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95種、1255本というこの梅園のなかに、上品な薄紅でいわくありげな名前の花をみつけました。鶯宿梅といわれる品種です。
天暦年間、村上天皇の御時、清涼殿の梅が枯れたので、代わりの木を探すように仰せが出でます。
西の京のさる邸に、色濃く美しい木を見つけ、これを召し上げますと、その梅になにやら結わえ付けられています。開いて見ると“勅なればいともかしこし鶯の宿はととはばいかが答へむ”
と女性の筆跡。驚いて調べさせると、歌の主は紀内侍といって、紀貫之の娘でした。
女性の心根を察してこの梅を返し、これよりのちこの木は鶯宿梅と名づけられ、内侍も紅梅の内侍と呼ばれるようなった、といった話が「大鏡昔物語」にあるそうです。
紀貫之の屋敷跡に開創された京都相国寺塔中の林光院の庭にこの鶯宿梅の子孫がいまも植わっているといいます。
大鏡では、“色濃く咲きたる様体美しきが…”ありますが、今見る鶯宿梅は、とても色濃くとはいえません。おそらく後代、品種改良した新種に、この故事を重ねて鶯宿梅の名をつけたのでしょう。
虚実の詮議はさておいて、こんなみやびな話を思い起こしながら梅の花を観賞するのも早春の楽しみです。
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