GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

西瓜畑

2007-12-27 01:13:55 | 旅行
海水浴場の裏にはスイカ畑がありました。朝起きてコーヒーを飲みに出るとスイカ畑に水を撒く農民の姿がありました。畑の中にビニールシートを敷いた池を作り、そこからブリキの漏斗で水を汲み散水しています。この辺りは海老の養殖が多いようで畑よりも養殖池が目立つのですが、よく見るとスイカを植えた両側に雑草のように見えたのは稲でしたので、このスイカ畑は田んぼのようです。

スイカ畑といえばかつて三里塚の援農で数日手伝ったことがありました。面積辺りの収入は米の2倍になるのだとか。それでも外れれば大損で博打のようなものだと聞いたのを思い出しました。それより数年前には茅ヶ崎へ海水浴に行く途中で畑から1・2個盗んで食べたこともありましたが。さくらんぼ泥棒は最近のニュースでも目にしますがスイカ泥棒は日本ではどうなんでしょう?

この辺では高校生などが畑のスイカを盗んで市場で売り払い、タバコを買うのだとか。手っ取り早い現金収入の手段のようです。

この畑のスイカは後20日ほどで実が成り、その5日後には収穫できるそうです。旧正月用に植えられたスイカなのでしょう。スイカはほぼ1年中作られているようで、きょう事務所の近くで食べたランチのデザートもスイカでした。1万6000ドン(110円)のランチに付くデザートですから高価なものではないようです。

Dien Haiの町からサイゴン行きの直行バスが出てると聞き、日曜日の晩にそれで帰ることにしました。ところが出発は午後11時でサイゴン着は3時半だとか。それでも月曜日の仕事には間に合うだろうし、車の中でも眠れると思ったわけですが、その安易な期待を裏切ってくれるところがベトナムのエキサイティング。

バスはDien Haiの町を回って客を乗せるので彼方此方立ち寄ってはクラクションを鳴らし、しかも深夜の田舎道を猛烈なスピードで走ります。帰りも何故か席は一番前でスピードメータは120kmを指してました。さらに後ろの席のオバサンのお喋りが止まりません。目を瞑って眠ろうとすればするほどその下品なお喋りが気に障ります。振り向いて「いい加減にせいよ、この糞ババア」と吐き捨ててしまいましたが、僕よりも10数kg体重がありそうなこのご婦人には二度三度繰り返してもまったく効果なし。絶えがたきを絶えるしかありません。

それでもうつらうつらしてるとバスが止まり、運転手がセルモータを回してもエンジンが掛かりません。ボンネットを開ける姿を見てバスを降り、タバコを吸いました。オーバーヒートしたようで開いたボンネットからはジエターの沸騰した水が道路を濡らしてました。運転手はペットボトルの水を継ぎ足してましたがその程度でどうにもなるはずもなく、セルモータの回る音も次第に情けなくなり遂に断念。

見るところ購入後まだ1・2年しか走っていないようなベンツのバスです。チャビンの町の手前10数キロの地点だったようで30分位するとチャビンの町からバスが来てそれに乗り換え、故障車を牽引してトロトロ町まで走りました。

チャビンの町からは再び深夜の片側一車線道路の田舎道をビンロンに向かって120km/h走行。高速道路でもないのにこのスピードには無理があります。センターラインの上に犬だか子牛だかの黄土色の動物の姿が見えたと思った途端車体に衝撃。ハンドルを切ることもブレーキを踏むこともできずに走り去りました。ビンロンを過ぎて休憩所に立ち寄った時に見るとナンバープレートは浪打ち、バンパーが壊れてました。




チャビンの海岸

2007-12-26 21:32:08 | 旅行
週末にメコンデルタの海を見に行きました。5区のTran Phu通りからTra Vinh省Dien Hai行きの直行バスが出ています。1994年にVinh Longまでの長距離バスに乗った時は片道1万ドンで車内はギュウ詰め、悪路の振動もすさまじいものがありましたが、今は別世界。ベンツやフォードのエアコンの効いた16人乗りバスが舗装された国道一号線を時速120kmのスピードでカーチェイスさながら無理な追越を繰り返します。

バイクで行くより疲れは少ないだろうと思ったわけですが、カーステレオの歌謡曲や乗客のお喋りの中に閉じ込められ、交通事故のリスクを背負いながらのひと時は一度楽しめばもう十分。座らされた席は最前列の運転手の隣のため、衝突すればこのフロントガラスを突き破って路上に舞うこと間違いなし。たとえ運転手の技術がどれだけ優れてようと予期せぬバイクの飛び出しやら麻薬常習の長距離トラック運転手と遭遇しないとは言えないわけだし。次回は必ずバイクでの一人旅を楽しむべきです。

メコンデルタには見るべきものが何もないと思い、ここ数年は仕事以外でメコンデルタを訪れることもは殆どありませんでした。しかしチャビン省へは今回が初めてです。東シナ海沿岸のソクチャン省、バクリュウ省と同様にチャビン省もクメール族が多く住み、クメール寺院が目立ちます。人口100万人中30%がクメール族で、ベトナム全土のクメールの30%近くを占めるのだとか。

いつかはメコンデルタ300年の開拓史を調べてみたいという気もどこかにあるわけですが、ベトナム語の文献を読む面倒に挑む根性がなく実現しそうもありません。そんなわけで今回はただ海岸を見に行っただけ。以前見たソクチャンの海岸よりは遥かに綺麗な海岸でした。デルタの海岸ですから砂浜は土壌を多く含み、海の色は茶色で限りなく遠浅。

Dien Haiの町からバイクで10分ほどで海岸に着きます。訪れたのはBa Dongという名の海岸で、最近になって小規模のリゾート開発がなされ、サイゴンから外国人のリゾート客も訪れるのだそうです。泊まったのは「チャビン郵電建設開発株式会社」経営のコテージで一泊15万ドン(約1060円)でした。

久々にGPSを持ち出して測ってみました。海岸は北緯9度37.438分。東経106度33.839分。海抜は-3mと表示されました。

LHP高校

2007-12-22 00:20:41 | 仕事
昨日は朝5時前に起き6:30発BL便でハノイへ。前日は10時に寝れば何とか起きられるだろうと思ったもののベッドに入っても眠れません。横になれば身体だけでも休めようと思いながらじっと眠りに落ちるのを待っていました。皮肉なもので「眠らねば」との思いが睡眠を妨げているようです。そうならば仕方ない、とばかり12時過ぎに起きてPCの電源を入れました。結局べッドに戻ったのは2時過ぎ。手の届かない所に目覚ましを二つ掛けました。

北部への日帰りというのは今回が初めて。始発便で出発し、最終便で戻れば十分可能ですが、高い航空空運賃を払って一箇所のみというのは採算に合わないのでいつもはあちこち回っていただけのことです。ハノイの空港からはタクシーを使わずに17番の路線バスに乗り、国道3号線との交差点でローカルバスに乗り換えました。如何にもハノイの冬といったどんよりとした天候で、目に見えないほどの細かい霧雨の湿気に包まれています。

仕事は契約書類の取り交わしと機器の取り扱い説明。機器はあらかじめ送ってあります。担当者とは既に何度か顔を合わせてもいたので気は楽ですが、新人の男子スタッフを連れてのことなので、そのお守りの方が厄介この上ありません。何しろ飛行機に乗るのもハノイへ行くのも初めてだし機器の操作もまだ満足にはゆかず、それでいて自分は何でも知っているという顔をしたがるので話をしていても不愉快にならないことは稀なタイプ。

契約手続きは何故か手間取り、校長先生が済まなそうに対応してくれました。「ベトナムの行政手続は問題が多すぎるんですよ。校長の私が許可しているのに何で手続きが進まないんだ・・・」。こちらは二・三時間待たされたところでもう十分に慣れてしまってることで、そんな気を遣って貰えるだけでも有難く、また少々驚きでした。

日清・日露戦争の頃の東遊運動の話を持ち出したり、「小泉首相は良くやってたけど、安部は駄目だったナー。今の首相はなんて名でしたっけ・・・?」という具合で日本に対しては好意的な方でした。ベトナムに住んでいながら果たして自分は3代前までのベトナムの首相の名をちゃんと覚えているだろうかと恥じ入る思いも過ぎります。しかし、何で小泉はベトナムでこんなにも人気なのでしょう?「改革」を断行する実行力の象徴と映るようです。ベトナムの旧態依然たる行政への苛立ちや不満が人々を捉えているからなのかも知れません。

待たされて時間を持て余す間に校庭をぶらぶら一人で散歩しました。都会の高校と比べると校庭も広くゆったりしているように見えますが、休憩時間になり教室から出てくる生徒の数はかなりでした。全校で2900名。一学年1000名近くです。町を歩いていて自分が日本人と思われることは決してないのに、何故かきょうも高校では悪ガキ共に「アジノモト」!と叫ばれました。続けて「ホンダ・ヤマハ・スズキ・トヨタ」。

この高校は進学率は30%ほどだそうです。田舎のせいか、日本の高校生よりかなり幼く見えます。ベトナムでは出生男女比が110対100ほどになってしまい問題にされてますが、高校生で目立つのは女子の比率の高さで、この高校でも男女比が4:6だそうです。

裏庭に回ると煉瓦の破片が散らばり草が茂ってました。鉄棒と平行棒が一ずつあるだけで、他に運動場はない様子。その奥の壁際にぽつんと建ってられてるのが生徒用のトイレでした。いくら予算がないからといってももう少し何とかならないものか、と思わずにおれませんでした。

カレンダー

2007-12-19 23:39:57 | 仕事
銀行から帰って来たスタッフが2008年のカレンダーを貰って来ました。昨年は何処からも貰えず、事務所にカレンダーがなくて多少不便でしたが、今年はこれで三つ目。二つの客先から卓上カレンダーを貰いました。一つは高校のカレンダー。公立高校が何でカレンダーを印刷して配るのかは常々不思議に思うところ。行く先々の高校ではいつも「金がない」という言葉を聞かされるわけですから。定食屋の壁に大学のカレンダーが掛けてあったのを目にしたこともあります。このところの物価上昇で学費も値上げされているわけだし、高校や大学がカレンダーを印刷して配るというのは、どんな意味を持っているのでしょうか。

印刷部数に寄るのでしょうけど、印刷単価は一部4・5万ドンだとか。高校のカレンダーだからと言って、試験日程や夏休みの日程が印刷されているわけではありません。少子化の日本なら学校の宣伝用ということもあるのでしょうけど、今のベトナムではその必要もないわけで「濫費」としか思えません。

DONG A銀行から貰ったカレンダーも日本の銀行のそれのように一枚物ではなく、一枚に2ヶ月分が印刷された6枚物です。乱立するベトナムの銀行の場合はそれなりの宣伝効果があるのかも知れません。カレンダーを配るよりは窓口の行員の態度を何とかして欲しいと思わないでもありませんが。

日本のメーカーからはクリスマスカード兼年賀状のメールが届きました。海外営業部のスタッフの写真入りなので日頃メールの遣り取りしかしない女性の顔などはつい注目してしまいました。わが事務所はカレンダーを印刷して配る予算もないので、こんなメールも良いかも知れません・・・・などと思って眺めていると突然の停電。本当にきょうも勘弁勘弁です。明日北部に持って行く幾つかのファイルをコピーしてないというのに。

暫くして修理に出していたPCを引き取りに行ったスタッフが戻って来ました。「修理は終わったけ、確認のためにWindowsを立ち上げてる最中に停電」だとかで無駄足。何が起こるかわからないからと、昨日今日と納品も前倒しで終わらせ、準備万端のつもりだったのですが。

明日は4時半起きで空港に向かわねばなりません。幾つか不備があっても日本人のように小うるさいことを言われることもないとは思います。


炊事に思う

2007-12-18 22:31:55 | 生活
明後日は北部に行くわけだし冷蔵庫の中を整理しておかねば、ときょうは自炊の夕食でした。カレーのルーも封を開けたのが残っていた筈なのでカレーを作り始めたところ、ルーは溶かしてみるとカレーではなくシチュー。大した違いではありませんが、カレーを食べるつもりでいただけに少々ガッカリ。

先週末買った日本米は真空パックされているのか、水分が多く美味しく炊けます。5Kg入りで、毎日炊くわけではないのでお終いの方になるとかなり劣化して同じ水加減と炊き時間では芯が残ります。そうと気付いたのは最近ですから乾期になって湿度が下がったせいかも知れません。日本米を炊くというのが自炊をする最大の理由ですが、昼のランチの長粒米も炊き方によっては美味しく感じる時もあり、驚いて米を変えたのか、と訊いてみると普段通りだそうで、たまたま炊き上がりに遭遇しただけのことでした。

自炊を始めた6年ほど前は、1時間以上も料理に時間が掛かり食べるのは10分ほど。更に鍋や食器を洗う時間も取られ、しかも美味しくないので何とアホくさいことかと思っていました。それでもいつの間にか慣れてしまうと無駄な時間とは感じなくなりました。

料理をしている最中に必ず子供の頃の何かを思い出します。胡瓜に包丁を入れる時は小学生の頃の夏休みに隣の農家の土間でおやつ代わりに胡瓜を食べた光景が蘇ります。皮の硬いベトナムのトマトを輪切りにしていると三歳年上の従姉弟がトマトの皮を剥いていた時の会話を思い出します。

きょうは卵を茹でていると小学校の家庭科だかの授業を思い出しました。卵にはマジックで5分、10分などと茹で時間が書かれおり、各自が一つ選んでその時間になったら食べるという試みでした。迂闊にも友人と卵の大きさで選んでしまい、5分と書かれたその卵は半熟どころか未熟そのものでした。お陰で茹で卵は5分では茹らないということは終生忘れることはなさそうです。

年末近くにこの暑さ

2007-12-18 02:22:38 | 生活
今年も残り2週間。何年か前のこと、クリスマスか西暦正月の頃に気温が下がり、お湯を沸かして頭を洗ってたことがありました。タオルケットでは寒くて眠れないほどの気温でしたが、ここ数年は水シャワーに震えることもなくなりました。12月のサイゴンの平均気温が高くなったのか、身体が水シャワーに慣れてしまったのかのどちらかのようです。

しかし今夜は暑く、室内の温度計は30度を差しています。暑いだけで身体は消耗し、食事の後に胃の消化にエネルギーを奪われると何をする気にもなれません。週末近くになるとそんな時にちょっと横になったりするとそのまま朝を迎えたりもするのですが、きょうは月曜日。きのうの日曜日はシコタマ寝たのでまだ疲れは溜まっていません。涼みがてらにコーヒーを飲みに行きました。ニコチンとカフェインで多少シャキッとはなりましたが、蚊に食われて痒く、早々に引き上げました。乾期と共に蚊がいなくなる年もあり、また乾期で気温が上がり蚊が増えることもあるようです。

初めてベトナムに来た頃、やたら自分だけ蚊に刺され、周りのベトナム人は刺されないということがしばしばでした。香菜に含まれる成分が蚊を寄せ付けないとか聞いたこともありますが、最近は地元食ですから食べ物にさほどの違いがあるとも思えません。それでもきょうは周りの客は蚊に刺されている様子はありません。

何か匂いが違うのかも知れません。食堂などで放し飼いにされた犬に肉を与えてもやたらと警戒されてしまうのも、馴れないからというよりは「外国人」だと見抜かれているからではないかと思ってしまいます。異質なものに対する極度の警戒心というのは、犬がそうであるというより人間社会の反映のように感じてしまうのは偏見かも知れませんが。

20日にまた北部に行くことになり、パシフィック航空の格安チケットを買いに行きました。カウンターは混雑し後から来た客が割り込みます。拙いベトナム語で自己主張しても「まともにベトナム語を喋れない変な奴」ということで後回しにされかねないので「イクスキューズ・ミー」と大声を張り上げでカウンター嬢にパスポートを渡しました。すると態度が一変。若いベトナム人の客はem(弟・妹)呼ばわれされ、チケットを受け取ると「ありがとうお姉さん」と礼を言わされています。

客であることよりも年下年上という序列が優先されるのか、あるいはチケットを売って頂ている、買わせて貰っているというこのなのか、何れにしてもこのベトナム的慣習には抵抗感が残ります。しかし英語で話せばきちんとお客様扱い。

どこでもヘルメット

2007-12-16 00:27:40 | 生活
乾期の晴れ上がった空は朝8時近くになるとかなり強い日差しで、どうせきょうは土曜だからとTシャツのまま、日除けの帽子を被って家を出ました。大通りとの三叉路の信号待ちの時、皆が皆ヘルメットを被っているのに気付き慌てて家に戻りました。きょうから全国一斉にあらゆる道路でヘルメットの着用が義務付けられ、違反者罰金15万ドン(逃亡者は20万ドン)とは十分に知っていましたが、ついうっかり肝心な時に忘れてしまいました。

6年前の6月だかにも同じ試みがあり、しかし一日でというか1時間も経たずに破綻していただけに今回はどんなものだろうかと興味津々。きょうは初日だからということもあってか、狭い路地以外ではほぼ100%の着用率のようでした。

この暑さの中でヘルメットを被るのは蒸れて汗臭くなるし・・・との思いがあったものの、ここで売られているヘルメットは日本のと比べると薄くて軽く、安全性は兎も角、さほど苦にはなりません。形も様々、色も色々。価格も10万ドン以下のものが多く売られています。ヘルメット製造メーカーが12月15日までには製造が間に合わないので適用日を遅らせてくれ、と政府に申し入れたとの記事も以前ありましたが、実のところは12月に入ってからは過剰生産のようで価格下落。携帯電話を買うとおまけにヘルメットが一個付いて来たり。そんなわけで僕がきょう被った赤ヘルにはBENQ-SIEMENSと印刷されてます。

ヘルメットにマスク姿というのはかつて何処かで見た光景でもありますが、似て非なるものであることは当たり前。色とりどりで赤や水色系統が多いような印象で、白は滅多に見ません。バイクにはペタペタとシールを貼るのが青少年には人気のようで、ハノイのバーチュウ通りではその専門店が並ぶほどです。まるで保育園児が部屋の中の至るところにシールを貼るのと同じ精神構造ではないかと思ったりもしていたわけですが、まだヘルメットに装飾を施すという流行はないようです。

廃品回収

2007-12-15 00:54:35 | 生活
引越しをする気がないわけでもないので少しずつ身の回りの整理をしようと思っているところでした。自宅に運んだPC等を再び事務所に運ぼうとタクシーを呼び、荷物を置いて表に出て待っていると顔見知りの廃品回収のオネィさんが通りかかり「オジサン私に売ってよ」と声を掛けられました。PCやプリンター、ファックスも新品ではないとはいえ廃品と間違えられるほどとは心外でしたが、でうみさんの残した書籍類を思い切って売ってしまおうと思い「本(Sách)は、1Kgいくらで買ってくれるの」?と訊くと「4000ドン」。本の入った段ポールを一つ持ち出してくると「何~んだSắt(鉄)じゃないじゃない、本(Sách)は2000ドン」とのこと。

古新聞も含めて全部で80kgを超え、受け取った金額は17万ドン。日本円にすれば1200円ですから、一冊の本も買えない金額です。そう思うと果たして売ってしまって良かったのだろうか、誰か貰ってくれる人を探すべきではなかったのか、との思いも過ぎります。それにしても家も前は一日に何度も廃品回収のオバサン達が通るというのに売ってしまおう、という気にはなれず、若い女の子だとまぁ幾らでも良いや、と秤の数値を確認することなく言いなりになってしまうのは何故でしょう。日頃ベトナム女性の悪口を言い続けている割には無防備です。

事務所にも販売不能となった不良在庫の帳票が何万枚とあります。しかも湿気でインクが滲んだり、ゴキブリの糞がこびり付いたりでどうにもなりません。これも廃品回収に売ってしまおう、とスタッフに言ったところ、1kg800ドンでしか売れないとの話。2000ドンで売れる、と言っても信じてもらえませんでした。相変わらずのこの頭の固さにはウンザリでした。
そろそろ年末。旧正月は今年は2月ですが、会計年度は西暦の12月末までですから年度末。今月中に片付けねばならないことは少なくありません。

三日間閉店

2007-12-12 23:31:25 | 仕事
土曜日が疲れのピークでした。メーカー出張者との最後の夕食に牛肉サラダとイカ野菜炒めを食べていると左右の奥歯が痛み出し噛むことができません。前日も筋張った牛肉をたべたのですが、その時は何でもなかったのにです。最近は滅多に行くことのなくなった近所のThai Binhレストラン。店の名はそのままでしたが、メニューも替わり、ウェートレスも総入れ替えでガッカリ。

タクシー乗り場までバイクで送ろうとしたところ、このまま空港まで走っても構わないとのことだったのでそのまま空港へ。国際便で日本に帰る客をバイクで送ることは稀です。まして大きすぎるスーツケースを持っていたのでこちらからは言い出せないことでした。日本のサラリーマンもそれぞれなのでしょう。軽くなったスーツケースにはインスタントのフォーをしこたま買い込んで入れてました。
空港から家に戻ると一週間の仕事が終わった安堵感からか、身体がズッシリ重くなり頭は熱っぽく頭痛も始まりました。

日曜日は仕事のことは何も考えず、コーヒーを飲みに行く以外は何処へも出掛けず家で身体を休めました。この気温に身体が慣れてしまっているためか、心身ともにグーたらはしてしまいますが、身体の変調は次第に薄らいできました。

月曜の朝、5区のメコンデルタ行きバス停まで人を送り、慌てて事務所に戻ると大家の娘が「階上に住む身内の不幸があったので3日間場所を空けてくれ」との話。涙にくれながらそう言われたら同意する他ありません。取り合えず3日間必要な書類とPCを2台、FAX、プリンターを持ち出してGO BAPのわが家に移りました。

疲れ果ててダナン

2007-12-11 22:23:28 | 仕事
曇り空の北部からダナンに着くと雨で道路が光を反射しているのが上空からもわかりました。カラッと晴れ上がった中部の夜空を期待していただけに気分も晴れません。タクシーのホテル運転手にパシフィック・ホテルと告げ、ホテルに寄ってみると改装工事が終わり、すっかり新しく変わってしまってました。1993年以来予約なしで泊まれなかったことなど一度もなかったのに、この日の空き室は一室のみ。しかも宿泊料は改装前の3倍以上、30ドルを超えているのでチャンフー通りのミニホテルに向かいました。

何処かバランスが崩れたようで、せっかく小さな湯船に浸かり寝心地の良いベットに横たわっているのに1時間ほどで目が覚め眠れません。NHKBSは映るものの英語音声にイライラ。ADSLのケーブルも部屋にあるのにPCの設定を弄ってしまい繋がりません。本を読む気にもなれず短い睡眠を繰り返して朝を迎えました。

ダナンの電話番号が一桁増えたことをすっかり忘れ、タクシーを呼ぼうと電話しても繋がらず、歩けない距離でもないと歩き始めれば道を間違えて右往左往。集中力が著しく失われていたようです。機器はかなりの重症でメーカーの担当者は悪戦苦
闘。後から納入した機器は「問題ない」との客先の話でしたが、動かしてみると擦れる金属音がして大いに問題あり。自分では何もできず、せいぜいカバーの汚れを掃除する位。何もせずにただ見守るだけというのは想像以上に辛いもので胃が痛み出しました。昨晩からコーヒーを何杯も飲み続けているせいでもあるわけですが。

昼過ぎに無事2台のメンテは終了。11時から昼休みに入る客先には迷惑だったに違いありません。疲れがどっと出て歩く気力もなく、向かいの店で中部名物のチキン・ライス(Com Ga Tam Ky)を食べました。「ダナンを去る前に」と、ランに電話を入れるとお茶に誘われ、こちらは足がないので近くまで来てくれと頼んでも聞き入れません。「これだよ。ベトナムの女性は。必ず自分の言う通りに相手を屈服させないと気が済まないんだから」と愚痴りながらタクシーに向かって歩きはじめると、食堂の店員が慌てて走って来ました。「お勘定してください!」危うく無銭飲食者になるところでした。
 
呼び付けられたカフェは大きなビルのホテルの一階。空港近くNguyen Van Linh通り1番地。マフィア企業との噂を聞くHoang Anh Gia Lai社の建物でした。コーヒー代も高そうだし、何でまたこんな所へ、と思っていると彼女の勤務先がこのビルの上階に移ったのだとか。彼女の話を聞いてもこのホテルの評判はボロクソ。とても100ドルも払って泊まるようなホテルではないそうです。それゆえでしょうか、この悪評判が株価へは好影響を与えているようで、OTC市場での株価は額面の17倍以上。悪が栄え、正直者の貧乏人が益々貧しくなる市場経済化の断面を否定することはできません。

ランが同行したメーカー担当者に「ホーチミン主席についてどう思いますか?」と英語で質問しました。ランより2・3歳年上の彼は、どうやらまるで知らない様子。それはないだろう、ホーチミン市が人の名に由来してるとは話したし・・・、温湿度管理はホーチミン廟では行っている筈とも言ったのに。
その場を引き受け、「いゃー僕がしばしばベトナム人と間違えられるのは何処かホーおじさんと雰囲気が似てるからじゃない?」などと大それたことを言ってしまいました。「全然まったく似てない。タバコを吸うことだけよ」と厳しい反応。「質素な生活も似てるし、ベトナム女性観も近いものがあると自分では思っているけど。ベトナム女性は特別だから他の国の女性を知ったら決断できないでしょ」と言ったのが気分を害したのか、「ホーチミンにはちゃんとベトナム人の奥さんがいました」と始めて聞く話。考えてみれば「日本男児はアホだ」と言われたに等しいことを口にしたわけですから彼女のお怒りも御もっともです。