GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

ベトナム女性が怖い

2011-04-25 20:38:30 | 新聞・書籍
かつてのゴ・ジン・ニュー夫人 Trần Lệ Xuânが24日、ローマの病院で死去したとの記事がありました。悪名高いゴ・ジン・ジェム政権の秘密警察を率いたゴ・ジン・ニューは1963年の軍事クーデターで殺害されたのですが、彼女は国外に逃れ外国暮らしを48年間続け享年87歳だとか。

「僧侶が一人バーベキューになったからなんだっていうの」とのアメリカでの発言が世界中の世論を敵に回してしまっただけでなくその年11月のクーデターを準備させてしまったようです。ゴリゴリの反共主義者になってしまうだけの個人的な体験があったことも事実なのでしょうが、それにしても度を超してました。

しかし、今ふと感じることは-勿論個人的偏見に過ぎませんが-彼女もまたベトナム女性の「危なさ」の象徴でもあるような。時にベトナム女性の強さとも呼ばれてますが、周囲を見渡す限りやはり怖さと言う方が的確のような気がします。東南アジアの国々で現地の女性を泣かす多くの日本人男性がいることはしばしば耳にするものの、ここではベトナム女性に泣かされた日本男性の話は日常茶飯事、定番中の定番でゲップが出るほどです。

最近は女子中高生の暴力沙汰が新聞を賑わせ続け、しかもその暴行シーンを動画サイトに載せるというおま付きです。日本の中高生の陰湿な虐めよりはストレートではあるわけですが。

直近の事件はホーチミン市12区の中学校で起きた6年生と7年生の暴行事件で、日本の学年で言えば小学校6年生と中学1年生です。ボーイフレンドに手を出したとかの嫉妬芯から一人の生徒を四人で2ヶ月にわたって苛め続け、今月19日には派手に殴った上に服を脱がせビデオに撮って動画サイトに投稿したとのことです。

12区の教育局はこの四人1週間の定額処分を下したとのこと。やはり何処か日本の虐めとは違うような。遠い昔の自分がその年齢の頃を振り返ると、思春期の不安定さには思い当たるものがあるにしても、同級生の女の子の中にそのような恐ろしさを予想することすら出来ないものでした。女性への幻想の中に生きていただけなのかも知れませんが。

10数年前のハノイ、ホアンキエム湖を通り掛かった時、女子中学生の一人がOL風の女性に言い掛かりを付け激しく罵っている場面に遭遇しました。当時親しくしていた大学生のThanhさんにその話をすると「私も中学生の頃はそうでした。大人に喧嘩を売ってました」と言われ驚いたことがあります。

わが工場に於いてもこの間、女性の暴力沙汰が工業団地の警備員のお世話になってしまったものが二度ほどありました。それも男女関係とは無縁な問題で。言うまでもなく暴力的でない女性が多数であることは確かです。しかし誰もが豹変する可能性を秘めていると思わねば危ない。「危険」「複雑」という単語を使わずにベトナム女性を語ることはできないと常々思っています。

チャンバンの犬

2011-04-21 22:15:25 | 生活
チャンバン工業団地での生活も残すところわずかとなり、先週から数回に分けて工場の皆さんと一緒に食事会を持っています。で、きょうはその最終回。中華、韓国料理と続いたことだし、人数も10名を超えるからといいうことで地元の普通の店で食べることになりました。周りを田圃や畑に囲まれた何ともチャンバンの風景そのもののというか、これぞチャンバンの生活というような風情の店でした。できることなら、もうちょっと清潔感のある店の方が落ち着くのですが。思えば10数年前にビエンホアでも同じような食事会を何度も持ちました。その時を振り返ってもここまでローカル色は強くありませんでした。

その代わり、価格の明記されていないメニューを選ぶ際に何の躊躇いも必要としない気楽さはあります。夕暮れの田園風景を眺めながらの食事も日本での生活では滅多に機会のないことです。しかし店はボロボロの掘っ立て小屋で机や壊れた陶器なのどの粗大ごみなども直ぐ近くに放置されたまま。隣家の納屋には猿の姿も見えました。

店のオバサンは髪を短く切った体格の良い人で「オネーさん、ちょっと」と呼ぶと「オニーさんと呼んで頂戴」と言う堂々とした「ニウ(?)」の方でした。日本と比べこの社会では少々他の人と違っていても苦にすることが少ないようで、バンコクほどではないにしてもオニイサンと呼ぶべきかオネイさんと呼ぶべきかを迷う飲食店で働く人は何度か見掛けました。

初めに七輪が3つテーブルに並べられ牛肉バーベキューを食べました。が、工場の昼食弁当同様硬い牛肉です。奥歯を含め3本ほど歯の欠けている身にはとても噛めるものではありません。「きっと仔牛を何匹も生み続け歳老いた牛なんだよ」とのこと。噛むのが面倒なのでテーブルに寄って来た子犬にシェアしました。子犬もさぞかし噛むのに苦労するだろう、と思っていたところ何と一口で飲み込んでしまいました。余程空腹だったようです。

次第に隣近所の犬がテーブルの下に集まり初めました。見るとどの犬も仔犬を何度も生んだように乳母が垂れ下がったメス犬ばかり。オス犬はすべてホーチミン市の犬肉屋に売られてしまうからなのでしょうか?たぶん牛肉も柔らかいものはホーチミン市の肉屋に運ばれてしまうためこの地に残った牛肉が硬いのと同様に。

このチャンバンで生まれたオスとして生まれた人間はまだ幸せと言うべきなのでしょう。犬や牛、豚に生まれてたら長生きは出来ません。テーブルを囲んだ人間の数は男女ほぼ半々。30過ぎのN君が隣の席の20歳過ぎの女の子をしきりにからかっています。「お前は鼻は低いし胸はぺっちゃんこ。肉もなくて骨だけじゃないか」。
N君の顔が籠に詰め込まれバイクに積まれた犬の顔にダブりました。


Esther Kaiser

2011-04-18 21:53:49 | 生活
「バックストリート・ボーイズ」と言う名を初めて聞いたのは10年ほど前のことで、川岸さんのフミちゃんから「コピーCD買っといて」と頼まれたリクエストの中にあった名前だったように覚えてます。「裏通り少年」という名に何故か好感を持ちましたが曲を聴いたのはしばらく経ってからのこと。

今や二児の母親となったランちゃんに「バックストリート・ボーイズのコンサートに行って来たぜ」と言うと「わたしゃボブ・ディランのコンサートの方が興味あるね」との返事。そのコンサートも10月19日だかに終わってしまいましたが、確かにボブ・ディランの方が知ってる曲も多かったかも知れません。

尤もどちらも野外コンサートですからお祭り気分のようなもので、ベトナム生活の疲れを癒すような効果は期待できないわけですが、5・6年前だったかHCM市音楽学院のホールで開催されたドイツのJAZZボーカルEsther Kaiserのコンサートは癒し効果抜群でした。日頃とめどない騒音の中で暮らしているためかアコースティックな音(マイクを通してはいますが)が脳細胞に染み渡るように感じられました。

その時は新聞でコンサートを知り、その歌手の名前すら知りませんでしたがヨーロッパ・ジャズの女性ボーカルというだけで何処かベトナムとは対極にある文化世界を感じてチケットを買い求めたところ既に売り切れとのこと。諦めきれずに当日会場に行き何とか裏口から潜り込もうと青少年時代の姑息な思いでウロウロしてました。結局開演時間が始まっても満席にならなかったために堂々と入り口から無料で入ることが出来ました。

毎年ハノイではjAZZ コンサートがあるようですが、HCM市ではどうなのでしょう。


カントーのエタノール工場

2011-04-17 23:44:44 | 農業・食品
久しぶりにメコンデルタに行って来ました。日曜日とフンヴン王記念日の3連休はカンボジアかシンガポールへ行くつもりでしたが、日頃の心掛けの悪さ故当たり前の如く2日間は工場に出ざるを得ず、最後の1日はメコンデルタへの片道で潰れてしまいました。

訪問先はカントー市トットノット区の工場ですが、宿泊は10kmほど離れたロンスエンにしました。昨年暮らしていた街ですが、1年ほど離れていたためか随分と印象は異なります。チャンバンの工業団地周辺に暮らす身には眩しい大都会に見えてしまうのが不思議。スーパーのMETROも完成し開店してました。カントーの街は更に都会ですから改めてタイニンの貧しさとメコンデルタの豊かさを思い知らされます。

もっとも通り過ぎる者にとって眩しく見えるメコンデルタの都会もその場に留まればどれほどのものであるかは別問題。ホテルのレストランで遅い夕食をとっている時に料理を運んで来たウェイトレスが皿を傾けてしまい、汁が同行者の股間を派手に濡らしてしまいました。通常ベトナムでもおしぼりを持って来て謝るぐらいのことはするわけですが、自分の不始末に驚いて為す術を知らず仕舞い。ロンスエン・ホテルの30万ドンのシングルルームは壁がカビで汚れていてもう一泊するとなれば考えてしまいます。

以前は水産養殖関係の仕事でこのトットノットには来ていたのでアルコール工場については気に留めることがありませんでした。カントー市と言ってもトットノット区はカントー市の中心街や、まして砂糖黍の産地である今のホウザン省からはかなり距離があります。輸送コストを考えれば好立地とは思えず不思議でしたが、聞いてみるとかつてこの地には手工業のアルコール精製工場が数十も立ち並んでいたそうです。

砂糖の廃糖蜜を原料とするのではなく恐らく米からアルコールを作っていたのではないでしょうか。この工場では今も顧客の要求があれば米を原料にしたアルコールを精製しているそうで、米の貯蔵庫がありました。米からアルコールを作った方が香りが良いのだそうです。

今は数十の手工業工場は姿を消し、たぶんメコンデルタのアルコール精製工場はこの1社のみ。ベトナム国内でのエタノール製造工場は8箇所と言われてます。最近はキャッサバを原料とする燃料用エタノール工場の建設が進んでいるようですが。

廃糖蜜を原料とした方がキャッサバを原料とするよりは糖化工程が省かれる分だけ効率的のようです。しかし廃糖蜜の供給には限度があり、製糖会社から出る廃糖蜜は砂糖黍原料の約3%。ベトナム全土の砂糖黍収穫量が1500万トンですから砂糖が150万トン、廃糖蜜は45万トン程度。ここから精製されるエタノールはトン当たり280Lだったかと思います。しかし、ベトナム国内では味の素、VEDAN等の調味料会社がこの廃糖蜜の半数を使用してしまうのだとか。

初めてこの日、廃糖蜜の貯蔵庫を覗きドリアンにも劣らない強烈な匂いを嗅ぎながら、これが食品添加物となり、あるいはビールや焼酎、ワインに混ぜられてわが日本の友人諸君の胃袋に納まるのかと思うと可笑しくなりました。