GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

ゴーバップにさよなら

2009-09-30 23:40:12 | 生活
日曜日に冷蔵庫・洗濯機等の電気製品を売り払い、台所用品などは知り合いに持ち帰って貰ったりでだいぶ処分できたつもりでしたが、昨夜荷造りを始めるとそれでもダンボールの数は思いの他多く、ため息が出ました。捨てるべき時に捨てなかったのが良くなかったのでしょうけど、物を捨てる判断というのは結構難しいものがあります。一年以内に必要となるかも知れないものは捨てたくないし、一年後に自分がどんな生活を送っているのか、送ろうとしているのかも曖昧だったので取り敢えず・・・との優柔不断の結果がこのガラクタの集積。ガラクタと言ってしまうと自分の生活自身もガラクタに過ぎないように思えて来て少々悲しいものがありますが。

人はどういう思いで引越しの荷造りをするのでしょうか。ゴーバップの町に未練があるわけでもなく、引越し先に気乗りしないわけでもないのに物を処分する行為につきまとう未練がありました。その分作業は捗らず、一通り終えてシャワーを浴びると3時になってしまいました。

隣の住人に不用品を引き取らせてくれと言われ、じゃあ明日の朝にと昨日返事をしたため、今朝は8時前にドアを叩く音で起こされました。昨夜のタバコの成分がまだ喉に残ったままで「もうちょっと寝かせてくれ」と言いたいところでしたが、9時にはメコンデルタへ荷物を運ぶ車が来るわけで起きざるを得ません。

てっきり必要な物があれば、または、使える物があれば持って行くのだと思っていたのですが、お隣の三人組は中身を確かめることもなくすべて持ち去ってくれました。お陰で粗大ゴミ処分の手間が省けたものの、何と言うか・・蟻がゴキブリやヤモリの死骸を食い尽してしまう行為にも似てるみたいな気がして来て、何度も「ありがとう」と嬉しそうに礼を言われても何だか。

「これは日本から持ってきた100V電源用だから・・・、これは壊れてるから使えない・・・」等々説明して渡せれば気が済んだのでしょうけど、そんな説明などまったく不要なことは直ぐに解りました。

8時半に大家が保証金の返金に来た時には不用品の持ち去りはすべて終わっていました。大家が来ると直ぐに、たぶん台風の影響で強い雨が降り始めました。バス通りへ出る細い路地は車が入れず、この雨の中をどうやって運ぶのか気が重くなりましたが、幸い30分ほどで雨は止みました。



メコンデルタの砂糖

2009-09-22 17:02:26 | 農業・食品
魅力的なサトウキビ収穫初期

Hiep Hung村のサトウキビ収穫。Phung Hiep地区の人々はかつてない興奮に包まれている。砂糖価格の上昇に連れてサトウキビ価格も跳ね上がり、サトウキビを植えた農民の利益は大きい。

---価格高騰---

昨年の収穫初期のこの地の買い入れ価格は350 - 380ドン/kgで、しかも肥料価格も雇い人の手間賃も高かったとすれば今年はちょうどその逆で、590 - 705ドン/kgで売ることができている。

Phung Hiep県Hiep Hung村My Loi B集落のTrangさんは面積約20アールのサトウキビ-VD86-368、ROC22種を収穫中で、販売価格は590ドン/kg。今回は1,000万ドン(約5万円)近くの利益になると予想している。

「この価格が続くなら農民たちは興奮し、また来年は多くの農家がサトウキビ栽培面積を増やすことになるだろう」とTrangさんはあからさまに語った。昨年の販売価格は、わずか380ドンで、40アールの彼のサトウキビ畑は300万ドン近くの赤字を出し、やむをえず畑の一部をサツマイモに換えた。Trangさんは、liep米(もち米に近い稲)の播く種後にサツマイモに換えてサトウキビを植えるつもりでいる。

同じMy Loi B集落で40アールのサトウキビ畑を持つHai Vietさんは、まだ収穫してないが、収穫効率は80トン/haほどになるだろうと予想している。幾日か前に仲買人が590 - 600ドンの値をつけ、彼はliep米の播種に間に合うように売却するつもりでいる。

「30年ほどサトウキビを植えてきたが、今年は一番価格が高い。良い値段の時になって初めて農民は品質を高め、収穫効率を上げ、利益の元を高めるために熱心に生育に励むことができる」とHai Vietさんは語った。収穫効率が高く、経費が少なければ農作業は利益を生む。だから植え付けてから9ヶ月後に彼は約2,500万ドン(?)の利益を得ることができる。

今年は値段が良いため殆どの近隣の農民は収穫を急がない。そのため収穫作業の労働者を雇うのも去年より簡単である。

近くのBay Canhさんは、「今期のサトウキビが初めからこんなに高くなるとは思いもよらなかった。まだ丸一ヶ月もたってないのに150ドンも差がある。liep米を植えるためにサトウキビを早く刈り取らなければならないが、遅らせば遅らせるほど利益は増える」と語った。去年20アールをサツマイモに換えたので、今年は40トンのサトウキビしか売ることができない。来年はCanhさんもサトウキビの植え付けを増やすつもりでいる。

---Neo Mia cho gia---

Vo Van Muoi さんの畑には30トン強のサトウキビがある。数日前、ベンチェ製糖工場Phung Hiepの仲買人が何度も来たが、彼はサトウキビが熟してるにもかかわらず売ることに同意しなかった。「わたしのサトウキビ畑は堤防に囲まれてるから浸水することがないので急いで売ることはない」と言う。現在、彼は先にliep米を播き、サトウキビの収穫時には稲が15日以上になっているしようとしてる。彼の予測によれば「各製糖工場が本格稼動すれば必ずサトウキビ価格は上がる。その時サトウキビはもっと熟して値段も収穫もピークで売れる」とのことだ。

一方、Hiep Hung 村Quyet Thang集落の「200トン・クラブ」は約20ヘクタールのサトウキビを植えている。ほとんどのここの構成員はまだ収穫をせずに待っている。

クラブの主任、Tuong Van Hienさんは、「今までここに買い付けに来た仲買人の値段はROC11種が600 - 620ドン、ROC16とQĐ92-159種は705ドン。それでも売ったメンバーはほんのわずかだった。このような値段だとクラブのメンバーは、10アール当たり平均400万ドンになる」と言う。彼自身の1.2ヘクタールのサトウキビ畑では収穫はさらに後2ヶ月延ばす予定だ。去年は230トンのサトウキビを525ドン/kgでPhung Hiep工場に売り、利益は5,900万ドンだった。今年は収穫量は通常通りだが値段が良いので利益は去年より多いはずだ。

現在、Vi ThanhとPhung Hiepの二つの工場が稼動を始め、昼夜で一日約5000トンのサトウキビを処理してる。今期初めの値段はPhung Hiep工場で10 CCS が730ドン/kg、Vi Thanh工場745ドン/kg。CCS値の増減で50ドン/kgの変動がある。一方、製糖会社は糖分質検査員を派遣し、Casuco(カントー製糖会社)のサトウキビ原料契約畑で浸水被害の危機にある場合だけは優先される。
カントー製糖株式会社のVo Van Son 副社長は、「 仲買人は値を下げようとするので在庫が滞留するのを恐れて売り急ぐべきではない。今後更に収穫量も可製糖率も上昇するし、したがって農民の収入も増えるから」と語る。9月15日以降、メコンデルタのすべての製糖工場が圧搾を始める予定であり、サトウキビ価格は更に上昇する可能性がある。
カントー製糖株式会社はまた、仲買人を通すと利益が減るので、収穫を遅らせて直接工場へ販売するよう周辺のサトウキビ農家に呼びかけている。
同時に、会社は幾つかのサトウキビ生産地で可製糖率測定のサンプル採取を組織する予定でいる。その結果は公表されるので仲買人に販売する時にも参考になる。

<カントー製糖株式会社は、9月7日の可製糖率検査結果について、Phung Hiep、Nga Bayのサトウキビ 7.55CCS(先週比+0.4、先月比+2)と発表した。特に優れてる品種はQĐ93-159の10.2 CCS、ROC16の9.8 CCS。VĐ86-368の10ヶ月も9.4 CCSに達した。そのほかの品種で成熟したサトウキビは4.7から9 CCSの間であった。成熟の遅い品種について、浸水しないのであれば売り急がないようにと会社は言っている。なぜなら会社は可製糖率に基づいて購入するから、可製糖率が低い場合には農民は損害を蒙る>

http://www.baohaugiang.com.vn/detailvn.aspx?Item=12226

「砂糖の世界史」

2009-09-17 00:35:12 | 農業・食品
岩波ジュニア新書に「砂糖の世界史」という本があることを最近知りました。10年以上も前に発行された本のようです。昨年は国連の「ジャガイモ年」でしたが、今年は「砂糖価格高騰年」で8月には「一時1ポンド=0.23ドルを上回り、28年ぶり高水準」になったとか。

砂糖の最大の消費国インドの砂糖不足が原因と言われてます。砂糖生産国ベトナムの砂糖価格も上昇を続け小売価格は18,000ドン/kg近くまで上昇。2008-2009年度のベトナム砂糖黍生産が少なかったこともありますが、このところ密輸取締りが効果を発揮してるから・・・などとも書かれてましたが、国内価格の上昇に比例して密輸が増大するというのが密輸の経済論理ではないかとも思います。

今年は中秋月餅の売れ行きも悪いそうで、その分砂糖需給もタイトでないかも知れません。また今月からはメコンデルタで2009-2010年度の砂糖生産も開始される時期になります。高緯度地方になるにつれ砂糖黍収穫の時期は遅くなるようで、日本の沖縄や鹿児島では12月にならないと製糖工場の稼動は始まらないようです。

2008-2009年度のベトナム砂糖黍生産量の減少は、長らく砂糖価格が低迷し他の農産物への転換が進んだ結果のようです。しかし、今年度は砂糖黍生産農家にとって十分期待できる価格になりつつある-Profits sweeter for sugarcane farmers-(VN News 9/14)とありましたが、それでも工場の買取価格はトン当たり47万ドン~51万ドン(2,350~2,550円)すなわち、キロ当たり2.35~2.55円。

日本の砂糖黍生産農家の平均収穫面積は100アール=1ヘクタールですが、メコンデルタで1ha当たりの収穫量は60トン。そこから得られる総収入が最大でも60×2550=15万円ってことになります。そこから諸経費を差し引いてどれほどの金額が手元に残るものなのでしょう。これが「甘い利益」と呼べるものなら世の中に「苦いもの」など存在しなくなってしまいます。

40haの農地があってようやく300万円の売り上げ。日本の農林水産省の統計では砂糖黍栽培10a当たりの労働量は87時間。農業機械の導入されてないベトナムでもこの時間を単純に当てはめるとすると40haではその400倍で3万4千800時間。売り上げの半分を労賃に当てるとすると時間給は43円が限度ということになります。

「砂糖の世界史」は植民地プランテーションと深く関わるものだったのでしょうけど、今日もなお、という気がしてなりません。


A/H1N1感染者

2009-09-14 22:58:01 | 社会
日本では新型インフルエンザへの感染者が週150万人ほどに達しているそうですが、日本よりも遅れて感染が始まったベトナムでは1日に220人ほど。週に換算すれば1500人程度でまだ日本の百分の一の数字です。ここ数週間で感染者も死亡者も急激に増えたように思えますが、何故か最近は逆にマスク姿を見かけることが少なくなって来ました。

そう言う僕自身も5月の初めに日本からマスクを3箱ほど持ち帰ったものの使ったのは二週間ほど。自分の風邪が治ってからはさっぱりです。ベトナムの薬局でも同じような製品が一枚2000ドンで販売されてました。日本に居る時のように満員電車に乗るわけでもなく、職場ではエレベータに乗らず階段を使っています。

先週、「生後22日の赤ちゃんが感染」との新聞見出しを目にしました。改めて本文を読んでみると何とゴーバップ区のP.10だそうで、この家からそう遠くありません。
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8月28日、高熱と血尿のため赤ちゃんは家族に連れられ診察を受けた。診察の後、医師たちはこの子が新型インフルエンザに感染した祖母と接していることを知り、9月2日隔離治療のためホーチミン市第二小児病院に入院した。検査結果はH1N1ウィルス陽性だった。

7日間の治療の後、健康状態は安定しており二・三日中に退院できるだろう、とのことである。同じ10日、ホーチミン市医療局は、Go Vap区のQuang Trung中学校と7区のĐinh Thiên Lý 私塾学校での感染を発表した。
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きょうの新聞には「19歳女性ベトナムで6番目の死亡」

9月13日、医療省はベトナムで6番目のA(H1N1)型ウィルス感染者の死亡を確認した。それまでの死者はホーチミン市(3名)、ドンナイ省(1名)、カィンホア省(1名)だった。

ベンチェ予防医療センターの報告によれば、患者は19歳女性で、住所はẤp Vĩnh Hưng, xã Vĩnh Thành, huyện Chợ Lách, tỉnh Bến Tre。9月3日に疲れと胸の痛みの症状があり家で薬を買って飲んでいたが治らないので9月5日、Cù Lao Minh地区の病院に入院した。

9月7日に発熱し、呼吸が苦しくなりA/H1N1ウィルス検査のための採取をし、タミフル投与の治療を行った。

9月11日ホーチミン市の Pasteur院からH1N1型陽性の検査結果が届き、翌12日に死亡した。

A/H1N1感染者で慢性疾患のない3番目の死亡例だった。患者は産後3ヶ月で家で育児をしており、家には他の感染者もなかった。

9月13日には全国で220名の感染者が確認された。南部150名、北部35名、中部24名、中部高原11名。従ってベトナムでは9月13日17時までの時点で4468名の感染者と6名の死亡が記録された。






台風シーズン

2009-09-09 00:43:38 | 天気
先週から雨続きのサイゴン。日曜日の夜に降り始めた雨は断続的に朝まで続き、お陰で月曜の朝、Cong Hoa通りは大渋滞でした。

これだけ雨が続くと流れ込む外気も冷たく、夜は扇風機を止め、タオルケットと肌掛けを重ねて寝ないと寒さを感じます。部屋の気温は28度をほんの少し下回るだけですが、その僅か0.5~1度の差が体感的には決定的な違いです。年齢のせいで気温変化に身体が対応できなくなって来た、ということもないとは言えないみたいですが。

雨が続くと部屋で合羽を吊るして干すことも多くなり、扇風機の風を当てて早く乾かそうとするわけですが、すると揺れる合羽に猫が反応して飛びつき合羽を引きずり落としてじゃれています。動くものへの猫の反応は素早く、今までは昆虫ばかりがその対象でしたが、最近は子鼠や雀を咥えて来て家に持ち込もうとします。成果を誇示するというよりは、安全な場所でじっくり弄ぶか食するかしたい様子。そんな時は慌ててホウキを取り、クソ猫、君とはもう一緒に暮らせない、とかなり本気で怒って追い出してます。その怒りの度合いは理解してくれるみたいですが、近所の野良猫がすべて姿を消してからは遊び相手も外にいないからか、10分ほどで事を済ませてまた舞い戻って来ます。

この雨続きの天気は中部沖に停滞している熱帯性低気圧のせいらしく、新聞を見ると2つ目も発生していて台風に発展するかも知れないとありました。毎年のようにこの季節は中部沿岸に幾つもの熱帯性低気圧や台風が接近します。今年も既に洪水や崖崩れで犠牲者が出てる様子。ベトナムもこの時期多くの作物が収穫の時を迎えるだけに農業の厳しさを思い知らされます。

収穫前の稲は稲刈りができず、収穫後の稲は干すことができません。保存穀物にとって乾燥が命。女性のお肌の水分値よりも大切な要素なんだろうと思います。







コンツムからラオス

2009-09-02 00:26:10 | 旅行
中部高原のコンツム(KonTum)に初めて来ました。火曜日にサイゴンからVN航空の国内線で隣の省都プレイクに到着し、空港からコンツム市街までは50km足らずでした。木曜日には100kmほど離れたコンツム省北部のダクレイ(Dak Glei)までバスで出掛けたところ窮屈な座席のせいでか腰を痛めてしまい、土日はホテルでゆっくりしよう、などとも思っていたわけですが、そう何度もこのコンツムに来る機会があるわけでもないので、取り敢えずラオス南部のパクセ行きのバスがどうなっているかを調べようと旅行会社のオフィスを訪ねてみました。

DakBlaホテルの一階にある旅行事務所は7時を過ぎていたため閉まってましたが、閑散としたホテルのレセプションで訊くと電話で問い合わせてくれました。予約をすれば朝9時半にこのホテルの前にバスが着きパクセには午後5時に到着とのこと。夕方5時着ならまだ明るいからメコン河を眺めることぐらいはできるだろうし、日曜の朝そのバスが戻るというので帰りの便も確認できたのでパクセ行きを決めました。

バスはプレイク市のLam Hong社が運行していて、料金はKonTum旅行社に片道20USドル取られましたがバスには26万ドンと掛かれており、10万ドンほど余計に払わされたようです。以前ならこの手の理不尽さに目くじら立てて文句を付けたりもしてたわけですが、その気力も失せてきたこの頃です。フエから出ているサバナケット行きのバスと違って外国人観光客がこのバスに乗ることもまだ滅多にないということでもあるようです。マイリン社の急行バスもあるそうですが、まだ月・木の週2便だけだとか。

コンツム旅行社の前でバスに乗り、国道14号線を北上して2時間ほどでNgoc Hoiの町に着きました。ここで西方向、ラオス国境に向かう40号線と分岐してます。ここで昼食となり、バスには20数名の乗客がいましたが、何故かテーブルを囲んだのは8名だけ。通常のこの手の店の食事と比べ上質な料理が6品ほど並べられ、8人で箸をつつきました。バスの運行会社と食堂との間に物資の運搬やら何やらで強い絆と信頼関係があるように感じられました。そこから20km足らずで Po Y国境ゲートに着きました。

昨年フエ、クアンチから国境を越えた時はベトナム人はIDカードと5000ドンを手にして出国手続きをしていて窓口も他の外国人とは別でしたが、ここでは皆パスポートに1万ドンを挟んで窓口に提出してました。緑色のベトナムのパスポートが10数枚と紺色のラオスのパスポートが4枚、そしてわが赤色パスポート1枚でしたが、赤色パスポートは後回しの上に丹念に出入国のスタンプ等を確認されて一人だけ置いてきぼりの憂き目に。

ラオス側の入国手続きの場所までは少々離れていてバスに乗っての移動です。ラオ階から雲南に抜ける国境のように歩いて越境する人は居そうもありません。ここではコンツム側はそれでもNgoc Hoiの町からもそう遠く離れているわけでもなく、また国境経済区の開発も進んでいますが、それは比較的に平坦な土地であるわけで、しかしラオス側は山々が続く人の住めない地域だからです。太い木材を積んだトラックが止まってました。

この国境がどんな時代に画定されたものなのかは知りませんが、ベトナム側からすれば「もうこの辺で十分、あっちの険しい山は要らんわ」てな感じもして来ます。実際、この山を下り、ラオス側の最初の町アティプに着くまでは120kmほどの距離でしたが、3時間以上かかりました。サイゴンの市内バスでも使われてるSAMCO社製のボロボロバス-中国から輸入してベトナムで組み立てたように思えます-のせいもあるのでしょうけど。

アティプの町で休憩し、運転手にパクセまで後どのくらいで着くのか、と訊きました。後200kmだから4時間。着くのは8時だ、との答え。夕暮れのメコン河が見える時間ではありません。