簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

長い停車時間(JR乗り潰しの旅・宇野線)

2019-01-07 | Weblog



 列車に乗っていて、たまにどこかの駅での長時間停車に出会すことがある。
度々停まれば、「またか、早く行けばいいのに・」となるが、これが長時間
移動の最中なら、時にそれはありがたく思えることもある。



 いくら鈍行列車の旅が好きとは言え、堅いシートに座っての長時間の乗車は、
足腰が痛くなっていることも多いので、たとえ僅かな停車時間でもホームに降
り立って、その土地の空気を吸いながら深呼吸をし、体を屈伸するだけで十分
にリフレッシュできる。



 まだ少し時間が有るのなら、ホームに立つ名所案内標や、ホームの壁、上屋
から釣り下がる広告を眺めたりすれば、その土地の風土に触れ、名所旧跡・名
物を知り、たまたま降り立った地に思いを馳せることも出来る。



 まだまだ時間に余裕が有るのなら、改札を抜けてみるのも良いだろう。
殆どがコンビニに変わったとは言え、駅の売店はそれでも郷土色は意識してい
るものだ。その土地の名物や、名の知れたお土産、弁当を買い求め、車内で味
わうのも悪くはない。また観光案内所が有るのならそこを訪ね、パンフレット
を手に話を聞くなどすれば、思わぬ発見が有るやもしれない。



 それでもまだ時間に余裕があるのなら、思い切って駅を出てその周りを眺め、
最後に駅舎を振り返って見てみよう。
その土地を象徴するユニークなデザインであったり、時に風格ある重厚な駅舎
の佇まいなどに出会い、意外な事実を知り驚きを得るかもしれない。



 列車の長い停車時間は、そんな色々な楽しみをプレゼントしてくれる。
しかし、近頃では長距離を行く列車は極めて少なくなり、それに連れ長時間の
停車も減ってきているように思う。(写真:文とは無関係 JR身延線)(続)

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「なまはげ」(JR乗り潰しの旅・宇野線)

2019-01-04 | Weblog

 「急行・きたぐに51号」に米原から乗り込んだ。
目指すさきは秋田県の男鹿半島、この地方に古くから伝わる年末の恒例行事
「なまはげ」を見学する為の北行きである。



 当時この列車は大阪を19時15分に発車、東海道本線の米原から北陸本線に入り、
直江津から信越本線で新潟を経て、秋田まで行く夜行の急行列車であった。
米原は21時09分発で小松辺りで日付が変わり、新潟には7時15分に到着している。



 このまま秋田まで行けば14時05分の到着となるが、ここでは5分の接続で先行
する急行「羽越」に乗り換えると秋田には2時間も早く到着出来る。
秋田から男鹿までは1時間、そこで中央交通バスに乗継いで凡そ40分、門前で下
車をする。その日の泊まりは長楽寺ユースホステルであった。



 当時の若者の旅行で宿泊と言えば、ユースホステル(YH)の利用である。
知らない者同士が膝を突き合わせての夕食や、その後のペアレント(管理人)を
交えての時間は館により工夫がされていた。
当然泊まりは相部屋が多く、そこが情報交換の場にもなっていた。そんなわけで
口コミ、或は雑誌の投稿などで知る評判の館は、多くの若者の支持を得ていた。



 この日も広間での夕食が終わるといよいよ「なまはげ」のお出ましだ。
「うおおお~お~お~お~お~」奇声と共に仮面をつけ、藁をまとった神の使い
が現れると会場は叫び声と笑い声で大混乱。
ひとしきり暴れた後は、仲良く記念撮影となった。



 先頃「なまはげ」を含む8県10件の伝統行事が「来訪神 仮面・仮装の神々」
として、ユネスコの無形文化遺産に登録された。
そんなにニュースに接すると、こんな半世紀近くも前のセピア色の思い出が鮮
やかに蘇ってきた。(続)



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発駅着席券 (JR乗り潰しの旅・宇野線)

2019-01-02 | Weblog



 二十代の頃は、会社の正月休みを利用してよく旅に出た。
それも一泊や二泊の旅ではなく、一週間十日をかけて各地を巡る旅である。
そんなとき役の立ったのが、当時の国鉄の長距離列車や夜行列車であった。



 昭和44年正月五日、九州で九泊目の朝を長崎ユースホステルで迎えた後、
長崎発10時14分「急行・いなさ2号」に乗車、博多に13時22分着いた。
今なら同じ経路を行く「特急・かもめ」なら2時間ほどの所要である。



 そこから山陽本線を走る「夜行急行・つくし51号」で大阪まで戻ってきた。
博多発16時2分、主要な駅々に停車しながら大阪到着が翌朝の4時30分である。
急行とは言え、1時間と経たない内に次の駅に停まるので、恐らくその都度目
が覚めてとても熟睡など出来る雰囲気では無かったと思うが、それでも座席
は確保出来ていたので救われた。



 当時多くの急行列車には座席指定車がなかった。
スキーや盆暮れの帰省など混雑時ともなると座席を確保するため始発駅のコン
コースに早い時間から並んで待ったものであるが、それを解消してくれたのが
「発駅着席券」である。



 始発駅の窓口で目的の列車の券を50円で購入すれば、後は発車の30分くらい
前までに行けば良いから長時間駅で並ぶ必要がない。
改札が始まれば、ビニール袋に入ったその券を胸につけて乗車することになる。



 正月を迎え歳を重ねると、どういう訳か昔の出来事が懐かしく思い出され
てくる。名古屋に住んでいた事、こうして九州や東北、四国を一周した当時
の出来事が・・・。そしてこんな些細な事が鮮明に蘇ってくる。(続)

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