

http://us.24h.com.vn/an-ninh-hinh-su/chua-the-thi-hanh-an-tu-hinh-bang-thuoc-doc-c51a460728.html

バクザン省での犯人が18才に2ヶ月ほど満たなかったため未成年として18年の有期刑となり、未成年の犯罪者に対する論議がベトナムでも取り上げられていました。ベトナムでは満18才で青年とされ、16才~18才までの犯罪者の最高刑が18年と規定されています。

犯罪の低年齢化は確実に進行しているようで、儒教の影響が強いと言われながらも市場経済化と物欲の前には色褪せているようで、孫が祖父の財産を盗んで実刑判決を受けたという記事も2件ほど目にしました。

中部クアンビン省の農村での事件は高校3年生の孫娘が夜中の1時に祖父の家に行き、酒に酔って眠っている81歳の祖父の首を絞めて気絶させポケットの中から440万ドン(16,500円)を奪ったというものです。眠っている人間の首を絞めるというのは殺人行為のように思えますが、被害者の嘆願書が提出されたこともあって罪名は窃盗のみとなり、3年の有期刑判決が下りました。

http://phapluattp.vn/20120425070340797p1063c1016/nu-sinh-lop-12-bop-co-ong-noi-cuop-tien.htm


白藤江の戦い

2012-09-21 16:38:06 | 

日曜日にサイゴンのレロイ通りで久しぶりにバクダン(Bach Dang)アイスクリームを食べました。友人が日本から初めてベトナムに来た時には立ち寄ってしまう店です。「バクダン」と言ってもアイスクリームが爆発するわけではなく、漢字だと「白藤」って書くんだけど・・・などと説明しても殆ど聞いてはいない様子はいつものことです。

サイゴン川沿いのトンドックタン通りもかつてはバクダン通りと呼ばれていたし、ダナンの町では今でもバクダン通りの名のままであり、たぶんその名の由来は1288年に元軍を打ち破った「白藤江の戦い」にあるのではないかと思っています。日本史に出てくる「白村江の戦い」とは一字違いですが、「はくすきのえ」などという言葉は教科書の中でしが見たことがないし、まして倭国・百済連合軍の敗戦で終わったものなので日本では影の薄いものとなっているようです。

店に入るや否や雨が降り始めました。9月16日の日曜日は旧暦8月1日の新月で大潮。相変わらずHCM市の彼方此方では道路の冠水があったようです。恥ずかしながらつい最近までこの大潮の時のサイゴン川の水位の上昇は海水面が上昇して川を遡上することによって起こる現象だと思っていました。「潮」というのが海水を意味する言葉のようだし。しかしメコン河の水位を調べてみると海水の遡上ではなく、河自体が干満の影響を受けるものであることに気付きました。

ベトナムで何で今も旧暦が多く使われているのかが分かったような気にもなりました。特にメコンデルタなどでは水位の変動は日常生活に直結する問題です。

     

白藤江の戦いは、川底に多くの杭を打ち、元の水軍を川の上流に誘き寄せて干潮になった時を見計らい一斉攻撃を仕掛けて打ち破ったものだそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%97%A4%E6%B1%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(1288%E5%B9%B4)

旧暦3月8日とあるので、ちょうど新月と満月の中間で水位の最も低い時期です。ベトナム北部でもたぶんこの季節は雨が少なく水位が低下し、それ故干満の差が顕著だったのだろうと思います。

1979年の中越戦争から33年の今年、南沙諸島を巡る対立はあるものの戦火を交える可能性は大きく減少した状況にある中越関係。それでもベトナムにとって中国が最大の軍事的脅威であることに変わりはないようです。


ハノイの9月CPI前月から2.47%上昇

2012-09-19 00:16:12 | 経済

先週末、サイゴンに行き2泊して昨日プノンペンに戻りました。今回SAPACO社のバス料金は片道11ドルになっており1ドルの値上げで往復22ドル。SORYA社のバスだと往復18ドルなのですが、運行数が少ないので諦めました。

カンボジア政府は予想インフレ率を3.6%に引き下げたと最近の新聞にあり、8月9月の物価上昇を見ずに決めたのか?という感じでしたが、引き下げ前の5.5%にしてもベトナムのインフレ率と比べると遙かに低い数値です。にも拘わらず、サイゴンに行くとプノンペンよりも物価が安いと感じてしまうのは何故でしょう。輸入関税が低い分カンボジアでは乗用車やIPoneなどはベトナムより遙かに安いわけですが、庶民の生活にとっての必需品となるバイクは現地生産が行われているベトナムの方が遙かに安く買えます。今回はHCM市の郊外でゆったりと一泊10ドル、一区では狭くて窓もない部屋に20ドルで一泊。

http://vneconomy.vn/20120918023227357P0C9920/ha-noi-cpi-thang-9-tang-toi-247-so-voi-thang-8.htm

ハノイ投資計画局の報告によると9月の消費者物価指数(CPI)は8月より2.47%上昇し、前年同月比で平均9.24%の上昇となった。

首都ハノイでは第3四半期のGDP成長率は8.5%と予想され、第1四半期の7.3%、第2四半期の7.9%を上回るものとなる。

今年9ヶ月間のハノイのGDP成長率は7.9%となりサービス業8.9%、工業・建設業8%、農林水産業-0.6%である。
ハノイの9ヶ月間の歳入は92兆2,750億ドンと予測されハノイ人民会議の予定額の63.1%である。歳出は約31兆ドンで予定額の58.7%と予測される。

工業・建設業は第3四半期も引続き多くの困難に直面している。主力工業21製品中15製品が生産量を減少させており、この中で45%以上生産量を減らしているのは、自動車組み立て(56.4%減)、電気モータ生産(45.6%減)、工作機械(45.8%減)。
第3四半期の輸出は再び減速傾向にあり、輸出金額は0.4%増(第2四半期は13.7%増)で、今年9ヶ月間は75.3億ドルと予測される。

ハノイ投資計画局によれば、今日までに231件の新規外国投資が認可され、増資分を含め9.19億ドルとなっている(2011年比88%)。
営業登記された企業数は特筆すべき減少を示し、9ヶ月間で11,480社が新規設立され、資本金総額は6.4兆ドンで、企業数で昨年の68%、資本額は54%である。
また、9ヶ月間で730社が解散し、1,900社が営業停止手続きを行った。


Phnom Da 周辺

2012-09-15 00:22:46 | 交通

アンコール・ボレイにはタケオで唯一の博物館や古代の遺跡もあるそうですが、前回6月に行った時は気付かずに通り過ぎてしまいました。たぶんベトナムのOc Eo遺跡と同じ扶南時代のものだろうと思います。

プレイ・カバの町からアンコール・ボレイに向かう道は相変わらずの悪路でしたが、それでも50km/h程度で走ることができます。問題はアンコール・ボレイの町からプノム・ダーに至る工事中の道です。2週間ほど前にここで古代の遺跡が発見されたとのニュースがあった所です。しかし、それらしき場所は見当たりません。道路は土手の上にあり、両側は田圃。掘り返されたばかりの泥の塊の上でパワーショベルの横をすり抜けねばならず、土手の下に滑り落ちるのではないかと恐怖でした。



パワーショベルはVOLVO製で大型の新品。メコンデルタで水路を掘っていたのはKOBELCOの中古が多かったような記憶があります。

小高い丘の上に遺跡が建つプノム・ダーの姿に前回何故気付かなかったのか不思議です。



入口には「WELCOME TO PHNOM DA」の看板もあるわけなのに。しかし、籾干し作業をしている姿は遺跡という雰囲気ではありません。仕事をしているのか遊んでいるのか判別が付かない光景でした。仕事をするには余りにも小さい子供たちです。中学だか高校の歴史の授業で教師が「3歳の子がマッチ工場で働いていた記録がある」と話していたことを思い出しました。イギリスの産業革命の頃のことだったか、明治初期の日本だったのか、はっきりと覚えてはいません。



プノム・チソーより遙かに低い丘なので階段も少なく、頂上まで休まずに登れます。石が多く、やっぱり石があるからプノム(山)ダー(石)と言う名のか。と思ったわけですが、Daが石を意味するのはベトナム語でした。Oc Eo遺跡にはこのような建造物は遺されていないわけだし、建造物は真臘の時代以降のもののようです。ミーソンのチャンパ遺跡よりも明らかに新しい時代のものです。

  

屋根の先端部分が崩落してるため光が入り、中の様子も良く見えました。



中央の四角い穴はリンガが建てられていた跡でしょうか。



頂上からの眺めは木が茂っているため部分的ではあるものの四方は水に浸かった田圃で、乾期になるまでは作物を植えることはできないようです。かつてはもっと水が少なかったのか或いは多かったのか。今のアンコール・ボレイ町からは離れているので近年は寂れた土地であることは間違いなさそう。



プノム・ダーの中腹に建てられた遺跡。



アンザン省の国境近くでもバレーボールをしている姿がありました。カンボジアではサッカーはベトナムほど盛んではないようです。



家の前の湿地で空芯菜を取っていた農家。栽培したものよりも随分と茎が太めでした。田圃が水に浸かっている間、何を生活の糧にするのでしょうか。先祖代代この地に住んでいるとは思えず、開拓農民の家のような感じです



プノム・ダーから南に延びる道は6月よりも凹凸が酷く、土手の下の田圃は完全に水面下に隠れてしまっていました。

  

再びプノム・ダーまで引き返すと子供たちの仕事が終わっていて、豚が籾を食んでいました。面白がってカメラを構えると慌てて棒を持って跳んで来たオバサンが、シャッターを切り終わるまで待ってくれて、ちょっと申し訳ない気分。

小さな女の子が一人寄って来て、何やら言われ、よく聞くと「ソム・プラム・ロイ・リエル」(500リエル頂戴)。ああ、やはり此処は観光地なんだと思い知らされました。仕方なく財布を開いて渡すと、それを遠くから見ていた他の子供たちも一斉に駆け寄って来てしまい、1000リエル札や2000リエル札もすべて消えることに。


メコン河の水位変化

2012-09-14 00:52:00 | 天気

昨年のこの時期、メコンデルタやカンボジアでも洪水のニュースが続いていました。カンボジアでは今週プレアビヒィアでの洪水が300世帯に影響を与えたとのニュースが今のところ、唯一の被害のようです。

http://www.phnompenhpost.com/index.php/2012091258657/National-news/flash-floods-slam-preah-vihear.html

今年のメコン河水位はベトナム国境地点で昨年より1mほど低いものの、これからの一ヶ月間ほどがビーク期を迎えることになります。カンボジア国内のメコン河水位はどのように公表されているのかを知りません。観測されていることは確かで、昨年はベトナムの気象庁によって発表されていました。

「真臘風土記」に周達観が王都アンコールへ向かう際、査南(コンポンチュナン)で小舟に乗り換えたとの記述があります。西暦の5月頃のことらしく、従ってトンレサップの一番水位が低い頃だったからのようです。トンレサップ湖が最小と最大の水面積を記録するのは何月頃のことなのかを知りたかったのですが、知る術を見付けられませんでした。シェムリアプに行って湖を眺めていれば分かることですけど。メコン河の水がトンレサップを遡るというメカニズムも今一つよく分からないし。

メコン河のベトナム国境付近の水位データは分かるのでそれを参考に類推することは可能かと思い、エクセルにデータを記録してグラフにしてみました。観測時間は朝7持と19時の一日2回。しかし最初にこの12時間の水位差が大きいことに驚きました。何故、朝と夕方でこれだけの変動があるのでしょう。しかも乾期には朝が夕方よりも水位が高いのに雨期になると逆に夕方の水位の方が高くなります。そして水位のピークに近づくと差が殆どなくなっていきます。

このデータによると、今年のメコン河水位が最低となった期間は4月下旬から5月下旬までで、既に雨期が始まっていた時期です。水位がマイナス表示となった日が17日ありました。要するに水面が海抜以下になったということだと思うのですが。