簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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桶狭間史跡公園 (東海道歩き旅・尾張の国)

2022-06-08 | Weblog
 旧東海道は、名鉄「中京競馬場前駅」の手前で国道に合流する。
ガードを抜けて暫く行くと、「桶狭間古戦場 100m」や、「桶狭間古
戦場まつり」の開催を告げる案内板が見えてくる。
この駅が有名な古戦場巡りの最寄り駅にもなっているようだ。



 折角の機会である。
街道を外れるとは言え、これぐらいなら足が痛くても寄れそうなので、
案内板に従いそこを左折し、坂道を100m程上って行く。
すると左手に緑も濃い森が現われ、入口に「史跡桶狭間古戦場跡」の
石碑が建つ史跡公園があった。



 歴史の重要な転換点となった「桶狭間の合戦」が行われたとされる場
所で、「国指定史跡 桶狭間古戦場伝説地」である。
今川義元はここで織田信長に襲われ、戦死したと伝えら、その弔いが古
くからここでは行われてきた。



 田楽狭間、或は舘狭間とも呼ばれた地である。
しかし古戦場がどこであったかは異説もあって、昔から議論が頻りに行わ
れているらしい。
両軍併せて3万人にも及ぶ軍勢が入り乱れ、彼方此方で刃を交わしたから、
古戦場となると、特定の場所だけとは行かず、ここも故に「古戦場伝説地」
となっている。



 この日公園では「桶狭間古戦場まつり」と言うイベントが開かれていた。
ボランティアスタッフが何人か詰めていて訪れる人々の案内をしている。
それ目当ての歴史ファンなのか、見学の人の姿もチラホラと見受けられる。



 そこでご婦人のスタッフが見せてくれた古い写真には、愛知電気鉄道
の「桶狭間駅」と、昭和16(1941)年に県によって建てられた「古戦場
跡の石碑」が写っていた。
そこは驚くほど何もない荒んだ地で、公園として整備される以前の物ら
しく、石碑だけがポツンと寂しげに立っていた。(続)



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