GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

ロンスエンからの引越し

2010-06-26 22:29:44 | 生活
ロンスエン暮らしは8ヵ月で終えることになりました。引越しのトラックは約束どおり朝8時に着き、広過ぎる荷台にバイクも載せて8時半にはロンスエンを出発しました。引越し手段をどうしようかとあれこれ迷いましたが、先週ホーチミン市に来た折にGo Vapに事務所のある業者を訪れて決めてしまいました。距離にして約250km。タクシーを頼んだとしても1万ドン×250=250万ドン位で済みそうでしたが、バイクを載せるにはトラックにするしかありません。

丸一年に満たず、メコン河の氾濫がデルタの平野を広がって行く様子を見ることもできないのが心残りでもあり、何かと好くして貰った人々に挨拶もせずに去るのにも後ろめたさを感じてしまいます。引越しの時に感傷的な気分にあることなど今までにはなかったことですが、前夜もあれこれと引き留める言葉を並べられたせいなのかも知れません。

メコンデルタを知ろうとする意思は持ったものの、過ごした月日の割りに知り得たことは余りにも少なかった気がします。トラックの助手席に座ったせいか、バイクで走る時とはやや違った視界がありました。An Hoaのフェリーを渡りTien Giang方向に進む道沿いの蓮池は昨年10月から今まで蓮の花は咲き続けています。

昨年10月に来た時は雨に降られ、途中のカオランで一泊せざると得なかったわけですが、今回はトラックに乗って楽チン。の筈でしたが、有難い青空の下、トラックは10年以上も走り続けているヒュンダイのオンボロでエアコンもなく堪らぬ暑さ。腕時計の汗を何度か拭ったりしていた時はともかく、次第にエンジンの熱がシートに伝わって背中は汗びっしょり。今日ばかりは、早く雨が降ってくれないものかと思わずにおれませんでした。

ティエンザン省のカイベー(Cai Be)付近で11時になり、昼食にしました。国道沿いのカイベーのコメ倉庫の前には今日もトラックが並んでいました。トラックの出入りがあるためにバイクで走る時にはやっかいな場所です。夏秋米の収穫が始まったとは言え、値は低くて在庫も減らないとかの記事を思い出して倉庫を見ると、並んでいるのは見事に日野のトラックばかり。米の運搬業者は引越し業者より遥かに儲かっているからなんでしょうけど。

子供の時に最初に覚えた自動車の名前が「ルノー日野」でした。オート三輪など、まだ矢羽式方向指示器を付けた自動車が多かった時代だったと思います。その後の時代の日野コンテッサも子供心に憧れを感じさせる車だったような。何故かトヨタや日産車に惹かれた記憶はありません。今のベトナムの子供達の目には日野の新車のトラックがどう映るのでしょうか。

高速道路のタンアン近くで待望の雨が降って来ました。しかし窓を閉めるには車内の温度が高過ぎで吹き込む雨に濡れるしかありません。助手席前のワイパーはなく、運転席の前に一本だけでした。







雨上がりの田圃

2010-06-23 20:08:01 | 天気
金曜日の午後からティエンザン省に出掛け、ホーチミン市やタイニン省などにも泊まり昨夜5日振りにロンスエンに戻りました。

日本で梅雨の始まるこの時期、ベトナム南部の雨期も本格化して毎日雨に降られ続けの4日間。長距離を走る場合、雨宿りは殆ど意味が無く、その場が晴れても進行方向で再び降られること度々でした。

こんなこともあるだろうとバイク用の雨具は日本で買い揃えたものの靴のナイロンカバーは殆ど用をなさず、雨具ズボンもバイクに跨ると丈が短くてズボンの裾は泥水をしっかり吸っていました。ホテルに着くと靴に新聞紙を詰めて水分を吸い取り、一晩中扇風機に当てると朝にはどうにか乾きました。

来年の雨期もまたベトナムでバイクに乗るとしたら、その時までにスクーターに買い替えたいものです。教習場でブレーキは前後同時に掛けるのが原則、と教えられましたが、咄嗟の時は足よりも手の前輪ディスク・ブレーキの方が早く反応してしまい、濡れた路面でスリップすることしばしば。たぶん左手で後輪ブレーキを掛けられるスクータータイプの方が安全のようです。

きょうも昼休みに河沿いのカフェでハンモッグで身体を安めました。雨が降るのは時間の問題と分かる空でしたが、支払いを済ませ、ちょうど店を出る瞬間に激しい雨が落ちてきました。

アカネ属のトンボが舞っていました。火炎樹の花は相変わらず赤く咲き続けています。たぶんもう一ヶ月以上になります。この激しい雨風にもかかわらず。春の雨に一晩で散ってしまう桜とは大違い。既にこの近くでは夏秋稲が収穫時期を迎え、強い雨風で倒れてしまった稲も少なくありません。それでも火炎樹の花が散り尽くさないのは何故なのでしょう。

雨は15分ほどで上がったので、工場に戻り、水滴の付いた敷地内の雑草をカメラに収めました。工場に居た最後の犬も先週から行方不明。時折どこかの牛が草を食みに工場にやって来ますが、きょうは姿が無く、このところ池の魚に餌を投げ入れて気晴らしをするのがせいぜい。仕事柄、魚の餌だけは不自由しません。






旧暦五月五日

2010-06-17 20:50:52 | 
昨日16日は旧暦五月五日端午の節句だったので、昼食に招かれました。「オレは遠慮するわ」って感じで断ったのですが、この手のお誘いには何時ものように断り切れず、工場の同僚と共にバイク4台、計8人で参加して来ました。

毎日工場の昼食を食べてる身には有難いことではありますが、気を遣いながらの食事というのは却って負担かも。当たり障りのない話題を持ち出しても長続きせず、後は愛想笑いを続けるだけでした。

不味い昼食を早々と胃に収め、カフェのハンモッグで昼寝してた方が遥かに充実した昼休みです。オマケに前夜は蚊か何かに刺され、夜中と明け方の二度痒くて起きてしまい寝不足。工場に戻ってからコーヒーだけでも飲みに行こうとすると、「端午の節句だからカフェも休みだぜ」と言われてしまいました。

お陰で2時を過ぎた頃からどうにもならない睡魔に襲われ、暫く居眠り。

雨が多くなってからは蚊も減り、このところ暫く安心して電気蚊取りも付けずに寝てました。雨期になると水溜りができてボウフラが湧き蚊が増えると思ってましたが、この辺の環境ではまとまった雨が降ると中途半端な水溜りが洗い流されるのか、ボウフラの生息には不都合な環境になるようです。

しかしエアコンを使っていても建物は隙間だらけで蛍光灯の下、ベッドの上は虫の死骸を毎晩何度も振り払わねばならないほどですから蚊が入って来ても不思議ではありません。

部屋にはタンスを置くスペースが洗面所にあり、そこに洗濯物を干すので窓は開け放っています。部屋との間には扉があり、何時もはキチッと閉めてなかったわけですが、昨夜は蚊に刺されないようにと、寝る前にしっかり閉めたところどういう訳か開かなくなってしまいました。

プラスチック建材の超安物の扉で、体当たりでもすれば簡単に破れてしまいそうな代物です。が、自分で壊すわけにも行かず、そのまま眠り朝になって宿の人を呼ぶことにしました。顔を洗わず髭も剃らずに仕事に行っても大した問題ではありませんが、着替えはタンスの中に入れたままだったので仕方ありません。

扉が安物なだけに鍵も同様で、部屋の入り口の扉は鉄製ですが内側からドアノブを引くとスポッと取っ手が抜けてしまいます。昨年10月に此処に来た時からこの状態で修理する気配もありません。今回も洗面所との境の扉は、取っ手を外して丸い穴が開いたままです。


ライチャウの洪水

2010-06-15 21:50:04 | 天気
バイクで出掛けると道の何処かでは必ず雨に遭う日々です。しかし雨の範囲は差ほど広くなく、暫く走ると突然濡れてない道路に変わったり、またその反対にカフェで雨宿りして上がったと思って走り始めると5分も経たずに再び雨に降られたりも。濡れた道路は走りたくありませんが、夕暮れ近くになると雨の夜道を走るよりは明るい内に走ってしまった方が安全のようです。

北部山岳部のライチャウでは大雨が降ったようで、トゥイチェ紙に写真入りの記事がありました。
http://tuoitre.vn/Chinh-tri-Xa-hoi/383676/Mua-lon-thi-xa-Lai-Chau-ngap-nang.html

洪水の記事を見るにつけ「家畜はどうなるのだろう」などと思っていましたが、やはり可能な限り安全な場所に移すように試みるようです。が、かなり腕っ節が強くないと務まる仕事ではなさそう。

バイクで国道を走ると豚を運ぶバイクやトラックを見る機会が少なくありません。豚を運ぶトラックは多くが水をビシャビシャ流しながら走ってます。たぶん、し尿だと思うのですが、豚青耳病が流行するこの時期(メコンデルタでは発生してませんが)なるべく近付かないようにしています。

それよりも腹が立つのはバスの窓から道路にトウモロコシの皮やバナナの皮を捨てる乗客です。まだ直撃をくらったことはありませんが。


改造バイク

2010-06-14 00:12:17 | 生活
国道91号の陥没地点の近くで、籾殻を河に着いた船から運び上げている光景を何度か見ました。近くでレンガを焼いていて、その燃料に使われているようです。

先週、またまたチャウドックの手前で交通警察の速度取締りに捕まってしまい、反則金の納付手続きなどで何度かこの道を通ることになりました。その時見たのがこのバイクです。レンガに焼く前の粘土を運んでいました。

ゴーバップでも氷を運ぶボロボロのバイクをしばしば見掛けましたが、ここまでのレベルに達しているのは、これが初めて。ガソリンタンクの代わりにペットボトルをぶら下げて走っていました。

アンフー県では郵便局の払い下げバイクに別のガソリン・タンクを取り付けて走っているバイクを見ましたから、どうやら古くなったバイクはエンジンが壊れる前にガソリンタンクの金属が腐食して穴が開いてしまうようです。

パーツがなくても修理と改造を重ねて走り続けるバイクもあるわけですから、我が中国製バイクのメンテナンスも簡単にできそうなものですが、クラッチ・レバーを折ってしまったので、昨日サイゴンの販売店まで行ってみると店はなくなっていました。移転したのか潰れたのかの何れかなんでしょうけど。

パーツを探したり、改めて修理を引き受けてくれる店を見つけねばならず面倒です。ガソリンタンクに穴が開くまで乗り続けるつもりはありませんが、まだ7ヶ月しか走ってません。燃費は50km/Lほどになるので経済的なバイクではあります。もっとも、このところ毎月反則金を納めているわけですが。




緑豆の脱穀

2010-06-11 00:37:38 | 農業・食品
アンフー県の北部にある湖、Búng Bình Thiênを探して土手の上の農道をウロチョロしている時のことです。狭い道の真ん中で豆の脱穀をしている人々に出会いました。

豆の殻が勢い良く吹き出して舞い上がり、土の道の上にはネットが敷いてあるので通れません。「仕事中だからここは通っちゃ駄目」と言われそうな気もしましたが、バイクを停めて作業中の脱穀機を覗くと緑豆がザアザアと機械から排出されるのが見えました。

緑豆は、市場で何度か見たことがありますし、「che」の中にも入っているので知っていましたが、殻を見たのはこれが初めてでした。が、見覚えがあります。以前、畑で見て「あぁ、サヤインゲンが枯れている」などと思ったことがありました。今までインゲン畑を見たこともなく勝手にそう思い込んでしまったのですが、それが緑豆畑だったようです。

「今年は中国雲南の旱魃で緑豆も良い値が付いているそうですね」と声を掛けてみましたが、何を言ってるのかさっぱり分からない、という顔をされてしまいました。すると傍にいたオバサンが「何、アンタ聞こえなかったの?この人は、中国の旱魃で緑豆の値段が上がってる、て言ったんじゃない」と口を挟んでくれたので、通じないベトナム語の劣等感から解放された思いでした。

「でも此処の緑豆は良くないから駄目だよ。あっちの方は値が付くかも知れないけど」と方角を手で示しました。緑豆を買い付けに来たわけでもないので、あっちが何処なのかを聞くこともありませんでした。

日本ではこの緑豆をもやしの原料用に中国から輸入しているようです。春雨の原料にもなるのだとか。




ヴィンチュゥン村

2010-06-08 00:24:07 | 旅行
アンフー県を流れるメコン河(後江)に大きな中州があり、省道を折れて渡る橋が一つありました。県には12の行政村があり、この島全体がヴィンチュゥン(Vĩnh Trường)村です。河によって周りを囲われ、河沿いに道があり、道の両側に高床式の民家が並んでいました。

静かな土地を用のない余所者が風変わりなバイクでトロトロ走っていると、ただそれだけで恥ずかしくなるほどの視線を浴びてしまいました。しかしお陰様と言うか何と言うか、ベトナム暮らしで羞恥心なるものに囚われることも少なくなった昨今です。

庭先で竿の先に鎌を付け、木の上のMậnの実を採っている姿がありました。味が薄く美味しさはイマイチですが値段が安く、食べる機会も多い果物です。南部ではMậnと呼ばれてますが北部やフエでは違う名だとか。英語で「マラッカ・アップル」と呼ばれている果物の種類のようです。

中学生くらいの女の子がシートを広げて落ちてくるMậnの実を受け止めようとしてますが、シートに弾んで土の上に落ちてしまうものが少なくありません。プロコンコの飼料袋を切り開いて繋ぎ合わせたシートでした。「シートじゃなくてネットを使った方が良いんじゃない」などと余計な口出しはしませんでしたが、20年ほど前だったか、越生で梅の実を同じように落としていた光景を思い出しました。

庭には大きなジャックフルーツが実った木やバナナなども植えられ、薪も綺麗に積み上げられていて、他の家と比べ遥かに手入れが行き届き、気持ちの休まる庭でした。一度はこういう家に民泊してみたいものです。床はカンボジアで見る家のようには高くなく、この辺でよく見るように庭の地面から床の上までがコンクリートのスロープになっています。

いつ頃建てられた家なのか、何代前から此処に住んでいるのか等々聞いてみたいことは沢山ありましたが、上手く伝わらず途中で諦めました。

暫く走るとスカーフを被ったチャム人が住む一角があり、家の造りがやや雰囲気を異にしたものもありました。近くには然程古くないイスラム・モスクが建っていました。島には仏教やカオダイ教の寺もありました。が、この村に高校はありません。人口約20万のアンフー県全体で高校は4校です。

市場はとても小さな建物はありましたが、夕方近くだったためか、店は一軒もなく、オバサン達が床のコンクリートの上で平べったい豆のようなものを選別してました。小学校に上がる前のような幼い子供が水牛を連れてました。一体この子は何歳なのだろう?と思い、バイクから降りてその場を離れカメラを回してると、サッカーをしていた男達がいつの間にか停めて置いたバイクに群がり、ブレーキを握ったりバイクに跨ったりしてる姿が見えました。

カフェに停めたバイクにバイクに店の女の子が跨っても笑って見てられますが、見知らぬ男たちに勝手にバイクに触られると面白くありません。何故なんでしょう?








市場のねずみ

2010-06-07 11:51:06 | 旅行
先週に引き続きまたアンフー県に行って来ました。日曜日の朝、早く起きられたらキエンザン省のハーティエンにとも思いましたが、日帰りすると疲れそうな距離なので。

アンフーでは先週一泊するつもりで宿に寄ってはみたものの部屋を見て気が変わり、泊まりませんでした。田圃を見渡る位置にあるNha Nghiで外観はそこそこでしたが、部屋は想像してたのと大違いでまるで収容施設。エアコン付きで12万ドンの料金でしたが、たとえ12万ドン貰ったとしても泊まるのは勘弁の部屋でした。Go Vapなら15万ドンでそこそこ快適な部屋に泊まれるのに。

今回もまた午前中にチャウドックの手前で雨。西側の空に雨雲が広がり東側は青空が見えていましたが、それから5分も経たないうちに強い風が吹き、前方の道路が濡れているのが見えました。生憎カフェもなく、ガソリンスタンドに入りました。

今までは250km走る毎に10万ドン分のガソリンを入れてましたが、先週ガソリン価格が500ドン/L値下げになったためと、50km/h以上のスピードを出さなくなったせいで300kmほど走れるようになりました。火気厳禁のスタンドでタバコを吸うことも出来ず、雨宿りをして暇を持て余していると道路工事用の車両が止めてあるのが目に入りました。

建設機械の多くが日本製の中古だということは知ってましたが、この車両には「NIIGATA」の文字。もしかすると「新潟鉄工」?とかつて浦和にあった工場を思い出しました。何時頃倒産したのかも今は覚えてませんが。1970年代の埼玉にあった多くの工場が今は姿を消してしまったようです。中古の建設機械はベトナムに運ばれても工場そのものがベトナムに移転されたということは滅多になさそうです。

先週は行けなかったヴィンホイドン(Vĩnh Hội Đông)国境口を探しました。ここも川を挟んで対岸がカンボジアです。アンフー県の中心地Thị trấn An Phúから3~4km、チャウドック川を下ってチャウドックの町まで12~3kmの位置にあります。

このヴィンホイドン国境口は昨年11月に国家国境口に格上げされたばかり。カンボジア側はタケオのKompong Krosang国境口です。上流と右岸がカンボジア、下流と左岸がベトナムという位置にあり(たぶん)、北から流れるPhú Hội川が合流する地点でもある複雑な地形のため何処が国境線なのかは分かり難いものがありました。

税関の建物があったので、その付近だと思うのですが、入国管理事務所は見当たらず、川に下りて渡し舟の船着場を見ても行き先は何だか分かりませんでした。

バイクを駐輪屋さんに預け町を歩いて見ました。が、町はとても狭く、市場も小さくて国境の町という雰囲気はありませんでした。田圃ねずみを売っているのを見たのは初めてでしたのでカメラを回しました。思いのほか大きなねずみでした。ドブネズミと同種のなかどうかは知りません。陽当たりと籠のせいで上手く映らず、角度を変えたりしていると近くに居た子供が面白がってモニターを指で突っつきに来ました。子犬や子猫と変わらぬ習性というか、同様の無邪気さとかわいらしさでした。




稲の花

2010-06-04 22:33:02 | 天気
6月に入り、毎日雨が降るようになりました。降っている時間は30分程度です。きょうは一日中雲が多く気温が上がらずに過ごし易く、工場のボケ犬も元気でした。毛に全身が覆われているためか5月の暑い日々は熱帯の犬も人間以上にへばってました。

5月農業報告に「北部では冬春稲の開花が終わり」との記載があり、稲も花が咲くものと知ったのでアンフーに行った時に田圃に下りて近くで稲を見てきました。するとやはり稲には「花」らしきものがありました。

画像を職場のベトナム人に見せ、「これは花(hoa)だろ」?と訊ねると「花」だけど「hoa lúa」とは言わず「bông lúa」と呼ぶのだとか。

田圃の周りには唐辛子が植えられてました。田圃を唐辛子で囲うことに何か意味があるのかどうかは知りません。イノシシが食べて辛くて退散するとかの効果がありそうな気もしますが。若いお母さんと子供達が赤くなった唐辛子を摘んでいました。

カメラを向けると子供たちは唐辛子の茂みの中に身を隠してはしゃいでいました。田圃の畦はやっとどうにか歩ける位の細くて凸凹で、子供の頃歩いた日本の田圃とは少し趣が異なります。

溝にはタニシと蟹がいました。ハノイにいた頃、市場で売られていた蟹です。泥の中でじっとしたまま動かないので棒でつっついてみました。それを見て子供達が寄って来て手で捕まえて見せてくれました。ちゃんと生きた蟹でした。バケツに一杯ほどのザリガニを獲ってた子供の頃の記憶が少し蘇りました。