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京橋、銀座を抜け、新橋に掛かる辺りで「銀座柳の碑」を見る。
さすがにこのあたりまで来ると、銀座の喧騒は無くなり、人の流れの雰囲気は今ま
でのそれとは少し変わり、妙な落ち着きが感じられる。
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高速道路を潜り、新橋駅を見てその先で新幹線のガードを潜る。
不思議なことに、あちこちで「新橋」と言う文字を目にすると、知らず知らず鉄道唱
歌を口ずさんでいた。『汽笛一声新橋を・・・』が、どうも歩調にはよく合うようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/dc/5ee822a9b273df76ba8a98e939d1b46c.jpg)
『汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友
として』こう歌いだす鉄道唱歌の第一集(東海道編)が発売されたのは明治33年5月
のことであった。
その後、評判の良いことに気を良くし、立て続けに第二集(山陽・九州編)、第三集
(奥州・磐城遍)、第四集(北陸編)、第五集(関西・参宮・南海編)が売りに出された
と言う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/6b/2386339a3eb73071eda1f34a8684a545.jpg)
当時の歌集の表題には「地理教育」と言う文字が書き込まれていて、小学生など
低学年への地理や歴史を教える教育的な面もあったそうだ。
これらは歌いやすいメロディと、その土地の名物、名所、歴史などを織り込んだ親し
みやすい歌詞が受けたのか、ベストセラーとなり、亜流が出たりしながら、それでも
今日まで歌い継がれている。
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その新橋と横浜の間に鉄道が開通したのは明治5年の事である。
当時の新橋駅は、後に貨物駅となりその後廃止となった汐留駅に造られた。
木造石張りのモダンな駅舎が建てられたが、このあたりはまだ雨が降るとぬかるむ
ような広大な空き地が広がっていたそうだ。(続)
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