GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

ダ・ラット-タップ・チャムに蒸気機関車

2008-03-29 23:34:31 | 地理・歴史
TT (Lâm Đồng) - Tin từ ga xe lửa Đà Lạt cho biết Công ty cổ phần Vận tải đường sắt Hà Nội vừa thỏa thuận đầu tư 800 triệu đồng phục chế bốn toa xe lửa cổ để đưa vào phục vụ tuyến du lịch đường sắt Đà Lạt - Tháp Chàm ngay trong quí 2-2008.

ダ・ラット駅からの情報によれば、ハノイ鉄道株式会社は800百万ドン(約500万円)を投じて4両の蒸気機関車を復活させ、今年第2四半期にダ・ラットータップ・チャム間の旅行客を乗せて運行する。

とのことのようで、「日本製」と書いてあったので、その昔、仏印進駐の際に日本軍が残して行ったものなのか・・・などと早合点をしてしまったのですが、日本に眠っている蒸気機関車を買い付ける話なのかも知れません。1936年から製作が開始された蒸気機関車と書いてあるのでD51のことなのでしょう。新聞に載った写真はダ・ラット駅に展示されている日本のSLのようですが、どうやって運ばれて来たものなのでしょうか?

三菱重工が製作するジェット旅客機をVN航空が購入する話と比べると金額も格段の違い。多分投資に対する収益率も期待できそうもないような気がします。ベトナム人がSLに郷愁を感じるとは考え難いし、日本のSLファンがダ・ラットにわざわざ来るとも思えません。ニン・トゥアン省ファンランのタップ・チャムへの観光客は多少増えるでしょうけど。

一度ダ・ラットからタップ・チャムまでバイクで下ったことがありました。標高1500m近くの高原から海までの高低差ですからバイクで下るのは楽でしたが、登りとなると蒸気機関車では黒煙を吐きながらゼイゼイ、ノロノロなのでは?ホンゲイ炭=無煙炭が燃料に使われるかどうかも記事には書いてありません。

以前、タップ・チャムの高校へ試験の採点に出掛けたことがあります。早朝サイゴンを発ち、深夜サイゴンに戻りました。レンタカー代だけでも大赤字の仕事でしたが、まだ若い校長先生が実に接し易い人で、珍しくまるで古い友人と話をしているような楽しさを感じました。

ニン・トゥアン省は少数民族が多く住む貧しい省で、採点に出向いた高校も採点結果はやや目を覆うほどのもので、校長先生も頭を掻きながら照れ笑いの連続。中・高併設の学校ですが、日本の中高一貫進学校との意味合いはなく、単に学校建設の予算がないから同じ校舎で間に合わせている、ということのようです。

これからはそういう仕事に託けて高校を訪問することもなくなるのわけで、少々寂しい気もして来ます。と、いうことは、この6年間採算の取れない仕事を続けて来て決して嫌な事ばかりではなかった、ということかも知れません。今はまだその心境からは程遠いものがありますが、時が経てば、もう一度会いたいと思うベトナム人も少なくないような気がします。

資金不足、魚のために苦しむ農民

2008-03-27 02:34:28 | 社会
Thiếu vốn, nông dân đang khổ vì cá

数ヶ月前までは冷凍水産品の輸出が拡大し、養殖魚の不足で工場の稼働率が低下している、などとも言われていたわけですが、今や状況は一変して養殖魚の販売価格は下落、冷凍加工工場では資金不足で魚を買い付けることも叶わぬ事態だとか。養殖魚農家は毎日の餌代を銀行から借りられず、日々上昇する高利の貸付を受けて日々赤字を拡大させている、という状況も少なくないようです。

水産品の輸出拡大によって昨年は水産加工会社の株式上場も相次いだわけですが、その株価も急落したため株式発行による資金調達もできず、あるいはドル建て輸出のためドル下落が打撃となり、しかも銀行がこのドルをベトナム・ドンに替えてくれなかったりもしてるのだとか。

WTOに加盟し、グローバル経済への統合が開始されるや否やこの資源・穀物高、ドル安に直面し、インフレの昂進に引き締め政策が採られることによって今や至る所で資金不足の事態。ベトナム経済の脆弱性を見る思いです。経済成長の中に潜む危険性-あらゆる経済が経験してきたことのようですが-などといったことに改めて気付かされます。

などと思いつつ新聞を読んでも今一つ(単語も分からず)理解不足。H君に聞いてみようと食事に誘いました。Nam Ky Khoi NghiaとLe Thanh Ton通りの交差点に出来たBBQの野外レストランに初めて入りました。日本食を食べるよりは遥かにリーズナブル・プライス。バーベキューをカタカナでしか知らない僕には「BBQ」が何なのかも分からず、H君に聞いてやっと納得。

明日からはベトナム証券市場の値幅制限が5%から1%に下げられるとのこと。それで株価下落に歯止めが掛かるのかどうかは別にして、そうしないとどうにもならない事態のようです。証券担保の銀行借り入れ資金がこの下落で清算を余儀なくされ、下がれば売らざるを得ないため売り続けの悪循環に陥ってしまってるそうで、その借り入れ残金が総額で15営業日ほどだそうです。水産株の下落も悲しいものがありますが、もっと悲惨なのが証券株。

これじゃ潰れる証券会社も出てくるんじゃないの?と思えるほどです。そういえば山一證券の「自主廃業」の滑稽に思えた記者会見ニュースはH君と一緒に働いていた時でした。「一任勘定、飛ばし、損失補填」などという言葉は無縁な世界の出来事のように感じていたものですが。

帰り道に久しぶりにTan Dinh市場近くの金販売店に立ち寄りました。そろそろ一時帰国の準備を、などとも思い、日本円の準備もせねばなりません。洗い髪の若い店員がきょうは何故か色っぽく、愛想の良さに甘えてついつい下らぬ冗談を飛ばして気分は好かったのですが、レートは何と1円=159.8ドン。1ドルが100円を切るのですからそんなもんだろうとは思ってましたが、140を超えれば円高との感覚が抜けません。円高というよりはドル安と思っていたのは間違いで、実際に一万円札を受け取るために159.8千ドンも払わねばならないとなると思いは別。円高に苦しみ帰るに帰れぬ貧乏日本人、というところです。

ハノイ物価上昇:3ヶ月で15.3%

2008-03-25 02:58:34 | 社会
ハノイ統計局の発表によると、この3ヶ月間に物価指数は15.3%の上昇。しかも3月の食糧指標(Chỉ số giá lương thực )が最も高く昨年12月比で+20.99%とのことです。北部のこの冬の異常な寒さが食糧収穫に影響を与えたためでもあるようです。

しかし、サイゴンとて食品や食堂の価格上昇は相次いでいます。この留まるところを知らぬ物価上昇と株価下落には驚くばかりですが、そう書き立てている新聞もまたこの3月から値上げとなりました。定価で1300ドンから1800ドンへ38.5%もの上昇で、街頭売りが1500ドンから2000ドンへ。株価の急落は日本の90年バブル崩壊を思い出させるほどの、下げ幅ではそれ以上のものがあるようですが、不動産投機やら外資の流入は続いているようです。

当時日経新聞の広告欄が極端に薄くなったのを覚えています。それとは反対に、きょうのトゥイチェ誌の広告欄の厚さには驚きました。タブロイド版で本体が20頁なのに広告欄は76頁。これだけの広告収入があれば値上げせずとも十分ではないかと思ってしまうわけですが、他紙の広告はさほど多いわけでもなく、横並び価格のようです。

メコンデルタのソクチャンでは燃料価格の上昇で半数以上の漁船が漁に出ないで岸に留まっているとの記事を先週読みました。漁に出れば赤字で、魚の販売価格が上昇するのを待っているのだそうです。と、いうことは何れまた魚の値段も上がることになりそうです。

石油燃料の価格上昇は、付加価値の低いベトナムの産業にとっては深刻な問題です。製造業の工場生産でも原材料費の比率が高く、この原材料費が高騰する中で燃料費の高騰が起きるとラニング・コストまで押し上げることになり、さらに物流コストも上昇するわけですからどうにもなりません。

余剰資金が生産的な投資に向かわず不動産などの投機へと向かってしまうのも当然のことのように思えてきます。

先日アメリカ大豆の販売促進にやって来たアイオア州の会社の話を聞く機会がありました。「アイオアは冬が長いし、大豆農家は規模が小さいんですよ」と言うので、小さいとはどの程度の面積のことかと聞くと500エーカーだとか。エーカーの単位は知らないのでヘクタールに換算してもらうと何と202ヘクタール。メコンデルタの平均的農家が1へクタールですから202倍の規模。それで小さいと言われても返す言葉が見つかりませんでした。


平米535円の家賃

2008-03-24 02:24:25 | 生活
前日のカラオケはやはり負担だったようで、土曜は朝から頭が重く微熱が続きました。バイクで走ると排気ガスにむせ、道路の凹凸による振動が脳天に響きます。首の後ろ上が熱っぽく、こりゃ風邪じゃなく「くも膜下出血」などとの思いも過ぎりましたが、若山や水田さんほどデリケートな脳でもなく、気管支や肺の方がダメージが大きいので、それはなさそうな話です。今週作った未収金の請求書ファイルを読み返していると誤りに気付きました。集中力を欠いて仕事をしても結局二度手間でろくな事がありません。

二人で借りることを前提にした今の家は一人では広過ぎだし家賃負担も耐え難い・・・などということを彼方此方で喋っているので知り合いが安い部屋を紹介してくれました。家賃は今の1/4。それが実現すればTVも変えるし、月に2・3度日本食店に足を運ぶことも可能です。が、場所は何とNga Tu Ga。ゴーバップを通り過ぎた先の12区で、しかもラブホテル街の代名詞のようなところです。しかし、まぁ折角紹介してもらったわけだし、見るだけは見ておこうと思ったわけですが、身体が付いて行きません。昼で仕事を切り上げ、途中で家でちょっと休むつもりが、案内役のTruocさんを待たしたまま夕方まで眠り続けてしまいました。

行ってみるとラブホテル街を折れ、さらに2・3km走ったところで夜バイクで走るには危険そうな感じの寂れた場所。20㎡ですから12畳位の広さはあり、我慢できないこともありません。しかし、家賃の安さ以外に気乗りする要素は何一つなく、どうにも決めかねているとそこの大家の家族の一人が「営業許可がないから外国人だと公安が来た時拙いわよ」ということで一件落着。

借りられなかったことで僕が困ってると思ったのか、Truocさんは「私が探してあげるから・・・」とのことでしたが、そんな言葉も聞き流して別れて家に戻ると直ぐに電話が来て、Nuyen Van Luong通りの近くに新築で20㎡、170万ドンの家があるけど、とのこと。今度は今の家から5分足らずの位置ですから直ぐに見に行きました。

今の家が150㎡で400万ドンですから、それと比べこの家は1㎡当りでは8.5万ドン(535円)で今の3.2倍になる計算。ということは、貧乏人ほど実質的には高い家賃を支払わされているということになりそうです。こんな現状では「社会主義」の名が泣くだけだぜ・・・などとも思いつつ、とりあえず前に見た家の後だけに何処かほっとできるものがありました。何しろ問題は今支払っている家賃を半分以下にすることなわけだし。

職場の飲み会

2008-03-23 03:38:12 | 仕事
咳のせいか脇腹の肋骨下が痛み出し、木曜の夜は眠るのにも一苦労でした。朝になるとその痛みは消えてましたが、とにかく金曜日一日は仕事をしたかったので薬を飲んで出掛けました。薬の効果はかなりのもので、咳や鼻水も軽減され煙草もスパスパ。午前中は自分の事務所の後始末、午後からは手伝いをしてる会社へ。帰り際に「きょうは皆で貝を食べに行くので付き合わないか」との誘いに乗って見覚えのあるビンヤー通りの店に入りました。

日本での会社勤めでも年柄年中歓迎会だの打ち上げだのと飲み会の類は少なくなかったような気がしますが、ベトナムの風土ではもっと頻度が高いように感じます。ワイワイ楽しく騒いで過ごすことが好き、ということもありますが、ともすればささくれ立ってしまう職場の人間関係を気遣ってのことであることに間違いありません。

ビエンホアの工場で総務の仕事をしてた時も毎週土曜日に飲み会を持っていたことがありました。人数や仕事の都合もあるので職種別にガードマン、食堂、清掃、電気保守は二度に分け、それに事務所を加えると毎週でも一巡するのに2ヶ月。今振り返れば、そのお陰で仕事はだいぶし易くなったように思えます。日本にいる頃は酔っ払ってクダを巻いたり、「俺の注ぐ酒が飲めないのか」などとほざく輩もいて只々アホ臭いだけで、そんなものが必要だと思ったことなど一度もありませんでしたが。

その点ではベトナム人の飲み会の方が遥かに明るく友好的。陰湿さがありません。しかも職場の飲み会とて欠席するのも自由で無理強いされることはありません。日本人は絶対駄目、と上司に言われれば渋々従わざるを得ないものがあるようで、それに比べベトナム人は何があろうとも自己主張を貫くということをベトナム人自身が知っているから、という気もします。

体調のせいもあってか貝はあまり美味しいとは感じませんでしたが楽しく過ごし、「じゃこれからカラオケに行くから」と言われて一瞬躊躇。日本語のカラオケもあるからと言われてその気になりました。NICEというチェーン店で店内も清潔で広く申し分ない店ですが、何故か歌はベトナム語と英語のみ。総勢10人ですから2時間で自分が何曲歌えるか-120分÷4分÷10=3曲との計算は成立せず、たったの一曲。皆で一曲ずつ順番に、などという思想とは無縁。今更ながらですが「順番」という概念が特にカラオケには適用されないようです。しかし、このたった一曲も咳き込んでしまって歌える体調ではありませんでした。


再び発熱

2008-03-20 02:01:03 | 生活
風邪薬を飲んで熱が下がったのを勘違いし、日曜日は掃除・洗濯に励んでしまい、月曜日も普段通りの仕事をしたわけですが、火曜日になって市内何箇所かをバイクで回った後、午後からはどうにも身体がだるくて堪りません。早々に家に戻り眠ることにしました。熱があるときは昼となく夜となく何でこうも眠り続けられるのか不思議です。目が覚める毎に買ったばかりのデジタル体温計で計るとその都度体温は上昇し三度目には39.0℃まで上がってしまいガックリ。

しかし、この体温計、スイッチを入れると「Lo℃」と点滅する筈なのに室内気温が高いせいか、「33.0℃」などと表示されてしまいます。室内気温がそんなに高いとも思えず、この体温計の精度には少々疑問を感じないわけでもありません。

こういう時に限って遊びのお誘いの電話が入ったりもするのも皮肉です。当然ながらバイクで出掛ける気力もなく、「熱出して寝ているから」と答えても「誰か面倒見てくれる女の子は居るの」?などと聞く割には「じゃ、私が行ってあげる」てな展開にはならないところが幸か不幸かは微妙です。

H君がGPSを借りに家に来ました。地図が整備されていないベトナムでは何かと便利ですが、緯度と軽度を知るだけで地図に落とせないのであまり実用的でもなく滅多に使っていません。H君はバンメトートの土地の測量に使うようです。

証券会社に転職して早々に株価崩壊。底値の見えぬ急落が続く中で「逃げ出した証券マン」も少なくないようです。が、このベトナムの金融危機の状況下にあっては辛い状況の業種も数知れぬようです。しかしタイミングの悪さは僕と負けず劣らずのようで、昨年秋には一緒にミャンマーに旅行する予定でいたところに直前になって反軍政デモの騒乱となり、今回は4月にチベットに旅行する予定を立てていたところでした。

きょうの朝になっても熱は下がらず、しかし店仕舞いの残務整理やらで事務所に出ないわけにも行きません。重い身体を引きずってやっと12時直前にたどり着きました。車やバイクの排気ガスがどうにも辛く感じます。30分ほどで再び家に戻り横になりましたが、再び携帯に何度か電話が入り、風邪を引いた身には店仕舞いもまた楽な作業ではありません。5年ほど前に熱を出した時も同じでしたが、熱のお陰で湿疹が治まってしまうのだけは助かります。湿疹後の色素沈着は当分残るとしても。



風邪薬

2008-03-16 18:35:47 | 生活
サデックのホテルでエアコンを付けたまま寝たためか翌日から風邪気味で、くしゃみや鼻水が止まらず、周りからは「薬は飲んだの?」との相変わらずの声を掛けられます。日頃は愛想良く、「病気や事故の時は電話して頂戴。面倒見てあげるから・・・」などと言っていたカフェのオネェさんにも「薬飲まなくじゃ駄目じゃないの、誰も面倒見る人が居ないんだから」などと言われる始末。

大したことはないだろうと思って2・3日過ごすと鼻水は酷くなる一方。諦めて近所の薬屋で風邪薬を買いました。3種類のカプセルを3回分渡され1万ドン。それを飲んでも効果はなく、金曜日の晩に別の薬局へ行きました。病院から医師の処方箋を貰って買いに来る客が多く、処方箋がない場合はノートに氏名を書かせるという多少とも管理された販売を行っている店です。

2つの錠剤と2つのカプセルを二日分。計24000ドンでした。
DOREN Serratiopeptidase 10mg 抗炎症作用
LORATADINE 10mg  ロラタジン 抗ヒスタミン剤
PMP 500
DOMESCO 4618

錠剤2つはルーペで印字を読取りネットで検索して内容を知ることができましたが、カプセルの2つは分からず仕舞い。DOMESCOとはドンタップ省カオランに本社のあるドメスコ医療社の製品だということのようですが、PMPはまったく何のことやら。

金曜日の晩は食欲もなく早々に寝ることにしました。夜中にスーと身体が軽くなる感触があり、これで熱も下がった、と思ったわけですが、土曜の朝起きて着替えて出かけようとすると身体がだるくて堪りません。土曜日に無理をするほどの仕事があるわけでもなく、電話を入れて休むことにしました。

5年ほど前、ちょうど香港でSARSが流行った頃に熱を出し3日間ほど寝続けたことがあり、その時は体温計があったのですが、それ以来何処へ行ったのか見当たりません。そう言えば香港でインフルエンザの流行の記事を読んだばかりで、何故か今回も香港と同期してのこと。やはり体温計ぐらいは買っておかねば、とは思うものの体温計をベトナム語で何と呼ぶのかが分かりません。身振り手振りで何とか通じるのでしょうが、それも相手次第。全身倦怠感に包まれている時に不愉快な思いをしたくもなく、アルバイトを頼んでるチュックさんに一緒に行ってもらいました。

買ったのはデジタル体温計で3.3万ドン。そんなに安いものとは思いませんでしたが、これでも高品質のなだとか。しかも何故かMADE IN JAPANと印刷されています。
パッケージに印刷されたバーコードは693なので中国製であるわけですが。計ってみると37.7度でちょっと一安心。

机の引き出しから前回買った風邪薬が出てきました。今回と同じ店で同じ店員(薬剤師)から買ったものです。同じように「風邪を引きました。鼻水が止まりません」と言って処方された薬ですが、今回とはまったく異なる5錠でした。

養殖魚

2008-03-12 02:28:14 | 農業・食品
メコンデルタのサデックとティエンザン省カイライに行って来ました。サデックに泊まったのはこれで二度目になります。相変わらず何もない町だ、と思ってしまいました。『ベトナム民族小史』にも出てくる地名ですからメコンデルタの近世史の中でもそれなりの位置を持っていたのでしょうけど、その面影を知ることができません。

1945年8月革命後は南部21省の中の一つとしてサデック省があり、1967年の地図を見てもその名があります。かつてはメコンデルタの中心地の一つだったわけで、M・デュラスの『ラマン』や司馬遼太郎の『人間の集団について』の中にも出てくる地名です。75年以降ドンタップ省となり、省都が対岸のカオランとなってから精彩を欠いているようです。

ビンロンからサデックに向かう道路は2年前同様に至る所工事中でした。一体この工事に何年掛かるんだ、と思ってしまうのはよそ者の僕以上に沿道に住み砂埃に覆われた生活を送らねばならない人々だろうと思います。道路工事の公共予算がどこかで滞っているからだ、と車の同乗者が言いました。道路は水路に沿っています。しかしメコンデルタの水路は縦横に数限りなく多いため小さな橋の数も半端な数ではありません。どの橋もまだまだ完成までには年月を要するような状況でした。

幹線道路を車で走っただけ知ることができるのも限られるには違いありません。沿道にはカフェが必ずあります。この日中の暑さですから喉を潤すことが必要で、日本ならば自動販売機かコンビニが果たす役割なのでしょう。日本の時代劇に出て来る『茶店』に近いものがあるのかも。ふと、日本の『茶店』はいつごろ消滅したのだろうか、などと思ってしまいました。犬が昼寝し、鶏が餌を探して歩き回っている風景の中で木陰のハンモックに揺られて一休みするもの悪くはありませんでした。

サデックからの帰り道、カントー方向に戻ると工事中のカントー橋の一部が見えました。かなりの大きさで数キロ先ら道路の進行方向正面にそびえ立っていました。

カイライでは養殖魚の池を見ることができました。一つの池の大きさは1ヘクタール弱。メコン河の中洲に作られたこの池は海水の干満で上下する水位を利用して河の水が出入りするようになっていました。ちょうど出荷作業をしているところと聞き、作業を見せてもらいました。何と一つの池からこの日の出荷は500トンだとか。5トン積みトラックで100台分ですからかなりの量です。が、搬送はトラックではなく生簀のある船です。魚を籠に担ぎ、計量してから船に運んでました。

ついでにこの養殖魚の料理までご馳走になって来ました。「この魚はヨーロッパに出荷されるんだよ」と何度も強調するのを聞きながらマンゴーのサラダと共に食べてましたが、何度も同じことを言うので、そうか、この魚を金髪のパリジェンヌも食べるのか、と思いつつ有難く噛み締めました。

異常気象

2008-03-08 21:38:54 | 天気
昼からは事務所に戻って会計書類の整理をしようと決め、近くまで行ったものの昼飯を食べに一度家に戻ることにしました。物価上昇のお陰でか、どうも最近は食事をする店を探すのに困ってしまいます。「高くても仕方ない」とか「不味くても我慢」とかしているわけですが、きょうは土曜日。冷蔵庫の残り物で済ませる方がわが胃袋には魅力的です。サイゴン・コープで買い物をして・・・とも思いましたが、ノートPCを持っているのでそれも面倒。売り場へ持ち込む荷物は預けねばならない決まりですが、ノートPCの入ってるバックは別で、バックを持ったまま売り場を歩かねばならず、店員とのやりとりで不愉快な思いをしたくもありません。

昼時の気温は日々高くなり、昼食後は昨夜の夜更かしもたたって身体が弛緩しきってしまいました。ちょっと休んでから、と熱気に満ちた2階に上がり扇風機を付けて横になりました。いつもながら午睡の夢は脈絡を欠いた不細工なモザイクで気持ちの良い目覚めとはなりません。気が付くと既に外は薄暗く、寝過ぎたか~?と階段を降りると日暮れの暗さではなく、雨雲に覆われていました。

どうせこの時期の雨は直ぐに上がるだろう、との期待も虚しく雨は強さを増すばかり。7時過ぎまで降り続きとうとう事務所へは行かず仕舞い。テト前にもこんな雨が降って驚きましたが、この10年の間にはなかったことです。それに今年は北部の寒さも記録的なことで、異常なことです。地球は温暖化してるのか寒冷化してるのか、何れにしてもベトナムの自然環境は金融情勢同様危険な局面にあるのではないか?

などとも思ってしまうのですが、それを先週A君相手に口にすると、「海面の上昇でメコンデルタと紅河デルタが水没する話ですね。理論上ではあり得ることかもしれませんが、それは日本の大地震の危険性と同様じゃないんですか?」「ベトナムで一番問題なのは人の問題ですよ」「会社経営で一番重要なのは人事です。だから私は今人事しか見てません」

言われるまでもなく骨身に沁みわたるほど痛感していることでもあります。こちらは異文化ゆえの難しさ、などと思ったりもしてますが、ベトナム人の経営者にとっても深刻な問題のようです。それじゃ元々自分に解決できる問題じゃないじゃん、などと多少の慰めにはなります。ベトナム的特殊性のせいにして自己の失敗の正当化を図ってしまうのも虚しいものがありますが。

金融危機

2008-03-06 23:11:16 | 社会
昨年春に持てはやされたベトナム株は11月から下げ始まり、このテト明けから派手に暴落。昨日はVN-Indexがついに600を割り込み、Người Lao Động (労働者)紙の一面もこの記事に飾られていました。何しろこの14営業日で815ポイントから583ポイントへ28.5%も急落したのですから堪りません。昨年春に付けたピーク時からは半分になってしまいました。

その日の内に11名の自殺者を出した世界恐慌時のブラックマンデーの暴落は何%位だったのでしょう?あるいは日本のバブル崩壊時やアジア通貨危機の際のバンコク市場は?などということが気にもなったりするわけですが、日経平均はバブルの絶頂期と比べて今や1/3程度にまで落ち込んでいるわけで、今のVN-Indexとて500を割り、400を割るとも限りません。

しかし、何の根拠もなく800が底でテト明けには上昇するだろう、という気でいたものですから面食らいました。「何だよこれは、まるで75年の南政府軍の敗走と同じじゃないか」などと関係のない屁理屈を言いたくもなりますした。

先週、Aさんと久しぶりに昼食を一緒し話している時に彼の携帯が鳴りました。ロシアに居る友人からだそうで、「500Kドルばかり投資したいけどベトナムの不動産はどうか?と聞かれたので、不動産は高く過ぎて危険、買っても今は売れない、株が安いから株にした方が良い」と答えたそうです。

ちょうどその日の新聞には物価上昇2ヶ月で6.02%、との見出しがありました。彼の言葉によれば、今のベトナムは「ファイナンシャル・クライシス」だそうです。この酷いインフレは12年前と同じだとか。GDP成長率を上回る物価上昇、特に食品価格がずば抜けているわけで、当然ながらエンゲル係数の高い低所得者層の生活を破壊するものです。その上更にガソリン・軽油等の値上げが追い討ちを掛けられているわけですから更なる物価上は必至。

そしてこの物価上昇を抑えようと引き締め政策を採れば、資金繰りは悪化し、借金の利息はうなぎ上り。定期預金金利は12%に押さえ込まれたもののベトナム・ドンの不足は続いたままです。

10年前にバイクに乗ってた頃はガソリンは1万ドン入れれば十分でした。それがいつしか3万ドンになり、それでも今回の値上げ3万ドンでは1週間持たず、とうとう4万ドン入れることにしました。オイルショックの時だったでしょうか、「生活防衛闘争」という言葉が使われました。果たして今のベトナムの物価上昇の中で如何なる闘いが可能なのでしょう?