GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

クラチェからプレイベン

2012-10-25 00:03:15 | 旅行

19日金曜日の朝、クラチェのOudom Sambath ホテルをチェックアウトし、と言ってもチェックインの際に料金7ドルは払ったので鍵を返しただけ。ラオスでもベトナムと違ってホテルにパスポートを預けるということはありませんでした。宿泊料を後払いしたパクセホテルではパスポートの提示を求められ、コピーを撮りその場で返却してました。

               

外国人観光客が入るような店で朝食を取ると、壁にイラワジイルカのポスターがありました。ラオス側のメコン河でもイルカが見られるとのことですが、今回イルカ見物をパスしたのは、高倍率ズームのカメラを持ってないから。このポスターのような写真を撮りたいものです。

 

河沿いの地方政府機関と寺にシハヌーク前国王の遺影が飾られていました。数日前に日本からのメールで「シアヌーク殿下が亡くなられた」ことを知りました。たぶん日本でカンボジア報道が一番多く目にした頃は「シアヌーク殿下」と呼ばれていた時代だったわけで、「前国王の逝去」より「シアヌーク殿下」という言葉の方が多くの記憶を呼び覚ますものがありました。 

               

道路沿いの農家にも半旗が掲げられていました。

 

グーグルアースによるとメコン河沿いの308号線。ラオスでは稲刈りの季節でしたが、この湿地では田植えが行われてました。

              

73号線に分岐して直ぐに急にバイクの数が多くなり、高校生の下校時のようで雰囲気が一変しました。クラチェの町からは遠く離れ、コンポンチャム州との州境近くの農村地帯なのにバイクだけ都会的でお金持ちの雰囲気。

 

由緒あるLYCEEのようで、「セラヴェティ キアット チョン高等学校」と日本語を含め7ヵ国語で校名が刻まれていました。

メコン河沿いの町は右岸に位置するものが多く、クラチェのみが左岸にあります。また国道7号が何故コンポンチャムからクラチェの間を大きく迂回しているのかも不思議に思いますが、この位置にエリート校らしき高校が建てられた経緯も知りたいものです。1月にコンポンチャムで見たかつてポルポトが通ったと言われる「リセ・プレアハ・シーハヌーク」よりも立派な印象です。

 

喪章のリボンを胸に付けた生徒もいました。携帯を握りしめた指の爪には黒マジックインキの落書き風ネイルペインがありました。2年ほど前にはプノンペンで女子学生のミニスカートに反対する教職員組合のデモがあったそうです。高校生はロングスカート姿が多いようで、巻きスカートも。ラオスでは裾に柄が織られていましたが、ここでは無地。

              

ブレーキのない自転車に二人乗りしてました。座るとやっとペダルに足が届くかどうかという高さ。ラオスでは後輪に足を伸ばしてタイヤの上を踏みブレーキを掛けていた子供を見ました。泥除けがあるこの自転車ではそれも無理。

     

コンポンチャムに入った73号沿いのキャッサバ畑。

                       

SUONの町の食堂で昼食。子の髪飾りは毛を編んだものでした。店の人は皆フレンドリーで、国籍を聞かれたので日本人と答えると「女の子たちはパキスタン人じゃないかって・・」とのこと。確かに一週間でかなり日焼け顔にはなりましたが、パキスタン人と言われたのはこれが初めて。

コンポンチャムの町の手前で11号に折れ、プレイベンに向かいました。プレイベン経由で国道1号に出てプノンペンに戻っても7号をそのまま走って帰るのと距離は大して変わらないようです。プレイベンの雨期の風景を見たいと思いました。

            

湖畔の売店で休みました。前回ここに来たのは2010年の1月だったかと思います。初めはメコン河と間違えました。今はさすがに水面積はさらに大きくなっていました。

              

走り続けると幾つもの湖、というか池なのか川なのかわからない水面が見えました。

 

水辺の集落でバイクを止め水面近くに降りてみました。子供たちがベトナム語で話していました。トンレサップで水上生活を送るベトナム人も少なくないと聞きましたが、ここでもカンボジアの人々と混住しつつもベトナム語で生活しているようです。

この日の夕方、無事プノンペンに着きました。走行距離は往復2,020kmほど。ガソリン代は約60ドル。自転車だと1日200km計算で10日間掛かることになり、その差僅か3日ばかりでしかありません。そう考えると疲れが消えてしまいました。