簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

豪商達の住宅(日本遺産 鉱山の町・吹屋)

2023-06-28 | Weblog

 「吹屋よいとこ 金吹く音が 聞こえますぞえ 窓坂え
吹屋よいとこ金掘るところ、掘れば掘るほど金が出る・・・」
こんのふうに俗曲で唄われた吹屋で有る。



 弁柄景気で沸いた吹屋で莫大な利益を得た商人達は、挙って競うよう
に豪邸を建て、赤い町並造りに貢献した。
その中心的な建物が、屋号を「胡屋(えびすや)」と言った国重要文化
財の「旧片山家住宅」である。



 宝暦9(1759)年の創業以来、200年余りにわたり「吹屋弁柄」の製
造・販売を手がけてきた老舗の建物である。
間口は10間と、豪商の邸宅にしてはそれほどでもないが、奥行きは何
と40間もあるうなぎの寝床で有る。



 その向が片山家の総支配人を務め、分家された家である。
今では「郷土館」として有料で室内が公開されている。
間口五間、奥行き16間の典型的な中級の商家造りは、石州の宮大工の手
になる建物で、「これほどの良材と大工の手の揃った家は世に少ない」
とまで言われる名建築とされている。



 当時の片山家は、吹屋地区では最大クラスで、中心的な豪商と言われ、
名字帯刀を許される勢いであった。
千余町歩の山持ちでそこから栗材や桜材など、選りすぐりの良材を切り
出し、建材としてふんだんに利用し豪邸を建て、造作にも凝ったという。



 その他にも、戸田家、藤森家、林家、那須家等多くの商家の建物が残
されている。
弁柄商を営んだ田村家の住宅主屋は、安政三年頃の建築といい、以降順
次増築され、昭和49年まで営業を続けていた。
これらの主屋は何れも入母屋造り平入り形式である。



 一方、城井田家や松浦本家等は、切り妻造りの妻入りで、家の構造は
必ずしも同じでは無く、当主の好みも反映されている様だ。
それでも、屋根・壁の外観には、町造りの統一感への配慮が当然なされ
ている。(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 赤い集落(日本遺産 鉱山の... | トップ | 吹屋に残る遺構(日本遺産 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事