GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

4.30解放記念日

2007-04-30 23:53:47 | 社会
1975年から32年。僕が最初にサイゴンの街の空気に触れてからですら15年が経過したことになります。一区の中心街では今年も祝賀パレードが行われているのかも知れません。旧正月同様にこの日は一斉に赤色金星の国旗が道路という道路を飾り立てています。これが日の丸だったらゾットする光景ですが、ここではこの赤旗の波を人々はどのような感慨で眺めているのでしょうか。

この道の並びで国旗を掲げていないのはこの家だけです。昨年の旧正月にお隣に住む地区の世話役から国旗を買わされましたが、テトが明けると勝手に回収され、そのまま返してもらってません。それゆえ、僕がベトナム国旗を掲げていないのは反国家的意思表示なのではなく、隣の世話役の爺さんのせいであるわけです。そんなわけで、この日飾られている国旗が示すのは、多くは隣組的に組織された活動の成果であるようです。御めでたい時には赤飯を炊いたりするわけですから、こうして赤旗を掲げるのも不自然とは言えないわけですが。

この旗を掲げて長い間闘い抜いてきた人々にとっては、この国旗は民族の独立と統一を象徴する侵すべからざるものなのでしょうけど、そう自覚する人々がこのサイゴンにどれだけ存在しているのかは疑問です。きょうは、多くのタクシーも国旗の小旗を掲げて走っていました。そういえば、日本にも日の丸タクシーというのがありましたが、あれも愛国主義と呼べるものなのでしょうか。

引越し先探しでもしようかと新聞を買いに行きましたが、連休中のため広告欄は極端に少なく、情報誌も売られてませんでした。毎年この期間中は公安の風俗関係取り締まり期間となり、怪しげなお店は閉店となります。せめて神聖なる国家休日の間だけは自粛しろ、ということなのでしょうか。昨日の新聞には早速、ハノイでディスコの手入れがあり、1163名が検挙され、150名が麻薬の陽性反応、200錠の錠剤麻薬が押収されたとのことです。


三連休

2007-04-29 18:06:03 | 生活
目を覚ますと「イェーチャイバーン」という廃品回収の呼び声が聞こえました。昨日の夕方の雨で夜は涼しく、熟睡して身体全体の筋肉も弛緩し切っている朝です。眩しい夏の日差しの明るさですが、まだ部屋の中の空気は爽やかです。気温は31度。身体が感じる温度と温度計の示す目盛りはしばしば異なり、壊れてると思って2つ目を日本から持って来ましたが、示す値に変わりありませんでした。

明日30日のサイゴン解放記念日と翌日のメーデーが続き、きょうから三連休です。仕事の都合からは今年のこの連休は少々辛く、Nの連休を奪って一人で北部に行かせたことも気懸かりです。毎年この連休をどうやって過ごしたかを思い出そうとしても何も記憶が蘇りません。昨日の土曜の午後も仕事だったので二週間掃除もしてないので先ずは掃除をして、それから引越し先を探さねば・・・等々すべきことはあるわけですが、気乗りしないことばかりです。 

冷蔵庫を開けると木曜日にコープマートで買った牛乳がそのままになっていました。腐る前に飲んでしまおう。昼はパン食と決め、自転車でパン屋を探しに出ました。市場の横の路地でハンモッグに横たわる焼けた肌の色をした女の子と目が合い、通り過ぎると後ろから「アン!」と呼び止める声が聞こえました。通常はオジサンと呼ばれ、オニイサンと呼ばれるはずはないので他人のことと振り返りもせず走り抜けました。食パンを売ってる店がなく、AN NHON市場まで行き細長いフランスパン風の焼きたてを2000ドンで買い、同じ道を引き返すと、先ほどの女の子が立っていました。こちらに歩き寄って来ました。確かに見覚えのある顔でした。昨年だったか、Nguyen Oanh通りに立ちさかんに夜のお仕事をしていた子です。昼間顔を見るのも初めてだし、身なりもだいぶ違っています。

顔は吹き出物だらけ、肌も酷く荒れていて不健康そうというよりは病気そのものです。「どうしても必要なの。お金頂戴」。幾ら?訊くと「モッチャム」。どうせ持ち合わせはないはずだからと「持ってないよ。ほら」と財布を開くと5万ドン札が二枚残っていました。あぁ、こんなことならさっき通り過ぎたDVD店で何か買ってしまえば良かった。本当に100Kドンを手にできるとは思っていなかったのか、酷く恐縮して何度も「cam on」を繰り返しました。去年の11月、同じ商売のThaoにカフェで薬代だとせびられ、どっちの薬だかわからないし、と冷たく断ってその数日後に死んだと気かされたことがありました。時々思い出し、雨に濡れて腹を空かせている仔犬をそのまま放置したような切なさが蘇ります。


耐え難きを耐え

2007-04-29 01:07:27 | 仕事
昨日きょうと近所の高校で入力処理の仕事でした。1学年620名ほどですから全校で1800名位の生徒数のようです。HCM市の高校数は100校程度。人口600万は埼玉県と同程度ですが、高校数は半分でそのため一校当りの生徒数が多くなっています。中庭に置いてある大きな太鼓が目立ちます。小学校から高校までの各学校にはこの太鼓があります。以前、ハノイの体育大学を訪れた時は、米軍の落として行った不発弾を切断して鐘にして使っているのを見たことがあります。スピーカーを通さない音が学校には相応しい、との考えでしょうか。

時々事務室を抜け出し、中庭でタバコを吸いました。日本と違ってまだ構内全面禁煙とはなっていないようで、灰皿も置いてあります。残念ながら若い女性教師の姿はなく、年配の方ばかり。しかも「日本語で I lave you は何て言うの」?と訊かれ、学校の先生もカフェのおねえちゃんと同じ質問かよー、という感じでしたが、4年前の旧型の携帯電話を使ってるからと馬鹿にされるよりはマシです。皆何処にでも居そうなオバサン達で、郵便局や銀行で働く人々よりも身近で親しみ易いものがありました。生徒の側から見てどうなのかは知りませんが。都会の高校はともかく、地方の高校の中で働くのは悪くない、という気になりました。やはり田舎の農業高校建設を追求すべき、と決意を新たに。

1ヶ月も前から決まっていたこの日の仕事ですが、どうするかの詳細は何も詰めてなく、昨日一日で終わると思っていたものが今日の8時過ぎまで終わりません。「今まで何を打ち合わせしてたんだよ。仕事には段取りってものがあるだろ」と言いたいところを客の前で口に出すわけにもいかず、それ以前に不貞腐れスタッフは一言質問しただけで「アタシの仕事にケチ付けんの?」とでも言わんばかりの怒り顔で睨み付けます。挨拶はしない、遅刻は常習、報告もしないで何事も一人で事を運び、最後にどうにもならなくなってから後始末を押し付ける、こんな人間を雇って毎日不愉快な思いを続けてどうなるというのでしょう。しかし、きょうは我慢しなければなりません。明日の北部出張を頼まねばならないわけだし。

運悪くVISAの更新日と重なり、「嫌なら良いよ、自分で行くから」とは言えません。更新手続きでパスポートが手元になく、航空券を買うこともできないわけです。ここが我慢、と自分を言い聞かせてご機嫌を取っても敵は益々付け上がるだけ。早口のベトナム語で巻くし立てています。耐え難きを耐え、とは玉音放送のことではなく、ベトナム女性のことなのだ・・・などと考え気を逸らそうと努力はするものの次第に自分の頭が硬直してきます。

その場を離れるが一番安全。誰もがこんな耐え難きを耐えているに違いなく、自分一人が特殊である筈もない。だけど誰がこんな目に遭っているのでしょう。ふと思い付きました。反抗期を迎えた娘とか不良少女を持った親というのはこういう感じなのかも知れません。それにしても、そもそもこいつの親ではないわけだしエゴと仏頂面を丸出しにされる謂れはない筈です。またくもって、このような女性を配偶者にするベトナム男性は尊敬に値します。先日、Uさんに訊いてみました。ベトナムの女性は皆こうなんですか?逆に彼に訊かれました「日本の女性は違うのですか」?



かます1kg 2万ドン

2007-04-27 02:11:44 | 生活
きょうは、フンブン王の命日で休日。暑さのせいかどっと疲れて朝10時まで暴睡でした。まったく予定のない突然の休みです。先ずはPCのスイッチを入れ、ニュースでも見ようとしたところADSLが繋がりません。北部に行ってたので今月分の料金をまだ払ってませんでした。早々に停められたのか故障なのかは分かりません。もう月末、会計の整理もしなければと思い立ち、事務所に行きました。昨日はあまりの暑さに、「ビールでも飲んで帰ろう」と男性スタッフのUさんを誘い5時で引き上げてしまったっため仕事が途中のままでした。

PCを立ち上げると、やはり、というか又しても愕然。昨日整理したはずの出入庫のファイルがありません。新人のTさんが、ファイルを保存せずに電源を切ったようです。「会計」を勉強しているという言葉を信用したわけではありませんが、作ったファイルを保存するくらいのことは・・・と思ったところで今更どうにもならないわけですが。それでもこれが明日になって突然知ったなら怒鳴りまくってしまったでしょうが、きょう本人のいないところで気が付いたので怒鳴ることはなさそうです。

昨日、Uさんをビールに誘ったものの彼も飲めないのか僕に遠慮したのか、二人でレモンソーダを注文しました。家の近くのThai Binh レストランに久しぶりに行きました。ベトナムに多い屋根付き屋外レストランで、風通しが良いため家の中に居るよりは涼しく、暑さの不快感はありません。若いウェートレスの愛想が良いのがこの店の特徴で、彼女たちの基本給は800Kドンほどですが、客からのチップが月に500Kドンほどあるそうです。H君と一緒に食べても彼が支払う時はお釣の小銭は受け取りませんから、それが常識のようです。時には酔っ払った客がウェイトレスに抱きついたりしてる光景を見ることもあります。

僕もこの店ではチップを払わない割には常連客扱いで、Uさんに「よく来るんですか」?と訊かれてしまいました。先日ダナンで招かれた食事の時、「ユーホウ」?とか呼ぶ魚が美味しかったので焼き魚を注文しようとすると、ドジョウ、カーロック、サバしかないと言われ、少々がっかりでした。隣のテーブルにテニス帰りの中年グループが座り「SAKE」「SAKE」と叫んでいます。今ではこういう店で「日本酒」を注文するのも珍しくなくなりました。「イカと生野菜のワサビ和え」というメニューもありましたし。

この日は、サバと田んぼのタニシみたいな貝を食べました。サバはノルウェーから輸入された冷凍品のようでしたが、大きさは十分で日本食屋のサバと比べると数段お得な値段です。巻貝は浅い鍋で煮て食べました。Uさんはかつてメコンデルタの海から密航して日本に渡った経験があります。3年後に故郷に戻り、その時はこの貝を友人と二人で10kgも食べたそうです。

事務所の帰りにスーパーに寄り、魚売り場で新鮮そうなカマスの姿を見て、これをを焼いて食べてみようと思いました。たぶんカマスだと思うのですが、ベトナム語の魚の名前をもう完全に忘れてしまってます。そのため壁に貼ってある値段もわからず、恐る恐る小さめのを一匹買いました。シールには110g2200ドンと印刷されました。円に換算すれば16円です。次回からはもう少し大き目のものを買っても大丈夫。

午前9時の太陽

2007-04-25 01:45:04 | 交通
ダナンに2泊し、月曜日の夜サイゴンに戻りました。6日間閉切っていた部屋の中は熱せられた空気が淀み、こういう時は一人暮らしが恨めしく思えます。この季節、ダナンもまた日中の日差しの強さの割には気温は低めでホテルのエアコンを付けずにも済むほどでした。ダナンのパシフィック・ホテルはまだ改装工事が終わらず、同じダナン・ツーリスト系列のVINAFAホテルは満室。仕方なく初日は、TRAN PHU通り60番地の新しいミニ・ホテルに泊まりました。一泊220Kドンで70Kドンばかり予算オーバーですが、部屋にもADSLのケーブルが引かれているし、ベッドの硬さも清潔感も申し分ありません。しかし、月曜日の夜便しかサイゴンに戻るチケットが取れず、夕方のチェックアウトにすると半日分の料金加算で、しかも半日料金は半額ではなく、70%という納得できないものだったので、2泊目はVINAFAホテルで交渉し、1.5泊190Kドンで泊めてもらいました。

ハノイ以外の北部ではADSLの設置されたホテルはまだ経験したことがなく、ホテルの電話回線から繋いでましたから、その点ダナンはホテル料金も同程度なのに便利でした。が、VNNのメールサーバーが相変わらずの不調で、しかもハードディスクの壊れかけたノートPCが遂に立ち上がらなくなってしまう始末。XPの英語版を持ち歩いて東アジア言語をインストールすれば良いのでしょうが、出掛ける前にそこまで気が回らず、ホテルに置いてあるPCではメールどころか日本語サイトも読めません。せいぜい開幕不調だったマリナーズ、イチローの試合結果を確認するくらいしか英語サイトを開く気力は起きませんでした。

最近はベトナムのニュースも日本語で読めるものが増えたため、ベトナム語のニュースを読まずに済ませたりもするようになってしまいました。便利さを享受することによって人は日々能力を退化させ、歩く代わりにフィットネスジムに通ったりするように商品化されたサービスの購入によってしか能力の回復ができないかのような社会になりつつあるようです。便利さを拒否することが困難になるにつれ、「義務教育」の持つ意味も変わってくるように思えます。便利ではない環境が学校の中には必要であって、その意味ではIT教育というのは愚の骨頂と言うべきなのかも。人間生活のあらゆる領域が商品化されていく状況の行く末は人間の家畜化みたいなもので、コンビニ弁当などは家畜の餌に有害なものすらあるようです。

今朝はゆっくり寝坊を決め込みました。家を出る時の太陽は高く、ウンザリしながらふと「午前9時、10時の太陽のように・・・」という言葉を思い出しました。毛沢東語録の「青年論」だったでしょうか。映画「パッチギ」の中にも出てきましたが。広い中国の何処のどの季節の太陽のことなのでしょう。毛沢東はサイゴンの4月の太陽を見たことがないに違いないと確信しました。
サイゴンに戻り、会う人毎に「北部や中部は涼しくてねー」などと言いふらしていたわけですが、新聞を開くと中北部の「VINHで42度」との記事がありました。何のことはない、結局のところ自分の感想も像の尻尾を撫ぜてきただけのことなのかも知れません。

バス酔い

2007-04-24 03:31:23 | 交通
土曜日は6時起きで7時半から昨日の続きを済ませ、早々とダナンに向かうことにしました。ハノイからサイゴンに戻る途中で立ち寄れば、交通費も節約できる筈です。先方には日曜日でも構わないかを予め確認しておきました。問題は果たして今日の便の空席があるかどうかです。前回は同じことをしようとしてチケットが買えませんでした。小雨の降る中を国道までバイクで送ってもらうと、ちょうど「Luc Yen - Ha Noi」と書かれたバスが通りかかりました。古そうなバスで後方にはバイクも一台積んであり、緑色のヘルメット帽子を被った男の姿もあります。空席はなく、通路に置かれたプラスチックの小さな椅子に座らされました。車内も喫煙フリー状態で如何にも時代から取り残された感じの光景です。

空港までと告げると、「これで空港までは二人だよ」と言われ、少々安心したものの、一言で外国人と分かってしまったらしく、何処の国かと訊かれました。一言答えて延々と質問が続くようなことは勘弁だし、咄嗟に「KORIA」と答えてしまいました。北部ではKORIAという呼び方は少ないらしく、誰かが「Han Quocだよ」と説明しました。昨日もその前も、会う人毎に長崎市長の暗殺事件の話題となり、あるいは其々の人々の日本観やら知識を披露されるのにウンザリしてたところです。北部の女性は必ずと言っていいほど「日本の女性は綺麗なんですってね」?と訊いてきます。

どころが、もう一人の空港で降りる男に誰かが同じ質問をすると「Han Quoc」と答え、これじゃ国籍詐称がバレバレだと内心冷や汗ものでした。自分でもベトナム語で訊かれれば、JAPANなどとは答えず、NHATと言ってるわけですから、KORIAと答えただけで見破られていたのかも知れません。

数人の乗客が途中で下車し、空いてる席に座れるようになりました。が、隣のお兄さんは足をこちらの座席に乗せたままで半分しか腰掛けられません。国籍を偽った罪悪感を引きずってたのでそこで文句を言うことも控えていたところ、この青年はポリ袋を取り出しゲェゲェ吐いています。小学校のバス旅行の際、一人か二人は乗物酔いの女子がいたように覚えてますが、ここでは男も女もかなりの人数です。先日も事務所のNGに近くにタクシーで納品に行くように言うと「酔います」とのことで拒否されたばかりです。それで、ふと思い付きました。自己中で環境に適応できない体質だから酔うのではないか、と。したがってこの青年に同情しても始まりません。彼の体質改善のためにも毅然と「君の席はここまで。こっちは僕の席」と教えてあげることにしました。

有難き人情

2007-04-23 12:52:08 | 交通
3日目の作業は夜10時過ぎまで続きました。それでも後1・2日は掛かりそうです。Nを残して金曜日には一人でフートー省に向かうことにしました。朝、客先に途中で失礼する旨挨拶をしに行くと、お土産にタイグエン名産のお茶をどっさり贈れました。前日の昼食時にビールやコーラを断り「お茶が好き」だなどと言ってしまったせいです。自分では100gもあれば1ヶ月以上持つほどの飲み方ですが、手渡されたお茶は2・3kgは軽くありそうな巨大な量です。好意や愛情は量で表現されるもの、との観念が強いためかも知れません。戦時統制下の物不足の時代の名残?-ベトナムでもそういう時代が長かったということでしょうか。パッケージに高級感を持たせ、少ない量でも高価に見せかける方が有難味があるかどうかは別にして、大きな荷物を抱えるのは勘弁という思いが先に立ちます。お返しに次回、日本茶を贈るとしても200g程度ではシミッタレと思われそうです。少量高品質、少数精鋭が日本文化だなどと言い訳をすれば、タイグエンのお茶が低品質だと言ってることになってしまうわけだし。

バスターミナルまで歩くと、ちょうど9時発のフートー行きの便がありました。カウンターで「ヴィエット・チーまで」と告げると発音が悪くて伝わりません。声調は上がるのか下げるのかも覚えてなく、上げたり下げたり何度も言い続けるとどうにか通じたようです。一昨日のタクシーの中で運転手にタイグエンからヴィットチーまでの料金を訊ねると800Kドンとのことでしたが、バス料金は23Kドン。タクシーに35人乗ることができればリーズナブル・プライスです。バスターミナルからの公定料金は米価などと同様に恐らく低めに抑えられているようです。多くの場合、途中乗車で途中下車した乗客の方が高めの運賃を払わねばなりません。

今回もまた4人掛けのシートに6人座らされて3時間ほど我慢しなければなりませんでした。道は来た時と反対にノイバイ空港方向に向かっています。ヤマハ・ベトナムの工場が見えました。青々した水田が続き、水牛が水浴びする姿を見るのは悪いものではありません。しかしこの囚人護送車以下的車内環境では景観など何の慰めにもなりません。ビン・フー省のトヨタとホンダの工場の前の道路が工事中でバスが大きく揺れました。ジャストインタイムを実現するためには、この道路の整備が必要とされているのでしょうか。田んぼの中の工場という立地で、この工場へハノイ市内から通うには無理がありそうな場所です。

ヴィェト・チーには思いの外早く着き、食事の後カフェでゆっくりとコーヒーを飲み時間を潰しました。サイゴンを出た日の朝に送った荷物が遅くても午前中には着くとの話で、予定の2倍以上の送料も払うことになったわけですが、案の定、着いていません。その製品の設置に来たため、これが着かなければここまで来た意味もありません。1時から空しく2時間半をイライラしながら過ごし、やっとのことでトラックが到着しました。2台の機器の設置に1時間近くを費やし、動作確認もしようとしたところで仕事は終わり。4時を少し過ぎたばかりだというのに、「結婚式があるので一緒に参加してくれ」とのことです。何で毎度毎度ここに来ると宴会の席に付き合わされてしまうのでしょう。見ず知らずの他人の披露宴は、何時始まって何時終わるのかも不明で、招待客は来た順に飲んで食べて喋って騒ぎ帰っていきます。

何処の誰だかもわからぬ他人と握手をし、ウォッカを注がれます。「スイマセン、飲めないんです」と断っても中には必ず「じゃ、今飲む練習をしろ。そうすれば飲めるようになる」などと抜かす輩がいるわけで、猫に小判、下戸にウォッカ・・・でこれほどの「濫費」もないわけですが、しかも自分が支払って買った酒でもないものを他人にまで強要するとは何事でしょう。時々、所有の概念がここでは違うのでは、と思うことがあります。反対車線をクラクションを鳴らしながら逆走するバイクのように、空いてる場所や誰も使っていないものは勝手に使える権利があると考えているが如くです。

ウォッカは口に含んだだけで粘膜をヒリヒリと刺激しました。口の中の消毒には良いかもしれません。しかし飲み干してしまったら胃の粘膜を傷付けそうで、席を外し吐き出しました。それでも少量のアルコールは内に吸収されたようで、披露宴会場でもあったホテルの部屋に入り横になった途端眠ってしまいました。この披露宴のためか客室は満杯で、泊められたのは普段使ってない5階の崩れかけたボロ部屋です。シャワーからお湯は出ず、それでも掃除はしているのか、室内に埃臭さはありませんでした。

Da Huong ホテル

2007-04-22 00:48:46 | 仕事
昨年6月のバクザン省の暑さを思い出し、ますます憂鬱な気分になって北部にやって来たわけですが、仕事内容はともかく、気候は涼しくて救われる思いです。これが2ヶ月前なら朝晩は寒さに震えたでしょうし、2ヵ月後であれば堪らない暑さ。北部のこの季節を何と呼べば良いのか分かりません。晩春なのか初夏なのか、どちらにしても日本の四季の中で感じるものとは違ってます。ここに生きた人々の数千年の時の流れの中でこの季節を表すぴったりした言葉が使われているのでしょうか。

ちょっと冷房効き過ぎ、とレジェンド・ホテルのロビーで感じた位の気温です。Da Huon Hotelの朝食を食べながらエアコンを見ましたが、スイッチランプは点灯してません。2月に来たときも泊まったホテルです。レセプションで料金を訊くと一泊25ドルとの返事でした。空港からタクシーを使ってしまい、400Kドンもの出費の後だけにそんな贅沢は許されません。一番安い部屋にしてくれと頼むと外国人だから12ドルだそうです。この料金で朝食が付くわけだから納得できないこともないとはいえ、それでもベトナム人料金の28%増し。お金持ちのロアンさんやランちゃんやヒュウ君が安く泊まれて、この貧乏な僕が何で高い料金を払わせられるのか、と思わずにはおれません。外国人だからと括られて、この不合理を簡単に受け入れしまっては社会主義ベトナムの正義に反します。

10年前ならともかく、いまどきホテルの二重価格は珍しく、外国人が中途半端にしか来ない地域の特徴です。赤いジャケットのユニフォームに、「同じ赤でももうちょっと何とかならないものか」と思ってしまいましたが、地方国営ホテルにありがちな無愛想なオバさんではなく、愛想の好い若い女性だったので、とりあえず値段交渉を試みました。①今はホテルが負担する宿泊者の税率も外国人用のものはなく同一であること、②ベトナムで働いていて会社の支払いであること、③ハノイやこの近隣の省にも泊まったが同一料金だった、の3点を挙げて説得し、マネージャーに頼んでくれるように伝えました。同じような交渉はもう何度も繰り返しているので余程混んでない場合以外は大丈夫と思いましたが、今回は駄目でも「じゃ他所に泊まるから」などと言う気力はなく、料金があいまいなまま宿泊してしまいました。

そんなことに目くじら立てエネルギーを費やしてる場合じゃないだろー。という思いがあります。日本の電気・自動車メーカーの購買担当者ではないのですから、コストダウンのために値切れば良いというわけでもありません。彼らは値切りのプロ、下請け虐めのサディストなのでしょうか。
僕は決してこのレセプションのお嬢さんを苛めて日ごろの鬱憤晴らしをしようとしたわけではありません。自分の要求とその理由を述べただけです。自分のところのスタッフと違って、ちゃんと話を聞いてくれただけでも感謝する気になれました。

聞き慣れないホテルの名の「Da Huong」とはどんな意味なのかを訊いてみました。そのままローマ字読みしてしまえば、ダ・フンで「脱糞ホテル」と覚えても忘れそうもない名ですが、ハノイ発音では、ザ・フゥンです。外国暮らしが長かった故ホーチミンは、外国人がこういう間違いをしないようにDAは「ダ」の発音にし、「ザ」はZAと表記しようと主張したそうですが、彼の権威をしてもそうはならなかったそうです。中国でベトナム青年を組織した時のホーチミンが作ったガリ版刷りのパンフ「革命への道」はDUONG CACH MANG と表記されてます。

パシフィック航空

2007-04-19 01:54:52 | 交通
北部への出張旅費がなければもう少し楽ができるわけですが、顧客の多くは北部のため出張しなければ売り上げにもつながりません。ベトナム航空の国内便だとハノイまで今は往復約200ドル。それだけで一人分の一ヶ月給与です。どうせハノイまで行くのならついでに周辺の省も回ろうという気にもなり、すると宿泊費やらタクシー代も追加され、二人で出掛けると1000ドル近くの出費になったりします。

以前は、経費を浮かすために行きだけ飛行機を使い、帰りは土日に合わせてバスで48時間かけて帰って来たりもしましたが、最近はその根性もなくなりました。その代わり、パシフィック航空の安いチケットを買うようにしています。ベトナム航空も確か2週間前までに買えば割引があったりもするらしいのですが、常に土壇場にならないと日程が決まらない状況です。きょうの便の予約も昨日の午後になってからでした。「明日の便だからもう予約はできません。オフィスに来て直接買ってください」と言われ、Vo Thi Sau通りまで行くぐらいなら近くの代理店に頼んでチケットを届けてもらおうと思ったわけですが、代理店に電話を入れると「午前の便は席がありません。午後便は1.5Mドンです」とのつれない返事でした。

それじゃベトナム航空とさして変わらない値段だし、パシフィク航空の事務所では午前便が1.2Mドンであるとのことだったので、慌ててVo Thi Sau通りまでバイクで走りました。するとカウンターでは、1.3Mドンだと言われ、何でこうも値段がコロコロ変わるのか不思議で、「じゃあ、どの便だと安いわけ」?と訊くと、13時40分発だとFIXチケットで1.18Mドンのがあるとのことでした。安い代わりに変更が効かないため乗り遅れたら捨てるようなものです。午後便なら寝坊する心配もないのでこれを買いました。

午後便だから午前中に支度をすれば良い、などと思って前日を過ごしてしまったのが間違いでした。朝、事務所に顔を出して不在時の段取りを決めて直ぐに家に戻るつもりでしたが、「クレヨンしんちゃん」のメンタリティーを持ったスタッフに梃子摺り、事務所を出たのは12時過ぎになってしまいました。神経を逆撫でされ時間を奪われ、この先も足を引っ張られ続けるに違いありません。家に戻り、支度をして大慌てで空港に着いたのは1時20分。チェックインカウンターで嫌味を言われたものの無事間に合いました。

昨日痛めた左足の腫れはまだ治まらず、ローカルバスを探す気力も湧かないのでハノイの空港からは、タクシーでタイグエンに向かいました。ここで40万ドンもタクシー代を使っては採算がとれない、とは思いつつ。それでも目的地に着いたのは既に5時半。きょうはホテルでゆっくり早めに寝て・・・と思い、先に来ているNに電話を入れると、すこぶる不機嫌な対応。仕事はまだ1/6の処理しかできず、残り5/6を終わらせるまで後3・4日帰れそうもありません。きょうも夜7時半から作業を続けるとのことです。

唯一の救いは、サイゴンの蒸暑さと比べるとまるで天国のようなこの涼しさです。冬の寒さと夏の厳しさがあるとはいえ、北部には春と秋があることも確かなのだと実感しました。

前輪のないバイク

2007-04-18 01:28:21 | 交通
朝は雲って薄暗い灰色の空です。それがいつの間にか強い日差しに変わるのですが、夕方から再び曇り出すため蒸し暑くて堪らぬここ数日です。この反対に昼間は雲が太陽の日差しを遮り、夜は晴れ上がって地表の熱を奪ってくれればいいのに、と恨めしくもなります。この蒸し暑さの不快感のため誰もが苛立つせいなのか、きょうはあちこちで交通事故を見かけました。

もっとも昨日他人事のように語った罰が当たったようで、3区に出掛けた帰り道で自分が接触事故の当事者に。Tan Dinh市場の脇の道をトロトロと走っていると対向車線から大幅にはみ出して2人乗りのバイクが向かって来ました。こちらは10kgほどのA4用紙を運んでいたので急ハンドルで避けるのも憚られ、スピードを緩めただけでした。相手のバイクはそのままのスピードで走り抜けようとし、恐らくハンドルが接触したのだと思います。ガツンという衝撃はあったものの直ぐに止まれる速度でした。振り返って見ると通り過ぎた相手のバイクはハンドルを取られて更に別のバイクと接触して転倒。何とバイクの前輪が外れて何処かへ転がっていったようです。ブラブラと垂れ下がった2本のサスペンションが何とも滑稽でした。

こんなところで時間を奪われるのも勘弁だし、かと言って知らん顔で通り過ぎる卑怯者を受け入れたくもありません。原因は兎も角、相手のほうが怪我も破損も多いわけだし、バイクのスタンドを下して様子を見に行こうと思いました。すると足の甲を打撲したようで歩くと痛みが走ります。あちこちの接触事故でお互いに相手の非をあげつらい罵り合う光景が思い浮かびました。口論になったら100%負けだなー。「凱旋門」のラヴィック先生が逮捕される切欠は事故に遭遇し、被害者の救助をしたからでした。自分は不法滞在の亡命者ではありませんが、公安のご厄介になるのも懲り懲りです。

すると近所の人と思えるお婆さんが僕のところに来て「Thong cam Thong cam」となだめようとします。何でこのお婆さんが僕に同情してくれるのか分かりません。口振りからすると「家の子が迷惑かけてすいません」という感じなのですが、ちょうど自分の家の前で事故を起こしたとも考えられず不思議に思っていると、再びやってきて、また「Thong cam Thong cam」と繰り返し、「ご怒りはご尤もですが、どうぞお引取りください」という仕草でした。その場に残って2人の無謀運転を公安にでも証言されたら困ると考えたのか、あるいは損害賠償を請求しないでくれという意味なのかはわかりません。

多少の後ろめたさは残りましたが、その場を立ち去ることにしました。履いていた左足の皮靴がざっくりと破れていました。サンダル履きでバイクに乗っていたら骨まで達するほどの傷だった可能性もないとは言えません。4年ほど前、サンダル履きでバイクを運転し、交差点で自転車と接触した際に足の小指が自転車のポークに巻き込まれ、深い傷を負ったことがありました。それ以降極力靴を履いてバイクに乗るようにしています。明日は北部に行かねばならず、こんな時に怪我などしたら目も当てられません。

ところがです。この破れた靴を履いて行くわけにはいかず、代わりの靴もありません。こんな時にまた余計な出費かと思うとがっかりです。その上、靴を買いに行く時間も惜しまれます。買い物の楽しみを知らないわけではありませんが、ここで靴を探しても気に入るものが見つかることは期待できないわけで、偶に1区のショーウィンドーでその気にさせられる靴を見ることがあっても、値段が10倍もする輸入品だったりするのがオチです。

今日中に済ませっておかねばならないことは何なのか、明日からの準備はどうするのか、を考える間もなく時間が過ぎていきます。とりあえずハノイ行きの片道航空券だけは手配しなければなりません。幸い昨日、未収残金が回収できたので当面の資金繰りの心配だけは免れました。が、北部に先に行っているNから電話は入らず、痺れを切らしてこちらから電話しても繋がるのは数回に一回。それも電波状況の悪さか、音声を聞き取るのはやっとです。連絡がないのは問題がない証拠、などということはなく、大トラブルの様子。電話をする気力もなく忙殺されてるようでした。「だから言っただろう・・・」との言葉を飲み込み、また明日は空港から憂鬱な気分でローカルバスに揺られるのか、とため息を吐き出しました。