簾 満月「バスの助手席」

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万富東大寺瓦窯跡 (JR乗り潰し・山陽本線)

2016-03-25 | Weblog
 ここ万富は奈良の東大寺とは深い縁のある地であり、万富駅にほど近い丘陵地
には昭和2年、国の史跡に指定された「万富東大寺瓦窯跡」が残されている。



 『備前国司(俊乗坊重源)の勢力がおよび、大量の瓦や材料(薪)を生産・運搬す
るのに適した地として、この万富が選定されたと考えられる。』
(「史跡万富東大寺瓦窯跡確認調査報告書」 2003年 岡山県瀬戸町教育委員会)



 平安時代、源頼政は以仁王を奉じて延暦寺や興福寺の勢力と組み打倒平氏の
兵をあげた。これに対して平清盛の命を受けた平重衡は奈良へ攻め入り、反平氏
勢力である南都の寺を焼き討ちし、これにより東大寺も焼失した。
いわゆる保元・平治の乱である。



 その後時の朝廷により東大寺の復興計画が立てられ、大仏殿再建の勧進も全国
で行われた。
その再建に必要な瓦を焼いた窯跡と伝えられる場所がこの地には残されていて、
昭和54年の県の発掘調査では13基もの窯が確認されている。



 もともとこの付近には良質な粘土が大量に有ったことが知られており、阿保田神
社を中心にその周辺に当時は30基もの窯を造営し、それを用いて軒丸瓦と平瓦な
どが30~40万枚も焼かれたと伝えられている。





 当時吉井川の流れは大きく二つに分かれ、そのうちの一つが西に流路を変えて
いたと推測されている(今日の万富駅辺りか)。
この事から、生産された瓦は筏を組んで川の中ほどに待つ舟まで運び、それに積
み変え吉井川を下り瀬戸内海に出て大阪湾に向かい、そこから淀川・木津川をさ
かのぼり東大寺に送り届けられたとみられている。(続)

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