GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

テト開けの資金難

2008-02-19 03:51:15 | 社会
知り合いの会社で未収金対策の話をしていました。客先の支払いが2・3ヶ月遅れるのは当たり前に思えるようになったこの頃でもあり、まして他人の会社のこととなると1ヵ月遅れたくらいで何を今更、などとも思ってしまったわけですが、聞けば毎年このテト明けが一番未収金が増えるのだそうです。

スーパーや市場の混み方を見ても如何にテト前に消費が集中するかは知れますが、だからといってテト明けに資金不足になるとは知りませんでした。未収金が発生すれば銀行から借り入れた金額に延滞利息が付き、その利率は1日0.5%とのこと。1ヶ月遅れるとなると0.5×30で15%になってしまいます。粗利10%程度の仕事では販売しなかった方がまだマシという情けない状況になります。

その話を聞きながら朝、見出しだけ読んだ新聞記事を思い出しました。
Vay vốn ngân hàng khó quá
「銀行からの借り入れが超困難」
銀行が貸し出すベトナム・ドンが極端に不足しているとのことです。各銀行とも預金金利を上げても効果がないのだとか。一年定期預金が軒並み9%を超える状況になっているのに。

これだけ物価上昇が急激で不動産投機が進めば金融引き締め政策が必要とされることは想像できないわけでもありません。が、それでなくても資金が不足するこの時期に突如引き締め政策が実行されるというのは混乱を増やすだけのようです。

朝方の日本の株式市場が上昇していたので、これでベトナム株も少しは上がるのかと思って証券会社のサイトを見ると全面安で真っ赤です。下げ幅も大きく、ホーチミン市場のインデックスは前日比-4.1%で再び800を割り込み782.57。

H君の話によれば、政府の金融引き締め策で各銀行から総額20.3兆ドンの通貨を回収することになったためだとか。今までは株価が下がる度に「今が買い時」などと言っていたのに、今回ばかりは「700を割り込むこともありそう」と悲観的な見通しでした。

寒波で牛1000頭凍死

2008-02-17 02:14:21 | 天気
凍死と言っては正確ではないのでしょうけど、今年の寒波で北部の水牛・牛が死んでいるとのこと。

Nghệ An: Hơn 1.000 trâu bò chết rét

ゲアン省の19県中8県でのことで連日4~5℃まで気温が下がるのに森に放牧したままだったのが原因だそうです。やはり多くは老いた牛と子牛から弱っていったそうです。

冬の北部に行くと時に「死ぬほど寒い」と思うことがありましたが、今年の寒さは本当に牛も死ぬほどの寒さで、連日新聞では「記録的寒さ」「歴史的寒さ」との見出しが続きます。


寒さで牛が死んだと聞いても、「寒さが直接的な原因ではなくて伝染病かなんかじゃないの」?と思ってしまったわけですが、アフガニスタンでは今年の寒波で1000人近くが死亡したとのこと。

気温を数値にすれば、日本の寒さには遥かに及ばないものだとは思います。しかし初めてハノイで冬を過ごした97年の旧正月前後にも寒くて眠れない夜がありました。湿度が高い寒さは、その時まで経験がなく、湿気を含んだ掛け布団は重いだけでいつまで経っても温まらず、身体中の細胞が冷え切ってしまったかのような感覚でした。

一晩だけのことでしたから特に寒い晩だったのかも知れません。「三月の寒さで老婆が死ぬ」という言葉があるのだとか。幸いその年の三月は暖かでしたが。
今年の寒波(giá rét)は寒さが一日だけでなく20数日間延々と続いているのが問題です。

この寒さで農業は経済的被害を受けるでしょうし、更に今年も鳥インフルエンザで3名が死亡、1人重体。きょうの朝刊一面には北部のクアンニン省と南部のロンアン省で「鳥インフルエンザ再発」との見出しです。


砂糖会社

2008-02-11 04:20:34 | 農業・食品
昼寝-夜更かし-朝寝坊を繰り返して5日目です。近所の人口密度は激少して道路は閑散としています。幾つかのカフェが店を開けていますが客も疎ら。どの店も定休日がないのでこのテト期間中が年間を通して唯一の休みのようです。

自炊するのも億劫で、部屋の中が埃っぽいと思いつつも掃除する気は起こらず、メールやブログを書くもの面倒。日本へ電話を掛けた方が楽だと受話器を取れば「お客様は登録が成されてないので現在使えません・・・」とのメッセージが流れました。先月分の料金もちゃんと払ってあるのに相変わらずです。それでも年金記録を紛失されるよりはマシかも知れません。

7年ほど前にベトナムの砂糖黍生産について少し調べたことがありました。ちょうど砂糖国産化計画の期間中のことでした。ベトナム語の刊行物を集めてまとめたので二週間もかかって貧弱なレポートしか書けませんでした。

当時の資料も捨てしまい記憶も薄れましたが、最近再びエタノール生産やラムソン砂糖黍社(LSS)のHCM市場への株式上場などがあり、砂糖精製工場の記事を目にする機会が増えました。その上、ベトナムの農業についてはネット上で日本語のレポートもそこそこ読めるようになりました。

ベトナムの製糖会社大手は6社あり、その内4社はイギリス、フランス、インド、台湾の外資系です。残る2社がLSSと同じくHCM市場に上場しているビエンホア製糖会社(BHS)で、このBHSも当初の精練ラインは東洋綿花(トーメン)が1972年に完成させたものだそうです。

フランス資本はブルボン社でタイニン省とザライ省に工場があります。ひょっとすると日本のお菓子会社ブルボンと関係があるのでは?などと考えてもみたのですが、どうもイメージが合いません。フランスならもっとお洒落な筈。もっともフランスに行ったこともないわけで、フランス=お洒落というのはベトナム人が抱く日本人=技術者orお金持ちみたいなイメージと変わらぬ偏見なのかも。

検索してみるとやはり関係はないようでした。-ブルボンの前身は、いまも新潟県柏崎市に残る和菓子の老舗「最上屋」から発祥した「北日本製菓」です-とのことです。ついでにBourbonがバーボンと知って少々びっくり。下戸の身ゆえウィスキーのことなど関心はなく「バーボンのボトルを抱いて・・・朝までふざけようワンマンショーで」との歌詞しか思い浮かびません。テキサス州にあるバーボン郡はBourbon朝に由来する名だそうです。

フランス革命によって打倒された王朝の名を冠する会社がベトナムで砂糖を精製しているというのも何だかナーと思うわけですが、「ホーチミン証券取引所は12月27日、タイニンブルボン製糖株式会社(Cong ty co phan Mia duong Bourbon Tay Ninh)の株式上場(上場株式数:4,482万4,172株)を原則承認した。手続き終了後、正式に認可される見通し」とのこと。

テトの花火

2008-02-08 03:27:23 | 
テトの前日、大晦日はご近所も床屋を除いては開いてる店は1割ほどでしかなく、家で財務の本などを開いたものの集中力は著しく欠如し昼寝三昧となってしまいました。テト元旦に田舎に帰るという女の子と「じゃ帰る前にコーヒーを飲みに行こう」との約束があったわけですが、何と指定時間は朝の7時。朝起きたのは8時過ぎで早朝デートはお流れ。

その代わりにサイゴン川の除夜の花火を見に行くことになりました。何年か前のクリスマスイブの深夜の大渋滞を思い出し、「ちょっと勘弁」とは思ったもののちょうどGO VAPのP.7周辺は生憎の停電で真っ暗。クリスマスイブとは異なり、大多数は帰省している筈だから差ほどの混雑でもないだろう、との期待も頭を掠めました。

道路は深夜とは思えないバイクの量でしたが、それでも通勤時の混雑よりは少な目でハイバチュン通りからサイゴン大教会までは順調に流れてました。イルミネーションに飾られた街路は確かにGO BAPで見掛けるカフェの安っぽく怪しげな豆電球とは大違いの雰囲気です。ドンコイ通りに入ると次第に込み始め、ノロノロとコンチネンタル・ホテルの前を通ったので「きょうはここに泊まって行こうか?」と後部座席に声を掛けてみたわけですが、リアリティの無さは言わずもがな。

泊まらずともせめてホテルのカフェでケーキでも食べながらコーヒーを飲んでみたいもの、などと思ってしまうほどドンコイ通りとは無縁になってしまいました。グエンフエ通りは渋滞だろうし、早々に引き上げようと左折してハイバチュン通りに向かうとその手前で交通は完全に止まったまま。動く気配がまったくないので再びドンコイ通りに戻るとこれまた同様で皆エンジンを切っています。立ち上がって見ると道路いっぱいにヘルメットが埋め尽くしていて、それなりに壮観ではありました。

いつ動くとも知れぬとも待つしかありません。と諦めかけた時に爆発音が聞こえ、ビルの上に花火が見えました。あちこちで歓声が上がり、渋滞というよりは花火見物でその場に止まっているバイクも少なくなかったことにやっと気付きました。久しぶりに見る花火です。日本の花火もこんな色だったろうか、と記憶を辿っても定かではありません。連続して打ち上げられる花火はそれなりに楽しめましたが、記憶にあるものとは何かが違うような気がしました。

帰り道は思いの他順調にバイクは走りました。いつの間にか後部座席のお嬢さんが眠ってしまい、左右に揺れるので堪りません。何度となく「眠ったら危ない」と声を掛けても同じで、仕方なく左手で彼女の腕を支えるのですが、それでも時折グラっとします。この緊張感のなさは一体何なのでしょう。


旧暦の年末

2008-02-02 04:17:29 | 
北部は記録的な寒さでそうで、ランソン省のマウソン山頂上には雪が。サイゴンに居るとまったく別世界の気候です。今年の北部のテトは寒さに震えそう。

テトという言葉を始めて知ったのは1968年の「テト攻勢」でした。ベトナムという国を知ったのも「ベトナム戦争」としてだったのかも知れません。そんなことも忘れかけてる日々となってしまいましたが、今年は「テト攻勢」からちょうど40年目。新聞にはそれなりの特集記事も組まれていました。

このところオフィスビルではテト前の派手な「お歳暮」を運ぶ姿が目立ちました。中秋祭の月餅配りよりも贈答品はハデハデに飾られています。きょうは、自分がそれを持って銀行回りをすることに。

年末の慌しさの故か、タクシーを呼んでもなかなか来ません。ビルの前で荷物を置いて暫く待ちました。入り口では何故かこの年末にヤマハのスクーターの写真撮影が行われていました。「そこの人、もっと向こうへ行って」てな調子で邪魔者扱いされ、「そっちこそ仕事の邪魔なんだけど・・・それにしても余り可愛くないモデルだね。予算ないの?」と言い返そうかとも思いましたが。

日本にいるときもお中元やお歳暮には無縁な世界に生きていただけにこのベトナムの習慣にはなお更抵抗感が伴います。一つの銀行にお菓子の包みを4・5個持ち込みそれぞれの担当者に渡し、更に支店長にも。民間銀行の支店長の若さには驚きました。三十代前半のようです。これだけ急激にサイゴンの街に銀行のビルが立ち並ぶわけですから人材不足の反映なのかも。

仕事の帰りにコープ・マートに寄ると駐輪場の入り口から大混雑。8時を過ぎてるのでもう空いているだろう、との見込みは外れました。通常の2倍から3倍ほどの買い物客で、買い物籠も余っていません。

混雑した店内では他の客に何度も手で押しのけられ、その都度腹を立ててしまいます。量り売りの林檎を軽量係りに渡すと「ちゃんとそのポリ袋に入れて言ってるのよ、分かんないの?」と横柄に言われたのを契機に蓄積された怒りが出口を見付け、日本語で思いっきりワメキ散らしてしまいました。